【11】友達
見習い魔術師達が紙に魔術式を書き、魔力を流し込む訓練を続けている間、教壇の前に呼び出された者が二人がいる。
「ふむ……魔力操作訓練でつまずく者が、二人も出るとは思わなかったがね」
そう言ってヘーゲリヒは、魔力操作訓練につまずいた二人──ティアとエラを見た。
エラ・フランク。砂色の髪を三つ編みにした眼鏡の娘だ。魔力操作訓練に失敗したのは、ティアだけではなかったのである。
エラは暗い顔で俯き、「すみません……」と小声で謝る。
ティアはエラに話しかけた。
「エラも、紙がボロボロになっちゃったの?」
「いえ、私は……魔力を流しこめなくて……」
ティアの場合、魔力を流し込むと紙がボロボロに崩れてしまったが、エラはその逆で、何も起こらないのだという。
つまり、魔力を流し込めていないのだ。
ティアはふと、魔力量測定をした時のことを思い出した。
測定器に手を当てて魔力を流し込むと、魔力量が分かるあの道具──あれは素人でも少し意識をするだけで、魔力が自然と流れ込む作りになっていた。
だが、エラはなかなか測定が始まらなかった。
『おやぁ、なかなか計測が始まらないなぁ。エラ君、もうちょっと魔力を込めてみて』
『は、はいっ、すみませんすみません……っ』
あの時はそれほど気にしていなかったけれど、あれもエラが魔力放出を苦手としているからだったのだ。
ヘーゲリヒがティアが駄目にした紙の残骸を掬い上げて言う。
「ティア君は一度に流し込む魔力量が多すぎる。エラ君は魔力放出が得意ではない。こういう体質の者はたまにいるのだがね、まさか真逆のタイプが二人揃うとは……」
たとえば地面に文字を書き、そこに水を流し込むとする。水が魔力で、文字が魔術式だ。
人間は容器に入った水を少しずつ傾けて、丁度良い量の水を流すことができる。
だが、ティアは加減ができず、一気に水を流し込み、地面に書いた文字を流して消してしまうのだ。
エラの場合は、水の入った容器に蓋をしたまま、という具合だろうか。
これが原因で正体がバレるのではないかとティアは不安だったが、ヘーゲリヒが言うには、そういう体質の人間もいることにはいるらしい。
「レーム君、魔力耐性の強い紙はあるかね。それと、魔力誘引効果のあるインクも」
「紙ならこちらに。インクは準備室から取ってきますね」
レームがサッと新しい紙をヘーゲリヒに手渡し、インクを取りに行く。
ヘーゲリヒは魔力耐性が強いという紙に魔術式を書いて、ティアに渡した。
「これで、同じことをやってみたまえ」
「はぁい………………ピヨッ! できた! ヘーゲリヒ室長、これ光った!」
ティアの手の中で魔術式がピカピカと輝く。
ヘーゲリヒが「ふぅむ」と唸り、他の生徒を見ていたヒュッターを呼んだ。
「ヒュッター指導員。君の教室のティア君だが、どうも魔力操作技術に難があるらしい」
ヒュッターが「あー、はいはい」と相槌を打つ。
「まぁ、そういうこともありますよねー。えぇ。そこは生徒の個性と言いますか……」
「このままでは魔術を暴発させかねない。次の魔法戦演習までに魔力操作訓練を行うか、別のやり方を模索するか、よく相談して決めたまえ」
「えー、そうですね、そこは本人の意思を尊重し、慎重に決めたいと思います。はい」
そっかぁ、ヒュッター先生が一緒に考えてくれるんだ。とティアは思った。流石ヒュッター先生だ。頼りになる。
ちょうどそのタイミングで、レームが魔力誘引効果のあるインクを持って戻ってくる。
ヘーゲリヒが、そのインクで魔術式を書いてエラに差し出した。
エラが紙を受け取り、震える手で魔術式に指を添える。
魔術式が微かに青く光った。その輝きは、指が触れている箇所からじんわりと魔術式全体に広がっていく。
「…………良かった」
ポツリと呟くエラの泣きそうな横顔が、何故だかティアの目に焼きついた。
* * *
その日の共通授業は、魔力操作訓練で殆ど終わった。
