【4】自称儚げ繊細美少年の提案
「あぁ、良かった。ボク、一人じゃ怖くってぇ……」
こちらに駆け寄ってきた少年は、色白で華奢でパッチリとした目の可愛らしい顔立ちをしていた。長い髪を結ばず背中に流しているのもあって、どこか少女めいて見える。
少年は体の前で指を組み、はにかみながら微笑んだ。
「ボク、地図を見るのが下手で、どっちに行けば良いか分からなくって困ってたんですぅ」
「そうかい、坊やも受験者か」
「はい」
やっと頼れる大人を見つけた子どもらしい安堵を滲ませて、少年が頷く。
その横顔をティアはじっと見つめた。ひたすらじっと、じぃーっと見た。
ティアの視線に気づいた少年は、「どうしたの?」と不思議そうな顔をする。
目をそらさない。その反応で、ティアは確信した。
(弱い生き物じゃない)
心の弱い生き物は、じっと見つめられると大概萎縮するか、目をそらす。
この少年は、気弱を装った気持ちが強い生き物だ。
ティアは少年に訊ねた。
「なんで、わたしの後をつけてたの?」
「えっ、なんのこと?」
「結構前から、わたしの後をつけてた」
ティアは割と耳が良い。なにより、少年の尾行はあまりにも素人のそれで、草や枝を踏む音がしっかりと聞こえていたのだ。
確信をもって問うティアに嘘は無駄だと察したのか、少年は頬を染めてモジモジと指をこねた。
「ごめんね、ボク、恥ずかしくって……でも、君とそこのオジサンが手を組むのを見て、慌てて飛び出してきちゃったんだ」
少年はティアに向けていた目を、今度はザイツに向けた。
少年の目は忙しなく動いているわけではないが、不思議と周囲をよく見ている。何か一つだけに注意が偏ることがないのだ。視野が広い。
「オジサン、ボクにも鍵の秘密を教えてください。お願いします」
「あ、あぁ、そうだね。じゃあ、まずは君の鍵を……」
「あっ、待って!」
少年は何かに気づいたような声で、ザイツの声を遮ると、キョロキョロと辺りを見回した。
そうして、口元に手を添えて小声で囁く。
「ここで話すのは危険かも……さっき、あっちの方に、怖い顔の受験者さんを見かけたんです。もしかしたら、ボク達の話に聞き耳を立ててるかも……」
「じゃあ、まずは一番近くにある×印のところに行こうよ」
ティアが提案すると、ザイツはどこかぎこちない態度で「あ、あぁ、そうだな」と頷いた。
少年が、ザイツが腰から下げている剣をチラッと見る。
「オジサンって、剣を持ってるけど、魔術も使えるんですかぁ?」
「そりゃあ、〈楔の塔〉を目指してるぐらいだからな。君達は使えるのかい?」
ティアは魔術など何一つ知らないので、元気に手を挙げて答えた。
「使えない!」
「ボクは、攻撃魔術ならちょっとだけ……」
ザイツは「ふむ」と呟き、顎を撫でた。
「それなら、私が先頭で進もう。君達は後ろからついてきてくれ」
「はぁい! オジサンの背中はボクが守りますね!」
三人はザイツを先頭に、その後ろをティアと少年が横に並ぶ形で歩きだした。
ザイツは地図が頭に入っているらしく、わざわざ地図を取り出したりはしない。
少年は横を歩くティアに、親しげに笑いかけた。
「ボクはレン。よろしくね!」
「わたしは、ティアだよ」
よろしくの握手をした方が良いのだろうか。
だが、握手とは歩きながらするものなのか。ティアが迷っていると、少年──レンが歩きながら右手を差し出した。
「ティア、握手しよっ」
握手とは、歩きながらしても良いらしい。
なるほどー、と感心しつつレンの手を握ると、レンはティアの手を強く掴み、引き寄せた。
ぴょえっ、と声をあげてよろめくティアの耳元で、レンが囁く。
「……逃げるぞ」
なんで? と聞き返そうとしたティアは気づいた。
前を歩くザイツが足を止め、振り返ってこちらを見ている。その顔に、先ほどまでの笑みはない。
ザイツが無表情のまま、腰から下げた剣に手を伸ばす。
「くそっ……走れ走れ!」
レンが叫び、ティアの手を引いて駆けだした。
それとほぼ同時に、ザイツも走りだす。
「ぴょえっ、なになになに? なんで走るの? なんでぇ?」
ペタペタ走りながら叫ぶティアに、レンは愛想笑いをかなぐり捨て、唾を飛ばして叫んだ。
「あのオッサン、お前から鍵を奪うつもりだったんだよ! 鍵に仕掛けがあるとか嘘言ってさ!」
「察しが良いな、坊主」
二人を追うザイツが、走りながら笑う。余裕の笑みだ。
子ども二人ぐらいどうとでもできると、その表情が雄弁に語っている。
レンは舌打ちをして、木々が密集している辺りを目指した。
「あの辺に隠れてやり過ごすぞっ」
二人は低木が密集している茂みに飛び込む。飛び込んだ先は急な坂になっていて、二人はもつれあったまま、ゴロゴロと坂を転がった。
「ピョェェ……」
「ぐぇっ……いってぇ……あぁ、くそっ!」
レンが足元の石を拾い、遠く離れた方に投げる。
ボチャン、と水の音がした。近くに池があるのだ。
