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第06話 ☆策謀する黒幕☆

 王城を後にしたアシュレイ子爵は、軽やかに空を蹴って魔塔へと帰って来た。

 塔に張り巡らせた『結界』など全て無視して、支配者のみが入れる階層に直通で『転移』する。

 そこでは、二人の人物が寛いでいた。

「やあ、ただいま」

 アシュレイが御機嫌で挨拶すると、二人が振り返った。

 一人は眼光鋭い初老の男だ。

 名をプレリクスと言う。

 種族は、魔王ルミナスと近しい吸血鬼族ヴァンパイア。それも、原点にして頂点の一角である真夜中の吸血鬼ナイトストーカーだった。

 眼光は鋭く、見る者を威圧する。老人と言うにはまだ早いが、若者と呼ぶには年を取り過ぎている。もっとも、プレリクスは長命種なのだから、それが見た目通りの年齢ではないのは言うまでもないであろう。

 もう一人は、幼い少女だ。

 名は、ピピン。

 眼帯で両目を隠しフードを頭から被っているが、その可愛らしい顔を隠せていない。しかしその素顔は、感情など持ち合わせていないかのように無表情だ。

 種族は真なる人類ハイ・ヒューマンで、こちらも長命種である。

 当然ながら外見通りの精神年齢ではなく、プレリクスと変わらない歳月を生き抜いた最古のメンバーだった。

 そんな二人と並ぶのが、アシュレイだ。

 同様に古い付き合いである彼は、火精人エンキに分類される。この種族が魔物に変質したものが鬼人キジンなので、元を辿れば同類だと言えなくもない。

 つまり、人前に出る時は仮の姿をしていただけなのだ。

 この三名こそが魔塔の支配者――〝最古参の三賢人トリニティワイズマン〟だった。


 アシュレイは変化を解き、空いていた椅子に座った。

 飄々としたイメージはそのままに、深紅の角が額に生じて、肌が赤銅色へと変化した。これこそが、アシュレイの本当の姿なのだ。

 足を組んで鼻歌を歌うアシュレイ。

 それを聞きとがめて、ピピンが反応した。

「御機嫌ですね、アシュレイ」

「まあね、ピピン」

「ヴェルドラの捕獲に成功していたのですか?」

「まさか! あの無能共に成し遂げられるなら、僕達がとっくの昔に、ヴェルドラを飼い慣らしていただろうよ」

 馬鹿にしたように答えるアシュレイ。その矛先はピピンに向いたものではなく、利用している弱小国家を嘲っているのだ。

 ピピンもそれを理解して、淡々と応じる。

「――だと思った。二千年ほど前に一度だけ、上手く誘導に成功してルミナスの城を吹き飛ばせたけど……あれっきりで、二度目のチャンスが巡って来ない」

 表情に変化はないが、その声は少し不満そうだ。

 それを宥めるようにアシュレイが答えた。

「まあ、仕方ないさ。〝竜種〟が最強なのは、永遠不変の真理だもん。それを覆すのが僕達の命題だからして、この困難を楽しめている訳だけど」

 ピピンと違って、アシュレイは表情も声も楽しそうである。

 そんなアシュレイに水を差すのが、今まで沈黙を守っていたプレリクスだ。

「フンッ! それでは貴様は、何をそんなにはしゃいでいるのだ? 勝手な真似をしてチャンスを潰した愚か者共に、きっちりとお仕置きしてきたのではないのか?」

 勝手な真似とは、魔塔に相談どころか報告もせず、王太子達がヴェルドラを倒そうとした事だ。

 事前に相談されていたら、魔塔が計画を主導しただろう。そうすれば、今とは違った結果になっていたはずだった。

 ………

 ……

 …

 アシュレイが言うように〝最古参の三賢人トリニティワイズマン〟は〝竜種〟を従える事を命題として掲げている。古今東西の魔法的資料を集めているのは、その『解』を求めるのが目的だったのだ。

