第05話 ☆舞台裏の事情☆
そして俺達は、これ以上用事もないので帰ろうとした。
流石にもう、騎士達も立ち上がろうとしない。
王様は放心状態だし、王太子に至っては元のすました顔が見る影もなく、あんぐりと口をあけて鼻水を垂らしている。二人とも自信満々だったのが嘘のように、変わり果てた姿になっていた。
せっかくの招待だったから御馳走くらい食べたかったが、残念な結果となってしまった。それはそれとして腹は減ったので、どこかで飯でも食ってから帰るとしよう。
「何食べたい? というか、まだ酒場とか空いてるかな?」
「その切り替えの早さ、呆れるのを通り越して感心するわね」
「いやいや、果物は食べたけど、それだけじゃ足りないだろ?」
「うむ。我はラーメンが食べたい」
「ねーよ。この国にはな」
「そうね、この国には漁港があるから、もしかしたら刺身があるかも」
「刺身か、悪くないな」
ナチュラルに気持ちを切り替えて、何を食べるか議論を始める俺達。ヒナタだって最初は呆れたフリをしていたが、本質的には俺達と同類なのだ。
人の事はとやかく言うくせに、自分だって似たようなものなのである。
ふと意地悪したくなってそれを指摘すると、ヒナタは頬を染めて言い返してきた。
「――仕方ないでしょう。ヴェルドラがラーメンとか言うから、お腹が空いたんだもの」
ちょっと照れたようにそう答える顔が、恥ずかしそうでとても可愛い。
そんな表情が見られただけでも満足なので、ヒナタのリクエストに応える事にした。
出口に向かって歩き出した俺達に向けて、話しかけてくる者がいた。
ここまで案内してくれた使者さんだった。
「あ、あのう……私を、私共を守っていただき、感謝致しますぞ」
と、使者さんや、その他の貴族達が頭を下げる。
この国の貴族も一枚岩ではないらしく、攻撃に参加した者としなかった者がいたのだ。使者さんやその他の人達は、攻撃の意思が見られなかったので俺が守ってあげていたのだった。
「ああ、気にしなくていいですよ。もし感謝してくれているのなら、後で評議会で問題になった時、俺達は悪くなかったと証言して欲しいです」
「勿論で御座います!」
「我等も止めようとしたと記憶して下され!!」
「今回の一件ですが、決してこの国の総意では御座いませんでした。その点、何卒、御理解頂きたく存じます」
「大丈夫だよ。俺達も大事にするつもりはないし、戦争なんて真っ平だからね。そもそもこの国には、魔塔で調べものをする為に来ただけだから」
俺がそう言うとヒナタも同調して、紹介状を取り出してピラピラさせながら告げる。
「そうよ。ちゃんと紹介状だって所持しているのだから、邪魔しないでちょうだい」
「これでわかってくれたかな? だったら、これ以上のトラブルは勘弁してくれよ?」
俺がそう念を押すと、貴族達は「「「勿論ですとも!」」」と、口を揃えて頷いてくれた。
これで一安心。落ち着いて目的を果たせそうである。
ヴェルドラなど、とっくに終わった気分になっている様子。貴族達の事などまるでお構いなしで、さっさと出口に向かって歩き出してしまった。
俺とヒナタも顔を見合わせて苦笑しつつ、ヴェルドラを追ってその場を後にしたのだった。
そうしてやって来たのは、漁港の酒場だ。
時間帯はまだまだ宵の口。
酔っ払いもいるにはいるが、賢人都市はエリート街だけあってお上品な者しかいない。
「どうして漁港までこっち側にあるんだろ?」
「アレよ。他の海域には大海獣がいて危険だけど、ここの海は魔塔を中心に『結界』で守られているのよね。だから安全に漁が出来るってわけ」
「なるほど、詳しいな。さてはヒナタってば、ここの常連だな?」
「常連になれるほど暇じゃなかったわよ」
「でも、刺身が食べたくて情報は集めてた、と」
「……悪い?」
睨まれた。
俺は慌てて「イイエ」と答える。
「まあまあ、美味いモノを食べれるのなら、それでいいではないか。今日も御馳になるぞ、リムルよ」
「ええ、そうね。ありがとう、リムル」
「え?」
えっと、もしかしなくても、支払いは俺なの?
