【14】魔物と魔導具
調査室の魔力濃度調査に同行すべく、ヒュッター教室の四人が調査室の魔術師三人と正門を出たところで、門番の一人が「あのー、すみません」とヒュッターに声をかけた。
パサパサした短い茶髪の、頬のこけた中年男性だ。皮の軽鎧を身につけて、腰に剣を下げている。
帯剣しているのはセビルも同じだが、中年男は覇気はおろか剣士特有の鋭さもない。瞼が重く眠たげな目をしていて、くたびれた犬のような雰囲気がある。
どこかで見たような気がする、とティアは密かに記憶を辿った。
「課外授業をされるヒュッター先生ですよね。守護室のオットーと申します」
ティアは人の顔を覚えるより、声を覚える方が得意だ。だから今も声を聞いて思い出した。
入門試験の日、集合場所を間違えて〈楔の塔〉に来てしまったティアに、正しい場所を教えてくれた門番のおじさんだ。
「集合場所を教えてくれたおじさん! あの時はありがとう!」
「あぁ、時間ギリギリだった子か。合格できて良かったねぇ」
オットーはティアにヘラリと笑って、それからヒュッターと調査室の魔術師達の方に向き直る。
「えー、今回はですね、皆さんに同行するよう上の方から言われておりまして……」
オットーが腰の低い態度で言うと、何故かヒュッターが気まずそうな顔をした。
「あ〜〜〜、はいはい、なるほどそういう…………なんかすみませんね」
そう言ってヒュッターは、チラチラとセビルを見る。
なんでセビルを見るのだろう? ティアが不思議に思っていると、レンが小声で教えてくれた。
「皇妹殿下が外出するのに、全く護衛をつけないのもまずいから、上が慌てて寄越したんだろ」
「不要な気遣いだ。次はいらぬと、上に直談判しよう」
セビルは不満そうだが、オットーの同行を断ることはしなかった。護衛一人ぐらいなら多めに見る、ということらしい。
守護室は第二の塔〈金の針〉所属の部屋の一つで、主に塔の防衛任務を主としている。塔内で魔術師同士の争いがあった時に駆り出されるのも守護室だ。
どちらかと言うと対人戦闘の方が得意で、護衛・防衛任務を主とするのが守護室。
魔物との戦闘や遠征を主とするのが討伐室だ。
「今回は、護衛が守護室から派遣されてきたろ? ってことは、調査範囲に魔物が出る可能性は低いんだろうな」
「なるほど! レンは頭がいい!」
「おうよ、しかも顔も良いんだぜ」
素直に感心するティアに、レンがパチンとウィンクをする。
調査室の魔術師達は早速地図を広げ、護衛役のオットーに今日の調査先について説明を始めた。
「今日は入門試験に使った森より、更に南の方の魔力濃度調査をします。あの辺に魔獣が来ることはまずないのですが、念のため」
「はぁ、あの辺ですか。なら、まぁ、滅多なことはないでしょうねぇ」
調査室の魔術師の説明に、オットーが相槌を打つ。
そのやりとりを聞いていたセビルが、腕組みをして訊ねた。
「魔獣と魔物は、具体的に何が違うのだ?」
「あー、まだ共通授業で習ってませんか。最初の内は覚えること多くて、大変ですからねぇ」
オットーがのんびりした口調で言う。
彼はセビルに対して、極度にへりくだったりはしない。誰に対しても眉尻を下げて、どこか困ったような顔で、頼りない喋り方をする。常に覇気に満ちているセビルとは真逆だ。
「魔物ってぇのは、上位種と下位種に分けることができるんですよ。上位種は魔族とか悪魔って呼ばれてる連中で、寿命が極めて長いが、繁殖力がない。あと、かなり完璧に人間に擬態できるのも大体上位種ですね」
そういう魔物をティアは知っている。
オットーの言う上位種の魔物とは、とても強くて恐ろしい生き物だ。そして数が少ない。
「でもって下位種は、寿命は長くはないが繁殖力がある。その中の獣っぽいやつが魔獣です。人狼とかがそうですね。あとはまぁ、鳥っぽいのとか、爬虫類っぽいの、魚っぽいの、色々いるんですが、そのへんは完璧には人間に擬態できません」
ティアは密かに、なるほどーと相槌を打った。
ティアは自分が魔物でハルピュイアであることは自覚していたが、細かな分類まではよく分かっていなかったのである。
(つまり、下位種の鳥っぽいのがハルピュイアなんだ)
ティアは今でこそ、完璧に人間に擬態できているが、それはハルピュイアとしての能力ではない。第三者の力を借りているのだ。だから、上位種ではない。
ティアの考える魔物の分類は概ね、強い魔物と強くない魔物の二種類である。そしてハルピュイアはあまり強くない魔物の分類だ。
本当に強い魔物は〈水晶領域〉の奥から出られない。強い魔物は魔力濃度の濃い土地でないと生きられないからだ。
オットーがのんびり続ける。
「力の弱い下位種の魔物だと、〈水晶領域〉を離れてもしばらく生きられるんで、時々見かけますねぇ……面倒なのは、下位種の中にたまに現れる、強い個体です。変異種なんて呼んだりもするんですが。魔力濃度が低い土地でもある程度活動ができて、かつ上位種並に強い……厄介な存在です」
セビルとレンの表情が険しくなったのを見て、オットーは喋りすぎたという顔をする。
彼は弱気に眉を下げ、ヘラリと笑った。
「ただまぁ、試験会場の森より南に、魔物が出没したことはないんで、大丈夫ですよ。だから今は、魔物の心配より寒さの心配をしましょうや」
そう言ってオットーは、ティアを見た。
(なんでわたしを見るんだろう……あ、魔物と疑われてるっ!?)