 とは言え、それが簡単ではないのは皆が理解しているし、最終目標という訳でもない。

 命題とは別に、三人には野望があった。

 それこそが、裏の世界で覇権を奪う事である。

 ここ、基軸世界では、覇権を担う勢力がいくつかあった。

 大別すると、人類、魔王達、〝竜種〟である。

 今の表世界では、人類が栄華を極めている。

 これはいい。生産面でも色々と役立つのだから、むしろ手伝ってやっても構わないほどだ。

 東の帝国は厄介だが、そちらとは直接面していないので、当面は除外しても問題なかった。

 ここで問題となるのが、裏世界の支配者だ。

 それこそが、魔王達だった。

 人類が滅ばぬように自らを脅威として誇示している者もいれば、自分の領土に絶対的存在として君臨している者もいる。相互に干渉し合わぬように支配地も取り決め合っていて、〝最古参の三賢人トリニティワイズマン〟が介入する余地はなかった。

 自分達よりも弱い者が魔王として立っている場合もあり、面白くないという思いもある。それならば魔王を名乗り台頭すればいい話だが、それはそれで問題があった。

 それが、〝最古参の三賢人トリニティワイズマン〟と敵対している魔王の存在だ。

 そう。

 先程の会話でも名前が挙がった魔王ルミナスこそ、彼等三名が憎む敵なのだ。

 西側諸国でルミナス教を信仰させているほどなので、人類への影響は絶大だ。自分達こそが人類の指導者に相応しいと考える〝最古参の三賢人トリニティワイズマン〟とは、立ち位置からして相容れないのだった。

 他にも、裏で人類社会に介入している者もいるらしく、自分達の手勢と小競り合いが生じたりしていた。

 結論から言えば、人類の支配になど興味のない〝竜種〟はともかくとして、魔王勢を排除しなければ彼等の野望は達成出来ないのだ。

 しかしながら、戦力比は絶望的だった。それで仕方なく、彼等は雌伏の時を過ごしていたのだ。

 そしてつい最近、〝竜種〟を従える呪法を編み出す事に成功した。

 戦闘能力は皆無だが演算能力に特化したピピンが、〝無限回廊の秘法〟を完成させたのである。

 空間を歪曲させて対象を閉じ込め、そのエネルギーを流用する事でその呪法を維持させる。つまり、敵が強ければ強いほど強力になるという、対個人、対軍団、対〝竜種〟にまでも流用可能な最強の封殺術式だった。

 これを試す機会を窺っていた時に聞かされたのが、ヴェルドラを取り逃がしたという報告だ。三人が激怒したのは当然であった。

 ………

 ……

 …

 プレリクスからの激しい突っ込みに、アシュレイは飄々と答える。

「落ち着きなよ。僕だって怒ってるさ」

「ならば――」

「まあまあ。罰を与えるつもりで出向いたら、そこで面白い話を聞いたんだ」

「――何?」

「面白い話?」

「ああ。どうやら魔王リムル達は、魔塔ここを目指しているらしいのさ」

 アシュレイがそう答えると、プレリクスは「ほう」と思案するように唸った。

「ならば慌てずとも、ゆっくり罠を張れるという事か」

「と言っても、明後日の夜だけどね」

「それでも、突発じゃないだけマシ。万全の状態で挑めるというもの」

 それほど時間に余裕はないが、来るとわかっているのだから準備は出来る。圧倒的優位な立場を手に入れられるというものだった。

 ただ、問題は……。

「しかしね、気になるのは『招待状』を持ってるって話さ」

 と、アシュレイが指摘する。

「招待状だと?」

「まさか……」

 すると、プレリクスは怪訝な表情で問い返し、ピピンは何かに思い当たった様子だ。

 アシュレイが頷く。

「そうなんだ。各国の王族からでも、魔塔への紹介なんて受け付けてないからね。それなのにそんなものを用意するヤツと言えば――」

「ルミナスだね」

 〝最古参の三賢人トリニティワイズマン〟の宿敵であるルミナスこそが疑わしいと、アシュレイとピピンの意見が一致した。

 その理由もある。

 ルミナスとは千日手に陥っているとはいえ、水面下での勢力争いが継続中だからだ。

 ルミナスが支配する聖都は特殊な『結界』に守られた聖地であり、アシュレイ達の勢力も迂闊に手を出せないのが現状だ。それと同様、魔塔も万全を期した『防衛結界』によって侵入者を拒んでいる為、生半可な戦力などものともしないのである。