「いやいや、ヴェルドラだってお小遣いもらってるだろ?」
「クアーーーハッハッハ! そんなものを、我がいつまでも持ち続ける訳があるまい。とっくに使い切ってしまったわ!!」
いや、威張るような話じゃねーし。
――って、ヴェルドラはともかく、ヒナタもシレッと何を言ってるんだ!?
「待て待て、ヒナタはお金持ちだよね?」
「お金ってね、稼がなきゃなくなるのよ。この前のお祭りの時に奮発しちゃったから、もう余裕がないのよね」
などと、実に平然とのたまう始末。
確かに、ヒナタは我が国の最新の衣装なんかを、かなり購入してくれていた。今着ているのもその一つだし、お得意様なのは疑いようもない。
子供達にも奢ってあげてたみたいだし……それに、ここまで堂々とたかられたら、逆に清々しいと思えてしまった。
「わかったよ。今日は俺が出すから、好きに注文すればいいさ」
それを聞くなり、ヒナタとヴェルドラがハイタッチして喜び合っていた。
しまった――と思ったが、手遅れだった。
それに――その言葉を早まったと思うまで、一時間もかからなかったのだ。
テーブルの上には、山盛りの御馳走が並ぶ。
遠慮という言葉を知らないのかと問い詰めてやりたいが、「知らぬわ」や「興味ないわね」と一蹴される未来が視えたので、無駄な真似をするのは止めておいた。
せっかくなので、久しぶりの海の幸を堪能したいと思う。
いや、個人的に海から捕獲してくる魔魚を食べてはいるんだが、アレは一種の魔物なので、前世のように小さくないのだ。
つまり、焼き魚とかになると川魚しか無理なサイズで、海魚での塩焼きは久しぶりの御馳走だったのである。
鯛っぽい魚の塩焼き。
小魚の南蛮漬けっぽい料理。
野菜と一緒に煮込まれた鍋物。
そして、お約束の刺身まであった。ぶつ切りされているだけで、匠の技で彩られてはいないけど、新鮮な魚がその場で卸されるだけでも美味いのだ。
そうして始まった食事だが、俺は物足りなさを感じていた。
刺身はあるのに、肝心のアレがないのである。
アレとはつまり、醤油だった。
タレはあるのだが、塩辛いだけに感じた。焼き魚の方では問題ないのだが、せっかくの刺身がイマイチなのだ。
せっかくの焼き魚だって、大根おろしと醤油がないので物足りない。ヴェルドラは美味そうに食べているが、ヒナタも若干微妙そうな表情をしていた。
「これ、醤油があったら最高だったのにな」
調味料が合っていないのは残念だね。
〝郷に入っては郷に従え〟というが、俺は美食に関してはうるさい男なのだ。
「うーん、さばき方にも問題がありそうよ。ハクロウさんがいれば、もっと美味しく食べられたでしょうね」
俺の事は呼び捨てなのに、ハクロウには〝さん〟付けですか。まあ、気持ちはわかりますけど。
それに、ハクロウが握る寿司は最高だったもんね。ヒナタの言うように、魚のさばき方にも原因がありそうだ。
それならば――
俺はそういう面にはからっきしだから、この魚をサンプルとして持ち帰って、シュナやハクロウに料理してもらおうと思った。
「何してるのよ」
「いや、大量に仕入れて研究をですね……」
「私も味見に協力してあげるわ」
「いや、頼んでは――」
「遠慮しないで」
「あ、はい」
押し負けた。
ヒナタって、意外と食い意地が張ってるよね。
「何か言いたい事でもあるのかしら?」
ジトッと睨まれた。
「いえ、何もないです……」
と、何も悪い事をしていないのにペコペコする俺。これが悲しい、元サラリーマンの性だった。
それにしても、ヒナタ。人の心を読んだ訳ではないだろうが、勘が良過ぎるのも困りものである。
「我にも任せよ!」
