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【15】ポッポポッポポー、ポッポポッポポー(みんなー、集まれー)

〈水晶領域〉を出た二体の魔物は、しばし南下を続けた。

 金髪の男の姿をした、華やかな服のジル。

 銀髪の少年の姿をした、ツララの垂れた服のジャック。

 彼らは人あらざる速度で森を駆け抜けていたが、ふとジルの方が足を止め、近くの木にフラリともたれかかった。


「ジャック……もう駄目……俺はここまでみたい……はうっ」


 最後の「はうっ」は大変にわざとらしかったが、ジャックは心配そうにジルを見上げる。


「ジル、今にも死に絶えそう……」


「もうね、靴が汚れてやる気が出ない。ピカピカの靴じゃなきゃ嫌」


「山歩きしたのが全ての間違いだったね。飛べば良かったかしら」


「あとねぇ、これ……」


 ジルはハァハァと苦しげな呼吸を繰り返しながら、己のシャツのボタンを外し、その胸元を曝け出した。

 ほぼ完璧に近い形で人間に擬態した体──その胸の中心には菱形の水晶が埋め込まれている。

〈水晶領域〉を離れるために、魔物の力を抑えるための道具、〈水晶鋲〉と呼ばれるそれは、その名の通り水晶で出来た鋲だ。

 菱形の水晶の裏側には数本の棘があり、それを肌にブスリと刺しているのである。

 ジルは胸元を大きく肌けたまま、悲嘆に暮れた。


「この〈水晶鋲〉のつけ心地、最悪ぅ〜。地味に痛いし、魔力ジワジワ吸われるしぃ。なんでもっと快適な装着感にしてくれないかなぁ!? あのクソ無能宰相!」


「ジルは特に力が強いもんね。相当吸われてるでしょ?」


「そうなのそうなの。あぁん、俺の力が強すぎたばかりに!」


 嘆くジルの胸元で、ピシリと乾いた音がした。

 二人はギョッと音の出所を見る。ジルの胸に刺さった〈水晶鋲〉にヒビが入っているではないか。


「これ壊れるの時間の問題じゃぁ〜ん。もうやだぁ〜、俺〈水晶領域〉に帰るぅ!」


 ジルはヨヨヨと悲しげに泣き真似をしながら、ドレスシャツのボタンを留める。そうして人里の方角を名残惜しげに眺めた。


「はぁん……人間ちゃんとのお遊びは、お預けかぁ。ジャックはどうする? 俺と一緒に帰る?」


「ボクはまだ大丈夫みたい。夏が終わったばかりで力が弱い時期だから、負担が少ないのかも」


「あぁ、お前の本領発揮は冬だものねぇ」


 うん、と頷き、ジャックは踊るようにその場をクルクル回った。

 クルクル、クルクル、と少年の体が回る度に、ツララの垂れた袖が揺れ、氷の粒がキラキラと当たりに飛び散る。

 ジャックは回るのをやめて、何かを思いついたような顔で呟いた。


「そうだ、ボクね、〈水晶鋲〉の予備を持ち出してきたの」


「あらま、手癖が悪いのね。俺、悪い子だぁい好きよ?」


「折角だから、これを魔獣に使ってみようか」


 ジャックは無邪気に微笑み、袖の中から三つの〈水晶鋲〉を取り出した。



 * * *



〈楔の塔〉を発ったティア達が、のんびりと一〜二時間ほど歩いたところで、目的の森に辿り着いた。

 この辺りは、ティア達が入門試験を受けた森の更に南の方だ。

 入門試験で試験官だったレームが「危ないと思ったら南へ逃げなさい」と言っていた、まさにその南のあたりである。

 調査室の魔術師達は、皆大きな荷物を背負っている。彼らはそこから地図や記録用紙、それと見慣れぬ道具を取り出した。

 手のひらにのるぐらいの大きさの丸い小さな時計に、棒をつけたような道具だ。棒の先端は少しだけ尖っている。

 ティアはペタペタと近づき、それを観察した。


「オジサン、それ時計? 時間測るやつ?」


「いいや、これが魔力濃度計だよ。こうして地面に刺して使うんだ」


 調査室の魔術師がそれを地面に刺すと、時計に似た部分の針がゆっくりと動きだす。その針が止まった位置のメモリを見ることで、この土地の魔力濃度が分かるらしい。


(人間って……魔力濃度の違いが、感覚で分からないんだ)


 魔物は魔力がないと生きられない、魔法生物だ。そのため、魔力濃度の変化に敏感である。

 魔力濃度の濃いところは心地良いし、薄いと息苦しい。


(この辺りの魔力濃度は、〈楔の塔〉と同じぐらいかな)


〈楔の塔〉もそうだが、この辺りの魔力濃度は、人間にとってはやや濃いめ──ギリギリ生活ができる濃さで、魔物にとってはかなり薄め、という程度だ。

 この辺りまで、魔物が来ることはまずないだろう──と、今まさにこの場にいる魔物のティアは考える。

 ティアは特殊な例なのだ。同じ境遇の魔物が他にいるとは思えない。

 レンとセビルは、調査室の魔術師達に混ざって、魔力濃度計の変化と地図の数字を見比べていた。二人とも魔力濃度調査に興味津々のようだ。守護室のオットーは少し離れた場所で、それを見守っている。