 両陣営共に防衛面に力を入れた結果、互いが互いを攻めあぐねていた。と言っても、主にチョッカイを出しているのは魔塔側である。

 ルミナス側からすれば、満月の夜にこそ最大の力を発揮する吸血鬼族ヴァンパイアが主力である。逆に新月の夜は弱くなる性質があるので、新月の夜にしか出現しない魔塔に手を出しかねていたのだ。

 聖騎士団クルセイダーズを動かすには大義名分がない。

 ルミナスの手勢には月の満ち欠けに影響を受けない者もいるのだが、その数は少なかった。

 ルミナスは無謀な戦などしない慎重な性格をしている為、魔塔を警戒するに留めていたのだった。

 そういう訳で戦力比を気にせず対立を続けてこれたところに、今回の一件である。

「〝暴風竜〟に、新参の魔王に、聖人か。魔王と聖人はほぼ互角の戦力みたいだから、決して油断は出来ないよ」

 と、アシュレイが言う。

 それに対して、ピピンが意見を述べた。

「ええと、それは工作された情報。魔王リムルの方が強いと思う。だからと言って、聖人ヒナタを無視出来る訳じゃないし、〝暴風竜〟ヴェルドラだけで十分に脅威。ルミナスが仕掛けて来たのも納得するほど、私達を滅ぼせるほどの過剰戦力だった・・・

 演算に特化したピピンの発言だ。

 アシュレイやプレリクスも反論はしないで納得する。

 そして、嗤う。

「あははは! そう、時期が最高だったね。ヴェルドラを〝無限回廊の秘法〟で閉じ込めてしまえば、魔王や聖人など僕とプレリクスで始末して見せるさ」

「クックック。その通りだな。〝暴風竜〟からエネルギーを奪い取ってそれを活用すれば、我等が悲願の成就も叶うであろうよ」

 二千年以上も待ちわびた、大きなチャンスが舞い込んだのだ。事はそう簡単ではないと理解しつつも、皆が浮かれるのも無理なかった。

「いつもより多目にエネルギーを回収するけど、いいよね?」

「うーん、罰を与えるという意味でも、丁度いいかもね。僕の方で連絡しとくさ」

 念の為の確認だとばかりにピピンが問うと、アシュレイがいい笑顔で頷いた。そして、プレリクスも反対はしない。

「多少の犠牲など、研究には付き物よな」

 こうして、実にアッサリと三人が合意する。

 ピピンの言うエネルギー回収とは、賢人都市に住む者達の魔力を指している。つまり、多少の犠牲というプレリクスの言葉は、住民への被害を許容するという意味であった。

 日常生活に影響の出ないように、無理なく捧げられていた魔力。それを強制的に奪うとなれば、賢人都市が大混乱するのは間違いなかった。しかしそんなもの、〝最古参の三賢人トリニティワイズマン〟にとっては些細な問題に過ぎないのだ。

「それじゃあ明後日に備えて、詳細に作戦を煮詰めようじゃないか」

「意義なし」

「我等の研究の成果、存分に披露してやろうではないか!」

 せっかくの客人を持て成すべく、三者は目を輝かせて議論を重ねていく。

 こうしてリムル達の知らぬ間に、恐るべき罠が張り巡らされるのだった。


      ◆◆◆


 財布の中身が大いに減じてしまったが、経済に貢献したと思えば俺の心も慰められる。

 刺身はそれなりに美味かったし……。

 それに、ヒナタやヴェルドラが喜んでくれたのだから、それだけで満足出来るというものだった。

 食事を必要としなくなった今、誰かと一緒に食事する方が美味しいし、楽しいからね。お金はまあ、また稼げばいいだけの話なのだ。

 ってな訳で、翌朝。

 俺達は軽く朝食を済ませて、町をぶらついていた。

「うう、こんなに朝早くから出歩かなくても……」

 と、ヒナタが文句を言っている。

 睡眠不要の俺やヴェルドラと違って、ヒナタは寝不足なのか不機嫌そうだった。人の金だからか遠慮なくお酒も飲んでいたし、もしかしたら二日酔いなのかも。


《……個体名:坂口日向ヒナタ・サカグチも、聖人に至っているので睡眠を必要としていませんし、アルコールの分解も完了しています。以前の習慣が抜けきっていないだけかと推察します》


