episode16 軋む馬車に揺られて①
──星都ペンタリア
ジェスター王国東端の町ラ・ピエスタと西方に広がる王都ガルバルディアのちょうど中間に位置する星都ペンタリアは、北に一年中雪に閉ざされたククル山を仰ぎ、東西はロエヌ、ジュラ、ラインと三つの大河が複雑に絡み合い、さながら要塞都市の様相を呈した独立都市である。
その星都ペンタリアの頂点に座するのは、ゼラーレ教会から派遣された三大聖女のうちが一人、サリアーナ・レダ・セイレーンその人である。
時折ミシリと嫌な音を発しながらゆっくりと進む馬車の御者台に座るセフィリナは、向かい合うようにして荷台に乗る二人に声をかけた。
「もうすぐ星都に着きます」
「…………」
「聞こえていますか? もうすぐ星都に着きますよ?」
「…………」
一向に返事が返ってこないので覗き窓を引くと、膝を抱えてうずくまっているリアムの姿を目にする。ただでさえ白い肌がさらに白さを帯びていた。
「あーやっぱり気分が悪くなっちゃいましたか」
「……こうなるとわかっていたから嫌だと言ったんです」
「リアムは馬車がとっても苦……手」
無表情で言うアリアがこのときばかりは妙に可笑しくて思わず吹き出してしまうセフィリナに、リアムが頬を小さく膨らませながら恨めしそうな顔を向けてくる。
それは子供によく見られる仕草で、セフィリナはどこか安心感を覚えたものだ。
「情けないぞリアム。たかが馬車の揺れ程度で」
セフィリナの隣に座る太郎丸がフンと鼻息を落とす。当たり前のように御者台に座り、人間の言葉を話す太郎丸にセフィリナは今だ慣れることができずにいた。
「誰にでも苦手なもののひとつくらい……おぇっ」
「ごめんなさい。そこまで馬車酔いするとは正直思っていなかったものですから」
「強引に連れ込んだ張本人がそれを言いますか」
「そうですが無理矢理にでも乗せないと逃亡の恐れもありましたので」
「人を犯罪者かなにかのようにいうのはやめて……うぇっ」
助けてくれたお礼を兼ねて是非屋敷へ招待したいと申し出たところ、リアムは頑なまでに固辞した。セフィリナとしても承服しかねるので粘り強く交渉をし続けていると、突然リアムはアリアがデモンズイーターであることを告げてきた。
その話を聞いたときは怖いと思うよりも先に、どうりで強いはずだと妙に納得してしまう自分がいた。もちろんデモンズイーターに関われば呪われるという噂も知っている。だからといってここで引けばセフィリナの矜持に反する。
だからセフィリナはこう言い放ったものだ。
『有名なデモンズイーターとお友達になる絶好の機会ですから』
その時のリアムは目を白黒させ、次に疑心の顔を覗かせた。当然だ。デモンズイーターと友達になりたいなんて常人からしたら正気かと疑われても仕方がない。それでも友達になりたいという気持ちは本当だった。
女の目から見ても圧倒的な美しさに惹かれたのも理由のひとつではあるが、なんとなく放っておけないような感情を抱いてしまったのが大きい。
そのことを正直に話した結果疑いは晴れたようだが、それでも何くれとなく理由を付けては断ってくるも、最後は渋々ながらも承諾してくれたのだが、いざ馬車に乗ってもらおうとした際にも一悶着あってようやく今の状況に至る。
「全く情けない限りだ」
「太郎丸、そんなこと言わない……の。めっ」
「リアムさん、景色を眺めていたほうがまだいくらか楽ですよ」
「……そんな時期はとっくに過ぎています」
「であれば少し横になられたらどうですか?」
「馬車を止めて休ませるという発想はないの……おぇっぷ」
「では止めましょう」
「いや……いいです」
「でも──」
「いいか、ら」
リアムは口をハンカチで押さえながらも馬車を止めることを頑なに拒否してくる。自分で話を振っておいて断るなんてどんな天邪鬼だと内心で呆れていると、不意に立ち上がったアリアがリアムの隣に腰かける。そして、自らの膝にリアムの頭を乗せた。
「……アリアさん、なにしているの?」
「ん……膝、枕」
「だからなんで?」
苛立ちまぎれに問い質すリアムに、アリアはセフィリナを見ながら答えた。
「横になったほうが楽だってそうセフィリナが言って……た。床も固いし、頭だけでも柔らかいほうがいいと、アリアもそうおも……う」
「とにかく膝枕なんていらないから」
言って起き上がろうと試みるリアムであったが、アリアに額を押さえつけられていて動けないようだ。それでもなお足をばたつかせて抵抗の意思を見せていたが、結局は酔いに勝てなかったのだろう。すぐに抵抗は収まった。
(こうしていると仲の良い普通の姉弟にしか見えないんだけど……)
実際リアムとアリアの関係がどういうものかはわからないし、尋ねることもなんとなく憚れた。立ち入ったことを尋ねようものなら問答無用で立ち去る雰囲気を醸し出していたということもある。
セフィリナはそっと覗き窓を閉じる。
相変わらず嫌な軋み音を立てる車輪ではあるが、星都まではなんとか持ちそうだ。
花の香りが混じるそよ風に、セフィリナは本格的な春の到来を感じていた。