「……おう、頼むわ」
俺は二人の圧力に負けてしまった。
こうして俺のお小遣いが、大いに減じてしまったのである。
◆◆◆
リムル一行が漁港の酒場で豪遊していた頃、マルクシュア王国の王城の一室では国王が頭を抱えていた。
「くそっ、くそっ、くそがぁ――っ!!」
と、普段なら決して口にしないような口汚い言葉で、リムル達に向けて呪詛を吐いている。
それもそのはず。王様自慢の三百人以上が同時に踊れるほど広い儀典会場が、見るも無残に崩壊してしまっていたからだ。
幸いだったのは、貴族達に大怪我を負った者はいなかったこと。そして、廊下で繋がっている先にあった本城が無事だった事だった。
今も騎士団を中心として瓦礫の撤去が行われており、数日中には作業が完了するとの見通しであった。
しかし、それで問題が解決する訳ではない。
「どうする? どうするつもりなのだ、ヘリオォーーーース!! 貴様の小賢しい愚策のせいで、この国にかつてない危機を招いてしまったではないか!!」
〝暴風竜〟ヴェルドラは本物だった。
であれば当然、魔王リムルや聖人ヒナタも本物なのだ。
西側諸国に名を轟かせていた大国ファルムスは、魔王リムルの怒りを買って滅びたという。
眠れる〝暴風竜〟を目覚めさせてしまったのが崩壊への序曲だったそうだが、魔王リムルはそのヴェルドラを意のままに操れるとの噂なのだ。
先程の光景を見るに、その噂には信憑性があった。
命令に従うというより友達の頼みを聞くといった様子だったが、そんなのは国王にとって、どちらでも同じ話なのである。
「も、申し訳ありません、父上……」
「馬鹿者めが!! この場で父上などと呼ぶでないわ。貴様の失態、親子の縁で庇える範疇にないと知れッ!!」
国王は激怒していた。
それは、恐怖の裏返しである。
絶対的な自信のあった魔法の力など、本物の天災の前には無力だったのだ。
それをまざまざと見せつけられて、流石の国王も自分達の落ち度を理解せざるを得なかったのである。
西側諸国にも認められつつある新興国家――魔王リムルが支配するジュラ・テンペスト連邦国は、新たな経済圏を構築するだけの潜在力があると聞く。その噂が話半分だとしても、マルクシュア王国よりも国力が上なのは間違いなかった。
常識的に考えれば、そんな国の国家元首に喧嘩を売っていい訳がない。
ましてその国王は、新参とはいえ魔王の一角なのである。〝暴風竜〟を抜きにしても、敵対すべき相手ではなかったのだ。
「まさか本物とは思っておらず――」
「抜かせィ!! ブラガより報告を受けておったのだろうが。知らなかったなど、そんな言い訳が通用するものかよ!!」
それを言うのなら、国王だってヴェルドラ達が偽物だと決め付けていた。
ヘリオス王太子の策を止めなかった時点で同罪なのだが、それを指摘出来る者などこの場にいない。
「陛下、どうか落ち着いて下さいませ。今回の失態を取り戻すにはどうすべきか、それを論じるのが先でしょうぞ」
影の薄い宰相から取りなされて、ようやく国王も少しだけ落ち着きを取り戻した。
「……西方聖教会への対処も考えねばならんぞ。
「左様ですな。闇に葬ってしまえたならばともかく、こうなってしまった以上、誠意を以て謝罪するしかありますまい」
「余に頭を下げよと申すか!?」
「それしかありますまい……」
宰相としても、愚行を止められなかった責任がある。出来るものならば、大事になどしたくないのだ。
しかしながら今回の一件、自分達に都合のいいように話を捏造しようにも、魔王リムルが握る証拠があっては通用しない。それを理解するだけに、無駄な足掻きをする気も起きないのだった。