ザイツの足音が、池の方に遠ざかっていく。
「今のうちだ。行くぞ」
レンは池とは反対方向に向かい、木々の陰に隠れながら忍び足で歩く。
どうしようかなー、と少し迷ったが、ティアはレンについていくことにした。
ティアの前を行くレンは、息を切らしていた。そんなに長く走ったわけではないが、足も少しふらついている。体力がないのだろう。
ティアは鈍足だが体力はあるので、元気に歩きながら話しかけた。
「レンは攻撃魔術が使えるんでしょ? 使わないの?」
「使えねーよ、魔術なんて」
「ピョエッ?」
パチパチと瞬きをするティアに、レンは乱れた息を整えながら肩を竦めた。
「お前だけじゃなくて、オレも魔術使えないって言ったら、あのオッサン、即座に襲いかかってきてたぜ。無力なガキ二人から鍵を奪うぐらい、造作ないだろうからな」
つまり、魔術を使えるという嘘は、ザイツに対する牽制だったらしい。
「ていうか、怪しいと思わなかったのかよ、あのオッサンの胡散臭い笑顔と猫撫で声!」
「えーと……」
ティアはレンの顔を凝視した。
「どっちもどっち?」
先ほどのレンの猫撫で声も大概である。
レンが「んだと、こら」と下唇を出して威嚇顔をしたので、ティアは正直に思ったことを言った。
「オジサンの方が、ちょっとだけ自然だったかも。年の功だね!」
「おい、よく見ろ、この愛らしい美少年フェイスを。胡散臭さとは無縁だろ?」
「えぇぇ……」
唸るティアに、レンがズイと詰め寄った。
艶やかな金髪、薔薇色の頬、長い睫毛に縁取られたパッチリとした目に、形のよい唇。
なるほど黙っていれば美少年だが、黙っていないのでほぼ台無しである。
「あのね、それよりも訊きたいんだけど……」
「オレの美少年っぷりの再確認より、大事なことってあるか?」
「なんであのオジサン、わたしの鍵が欲しかったんだろ。オジサンは自分の鍵を持ってたのに」
ティアの疑問に、レンは鼻白んだような顔をしたが、美少年云々の主張を引っ込め、辺りを見回した。
「それは……あー、丁度良いや。ほら、あれ。×印の地点だろ」
レンが前方にある石の塊を指差した。大きな石を複数重ねたそれは、どことなく人の手が入っているように見える。
近づくと、石の奥に金属製の箱が固定されているのが見えた。
箱の表面には丸い凹みがある。その凹みの模様を見て、ティアは気づいた。
「あ、これ鍵だ。鍵の模様」
ティアは服の中に手を突っ込み、鍵である木片を引っ張り出した。
扇形の木片は、四つ揃えれば綺麗な円になる。
「分かったろ。この鍵、全員同じ物だけど、四つで一つの鍵になるんだよ。だから、あのオッサンはオレ達から鍵を奪おうとしたわけ」
「受験者を四人集めて、力を合わせる、じゃ駄目なの?」
「お前、地図見た? ×印はいくつあった?」
「……あ! 三つ!」
鍵を開けるために四人で力を合わせても、〈楔の証〉は三つしかない──つまり、どうやっても揉める仕組みなのだ。
「だったら、なんでレンは、わたしを助けてくれたの?」
誰かと協力するのは難しい。これはそういう試験だ。
だけどレンは、ティアが鍵を奪われる前に一緒に逃げてくれた。
その理由が分からず困惑するティアを、レンはビシッと指さす。
「お前、一番最後に試験会場に到着したろ。ほら、おかっぱ眼鏡の上に転がり落ちてきてさ」
「うん」
「ってことは、仲間はいない可能性が高い。その上で、一番弱っちそうだったから、お前に声かけたの」
レンはキラキラの前髪をかきあげ、体を少し捻って角度をつけた。
そのポーズに何か意味はあるのだろうか。
「オレは武器なんて使えないし、魔術も使えない。あるのはこの絶世の愛され美少年フェイスだけだ」
レンがパッチーンと片目を瞑った。
ようやくティアは気づく。これは多分、美少年アピールなのだ。
「こんなか弱いオレが協力を申し出たら、そいつらに襲われちゃうだろ。だってほら、こんなに儚げ繊細美少年だし」
美少年はさておき、その言動は儚げや繊細とは真逆である。
自称儚げ繊細美少年は、大変に太々しい態度でティアに宣言した。
「だから、オレより弱い奴と組むしかなかったんだよ。で、オレが見た中で一番組みやすそうだったのが、お前」
「わたし、弱そう?」
「弱そうっつーか、アホそう。なんか、こっちが騙される心配なさそうで安心するぜ。あ、今の褒めてるからな」
「褒められた!」
褒められるのは嬉しいことだ。
ニコニコするティアに、レンがニヤッと笑って右手を差し出す。
「ってことだから、オレと手を組もうぜ。お前だって、一人で鍵集めんのは無理があんだろ」
「んー……」
ティアは難しいことを考えたり、駆け引きをするのが苦手だ。
だから、頭の良いレンがいると、とても助かる。
「分かった。レンは頭が良いから、協力する」
「まずは美少年なところを褒めろよ。まぁ、オレの頭が良いのは事実だけど」
ティアがレンの手を握ると、レンも満更でもないような顔でその手を握り返した。