「お前は、こういうのに興味ないのか?」


 ティアに声をかけたのはヒュッターだ。ティアはうーんと唸った。


「興味がないっていうか……えっと、なんでこんなに細かいことをするんだろうって、不思議に思ったの」


「お、いいぞ」


 ティアは困惑した。何が「いいぞ」なのか分からなかったからだ。

 じぃっと見上げるティアに、ヒュッターは腕組みをして言う。


「そうやって『なんで?』って疑問に思うのは良いことだ。次は『なんで?』の答えを考えてみろ。なんで、こんな細かいことをする必要があると思う?」


「えぇと……数字が好きだから?」


 人間は数字が大好きだ。ティアが「いっぱい」「たくさん」で済ませることも、きちんと数字にして記録に残したがる。


「好きっていうより、便利だからだな。数字だと、情報を確実に共有しやすい。たとえば、この土地の魔力濃度がすげー濃いとするだろ。人が生きられないぐらいだ」


「それは大変!」


「あぁ、大変だな? だから、気づいた奴はみんなに知らせるわけだ。『この土地は魔力濃度が濃いから危険ですよ!』……でも、それだと、ちょっと濃いぐらいなら平気だろ、って考えるやつも出てくる」


「さらに大変!」


「そこで具体的な数字を示してやるんだ。『魔力濃度がこの数字だと人は死ぬ。今その数字を超えてる』ってな。それなら、どれぐらい大変かが分かるだろう?」


 正確な情報の共有。それは確かに、群れの生存率を上げてくれる……気がする。

 ハルピュイアは同族間だと、歌声のトーンで危機感等の感情を細かく伝えられるが、人間はそういった能力がない。だから、数字を使って情報を共有するのだ。


「更に言うなら、具体的な数字を示すと、お偉いさんを動かしやすくなる。『これは過去にない数字です。支援してください、金くれ』って感じにな」


「ほぁぁあ……」


 ふと、初めて時計の読み方を教えてもらった時のことを思い出した。

 ハルピュイアのティアは、時計も魔力濃度計も必要としない。

 時間なんて空を見ていれば大体分かるし、魔力濃度も肌感覚でなんとなく分かる。

 だけど、ハルピュイアに戻れる飴を貰った時、初めて時計が必要になった。

 ティアは無意識にポケットに触れる。

 ハルピュイアの姿になるための飴は、念の為に手のひらサイズの小瓶に移して、五粒だけ持ってきている。

 戻れる時間は一粒で五分。

 その五分を体で覚えるために、ティアは生まれて初めて時計を必要としたのだ。


「そっか、うん……『なんで?』の答え、分かった」


 ティアは納得し、フンフン頷く。

 すると、ヒュッターはパンと両手を打ち鳴らした。


「はい、そこで納得して終わらない」


「ピョエッ!?」


「今のは俺が提示した答えの一例にすぎない。『なんで?』に対する答えは幾つもあったりするから、他の答えを探すことをやめるなよ」


「ピョエェェ……」


 一つ答えを見つければ、それでティアは満足なのに、ヒュッターは考えることをやめるな、と言う。

 ティアがペフゥペフゥ……と不満の声を漏らすと、ヒュッターが肩をすくめた。


「俺が嘘言ったり、間違ったことを言う可能性だってあるだろ? 特にお前は、レンやセビルがいると、二人に考える作業を任せがちだからな。ちゃんと自分でも頭使え」


「ペフゥ……ガンバル……」


 なら良し、と頷き、ヒュッターはソワソワと辺りを見回した。


「あー、俺、ちょっとお花摘みに行ってくるわ」


「先生、お花が好きなの?」


 ティアが訊ねると、レンが「馬鹿、トイレだよ、トイレ」とティアの脇をつつく。

 ヒュッターは、指二本を顔の前に掲げるカッコイイ手羽先のポーズをして、キメ顔で言った。


「おう、デカい花摘んでくるから、遅くても心配すんな。オットーさーん! ちょっと離れるんで、こいつらお願いしまーす」


 それだけ言って、ヒュッターは木々が茂る方へ走って行ってしまった。



 * * *



 森の奥へ走り、充分に距離を取ったところで、ヒュッターはキョロキョロと辺りを見回した。

 今回、彼がこの課外授業を提案したのには理由があるのだ。


「おーい、ポッポー三号、いるかー?」


 ポッポー三号。それは、ヒュッターが手品で使う鳩である。

 鳩は全部で五羽。一号から五号までをまとめて、ポッポーズと呼ぶ。

 そのポッポーズの三号が、数日前から戻ってこなくなってしまったのだ。

〈楔の塔〉の魔術師は、外出を禁じられているわけではないので、外に探しに行っても良いのだが、門番がいる城壁を通る必要がある。あまり頻繁に外出を繰り返していると、怪しまれかねない。

 ヒュッターの正体は、黒獅子皇の手先の詐欺師〈煙狐〉──不審に思われるような言動は、できるだけ避けたい。

 そこで、自然に外出できるよう、課外授業の提案をしたというわけだ。


(とは言え、これで見つからなけりゃ、厳しいかもなぁ……あ〜〜〜、手懐けるのに苦労したのになぁ〜〜〜)


 森の奥からは、クルルッポー、クルルッポー、という鳩の鳴き声が聞こえる……が、それがポッポー三号のものかまでは分からない。

 とりあえずヒュッターは、ポッポー三号の好きな餌を手のひらにのせて、唇を尖らせた。


「ポッポポッポポー! ポッポポッポポー!」


 大変マヌケだが、これがポッポーズを呼ぶ時の掛け声なのである。

 ヒュッターは餌を片手に、鳩の鳴き真似を延々と繰り返した。


「ポッポポッポポー! ポッポポッポポー!」


 早く帰ってこい、ポッポー三号。俺の心が折れる前に! とヒュッターは切実に願った。

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