進みが早い者は、魔術式を少しずつ長く、複雑にしていくのだが、ティアは魔力耐性の強い特殊紙と、そうでない紙とを交互に使い、流す魔力量を調整する訓練だ。エラも同様に、魔力誘引効果のあるインクと、そうでないインクとで交互に魔力を流す訓練をする。
だが結局、ティアもエラも大して上達しないまま、授業の時間が終わってしまった。
「ペフゥ……難しい……」
他の皆とは離れた机で、エラと一緒に訓練をしていたティアは、授業終了と同時に机に突っ伏す。
そんなティアを元気づけるように、エラが言った。
「でも、ティアさん、紙が崩れるまで、時間がかかるようになってますよ。きっと、流す魔力量の調節が少しずつできてるんです」
「ペフフゥ……うぅん……」
流す魔力の量を減らすことは頑張ればできるが、そこから次のステップがまた難しいのだ。
指導員のレームが言うには、魔術式は編み物に似ているらしい。
編み物。細い糸を複雑に動かし、編んで、意味のある形にするように、魔力を細い糸にして意味のある形に編む。
当然だが、ハルピュイアは編み物なんてしない。そもそも、何かを編むという行為をしないのだ。だから、感覚として理解が難しい。
(エラは人間だから、髪を編むんだなぁ……)
なんとなくエラの三つ編みをじぃっと見ていると、背後で「少しいいか」と声がした。
振り向くとそこには、真っ直ぐな黒髪の少年が立っている。少し目が細くて蛇っぽい雰囲気の少年──ユリウス・レーヴェニヒだ。
「魔力操作、苦労しているみたいだな」
そう言ってユリウスが、机の上にある紙の残骸を見る。
エラが苦笑した。
「ユリウスさんは、凄いですね。もう、難しい魔術式でも成功できていて……」
「そもそも、こんな訓練をしなくとも、俺は近代魔術なら大抵は使えるからな」
それは嫌味や自慢には聞こえなかった。
ただ事実を口にしているだけ──あるいは、これからする話に必要な前提を話しているような、そんな口調だ。
「幼少期から父に仕込まれていてな。魔力操作技術には自信がある……どうだ。俺と手を組まないか?」
そう言ってユリウスが、ティアとエラを交互に見る。
「俺なら、お前達に魔力操作技術を教えてやれる。力になれる。友達になろうじゃないか」
友達。
その時、ティアの頭が真っ白になった。
思考が、感情が、全てストンと抜け落ちた頭の中に浮かぶのは、幼く甘い声。
──わたし達、お友達になりましょう?
──まぁ、かわいい。まるで、ぬいぐるみみたいね。ほら、この子もわたしのお友達なの。
──ねぇ、もっと歌って、ティア? わたしの可愛い小鳥さん。
真っ白になった思考が、赤く、赤く、赤く塗り潰されていく。
ティアの無表情を、ユリウスは驚きか何かと思ったらしい。彼は無防備にティアに近づき、片手を取った。
「これは、お近づきの印だ。クク……そこそこ質の良い腕輪だから、魔導具の材料にもできるぞ」
ティアの腕に、金属の輪が嵌められた。
赤い石のついた、金属の輪。
──お揃いね、ティア。お友達の証よ。
「…………ァァァ」
ティアの喉が震える。濁った唸り声が、空気を震わせる。
「アアアアアアアアアアアアアアアア!!」
ティアは叫んだ。
歯を剥いて、白髪を振り乱して、琥珀色の目をギラギラさせて、そうして勢いよくユリウスに飛びかかる。
エラが「ティアさん!?」と叫んだ。レンとセビルも椅子から腰を浮かせて、ティアの名を呼んだ。だが、その声はティアの耳には届かない。
耳の奥にこびりついた甘い声が、ティアの耳を塞ぐ。
「お前は嫌なヤツだ! 嫌いだ! 嫌いだ! 嫌いだ!」
仰向けに倒れるユリウスは、蛇のような目を丸く見開き、茫然としていた。
ティアはユリウスに嵌められた腕輪を毟り取り、床に叩きつける。
「よくもわたしに、こんな物をつけたなッ! いらない! いらない! いらない!」
ティアは、仰向けに倒れるユリウスの胸を右足で踏んだ。足の鉤爪を突きつけてやろうと思ったのだ。だけどできない。そうだ、これはブーツを履いた人間の足だった。
「いらない! いらない! いらない!」
もどかしさに苛立ち、喉をシュウシュウ鳴らしながらティアは叫ぶ。
「友達なんていらないっ!!」