 それって、逆に羨ましいわ。

 俺なんて、寝ようと頑張らないと寝れないからね。

 ルミナスのお陰で酔えるようにはなったけど、ラファエルさんの許可が必要だし。

 ちなみに昨晩は――


《安全が確認されていない為、許可出来ません》


 ――と、冷たく却下されてしまった。

 飲んでも酔えないというのは、実に寂しいものなのだ。

 と言っても、サラリーマン時代だって意識がなくなるほど酔えた試しがないので、スライムになったのとか実はあまり関係ないのだが……。

 酔っぱらったヤツを介抱するのは、大真面目に損な役回りってだけの話なのだ。

 まあ、そんな事はどうでもいいとして。

「何だか今日は、魔力の流れがおかしくない?」

「うむ。我もさっきから気になっておった」

「私が不調なのもそのせいみたいね」

 三人の意見が一致したので、俺の気のせいではなかったみたいだ。

 そもそも、視界を『万能感知』に切り替えて見たら、その現象がハッキリと視認出来た。


《告。正確には昨晩から、町を覆う『結界』へと魔力を吸い上げる現象が発生しておりました》


 ああ、俺達が食事を楽しんでた時ね。

 何か話しかけられたが、後にして、と聞かなかったんだった。

 だから酔わせてくれなかったんだなと思ったが、それを言ったら藪蛇になりそうなので黙っておく。

 俺も学習したものだなんて自画自賛しつつ、『解析鑑定』の報告を受ける。

「この町の『結界』を維持しているエネルギー源が、住んでいる人々の魔力みたいだな」

 魔力と総称しているが、今回の場合は魔法を操る力そのものではなく、魔法の源になる精神力、生命力エナジーとしての意味合いだ。

 魔物は体内魔素を操ってスキルを行使したりするが、人間の場合は大気に含まれる魔素を集めて魔法を発動させている。その、魔素を集めて魔法として練り上げる時に消耗するのが、生命力エナジーだった。

 これはスタミナみたいなものなので、寿命が削れたりする訳ではなく、ちゃんと休めば回復する。だから自分達の安全を守る『結界』の維持に利用されるのは、特に問題があるとは言えなかった。

 町中で魔法を使うような状況はそんなにないし、むしろ合理的であると言ってもいい。その為に賢人都市と呼ばれるくらい魔法使いばかりを集めたのだろうから、住民からしたら慣れっこなのだと思う。

「……確かに。私達は初体験だから戸惑ったけど、町の人達は慌てていないように見えるわね」

 と、ヒナタも納得した様子。

「昨日の夜会前はそこまで気にならなかったから、魔力を吸収するタイミングとかあるんだろうな」

 実情は知らないけど、適当に口にした。


《……告。昨晩と比較しても、現時点のエネルギー吸収率は高い数値を記録しています。町を覆う『結界』を維持する目的としては、少し過剰かと思われます》


 むむ?

 俺の適当な発言は、当たっているような関係ないような、そんな微妙なとこを突いていた。

 いや、それよりも。

 魔力を過剰に奪っているというのが気になるね。

「うーむ。我の見立てでは、あの『結界』はそこまで魔力を必要としておらぬようだがな……」

「同感。しかもこのペースだと、身体の不調を訴える人も出てくるんじゃないかしら?」

 まあ確かに?

