【21】あったらいいな、美少年専用魔術
ヒュッター教室を出たレンは、その足で同じ第一の塔〈白煙〉内にある指導室に向かった。
指導室などと言うと何やら緊張するが、つまりは机と椅子があるだけの小部屋だ。あとは資料室に入りきらない物も、一時的に置いているらしく、壁際に資料の入った箱などが積み上げられている。
「どうぞ、そこに座って」
既に中で待っていたレームは、レンに椅子を勧めた。
レンは椅子に座りながら、内心ソワソワする。自分だけ特別指導なんて、なんだか落ち着かない。
こう言ってはなんだが、レンは共通授業の成績はそんなに悪くなかった。
見習い魔術師達は成績の振り幅が非常に大きいのだが、その中でもレンは、そこそこ成績優秀な部類に入る。
単純に座学だけの成績だけなら、古典派代表のロスヴィータ、近代派代表のユリウス、あとは眼鏡のエラの三人が飛び抜けて良い。
そしてレンは、その次の集団ぐらいに位置しているのだ。
成績中位者は得意科目と不得意科目でムラがあり一概には語れないが、レンと呪術師ゾフィーが割とムラなく点を取る。
ローズ、オリヴァー、セビルの成人組は得意教科にややばらつきがあり、職人気質のルキエと、前髪の長いゲラルトは更にムラがある。
底辺争いはハルピュイアのティアと、田舎出のフィンだ。
(単純に筆記試験だけなら、オレ、そんなに成績悪くないし……呼び出されたのって、やっぱあれだよな……魔力量)
見習い魔術師の中で、一番魔力量が少ないのがレンだ。他の十一人は最低でも下級魔術師のラインには届いているのに、レンだけが一般人レベル。
魔術師になるのは諦めた方が良い、という話になるのではないかと、レンは緊張していた。
(そりゃ、オレは元々魔術師志望な訳じゃないし、あの家を出て勉強できるんなら、それで良かったけど……)
今だって、こういう魔術を覚えたい、という明確な目的があるわけではない。
だけど、この数週間の出来事を経て、魔術に興味を持ったのも事実だ。
今日の共通授業で魔術式の文字がピカピカと光った時、レンの心の中でも何かが光った。すっげぇ、と思った。もっと、色んなことをやってみたいと思った。
まだ目標を明確にはできないけれど、もっと色んなことを勉強したい。できるようになりたい。
膝の上でギュッと指を組むレンに、レームは言う。
「率直に言うと、レン君は魔力量が少ないでしょう。だから、今日は魔力器官と魔力量の増やし方についてお話します」
一瞬ドキッとしたが、レームは魔術師を目指すことを諦めろとは言わなかった。
魔力量の増やし方。それは、レンは一番知りたかったことだ。
「人間は魔力を貯める器と、それを出し入れするための管があります。これが魔力器と魔力管ね。魔術の流派によって呼び方は色々あるけれど、近代ではこれが一般的なの」
レームは手元の紙に簡略化した人体図を描き、その中心に丸を描いた。それが魔力器らしい。
「魔力管は全身を巡っているけれど、特に出口が多いのが手のひらと言われています。だから人間は、魔術を使う時に手のひらから放つことが多い」
レームは魔力器から全身に伸びる線を描いた。特に手のひらに伸びる物が多めに。これが、魔力管らしい。
「魔力量が多い人ほど器は大きくなるし、管も太くなる。魔力量が多い人が、高威力の魔術を扱いやすいのは、一度に放出できる魔力量が多いからね。逆に管が細い人は、少量ずつしか魔力を放出できないし、取り込めない」
レンは今日の午前の共通授業を思い出した。
ハルピュイアであるティアは、ちょっと例外なので横に置いておく。それよりもまず浮かんだのは、魔力放出が苦手なエラ・フランクだ。
「もしかしてエラって、器はオレよりでかいけど、管は細い……ってタイプ?」
「それは検査してみないと断言はできないわ。管が部分的に細かったり、手のひら以外の場所に出口が集中しているケースもあるし」
「なるほど……」
色々なんだなぁ、と考えつつレンは己の手のひらを見る。目には見えないけれど、ここに魔力管の出口が集中しているのだ。
