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【4】社会人の常識講座~お礼の挨拶実践編〜

 午前中の共通授業で魔力量測定をした日の午後。

 いよいよ魔術に関する本格的な修行が始まるのかと、密かにワクワクしているティア達に、担当指導員カスパー・ヒュッターは言った。


「はい、今日の午後の授業は、『社会人の常識講座~お礼の挨拶実践編〜』です」


「ピロロ……」


「ヒュッター先生さぁ、そこは魔術の実践始めるところじゃねぇの?」


「魔力量測定を経て、魔術の授業に取り掛かるのではないのか?」


 ティア、レン、セビルが不満の声を上げると、ヒュッターは物分かりの良い大人の顔で、うんうん頷く。


「お前達の気持ちは分かる。魔力量測定。良いよな。測定で自分の属性を知るって、ちょっとワクワクするよな。これからいよいよ本格的な訓練が始まるんだ! ……って、気持ちが盛り上がるよな」


 まさにその通り。なんだか本格的な魔術っぽいことが始まりそう! と飛行魔術を使う自分を想像してワクワクしたのは事実だ。

 そんなティア達に、ヒュッターは言い放つ。


「だがその前に! お前達は昨日魔物と遭遇して、調査室の方々と守護室のオットーさんに、めちゃくちゃ世話になっただろ」


 あっ、とティアは声をあげた。

 そうだ。昨日は魔力濃度調査に行って魔物に遭遇し、調査室のおじさん達や、守護室のオットーに助けて貰ったのだ。

 帰り道でも、彼らはティア達見習いのことをとても気遣ってくれた。


「ということで、お前らはこれから調査室と守護室行って、昨日はお世話になりましたってお礼を言ってこい。この時間、昨日世話になった方々がそれぞれの部屋にいることは確認済みだ」


「ヒュッター先生はいかねーの?」


 レンがボソリと言うと、ヒュッターは呆れたような顔をする。


「俺は、今朝お礼言いに行ってるんだよ。その時に、『午後はうちの生徒達をお礼に行かせます。お時間大丈夫ですかね?』って具合に確認してあるから、安心して行ってこい」


 ピョエェェ、とティアは感心の声をあげた。

 お礼を言いに行くだけでなく、その時間、お礼をしに行って迷惑でないかどうか、予め確認するという発想がティアにはなかった。

 こういうのを根回しというのだ、とティアは思い出す。


「ヒュッター先生、すごい……!」


「まぁ、このぐらいは大人だからな。ついでに、調査室と守護室がどんな雰囲気なのかも見てこい。お前らまだ、〈金の針〉に出入りしたことないだろ?」


〈楔の塔〉は第一から第三の塔で構成されている。


 組織の中枢でもある、第一の塔〈白煙〉。

 戦闘任務や魔物の調査が主となる、第二の塔〈金の針〉。

 魔導具や書物、その他、塔の物品等の管理や整備を担う、第三の塔〈水泡〉。


 ティア達は第一の塔〈白煙〉の所属で、食事も基本的に〈白煙〉の食堂で済ませる。

 書物や物品を借るため、第三の塔〈水泡〉に出入りすることこそあれど、戦闘任務が主となる、第二の塔〈金の針〉に出入りする機会は少ない。

 ヒュッターが、もっともらしい顔で言う。


「第二の塔〈金の針〉は戦闘任務が主だからな。昨日の魔物の件でそれなりにざわついてる。そこに行って、今現場に近い人間はどういう空気なのか、肌で感じてこい」


 ただお礼に行くだけではなく、第二の塔〈金の針〉を知ってこい──それが、ヒュッターの出した課題なのだ。

 ヒュッター先生は手羽先がカッコイイだけでなく、頭が良い先生だ。

 ティアは心の底から感心した。



 * * *


 第一の塔〈白煙〉と、第二の塔〈金の針〉は同じ敷地内にあるが、少し距離が離れている。

 一度外に出たティア達は、三人並んで〈金の針〉に向かった。

 今日は天気が良く、外を歩いているだけで気持ちの良い陽気だ。空を飛べたらもっと素敵だと思う。

 ティアがピロロ、ピロロとご機嫌に歌っていると、レンが「そういやさ」と小声で訊ねた。


「今日の魔力量測定だけど、ティアはどうやって切り抜けたんだ?」


「それはわたくしも気になっていた。いざとなったら、計測器は故障していると難癖をつけるつもりだったのだが」


 どうやら、レンだけでなくセビルも、ティアの魔力量のことを気にしていたらしい。

 ティアの正体はハルピュイアだ。魔物は魔法生物の一種で、魔力量が人間とは比べ物にならないほど多い。

 その中でもティアは、ハルピュイアの女王と呼ばれる特異体なので、殊更魔力量は多かった。

 ティアはどこまで説明したものか、考える。

 そもそもティア自身、人の姿になるための仕組みを、正確に把握しているわけではないのだ。


「えーっとね。人の皮を作る時、擬似的? な魔力器官っていうのを作って、埋め込んでるの。魔力量計測する時は、その擬似魔力器官? っていうので計測するから大丈夫なんだって」