 ヒナタが言うには、ルミナスが支配する聖なる都でも、似たような真似をしているらしい。まあ、吸血鬼族ヴァンパイアが食事しているだけ、と言えばそれまでだけど。

 住民の負担にならない程度の血液――生命力エナジーを貰っている代償に安全を保障している訳で、一応はギブアンドテイクの関係が成立している。

 その事実を住民側が知らないというのは不誠実なんだろうが、余所者である俺が関与すべき話題ではないので、そこはスルーだ。本人達は幸せみたいだし、波風を立てない方がいいと思われた。

 そういう視点から言えば、この都市の状況も似たような感じなんだが……。

 ヒナタが不快に感じるほどだから、魔力が少ない人やもともと体調不良の人なんかは、かなり堪える状況だと思われた。

 とは言え、俺達は部外者だ。

 今はともかく、目立つのは不味い。 かと言って、観光を続ける気分ではなくなったし……。

「一旦、テンペストに帰るか」

「はあ?」

「いや、このまま観光を続ける気分じゃないだろ? 魔塔が出現するのは明日の夜だし、今日は帰ってゆっくりしようかな、って」

 俺はそう言いながら、魚市場で新鮮な魚を物色していく。

「アナタね、醤油でお刺身を食べたいだけじゃない……」

 なかなかに鋭いヒナタの指摘だった。

 呆れているように感じたのは、きっと俺の気のせいだ。

「我としては、焼き魚と大根おろしに醤油がジャスティスだと思うぞ!」

 うんうん、それも美味しいよね!

 秋刀魚サンマっぽい魚も購入決定だね。

「というか、この町には『結界』があるのに、どうやって帰るつもりよ?」

 今度は真面目な指摘だが、これについては問題ない。


《是。既に『結界』の『解析鑑定』が終了しています。問題なく『空間支配』によって移動が可能となりました》


 という事なので、気にする必要はないのだった。

 俺がそう答えると、「いつの間にそんな真似を――って、アナタは何でもアリだったわね……」と、ヒナタから心底呆れられてしまった。

 解せぬが、ヒナタだってお刺身を食べたいくせに。

 そう指摘すると拗ねそうなので、その場は俺が大人の余裕を見せつけておいた。

 そうして皆の同意の下に、俺達は一時帰国する事にしたのだった。


      ◆◆◆


 サイラスは憔悴していた。

 剣士グレイブに守られながら無意識の内に賢人都市を出て、いつものギルドの溜まり場に戻った。そこで酒を飲みながら、心ここにあらずといった様子で物思いに耽っていたのである。

 何を隠そう、父である国王や弟である王太子達の密会を盗み聞きしたのはサイラスだった。そして、今まで知らずにいた真実を知り、どうしていいかわからなくなってしまったのだ。

 魔王達に喧嘩を売ってしまった以上、その落とし前はつけねばならない。自分に関係のない話ではなかった為、少しでも役立てるならと密会に参加するつもりだったのだ。

 しかし、無能と蔑まれている自分では邪魔にしかならないのではと思い悩む内に、密会が始まってしまった。そして聞きたくもないのに、王家の秘密を耳にしてしまったのである。

(絶対に口外出来ない話だ。いや、全部ぶちまけて楽になる――っていうのも、最後の手段としてはアリかも知れないが……)

 困惑の中に、嬉しい気持ちもある。

 国王である父親からは、愛情どころか興味さえ持たれていないのだと、今の今までそう思っていた。しかし、それはサイラスの勘違い、思い込みだったのだ。

 しかし、今まで日陰者として生きて来た年数が、その真実を素直に受け入れるのを拒否していた。また、公にしていい話でもない為、サイラスとしてはもどかしい気持ちを抱え続けるしかない。