そう考えると、なにやら見えない力が手のひらからフワフワと出てきている気がする。気がするだけだ。
「これらの魔力器官は、十代の頃に使うほど発達します。つまり、若い内に魔術の訓練をするほど良いってことね。二十代を過ぎると魔力器官は緩やかに衰えていくわ。魔術を使い続けたり、精霊と契約したりすると魔力量を維持しやすくなるって論文もあるけれど、これは上級魔術師相当の話ね」
つまりこれは、若い今のうちにいっぱい魔術の実技訓練をしておけ、という話になるのだろう。
そう考えるレンに、レームは告げる。
「他にも、体内魔力が尽きるまで魔術を使うと魔力器が成長する。魔力濃度の濃い土地で訓練をすると魔力器官が成長する……と考える人もいるわ。実際、それは間違ってはいない」
言葉を切り、レームは真っ直ぐにレンを見る。
短い前髪の下で、いつも優しげに微笑んでいる目が険しく細められた。
「だけど、絶対にそれをしないと約束してほしいの」
それは彼女らしからぬ、低く重い声だった。
レンは思わず気圧され息を呑む。
「私は以前は討伐室に所属していたのだけど、魔力器官が損傷してしまって……器も管もズタズタなの」
レームは手元の紙にコップの絵を描く。
何故、コップ? というレンの疑問が顔に出ていたのだろう、レームは「この喩えが分かりやすいのだけど」と前置きをした。
「魔力器がコップだとして、コップの下の方に穴が空いているのを想像してちょうだい。どんなに水を流し込んでも、穴から水が漏れてしまう……今の私の魔力量は、全盛期の五分の一もないわ」
レームは決して、無理な訓練をしたり、魔力濃度の濃い土地で訓練をしたわけではないらしい。
ただ、魔物との戦闘は苛烈で、魔力が尽きる寸前まで魔術を使い続けなくては、生き延びられないこともあった。
……その結果が、魔力器官の損傷なのだ。
「管の方は多少はマシなのだけど……それでも、以前の感覚で魔力を流すと、全身が酷く痛むわ」
「……そういうのって、治療できないの?」
「帝国は医療用魔術の研究が進んでいるけれど、画期的な治療方法はまだ確立されていないわ。多少の損傷は自然治癒するのだけど、これも人によりけりだし」
レン達の担当指導員であるヒュッターも同じだ。
幻術を得意としていた彼は、魔力器官が損傷してしまい、幻術を使うと痛みを覚えるのだという。
「だから、貴方に無理な訓練をしないよう釘を刺してほしいって、ヒュッター先生に頼まれたの」
なるほど、そこで魔力器官損傷経験のあるレームに指導を頼んだのか……とそこまで考えて、レンは「んん?」と唸る。
「でも、ヒュッター先生も同じ症状なんだよな? それならなんで、わざわざレーム先生に頼んだんだろ……」
「ヒュッター先生は、『担当じゃない先生に言われた方が、重みがあるでしょ』って……貴方が無茶をするんじゃないかって、心配しているのね」
それはまぁ確かに。とレンは思った。
短期間で魔力量を増やせる方法がある、と唆されたら、自分の性格上「ちょっと試してみようかな……」と手を出してしまう気がする。
ヒュッターもレンのそういう性格を見抜いて、釘を刺すようレームに頼んだのだろう。
「それとね、ヒュッター先生から、レン君に向いている魔術の相談を受けてて……」
レンは少し驚いた。ヒュッターがそんなことまで相談しているとは思っていなかったのだ。
(でも、オレに向いてる魔術なんて……そんなに都合の良い魔術があるのか?)
レンは魔術を学び始めて日が浅いし、魔力量も少ない。魔術師見習いとしては、明らかに他の者に出遅れているのだ。
そんな自分に向いている魔術は……と考え、レンは真剣な顔で口を開く。
「つまり、美少年専用魔術……」
「ヒュッター先生が、レン君は他人の字を模写するのが上手だから、『書く』ことに特化した魔術はないか、って仰ってて……心当たりが一つあるの」
レームは壁際に寄せてある紙箱から数冊の本と紙、それと立派な羽根ペンを取り出し、机にのせる。
「筆記魔術、勉強してみない?」