 ティアが辿々しく語ると、レンが難しい顔をする。

 何か言いたいことがあるけれど、言おうか迷っている、そんな顔だ。

 レンが「あ〜、えーっとさ……」と口篭っていると、セビルが周囲に人がいないことを確認して、ズバリと言った。


「お前を人間にしたのは、何者なのだ?」


「おまっ、そんな直接的に……人が遠回しに聞こうと……!」


 セビルの質問に、何故かレンが小声でボソボソ文句を言う。

 ティアは訊かれたことに、正直に答えた。


「分かんない」


「は……はぁっ!? いや、言いたくないならそう言えよ!」


「ピロロロロ……言いたくないじゃなくて、本当によく分かんないんだもん」


 早口になるレンに、ティアは困り顔で答える。

 だって、ティアは自分を助けてくれた人が何者か、本当によく分からないのだ。

 そもそも、相手が何者かということに、あまり興味がないのである。敵ではないことと、呼び名が分かれば、それでハルピュイアには充分なのだ。


「えっとね。わたしを助けてくれた人は、カイっていうの。見た目は、人間の男の人だよ。セビルより年上で、ヒュッター先生よりは若いかな」


 つまりは、二十代半ばから後半ぐらいの男である。

 風切り羽根切られて、人間に飼われていたティアは、命からがら逃げ出したが、行き倒れる寸前だった。そこを助けてくれたのが、カイだ。

 カイはティアから事情を聞くと、人間になって〈楔の塔〉で飛行魔術を勉強すれば、また飛べると教えてくれた。

 ワァワァと騒ぐレンとは対照的に、セビルが冷静な口調で問う。


「お前の体の処置も、そのカイという男がしたのか?」


「ううん。そういうのは、カイの知り合いの魔女様がやってくれたの。あの飴を作ってくれたのも魔女様だよ」


 ティアに人間の体を与えてくれたカイと魔女は、それからしばらく、ティアに人間の常識や、読み書きを教えてくれた。

 そうして彼らは、三年に一度の〈楔の塔〉の入門試験にティアを送り出したのだ。


「何者だよ、そのカイと魔女様ってやつら……〈楔の塔〉の魔術師じゃないんだよな?」


「ピロロロ……うん、多分違うと思う」


 二人とも〈楔の塔〉の魔術師がする帯はしていなかったし、〈楔の塔〉から離れた森の奥に住んでいるのだ。

 その住居は水晶領域を西に進んだ辺り──この楔の塔の北の方角だろうか。

 人間の少女の足だと、数日はかかる距離だ。

 言葉を続けようとしたティアは、ハッと口を閉ざした。前方に人を見つけたのだ。ただし、寝ている。

 背が高い細身の青年だ。長い手足を畳むようにして、木陰で寝息を立てている。

 木漏れ日に照らされる真っ直ぐな髪は、ミルクをたっぷり入れた紅茶みたいな色をしていた。

 長い手足、薄い髪色、そして見覚えのある横顔にティアは「あっ」と声をあげる。

 レンが足をとめて、ティアを見た。


「知り合いか?」


「ニコニコノッポのフレデリクさん。背中に乗せて飛行魔術してくれたの。えーっと、入門試験の時に、わたしが置きっぱなしにした、レンとセビルの荷物を回収してくれた人!」


 ティアが手をパタパタ動かしながら説明すると、セビルが「ふむ」と呟き、しゃがんでフレデリクの顔を覗き込む。


「ならば、礼を言いたいところだが……寝ているな」


「具合が悪いって感じじゃないし。起こすのも悪くね?」


 ティア、レン、セビルの三人がしゃがんでフレデリクを囲っていると、第二の塔〈金の針〉の方から誰かが駆け寄ってきた。

 短い焦茶の髪に褐色の肌、三白眼の青年だ。


「あの、すみません……自分、討伐室のリカルド・アクスと言います。その人、うちの部屋の人なんで、連れて行きます。お騒がせしました」


 リカルドは目つきこそ鋭いが、礼儀正しい青年だった。

 彼は「フレデリクさん、長いから運びづらい……」とボヤキながら、寝ているフレデリクを背負う。

 なるほど、フレデリクは細身の長身なので、背が高いというか長いという印象があるのだ。実際、手足が長い。

 その時、フレデリクがわずかに唸った。眉間に皺が寄り、寝顔が苦しそうに歪んでいる。

 きっと覚醒が浅くなって、悪い夢でも見ているのだ。


「ピヨッ、ちょっと待って」


 ティアはリカルドを呼び止めると、背負われたフレデリクに顔を近づけた。

 そうして、小さな声で歌う。あの夜に歌ったのと同じ子守唄を。


 ──月が泣いてる夜だから

 ──今は静かにお眠りなさい

 ──おまえの代わりに流れた涙が、やがて大地を潤して、


 ──そうしてまた、朝が来る

 ──そうしてまた、明日が来る


 フレデリクの眉間の皺がなくなる。その寝顔は、少しだけ穏やかになったような気がした。

 リカルドが三白眼を丸くして、驚き顔でティアを見ている。


「よく眠れるおまじない!」


 ティアがそう言うと、リカルドは小さく会釈をする。

 三白眼でなんとなく怒って見える顔立ちの青年だが、空気が少し和らいだ気がした。


「この人、慢性的な寝不足なんで、そういうの嬉しいと思います…………それじゃ、失礼します」


 もう一度会釈をして、リカルドはその場を立ち去った。


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