 それは一生続くのだと、王族として理解していた。

 しかし、そんなサイラスの覚悟虚しく、事態は急変する。

 夕刻になった頃合いから、賢人都市に不穏な気配が漂い始めたのだ。

 その異変に最初に気付いたのはグレイブだった。

「ん? 何か問題でも起きたのか?」

 自分の事で精一杯だったサイラスと違い、グレイブは用心深く門の出入りを観察していた。魔王リムル達と揉めたのだから、昨晩だけで問題が解決するとは思えなかったからだ。

 昨晩の騒動の後始末で、朝からバタバタと騒がしかった。しかしそれが、急に静かになっていた。途中から入場する者はいるものの、出て来る者がいなくなっていたのである。

「何だか、不気味な雰囲気ですね」

 と、子分達も落ち着かない様子だ。

 魔力を奪われるのは、都市の『結界』内部だけだ。外にまで影響は出ていないので、何が起きているのか誰もわからないのも当然だった。

「魔王達の仕業、か?」

 グレイブは疑問に思って呟いたものの、確信はない。

 実際、自身がリムル達と会話した経験から、何らかの仕返しをするような性格には思えなかったからだ。

「――いや、やるならその場でやるだろうしな」

「それ以前に、あれだけ大暴れしてたじゃないですか」

「そうっすよ。ダンスホールが木っ端微塵で、瓦礫の山。まあ、悪いのは国王や王太子達だったから、文句は言えないでしょうけど……」

 その通りだと、グレイブも頷く。

 その時、門番の衛兵が倒れるのが見えた。

 それも、一人ではなく数名が同時にだ。

「え?」

「あれ、なんかパタパタって――」

 キョトンとする子分達だったが、こういう時に切り替えが早い者こそ指導者の器なのだ。

「行くぞ!」

 酔っている様子など消え失せて、サイラスが叫んだ。そして、椅子を蹴って走り出す。

 無言で続くのがグレイブだ。

 慌てて子分達も立ち上がり、二人の後を追ったのだった。


 サイラスは衛兵達の様子を見て、直ぐに状況を察した。

 昨晩盗み聞きした、『魔力を捧げる』という話と結びついたのだ。

「俺は王宮に行く」

「じゃあ、俺達も付いて行きますぜ」

「駄目だ。お前らは人を集めて、俺が連絡したら直ぐに動けるようにしといてくれ」

「ですが……」

 不安そうな子分達を宥めて、サイラスは従わせた。一緒に都市内に入ろうとした子分達は、外で待機させるしかなかったからだ。

 何故ならば、魔力が少ないからだ。直ぐに倒れるだけだと判断したのである。

「なら、俺は付き合うさ」

「グレイブさん……でも……」

「サイラス殿下。魔力が少ないって点なら、殿下だって危ないでしょうよ」

「いや、俺はほら、コレがあるから」

 そう言ってサイラスが見せたのは、幼き日に国王からプレゼントされたペンダントだった。今までそれが何なのかわからなかったが、昨晩の密会を盗み聞いた事で、それが何かを理解したのである。

 サイラスは成長するまで、ずっと王宮で育てられている。それでも無事だったのは、そのペンダントで守られていたからだった。

 鑑定した訳ではないが、それが魔法道具なのは知っていた。だからサイラスは、疑う事なくそれのお陰だと察したのだ。

 そしてそれは正しかった。

 そのペンダントは、国王が公に愛する事の出来なかった息子への愛情だったのだ。

「なるほどな。まあ、そういう理由なら安心だ。で、俺については心配いらんぞ」

「何でだ?」

「フッ、これでもAランクの冒険者なんだ。闘気オーラを身体中に纏えば、魔力を奪われたりするもんかよ」

「マジか?」

「ま、俺は魔法なんて使えないんだが、魔力ってのは気力みてーなもんだろうしな。多分、大丈夫さ」

 実際、グレイブはほとんど影響を受ける事なく活動出来た。

 やはりグレイブは頼もしいと思いつつ、その言葉に甘えるサイラスである。

 そして子分達に心配されながら、王宮を目指して二人は走った。

 道中、店を開けたまま倒れている者の姿や、病院に向かおうとして力尽きたのか、道端で倒れている者の姿も増え始める。

「これは想像以上だな……」

 その被害規模に、サイラスは顔を顰めた。

 しかし立ち止まる事なく、王城へと急いだ。そしてサイラスは、終わらない夜を過ごす事になる。


      ◇◇◇


 王城で無事に動けているのは、サイラスと同様の御守りを持つ者だけだった。王族専属の医師を除く医療関係者も倒れてしまっている上、体調を崩した者を保護、運搬する者もいない始末。こういう時こそ出番であるはずの騎士団でさえも、魔力の多い者達で構成されていた為に今回は役立たずとなっていた。

