【15】根回し先生
「あの……ヒュッター先生……」
昼休み、この後の個別教室の準備をしていたヒュッターに声をかけたのは、ボサボサの茶髪の、四十歳ほどの痩せた男、アルムスターだった。
見習い魔術師の担当指導員は四人いる。
表向きは魔術師組合から派遣された〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター。
前髪が短くて可愛らしい雰囲気だが、元討伐室所属の才女レーム。
爽やかクソ野郎こと、いつも白い歯を見せて笑っている金髪美男子のゾンバルト。
そして最後の一人が、この影の薄いアルムスターであった。
痩せた体にブカブカの白衣を着ているアルムスターは、万事において悲観的な男で、いつも目の下に隈があり、青白い顔をしている。
今も彼は、ちょっと死にそうな顔でオロオロしていた。
「どうしました、アルムスター先生?」
「それが……ヒュッター先生の教室の生徒さんがぁ……あのっ……大変な……ことにぃ……」
一言一言、声を発する度に、アルムスターは心臓発作を起こしたかのように痙攣する。正直、ハラハラするのでやめてほしい。
そこにゾンバルトが白い歯を見せながら爽やかに言った。
「実はうちの教室のユリウス君と、ヒュッター先生のところのティアさんが、喧嘩したみたいなんですよ! いやぁ、困りましたね! ははは!」
困っているなら爽やかに笑うな。ヒュッターが内心苦虫を噛み潰していると、ヘーゲリヒとレームもやってくる。
「笑いごとではないのだよ、君ぃ」
「エラさんが報告に来てくれたんですけど、なんでもティアさんがユリウス君に飛びかかったとか……」
(俺が教室を出た後に、そんなことがあったのか……)
面倒だなぁと頭をかきつつ、ヒュッターは考える。
報告に来たのがエラ・フランクなら、その内容は比較的信用できる(これが、ジョン・ローズやオリヴァー・ランゲなら駄目だ)。
報告に来たのがセビルやレンではないということは、あの二人はティアのそばにいると考えるのが妥当か。
ヒュッターはレームに訊ねた。
「あー、その時の状況を詳しく聞いても?」
「はい……」
レームが困り顔で、エラから聞いた話を語る。
なんでも午前の共通授業の後、ユリウスがティアとエラに魔力操作技術を教えてやるから友達になろうと提案したらしい。
その提案に何故かティアが激昂し、ユリウスに飛びかかった。すぐにセビルが止めに入ったが、ティアは教室を飛び出して行ったという。
──という一連の流れを、ヒュッターが「へぇー、ほぅほぅ」と聞いていると、ゾンバルトが熱血教師のようなことを言い出した。
「これは大変ですよ、ヒュッター先生! 僕達で、生徒達の仲をとり持ってあげましょう!」
「いやー、ほっときましょう」
ヒュッターは素っ気なく言葉を返し、ヘーゲリヒを見た。この場における決定権は、ヘーゲリヒにあるからだ。
ヘーゲリヒが片眉を跳ね上げて問う。
「そう考える理由を示したまえ」
「私が見る限り、見習い共はどうにも他人に興味の薄い奴が多い。今回の件は、自分達で問題を解決させる良い機会じゃないですか」
〈楔の塔〉なんて辺鄙な土地にやってくる人間は、大抵が変わり者か、他に行き場所のない者だ。
そのためかどうかは分からないが、あの見習い達は良くも悪くもつるまないのだ。
あれぐらいの年なら、仲間同士でつるみたいと考える者もいるだろう。
ヒュッター教室のレン、あとは女子なら呪術師のゾフィーがそういうタイプだ。仲間とつるみたがる。
ティアやセビルは、案外一人でも気にしないタイプだとヒュッターは踏んでいた。
(うちの三人は、まぁまぁ仲が良いけど、他の教室の奴らと交流してるところは、あまり見かけないからな)
仲間同士でつるんで気を大きくして、悪さをされるのも面倒だが、他人に興味がなさすぎるのもそれはそれで問題だとヒュッターは思う。
特にこの閉鎖的な環境なら尚のこと。
「年長者のローズ、オリヴァー、セビルは、なんやかんや年下共を気にかけてますよ。この手の諍いは、まずは自分達で解決させて、それでも駄目なら私達が口出ししましょう」
ヒュッターがあえてのんびりした口調で言うと、ゾンバルトが胸に手を当てて熱弁を振るった。
「ですが、教育者としてそれで良いのでしょうか! 僕は生徒達の力になりたいんです!」
胡散臭い。すごく胡散臭い。無駄に白い歯を輝かせるな──とヒュッターは内心舌を出しつつ、口を開く。
「なら、一つ提案です。明日辺りにでも見習い達で話し合いをさせて、代表者を決めてもらうってのはどうでしょう? クラス代表とかクラス委員長ってやつです」
今日に至るまで、見習い全員で話し合いをする場が圧倒的に足りていない、とヒュッターは思っている。
そこで役に立つのが、クラスの代表者決めだ。
まとめ役を決めるためには、どうしたって話し合いが必要になるし、そこで会話が生まれる。
ついでにまとめ役がいれば、今後、指導員とのやりとりも円滑になる。