「せめて魔王だけならばともかく、聖人殿もおられましたからな。発言の重みが違います故、当方が何を主張しようと聞き入れてはもらえますまい」
「ぐぬぅ……このような屈辱に甘んじねばならんとは、ヘリオスよ、これも全て貴様のせいだぞ!!」
「申し訳、申し訳御座いません!!」
国王の烈火の如き怒りに触れて、ヘリオスは平身低頭するしかなかった。
常に自信満々で他者を見下す男だが、権力の前には無力なのである。ここでこれ以上の怒りを買えば、王太子としての地位を剥奪されかねない。そう考えたヘリオスは、怯えるしか出来なかったのだ。
「クソッ、王太子がこうも無能とはな。余が甘やかせ過ぎたせいか?」
そして国王も、自省する事なく他全ての責任を人のせいにして、自分のちっぽけなプライドを守ろうとしていた。そんな真似をしても無駄なのだが、魔法以外に秀でた才のない国王では、他に解決策を見出せなかったのだ。
そんな訳で、まともな議論など成立する訳もなく。
不毛な時間が流れていく。
しかし、再び静寂が訪れたその瞬間――
「はっはっは、怒り過ぎですよ、王様」
と、この場にそぐわぬ朗らかな声が響いたのだ。
宰相がギョッとしたように、その声の主へと振り向いた。
そこにいたのは、まだ若い優男だった。
直ぐに気付かなかったのは、その男が両足をテーブルの上に投げ出して、ソファーに寝そべっていたからだ。
一見すると特徴がない、貼り付けたような笑みを浮かべた男。しかしよく観察してみると、その服の仕立ては上品で、使われている生地も最高品質のものであると見て取れる。その手に持つステッキなど、高度な魔法の使用にも耐えられるような、類を見ないほどの逸品だった。
ただし、その態度は駄目だ。一国の王を前にして、有り得ないほどの不敬であった。
「き、貴様はアシュレイ子爵――」
ヘリオスが血相を変えて絶句した。
その男――アシュレイ子爵について、ヘリオスはよく知っていた。自分の側近として、学園にも一緒に通ったほどの仲だったのだ。
しかし、そこまで親しい訳ではない。
いわゆる、ヘリオスの腰巾着の一人であった。
だからこそ、困惑する。
(アシュレイめ、このように生意気なヤツではなかったのに……いや、そもそもコイツが何かを主張した事など、今の今まで一度としてなかったではないか)
控えめで目立たない男、というのがヘリオスのアシュレイ子爵に向けた認識であり、今の状況は自分の目で見ても信じられないものだった。
「アシュレイ、控えよ!! なんという様か。無礼にも程があろうぞっ!!」
絶句したヘリオスに代わって、宰相がアシュレイ子爵を叱責する。これ以上国王を怒らせるのは不味いと、その禿頭に脂汗を浮かべて、必死になって取りなそうと考えていた。
しかし、国王の反応は皆の予想を裏切るものだった。
「――あ、アシュレイ様!?」
と、普段の傲慢な態度からは信じられないほど、低姿勢で声をかけたのである。
否、それはもう御伺いを立てた、と称すべき態度であり、どちらが格上なのか一目瞭然となる様相だった。
「ち、父上?」
「へ、陛下……?」
困惑するばかりの、ヘリオスと宰相。
そんな二人にお構いなしで、アシュレイ子爵がステッキをクルクルとさせてから、小馬鹿にしたように国王に向けてピタリと止めた。
「王様、怒ってばかりいないで、こっちにおいでよ」
「は、はい」
そう言われるがままに、アシュレイの向かい側に国王が座った。その様子は、普段の傲岸不遜さが影も形もなくなっている。
(何故だ……何故、アシュレイ如きに、父上がへりくだっておられるのだ?)
