【25】誇りを振りかざす者
訓練場の様子を目で追いかけていたレンは、手前のあたりに見覚えのある人物を見つけた。
オットーとセビル、それと黒髪の小柄な少年は、同じ見習いのフィンではないか。
木箱を抱えているゲラルトに、レンは一声かける。
「オレ、ちょっと行ってくる」
「……どうぞ」
レンはセビル達に「おーい!」と声をかけながら駆け寄った。
二人とも戦闘訓練中ではなく、剣を鞘に収めて立ったまま会話しているから、少しぐらい話しかけても大丈夫だろう。
ひとまずレンは、オットーに挨拶をした。
まずは世話になった年長者に挨拶。ヒュッターの教育の賜物である。
「オットーさん、こんにちは!」
「はい、どうも。君も付与魔術の訓練に?」
「うーん、どんな魔術を使うかイメージできないから、魔法戦の訓練を見学したいなって思って」
そう言ってレンは、セビルとフィンを見る。
レンより一つ年下であるフィンは、宿舎であのユリウスと同室だ。割と仲が良いらしく、フィンがユリウスに話しかけているところをよく見かける。
レンはフィンとは特に仲が良くも悪くもないが、先ほどユリウスに喧嘩を売ったばかりだったので、少し気まずい。
その気まずさを誤魔化すように、レンは明るい口調で言った。
「つーかさ、セビルとフィンなんて珍しい組み合わせじゃん。フィンも魔法剣に興味があんの?」
「えぇと……オイラは剣なんてできなくて……ただ、魔法剣っていうの、見てみたくて……見学に……」
確かに、今まで魔術とは無縁の世界で生きてきた者にとって、魔法剣は珍しい技術だ。
レンも、先日魔物と遭遇した時にオットーが使うのを見たのが初めてである。
あの時は命懸けの状況だったから、「もっと見せて!」なんて言えなかったが、本当は近くで見てみたかったのだ。だってカッコイイし。
(うんうん、魔法剣を見学……したいよな。分かる。オレも見たい)
レンは、フィンにちょっとだけ親近感を覚えた。
「オレも魔法剣の見学したい! なぁ、オットーさん、見てていい?」
「構いませんがね、今はちょっと休憩中なんです。それに……」
オットーがチラリとセビルを見る。
セビルは一つ頷き、訓練場の奥の方に目を向けた。
「興味深い戦いが始まったところなのだ。見てみろ、レン」
セビルの視線の先では、いかにもベテランという風情の守護室の魔術師と、一人の少女が対峙していた。
少女の方は、二つに分けて結ったオレンジ色の髪に、とんがり帽子、マント──古典派魔術師のロスヴィータだ。
ロスヴィータがマントを翻し、内側から何かを取り出す。三本の小枝だ。
小枝はどれもフォークぐらいの長さで、短杖と言うには短く、とても武器になるとは思えない。
ロスヴィータが詠唱を口にする。
「『不合理な献身、宿る雨、腕を失くした魚達……穿ちて施せ』」
詠唱の最後に呟かれた言葉は、詩のような独自の韻があった。
ロスヴィータは手にした枝を対戦相手の魔術師に向かい投げつける。
するとその枝から水が滲み出し、たちまち膨れ上がり、枝を中心に魚の形となった。
然程大ぶりの魚ではない。レンの肘から指先ぐらいの長さだ。それが三匹。
ロスヴィータが片手を振ると、三匹の魚は空中を泳ぎながら、敵に襲いかかった。
対戦相手の魔術師は、雷の魔術を操るらしい。雷が十本以上の矢となってロスヴィータに降り注ぐ。
だが三匹の魚がスイスイと泳ぎながら、雷の矢をその身で受けてロスヴィータを庇う。
「やるねぇ、あの子」
オットーがボソリと呟く。彼が褒めているのはロスヴィータの魔術だ。
降り注ぐ雷の雨と、それを受け止める三匹の魚。レンの目には、どちらも充分すごく見える。
「でも、戦況は互角だよな?」
レンが確認するように訊ねると、セビルが何かに気づいたような顔で呟いた。
「あの魚、硬いな」
「へっ?」
「よく見ろ。あの魚は雷の矢を何発受けても、変わらず動き回っている」
言われてみれば確かにそうだ。ロスヴィータの操る魚達は、あれだけの攻撃を受けても動きが遅くなることはない。
オットーが無精髭を撫でながら言う。
「込められた魔力の密度が段違いなんだろうねぇ……懐かしい魔術だ。あの子の母親を思い出す」
「もしかして、ロスヴィータの母親も、〈楔の塔〉にいんの?」
レンが訊ねると、オットーは少し寂しそうに笑って首を横に振った。
「あの子の母親は随分前に引退して、故郷に帰ったよ。本当に強くてねぇ……俺じゃあ、手も足も出なかった」