「この辺りは寒冷地なんで、日が暮れるとそれなりに冷え込む。お嬢さんは、その格好で寒くないのかい?」
ティアは改めて自分の格好を見下ろした。
簡素なシャツに膝上のゆったりしたズボン。いつも通りの格好だ。
ティアはレンとセビルを見た。
レンはしっかりと外出用の上着を羽織っていた。他の服同様、上着もサイズがあっていなくてブカブカだが、暖かそうだ。
セビルは元々、しっかりした作りの上着を着ているから、寒そうという印象はない。
「わたし、寒くないよ! 全然平気!」
これは本当だ。〈水晶領域〉も首折り渓谷も、〈楔の塔〉より北にあって、一年中気温が低い。そんな〈水晶領域〉周辺で生き残った魔物達は、大抵寒さに強いのだ。ハルピュイアも例外ではない。
ティアは今でこそ人の姿をしているが、これは人の皮をかぶっているようなもので、中身は殆どハルピュイアのままだ。だから体力があるし、頑丈で寒さに強い。
(羽を出せたら、もっと暖かいだろうな)
ハルピュイアの羽は水に強く、ふんわりと暖かい自慢の羽だ。仲間同士で羽を寄せ合うと、とても幸せになれる。
姉達のフワフワの羽を思い出していると、ヒュッターが大真面目に言った。
「いいか、お前ら。寒くても平気なのが格好良いのは十歳までだ。格好つけず上着は着とけ。冷えは腰にくるからな…………ある日突然、な」
ローブの中に何枚も着込んでいるヒュッターの言葉は、最後の呟きがやけに切実であった。
人間の振りをするのなら、もう少しちゃんと着込んだ方が良かっただろうか。反省するティアの肩を、セビルが叩く。
「ティア。寒くなったら、これを貸してやろう」
セビルは上着の内ポケットから取り出した何かをティアに見せた。赤い蝶々を模したブローチだ。
蝶の羽は半透明で、鉱石を薄く削り出したようにも見えるが、よくよく観察すると違う。
レンがブローチをまじまじと眺めて言った。
「もしかしてこれって、火竜の鱗か? めちゃくちゃ貴重なやつじゃん」
「いかにもその通り。火竜の鱗を加工した魔導具だ。魔力を流し込むと、微かに熱を帯びて温かくなるのだ。良いだろう」
感心したような顔をしていたレンが、何かに気づいたような顔をした。
「いや、でもそれって……ブローチとして服の外につけるより、ポケットに入れてた方が暖かいよな?」
「まぁ、そうだな。だから、こうして懐に入れていたのだ」
あっさり頷くセビルに、レンが半眼で突っ込む。
「馬鹿の所業じゃん。なんでブローチにしたんだよ」
「仕方あるまい。この時はブローチが欲しい気分だったのだ」
堂々と開き直るセビルに、悪びれる様子はない。
レンもそれより、魔導具に対する物珍しさが勝ったのか、セビルにブローチを借りて、まじまじと観察している。
ティアもブローチを観察した。魔導具は魔力を流して使うものだが、ティアの目にはとても頼りなく見える。
魔力量の少ない人間が使う分には良いが、魔物が魔力を流したら、あっさり壊れてしまいそうだ。
(ハルピュイアが魔力流したら、ボーン! ってしそう……でも、今のわたしは魔力量も抑えてもらってるから大丈夫…………かな?)
ティアはふと、先ほどヒュッターが出題した魔導具に関する問題の解答を思い出した。
魔導具とは何か? という問いに対する、セビルの答えは実に簡潔だ。
「ねぇ、セビル。そのブローチも兵器なの?」
「お前、さっきの説明聞いてたのかよ? これは暖を取る道具で……」
呆れ顔のレンが全てを言い終えるより早く、セビルが得意気に頷く。
「うむ! このブローチは大量の魔力を流し込むと、火球を放つのだ!」
レンが「ギャッ!」と叫んで、手の中のブローチをセビルに返した。