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episode38 異常な光景①

 不穏な空気を抱えながらリアムたちと疾風の面々は目的の森に向かって進んでいく。


「──しかし私もそれなりの経験をしてきたが、人間の言葉を話す犬に会ったのは初めてだ」


 しばらくしてフェリスが空気を変えるかのように口を開くと、


「犬ではない。太郎丸だ」

「──っと、そうでしたね。失言でした」

「わかればよい。しかしフェリス殿もあんな仲間をもって気苦労が絶えんな」


 まさかフェリスも犬に慰められるとは露ほどにも思っていなかったのだろう。苦笑しながら一定の距離を保って歩くレイチェルに視線を流して言う。


「あれでも悪魔討伐には欠かせないから」

「ところで疾風の皆さんはグリムリーバーと戦った経験はありますか?」

「グリムリーバー?」


 首を傾げるフェリスを見て、リアムは失言であったことを悟る。これから討伐する悪魔であることを告げると、フェリスは「ああ」と短い言葉を発した。


「君たちは悪魔に名前をつけるのか」

「ええ。情報を共有するためにも必須ですから」

「俺たちは精々緑色の悪魔と呼ぶくらいだ。──っと、戦った経験だったな。もちろんあるぞ。体全体が粘液に覆われているから刃が通りにくいが倒せない相手ではない。君たちは戦ったことがあるのかい?」

「ええ、何度かあります」

「ならば遅れをとる心配はなさそうだな」


 その言葉を最後に口を閉ざしたフェリスに倣い、リアムも余計な口を開くことなく歩き続けること二時間。森の入口に差し掛かったところで、フェリスが全員の足を止めさせた。


「これから森に入るわけだが、その前に二人……と太郎丸に再度確認しておく。基本僕たちは見届け人という立場である以上、これから起こることに関して一切の手出しはしない。ここまではいいかい?」


 そう言うフェリスの目は明らかにリアムに向けられている。それも当然だと思いながらリアムは答えた。


「問題ありません。疾風の方々に手を貸してもらっては意味がありませんから」


 フェリスは頷き、ただし、と付け加える。


「例外として君たちの命が危険な状態に陥ったと判断した場合は助太刀する。助けられる命をむざむざ見殺しにしたとあってはさすがに目覚めが悪いからね。もちろんギルド長にはありのままを報告するつもりだ」

「お気遣いありがとうございます。そうならないように頑張ります」


 不満そうな顔で肩をつつくアリアの手を払いながら言えば、背後から「はあ?」と怒気を含ませた声が飛んでくる。

 振り返ればレイチェルが蔑む目でこちらを見ていた。


「なんでわざわざ助けなきゃいけないのよ。こいつらが死のうが生きようがどうでもいいじゃない」

「そう言うな。弱き者を助けるのも強者に課せられた使命だ。俺は全然助けてやるぞ」

「うっさいハゲ!」

「はっはっは。まだ俺の髪は禿げていないぞ」

「とにかく私は絶対手を貸さないから!」

「レイチェル」

「──むしろ我々に助けを乞うなよ?」


 太郎丸が小馬鹿にしたように言えば、レイチェルが頬をピクピクと痙攣させながら懐の杖を取り出した。


「クソ犬の分際ででかい口を叩くじゃない。悪魔に喰われる前に殺してほしいの?」

「殺す? お前が? 吾輩を? たかが燥士(そうし)の魔導士ごときで片腹痛いわ」

「わかった。今すぐに殺してあげる」

「レイチェル!」

「太郎丸!」


 リアムとフェリスから同時に発せられた怒声に、レイチェルと太郎丸は激しく睨み合った後、どちらともなく距離を取る。


「──行きましょうか」

「そうですね……」


 リアムは溜息混じりに同意して森の中に足を踏み入れる。比較的開けた森であることと、ある程度人の手も入っているらしく歩き難いということもなかった。

 アリアを先頭にリアム、太郎丸と続き、少し離れてフェリス、レイチェル、最後尾はオースティンといった形で黙々と進んでいく。さすがに悪魔がどこに潜んでいるかわからない以上、無駄口を叩く者はいなかった。

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