 辛うじて、グレイブのように闘気を纏って抵抗出来る者が、数十名いたのが救いであろう。

「これは……国防の観点からも、あらゆる面で見直しが必要だな」

 と、思わず王族視点で呟いてしまうサイラスである。

 とは言え、自分にそんな権限などないと理解しているので、意見具申しかするつもりはないのだが……。

 サイラスは余計な考えを放棄して、国王達が会議している部屋へと乗り込んだ。

「陛下、危急の状況であると判断し、馳せ参じました」

 サイラスはそう挨拶して、その場で跪く。用はないと言われれば、大人しく去るつもりだった。

 そんなサイラスに向けられた視線は、それほど多くない。国王と宰相、それにヘリオス王太子。残るは数名の大貴族のみである。

「……来たのか。大人しくしておればいいものを」

 物憂げにそう呟いた国王は、父親の顔をしていた。しかしそれは一瞬で、直ぐに冷たい国家元首の仮面を被る。

「席に座れ。無能な貴様が会議の邪魔をした責は、後で問う事とする」

 それだけ告げて、サイラスなど最初からいなかったかの如く、会議を再開させたのだ。

 その内容はというと、今後の魔塔との付き合い方について、である。

 王、宰相、王太子、この三者での密談では、今まで通りの付き合い方をするという事で話は纏まっていた。しかし、魔塔が今現在行っている魔力の過剰徴収については、許容できる範囲を超えていると判断されたのである。

 貴族達の不満は大きい。

 身内からも被害者が出ているのだから、それは当然である。

 まだ死者は出ていないものの、この状況が続くのであれば、魔力欠乏症による重篤な影響が予想されていた。それに――

 魔法に頼りきりという賢人都市の弱点が、こうして白日の下に晒されてしまったのだ。今まで通りで大丈夫と考えるようでは、支配者としての資質に欠けていると言わざるを得なかった。