何が起きているのかわからず、ヘリオスは困惑する。
宰相もヘリオスと同様だ。
(どうなっている? たかが子爵が、陛下に対して何と不遜な。しかし、どうして陛下はそれを許されているのであろうか……?)
と、戸惑いを隠せないでいる。
そんな二人を無視して、国王とアシュレイ子爵の会話が始まった。
「その様子から察するに、今この場では演技は必要ない、と判断しても宜しいのでしょうか?」
演技とは何の話だ――と、ヘリオスと宰相は不安そうに顔を見合わせる。
聞きたいが、それを知ってしまうのが怖い。
しかし、既に部屋から退出するタイミングは失われており、必然、王と子爵の会話に聞き耳を立てる他、何も出来る事はなくなっていた。
「演技、ね。君の息子はそれなりに優秀だったし、及第点はあげてもいいさ。でもね、勝手にヴェルドラに喧嘩を売って、取り逃がしちゃったのは減点だよね」
「そ、それは……」
「まさか、君も手を貸していたのかな?」
「わ、私ではありませんっ!! 全ては、そう、全ては我が愚息が仕出かした失態なのです!!」
「ふーん。だとしたら、どうして止めなかったのさ?」
「そ、それは……」
「もしかして、僕達があげた型落ちの技術で、馬鹿みたいにはしゃいじゃったのかな? 与えられた平穏で平和ボケして、ヴェルドラを舐めちゃって、自分達だけでも勝てると思ったとか?」
そう突っ込まれて、国王は返す言葉もない。うぐっ、と言葉を飲み込み、脂汗を垂らして項垂れた。
「まあいいや」
そこでアシュレイは、スッと表情から笑みを消した。
「お前等はこの先、魔塔からの支援は必要ないって事でいいんだな?」
声を低くしてそう問うたが、それは恫喝だ。
当然、マルクシュア王国として受け入れられる話ではない。
「いえ、いいえ! そのような事は、決して御座いません!! 余、いえ、私は魔塔に忠誠を誓っております。これまでも、これから先も、それは不変で御座います!!」
平身低頭する勢いで、国王がたかが子爵であるアシュレイに取りすがった。
その姿を見て、そして会話を聞いていれば、自ずと背後関係も見えてくるものだ。
「……まさか、アシュレイは魔塔の?」
思わずそう呟いたヘリオスに、アシュレイが振り向いた。
そして、笑みを浮かべて答える。
「うん? ああ、ゴメンゴメン、まだ言ってなかったね。僕はね、魔塔の〝
その胡散臭い笑顔は、普通に怒っているよりも怖い。
ヘリオスはガタガタと震えながら、大慌てで跪いた。
王太子としての誇りなど、この男の前では無意味だと理解していた。何しろ、国王であるヘリオスの父でさえ、その威厳を保てていないのだ。ヘリオス如きではどうしようもないと、言われずとも察せられるというものだった。
そして宰相も、ヘリオスが跪くより速く平伏している。強い者には逆らわないのが宰相の処世術であり、魔塔の支配者を目の当たりにすれば、そうなるのは無理もなかった。
宰相が下を向いたまま言う。
「お、恐れながら申し上げます! 我等はヴェルドラを取り逃がしてはおりませぬ。ヤツ等の動向は今も継続して把握しておりますし、その目的も掴んでおりますれば!!」
宰相は、この場を乗り切る為に必死だった。
国王や王太子の為だけではない。自分自身の保身の為に、必死になってその優秀な頭脳を働かせていた。
そして、『この国には魔塔で調べものをする為に来ただけ』という、リムル達の会話を思い出したのだ。
「へえ、そうなんだ」
宰相の必死な訴えは功を奏して、アシュレイの怒りの気配が少しだけ薄れた。同じ笑顔でありながら、優し気な雰囲気に戻りつつある。
「罠を張って待っていれば、向こうからやって来るんだね?」