ロスヴィータの魚が、対戦相手に体当たりをする。
魚は口の先がナイフのように鋭く尖っていて、体当たりというよりは刺突だ。
魔法戦用の結界の中では、魚に貫かれて怪我をすることはないが、ダメージの分だけ自身の魔力が減る。
尻もちをついた守護室の魔術師が、降参と両手を挙げた。
フィンが、目を丸くして驚きの声をあげる。
「えっ……一撃くらっただけで、負けになっちゃうの? あのおじさん、まだ戦えそうなのに?」
「それだけ、あの魚は魔力が込められてるんだよ。魔法戦は、攻撃に込められた魔力量が多いほどダメージも大きいからねぇ」
オットーがフィンに説明するのを聞きながら、レンは今更ながら魔法戦において魔力量がどれだけものを言うかを理解した。
魔力量が多い人間は一発や二発程度くらっても戦闘継続できるが、魔力量が少ない人間は一発くらっただけで脱落してしまう。
魔法戦における魔力とは、そのまま体力でもあるのだ。
おまけに、被弾したらそれだけ魔力が減るのに、攻撃魔術を使うのにも魔力がいる。
(魔力量が少ないオレじゃ、攻撃魔術をちょっと使っただけで脱落しちまう……)
これはかなりきついぞ、とレンは密かに唸る。
魔力を節約しながら効率的に敵に攻撃を当てないと、魔法戦は勝てないのだ。
(おまけに、一ヶ月後の対戦相手……フレデリクさんは飛行魔術がめちゃくちゃ上手い。あんだけピュンピュン飛ばれたら、こっちの攻撃は当たらないまま、ただ魔力を消費して負けちまう)
レンが思案していると、セビルが手のひらをガバッと広げてレンの頭を掴んだ。
そうして指の力だけで、レンの頭をグイグイ押す。ギリギリ痛くない力加減だ。
ゆっくり首を捻って上を向くと、ニヤリと笑うセビルと目が合う。
「いいぞ、頭を使っている顔だな、レン」
「えーと……何されてんの、オレ?」
「頭のマッサージだ。どうだ、魔法戦に勝つための妙案が浮かんだか?」
その言葉に、セビルからの期待を感じた。作戦を立案する者としての期待だ。
プレッシャーもあるけれど、やっぱり頼られたら悪い気はしない。
「情報収集中だから、もうちょい待ってくれよ。そのうち、頭脳派美少年パワーが炸裂するからさ」
「よろしい」
セビルがパッと手を離したその時、ロスヴィータ達がいる辺りで大きな声がした。
「これだから、守護室は駄目なんだ!」
その大声に、フィンがビクッと小さな体を縮こまらせる。
ロスヴィータに負けた守護室の魔術師を、大柄な男がなじっていた。
赤みがかった髪を短く刈り上げている、一目で強そうと分かる男だ。年齢は三十歳ぐらいだろうか。動きやすそうな革の服を身につけ、首から獣の牙を加工した首飾りを下げている。
何よりも目をひくのは、顔の中心にある大きな×印の傷だ。
(すげー傷……)
偶然でできたにしてはあまりに綺麗に、その傷は顔の中心に刻まれていた。魔物につけられたのだろうか?
オットーが怯えているフィンを落ち着かせるようにポンポンと頭を叩いてやりながら、ため息をつく。
「また、ダマーか……困ったもんだね、ありゃ」
疲労の滲む呟きだ。
レンはオットーを見上げて訊ねる。
「ダマーって、あの顔に傷があるオッサンのこと?」
「そう。討伐室の人間で実力者なんだけど……あの性格でねぇ」
あの性格。その一言には、深い気苦労が滲んでいた。
セビルも呆れを隠さぬ態度で吐き捨てる。
「あの手の輩は、どこに行ってもいるものだ」
オットーの言う「あの性格」を見事に表すかのように、ダマーは守護室の魔術師に怒鳴り散らした。
「命がけで魔物を相手にしてる俺達と違って、ぬるいんだよ、お前ら守護室は。戦士の誇りってものがないのか?」
ダマーはニヤニヤ笑い、首から下げた牙の首飾りをこれみよがしに弄る。
あの牙はおそらく、魔物の牙なのだろう。倒した獲物の一部を見せつけているのだ。
(……嫌なやつ)
レンが密かに顔をしかめていると、ロスヴィータが険しい顔で口を開いた。
「ねぇ、その傷……」
視線に気づいたダマーは、ロスヴィータを見下ろしす。
「お前がオーレンドルフの娘か。噂は聞いているぞ」
ダマーの顔に笑みが浮かぶ。
その笑みをレンはよく知っていた。兄達がレンに向けていた、他者を見下す嘲笑だ。
「あの女は、〈原初の獣〉に負けて〈楔の塔〉から逃げたが、お前はどうだろうな?」
ロスヴィータの顔から表情が消える。
とんがり帽子のツバの下で、ロスヴィータは無表情のまま目だけをギラギラと輝かせて呻いた。
「……ママを侮辱したな」