 王は当然、愚者ではない。利益があるからこそ魔塔に従っていたが、自身の、いやそれどころか王家の支持基盤が揺らぐとあっては、方針転換するのも必然だったのだ。

 かと言って、そう簡単に代案が出るものではない。

「魔塔に宣戦布告など、馬鹿な事を申すでないわ!」

「左様。勝てもしない戦を仕掛けてどうする」

「ですが、このままでは私の妻が!!」

「自分の息子達もです。このまま座して待つなど出来ません!!」

 そこまで聞いて、サイラスは疑問を覚えた。それをそのまま口にする。

「待て! 貴殿達の妻子は、まだ避難させていないのか?」

 その指摘を受けて、貴族達は殺意の籠った視線でサイラスを睨んだ。

「これだから、魔力ナシは」

「呆れたものよ。現状も把握せず、この場にいる意味はあるのかね?」

 などと、公然と批難の言葉を口にする者も出る始末である。

 それも無理ない話だったのだ。

「兄上、避難先がないのです」

「何?」

「今、結界内への侵入は可能ですが、脱出は不可能なのですよ」

 いつものように見下す訳ではなく、ヘリオスがサイラスに教えた。

 それを意外に思う暇もなく、サイラスに国王の言葉が発せられる。

「サイラスよ、無能に発言を許した覚えはない。以後、口を噤んでおれ」

 会議の流れを止めたのは確かに失敗だったと自覚し、サイラスは大人しく沈黙を守る事にしたのだった。

 そして、時間だけが経過する。


 議論は紛糾するものの、解決策など出るはずもなく。一旦、頭を冷やすために小休止が設けられた。

 サイラスは庭に出て、グレイブと相談する事にした。

 一つ、思いついた案があったのだ。

「もしかして魔王リムルなら、俺達を手助けしてくれるんじゃないか……?」

 サイラスは直球で意見を投げかけた。

「いや、無理だろ。何を言ってるんだ、殿下?」

 グレイブは一刀両断に、実にもっともな反論をする。

 だが、サイラスは諦めない。

「だがよ、生意気な真似をした相手にだって、希少な回復薬を送ってくれる相手だぜ?」

「それはだな……」

 恩に着せようとしただけだ――とグレイブが諭そうとする。

 言われなくとも、サイラスだって理解していた。しかしそれでも、こう思うのだ。

「恩を着せたって事はよ、それだけ俺達にも利用価値があると思ってもらえた、って話だろうが! だったら、可能性はあるんじゃねーか?」

 ムムム、とグレイブも押し黙る。

 そんな可能性はない、と断言出来なかったからだ。

 何しろ、自分達の目で見た魔王リムルや〝暴風竜〟ヴェルドラは、恐ろしい噂話とは大違いだった。それどころか、びっくりするくらい温厚だったからである。

 まして、聖騎士団クルセイダーズの団長である坂口日向ヒナタ・サカグチもいる。

 聖人ヒナタは冷酷非情であると言われているが、助けを求める者を拒んだりしない人物としても有名なのだ。なので、意外とすんなり助けてくれるかも、と思えたのだった。

 どちらにせよ、良案など誰も持たぬのだ。

 このまま結界内に閉じ込められて魔力欠乏が続くようであれば、三日も経たずに死者が出るだろう。そうなってはもう、賢人都市の安全神話が崩壊するのも同然だった。

 王家への訴求力は地に落ち、国は乱れる。

 かと言って、結界を破ろうにも手立てはなかった。

 魔法に頼りきっていたマルクシュア王国には、現在保有する有用な戦力が僅かしか残されていなかったのである。

 結界を破るどころか、民の安全確保さえままならないのだ。

 これが魔塔からの制裁なのは明白だった。飼い犬を躾けるように、二度と逆らう気が起きないように思い知らされているのである。

 つまりは、多少の犠牲が出る可能性は濃厚という事だ。

 それがわかっているからこそ、国王達も頭を悩ませている訳で……しかし、抵抗の手段は何もない。

 自分達の立場を思い知らされている訳だ。

 であれば――

「俺の話を聞いてくれるかも知れないだろ?」

 駄目で元々だし、交渉するだけなら安いものだ。サイラスはそう言って笑った。

「ま、お願いするだけしてみてもいいかもな。あの魔王さんはお人好しっぽかったし、最悪の場合でも、聖騎士団長であらせられるヒナタ殿がとりなしてくれそうだしな」

 サイラスとグレイブは頷き合った。

 そしてひとまず、国王に相談する事にしたのだった。


 王は思案し、承認した。

「許す。責任は余が取ろう」

 サイラスは思わず顔を上げてしまい、王と目が合った。

「で、ですが、もし魔王リムルとの交渉が上手くいったとしても、今後の都市防衛は――」

 そこまで言ったサイラスを、王が手を上げて制する。

「やむなし。元々歪な関係だったのだ。魔塔が我等をエサとしてしか見ていないのは、此度の件でよく理解出来た。このまま黙って従うのも考え物であろう」

 その言葉が重いのは、王の心情を理解してしまったからだろう。サイラスはそう思い、黙って耳を傾ける。

 王が続けて言う。

「ただし! マルクシュア王国としては、公の立場では魔王との交渉を行っていないものとする」

「つまり……?」

「魔王や〝暴風竜〟が負けた場合は、魔塔には余の首で許してもらうつもりだ。であるからして、魔王と交渉する際は、国家としての依頼ではないと念を押しておくがいい。そして、魔王の怒りを買ってしまったならば、その時は貴様が責任を取るのだ」

 どちらに転んでも、国家は生き残る。そしてその時に王になるのは、現王太子であるヘリオスしかいなかった。

 だからこその、王の決断だった。

「兄上……」

 同席していたヘリオスもそれを悟って、言葉にならぬ声を上げた。

「ヘリオス。俺はお前の兄として、何もしてやれなかった。魔法を使えるお前を妬みもした。しかし、この国を、俺達の故郷を託せるのはお前だけだ。後は頼んだぜ」

 それは、サイラスとヘリオス、二人にとっては初めての、兄弟らしい会話であった。

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