「はい! 何でも『紹介状』まで所持しているとかで、嘘とは思えませんでした!」
ここぞとばかりに力説する宰相だったが、それを聞いたアシュレイの反応は鈍い。
「紹介状だって?」
そう呟き、思案し始めたのだ。
これは不味いと焦る宰相だったが、アシュレイは直ぐに笑顔になった。そして――
「ま、いいや。君達の仕出かした件については、こっちで相談してからペナルティを決めるよ。後で連絡するから、大人しく反省しとくんだね」
そう言い残して去って行ったのだった。
◆◆◆
アシュレイ子爵が去った後、その場は沈痛な空気に沈んだ。
誰も口を開けない中、最初に言葉を発したのは国王だった。
「これが真相なのだ。今更隠し立てしても仕方ない故、貴様等の疑問に答えてやろう。ただし、この場限りの話として、秘密は絶対に厳守せよ」
そう言われて、ヘリオスと宰相は覚悟を決めて頷いた。
〝毒を食らわば皿まで〟という言葉がある。ここまで秘密を知った以上、もう後には退けなかった。
「――陛下、いえ、父上。この国は、王権が絶対上位ではないのでしょうか?」
意を決して放たれたヘリオスからの問いに、王は重々しく答える。
「見たままよ。我が国は魔塔の庇護下にあるのだ。逆らえるものか」
それを聞いて、今度は宰相が口を挟んだ。
「で、ですが陛下! 我が国も、
その意見は実にもっともだった。
外なる脅威に立ち向かうべく、人類は共存の道を選んだのだ。このように国の独立を脅かす行為は、他の加盟国からしても看過出来ない所業であろう。
宰相がそう確信するのも無理はないのだ。
しかし、現実は非情であった。
王が冷たく答える。
「フッ、言ったであろう。我が国は魔塔の庇護下にある、と。もしも魔塔から見放されれば、魔塔目当てにやって来る魔法使い共の懐を当てに出来なくなる。それどころか、海での漁すら不可能となるのだぞ? それでも貴様は、魔塔と手を切れと申すのか?」
「そ、それは……」
そう言われてしまえば、何も反論出来ない宰相である。
この国の安全保障だけでなく、経済、食糧事情までも、魔塔なしでは成り立たない事実を突き付けられたのだ。黙るしかないのも無理なかった。
「そ、それで、我々は何を求められておるのでしょう?」
現実を受け入れたのか、質問を変える宰相。
王が端的に答えた。
「魔力を捧げておるのだ」
「魔力?」
「そうとも。我が国が魔法使い至上主義なのも、魔塔からの命令に従った結果に過ぎん。この国で魔法使いが優遇されると知れ渡れば、優秀な者が多くやって来るからな」
「そうなれば、より質の高い魔力を捧げられるという訳ですか……」
魔力を捧げると聞いて、宰相にも思い当たる事があった。週に一度ほど、どっと疲れたような感覚に陥る事があったのだ。数日寝れば治るのだが、それは魔法を極限まで使用した際と似たような症状だったのである。
なるほど、あれがそうか――と、宰相は納得した。
「しかし、文句は言えぬぞ。その魔力を用いて、この王都を守る『結界』が維持されているのだからな」
実際には、王都たる賢人都市ではなく、魔塔を守護する『結界』なのだろう。しかし、それを言っては実も蓋もなかった。
結果的には自分達にも利益があるのだからと、王も無理矢理納得しているのである。宰相はそう悟り、それ以上は何も言えなくなってしまった。
しかし、ヘリオスは違った。
普段ならば逆らう事など絶対に出来ぬ父の弱った姿を見て、今ならば文句を言っても許されると考えた。
いや、違う。
文句を言わねばやってられぬほどに、ヘリオスは追い詰められていたのだ。
「では父上は、この私に生贄になれと仰られるのですか!? ずっと魔塔の言いなりになり、黙って従えと?」
それは心からの訴えだったのだが、国王はそれを鼻で笑って一蹴する。
