episode21 星都ペンタリア②
「──なぁ吾輩腹が減ってきたぞ」
雑多な市場を通り過ぎ、静かに佇む住宅街を横目に裏道へ入った途端、太郎丸が辛抱たまらんといった感じで口を開いた。
「街の中ではしゃべるなって言ったよね?」
「ここには吾輩たちしかおらんではないか。話しても問題なかろう。吾輩腹が減ったのだ」
「はぁ……普通に食べてくれるなら店に入ってもいいけど」
要するに犬らしく食べてくれれば何も問題はないのだが、太郎丸は襲い掛からん勢いでリアムに抱きついてきた。
「つまりこの吾輩に犬のごとき卑しい真似事をしろと⁉︎ いつからリアムはそんな非情な男になったのだ⁉」
だって犬じゃんと言う言葉をリアムはどうにかこうにか飲み込むと、太郎丸を強引に引き剥がしながら告げた。
「なら滞在先に着くまで我慢するしかないね」
「太郎丸、リアムを困らせたら……めっ」
「アリアにそれを言われるのは納得がいかんのだが……」
太郎丸の視線はアリアの左手に向けられる。アリアは意味がわからないとばかりに小首を傾げていた。
「とにかくもう少しで屋敷に着くから我慢して」
「むうぅ……仕方ないな」
迷路のような裏路地を抜けて再び広い道へと出たリアムたちは、はっきり視認できるようになったダリアの大星塔を左手に見ながら進んでいくと、正面に朱色に塗られた艶やかなアーチ状の橋が見えてくる。
(これは雅と表現すればいいのかな? それにしても……)
美しいものであることに否定の余地はないが、明らかに周囲の風景と溶け込んでいない。異物といってもいいくらいだ。
リアムが橋の入り口付近に建てられている石碑に視線を移すと、月影王国より聖女サリアーナ生誕十五年の祝いに贈られたものであることがわかった。
月影王国は東方の地に巨大な根を下ろす軍事大国。西方とは建物の造りや生活様式も西方のものとはまるで異なるため、違和感が生じるのも当然だった。
「リアム、見……て」
アリアに強く手を引かれて欄干越しに下を覗きみれば、キラキラと光る水面にたくさんの魚が泳いでいるのを確認できる。遠目ではあるが聖女の居城である聖光宮も見ることができた。
リアムは欄干にもたれかかって、のどかな景色をしばし眺める。
ゆったりと流れる雲。
柔らかに吹くそよ風。
遠くから聞こえてくる子供のはしゃぎ声。
悪魔なんてものがこの世に存在するなんて、まるで絵空事のように思えてくる。しかし、それは束の間の幻想に過ぎない。今も昔も悪魔は人間を糧とし、絶対王者としてこの世界に君臨しているのだから。
「見て見てリアム、あのお魚とってもかわい……い」
橋の色に合わせたような朱色の小魚を指差すアリアに再び付き合うリアムの目が、こちらを見ながら笑顔で通り過ぎる恋人らしき若い男女を捉える。微かに耳に届いたのは「あんなに仲良く手を繋いで微笑ましいね」というものだった。
リアムは楽しそうなアリアの横顔を見て、次に今も繋がれている手に視線を落とした。
(……もういい加減手を離してもいいよね)
タイミングを見計らってリアムがそっと手を離そうとしたまさにその時、
「……ダメ」
「さすがにもう……」
「ダメ、だから。絶対……に」
どうやら魚を見ていても意識は手から離れていなかったらしい。目的地に到着するまではこのままだなと、リアムは絡みつくように握られた自分の手を眺め、次に視線を空に移して深い溜息を吐いた。