「私達指導員が口出しする前に、まずはそういう話し合いの場を作る、ってことで……どうすかね、ヘーゲリヒ室長?」
「良いだろう」
ヘーゲリヒの即答は少し意外だった。この手のことは、もう少し考えるタイプだと思ったからだ。
(……いや、これはヘーゲリヒ室長も同じこと考えてたな。俺が提案したから、それに便乗する形にしたわけか)
ヘーゲリヒは、ヒュッター、レーム、ゾンバルト、アルムスター──四人の指導員を見て告げる。
「明日の共通授業の時間に、ヒュッター君、提案者である君から、生徒達にクラス代表を決めるよう指示を出したまえ」
「はぁ、分かりました」
「クラス代表は、くじ引き等で決めるのは禁止。必ず話し合いで決めること。そして代表者には、本来見習いは入れない第二、第三図書室の利用を許可する。この二点を伝えたまえ」
なるほど、クラス代表はただの貧乏くじではなく、それなりにメリットがあるというわけだ。
すぐに図書室の利用許可を出せるということは、やはり予め予定していたことなのだろう。或いは、毎年の慣例だったのかもしれない。
(あー、爽やかクソ野郎がうるさいから、つい余計な提案しちまったな……)
ゾンバルトが何かしらの理由をつけて、生徒達に干渉したがっているように感じたのだ。だからつい、余計な提案をしてしまった。
(まぁ、提案したからには、上手いこと利用しないとな)
ヒュッターは少しだけ真面目くさった態度でヘーゲリヒを見る。
「ヘーゲリヒ室長、一つ追加で提案なのですが」
「言ってみたまえ」
「代表決めには、一週間の猶予を与えてください。明日提案して、生徒達で話し合い、一週間後に報告って流れがいい」
ヒュッターの提案に、ヘーゲリヒは怪訝そうに眉をひそめる。
「一週間の猶予を与える理由はなんだね?」
「さっきも言った通りです。あいつらには、話し合うための時間がいる。一週間の猶予を作れば、共通授業の時以外も、見習い同士で話し合うようになるでしょう?」
そして、一週間の猶予があると、色々な動きをする者が出てくるのだ。
派閥を作ろうとする者、裏工作をする者、自分の主張を声高に叫ぶ者、我関せずを貫く者、無難にやり過ごそうとする者。
特に想定されるのは、古典派のロスヴィータと、近代派のユリウスの対立だ。見習いの中で突出して優秀なこの二人の対立は、まさに火種。
ならばいつまでも火種を燻らせておくより、ここで派手に燃やしておいた方が、ヒュッターとしては後々やりやすい。
何より一週間の猶予があれば、見習い達が話し合いに時間を割くから、個別授業で楽をできる。これは、魔術を教えられない詐欺師にとって極めて重要な理由である──という本音を隠し、ヒュッターは意味深に笑った。
「多分、この一週間で色々見えてくると思いますよ。あいつらの個性」
その場しのぎで生きている三流詐欺師の提案に、ヘーゲリヒはしばし考え込み、頷く。
「……良いだろう。では、一週間の猶予を与えようではないかね」
「ありがとうございます」
恭しく礼をしつつ、ヒュッターは内心拳を握る。
(よっしゃ。これで一週間、楽できる!)
とは言え、提案したからには、生徒達のために多少は根回しをした方がいいだろう。
(俺の提案、レーム先生は割と好意的に受け止めてるな。ゾンバルトは何考えてるか分からん。アルムスター先生は何を提案しても悲観するから気にしなくていい)
ヒュッターはしばし思案し、まずはレームに頼みごとをすることにした。
「あ、そうだ。レーム先生。ちょっと良いすか? うちの生徒で指導して欲しいやつがいまして……」
「でしたら、今日の午後に見ましょうか? 私の生徒達は別の塔に行くみたいなので」
「やー、助かります。すみませんねー」
レームに指導内容について幾つか話しつつ、ヒュッターはさりげなくレーム教室の生徒達の動向を確認した。
古典派の才女ロスヴィータは討伐室志望。真面目な眼鏡娘のエラと、呪術師ゾフィーは蔵書室に行くことが多い。
それを考慮しつつ、今度はアルムスターに話しかける。
「そういや、アルムスター先生のとこの生徒も、最近は第三の塔〈水泡〉に行ってるんでしたっけ? 良いっすね、付与魔術。手に職! って感じで。今日もそちらに?」
「えぇ……はい……私の指導より、具体的なので……」
「またまたご謙遜を。アルムスター先生の付与魔術の腕前は聞いてますよ。それに、先生の生徒達も自主性があって素晴らしいじゃないすか」
アルムスター教室の生徒も高確率で第三の塔〈水泡〉に行く。悪くない情報だ。
(今日のティアとユリウスの衝突は、良いきっかけだ。しかも今日の午後は、上手い具合に生徒達の行き先が固まっているときた)
その情報の活かし方を考えていると、ゾンバルトがにこやかに笑いながら言う。
「流石、ヒュッター先生。生徒達のことをよく見ているんですね!」
「いやー、私なんてまだまだですよ」
ヒュッターはヘラリと笑い、ゾンバルトの心無い褒め言葉を受け流した。
あぁ全く、教師はやることが多すぎる。