「お前にもチャンスを与えたであろう? もし〝暴風竜〟を倒せていれば、魔塔の支配から逃れられたであろうが」
そう言われて、ヘリオスも悟った。
国王も――いや、目の前にいる父親こそが、ヘリオスが今想像してしまった苦しみを、現実のものとして抱えて生きてきた先輩なのだ、と。
誰よりも魔塔の支配を嫌っているのが、この国の犠牲となっている国王、父だったのだ。
ヘリオスはようやくその事実に思い至り、自分には文句を言う資格すらなかったのだと理解した。
「では父上は……魔塔から解放されたいと御考えなのですね?」
「夢だよ。代々の王だけが見る夢だ。いや、だった、かな」
「……」
ヘリオスも、もう何も言えない。
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、沈黙するしかなかった。
今の王の姿は、未来の自分なのである。そう思えば、どんな慰めも言い訳も通用しないのだ。
宰相も同じだ。
王家の秘密を知ってしまった以上、一蓮托生で王を、王太子を支えていくしかないのである。
しかしふと、宰相の脳裏に不安がよぎった。
魔王リムル達が魔塔に向かうなら、戦争になるのではないか、と。
魔王にその気はなさそうだったが、魔塔は〝暴風竜〟を狙っている様子だった。必然、大いなる戦いに発展するのは避けられそうにないのだ。
「お、恐れながら申し上げます。もしも、もしもの話ですが、魔王リムルが魔塔を滅ぼしてしまったならば、我々は解放されるのではないでしょうか?」
またも沈黙が支配する。
呆れたように重い口を開いたのは、国王だった。
「そうなったら、民にとっては悪夢だぞ。この国の基盤は魔塔に頼っておるのだ。それを忘れるな」
その通りだった。
自分は何を馬鹿な発言をしてしまったのかと、宰相もうなだれる。
魔塔は、王家にとっては目の上のタンコブ。しかしながら、要求されるのは魔力のみであり、魔塔からの要求を受け入れるだけで、恩恵を与えてくれるのである。
それは要求というより命令なのだが、この状況を代々維持する事こそが、王家に求められる最善の役割なのだった。
勿論、もっと平等で平和な世界になるのなら、その限りではないのだが……。
国王が席を立った。
そして、告げる。
「この件については、王妃すら知らぬ。次代の王が即位した際に、先王が伝えるのが伝統なのだ。今回は例外となったが、決して口外するでないぞ」
それは、密会の終わりを宣言する言葉だった。
それで終わりかと思われたのだが――扉に向かった王の耳に、力ないヘリオスの呟きが届いた。
「――父上は、もしかして兄上を、この宿業から逃がして差し上げようとしたのですか?」
答えなど求めていない問いかけ。
だから、答える必要などなかったのに。
「……アレには、魔力がなかったからな。巻き込む必要などあるまいよ」
足を止めて、王が答えたのだ。
それはヘリオスが初めて見る、王の父親としての姿であった。
「父上は私を……愛してはおられなかったのですか?」
ヘリオスが思わずそう問うてしまったのは、今まで見下していた兄への嫉妬からだった。
それに対する王の答えは、非情だ。
「国にとっての最善を選ぶのが、王たる者の使命なのだ。そこに情など、介入する余地はない」
答えがあっただけ、ヘリオスへの愛情もあったと見るべきだろう。しかし、そうとは気付けないヘリオスとしては、ただただ悔し涙を流すしかなかった。
王は苦悩し続けて、宰相は将来を悲観し、王太子は絶望して、深夜の密会は幕を閉じた。
誰もが自分の事で手一杯だった。
だからこそ――
隣の部屋で聞き耳を立てている者がいた事に、この場の誰もが気付けなかったのだ。