【13】水晶領域の魔物達
それは異形の森だった。
森を構成する木々は幹から枝葉に至るまで全てが水晶で出来ており、地表も霜がおりたかのように薄い水晶で覆われている。
水晶はほんの僅かに虹の煌めきを内包していて、光の加減で色味を変えてキラキラと輝く。ため息をつくほど美しい光景だ。
だが、そこには本来森にあるべき生命の息吹がない。朽ちゆく葉も、新しく芽吹く若葉もない、時間の止まった水晶の森──それが〈水晶領域〉だ。
この森が生命力を感じさせないのは、動物の類がいないことも理由の一つだった。
〈水晶領域〉は異常に魔力濃度が高く、耐性のない生き物は長く生きられないのだ。
そんな水晶の森を、外に向かって歩く二つの人影があった。
一つは金髪の美しい男。シルクのドレスシャツに小洒落た服を着て、夜の色をしたマントを羽織っている。整った顔に浮かぶのは、優しさと軽薄さが入り混じった甘い微笑だ。
もう一つの人影は、銀髪の小柄な少年。こちらは簡素なつくりの白い貫頭衣を着ている。その服の裾からは、細いツララが垂れていた。
彼らは人ではない。限りなく人に近い姿をした魔物だ。
魔物達が足を進める度に、足元の水晶が霜のようにパキパキと音を立てて砕ける。されど、魔物達は特に気にしなかった。この〈水晶領域〉では砕けた水晶がすぐに再生するのだ。
朽ちて枯れることもなく、新たな若葉が芽吹くこともなく、水晶の森は常に同じ形を保ち続ける。
だが、魔物達が外に進み、〈水晶領域〉の中心から離れるほど、水晶が減っていく。
水晶だけの木が、木々に水晶が張りついたような様相へ。そして周囲の水晶が減っていくほど、魔力濃度も薄くなっていった。
〈水晶領域〉とそうでない土地とは、くっきりと境目があるわけではなく、普通の土地に水晶が入り混じった緩衝地帯がある。
そこを彼らは境界の領域と呼ぶ。魔物の領域と、人の領域の入り混じる土地だ。ただ、ここはまだ〈水晶領域〉の影響が色濃い。
更に少し歩き、周囲の水晶がだいぶ減ってきたところで、美しい男の姿をした金髪の魔物が、己の胸元に手を当てて呟いた。
「へぇ、いつもなら感じる苦しさと虚脱感がない。お前はどう、ジャック?」
「ボクも苦しくないよ、ジル」
銀髪の少年の姿をした魔物、ジャックがあどけなく微笑む。
金髪の魔物ジルは芝居がかった仕草で、片手を前に差し伸べた。
彼は自分の立ち姿を指先から爪先まで意識しているような、そういう振る舞いを好むのだ。
「いいね、ならば今日を記念日としよう。俺達が、堂々と〈水晶領域〉を越えたという記念日さ!」
「ふふ、記念って素敵だね。ボク達の日常はあまりにも変わり映えがしないから、それはとっても素敵」
「でしょでしょ? とは言え……」
ジルは、ふぅっと憂いの滲むため息をつき、自身のすぐ横にある木の幹に手を添える。
メキメキと音がして、白い手袋をした手が木の一部を抉るように毟った。
毟り取った木片を地面に捨てて、ジルは大袈裟に悲しむ。
「はぁ、非力すぎてビックリ〜……」
力の強い魔物ほど、魔力濃度の濃い土地でないと生きられない。
彼らが〈水晶領域〉を長時間離れるには、力を制限する枷が必要だった。
「やっぱ、〈水晶鋲〉を穿つと、相当弱体化するのね……日差しの下にいるから余計に……あぁん、肌荒れしちゃう。生き血が欲しい……」
「人間を調達しに行く?」
「う〜ん、宰相に今は目立つなと言われてるけどぉ〜……」
ジルは物憂げに俯き、葛藤するような素振りから一点、胸を張って力強い声で言い放つ。
「俺……あいつが大ッッッ嫌いなんだよね!」
ジャックが両手を叩いて、子どものようにキャッキャとはしゃいだ。
「わぁ、奇遇。ボクもなの。あいつのことは氷漬けにしてやりたいけれど……王様が駄目って言うから我慢してるだけだもの」
「〈水晶鋲〉を作ったから、生かしてやってるけど、そうでなかったらとっくに八つ裂きでしょ。あんな、まっずい血の男」
「吸ったの?」
「ゲロ味だった」
「わぁ〜」
魔物達は顔を見合わせ、ニヤリと笑う。まるでイタズラを企む子どものように。
金髪の魔物ジルは、人里の方に向かって投げキスをした。
「それじゃ早速、人間の調達、行ってみようか! 愛してるよ〜、人間。チュッチュッ」
「行ってみよう、行ってみよう。抱きしめるなら、死にかけの老人より子どもがいいな。だって、子どもって温かいんだもの」
「俺も。生き血を啜るなら老人より生娘がいいよね〜……だってさぁ、『吸血鬼は処女の生き血を好む』って決めたのは、他でもない人間だもの」
金髪の魔物ジルは、足を止めて振り返り、その真紅の目に水晶の森を映す。
時間の止まった美しい森、〈水晶領域〉は生き残った魔物達にとって最後の砦だ。
(だが、最後の楽園ではない。断じて)
あんな狭くて窮屈なところが、楽園であって良いはずがない。
だってあそこには、人間がいない。魔物達が愛し、依存し、執着する人間が。
──魔物は、人間がいないと存在できない。
だからこそ、魔物は人間に滅ぼされ、それでも人間を求め続けるのだ。最期の時まで。
「──我らは深淵の申し子。人の業より生まれし者。故に人を求めずにはいられない。望めば朽ちよ、望めば果てよ。最後の一人になろうとも。最後の一人になろうとも……」
魔物の渇望を訴えるその歌は、魔物ではなく人間が作ったものだ。
魔物を憐れむ人間を、その歌を作る芸術性を、ジルは心から愛している。
芸術は、創造は、魔物にはない人間の至宝だ。それがジルは欲しい。
美貌の青年の姿をした魔物は、上機嫌に歌いながら歩きだす。
「最後の一人になろうとも。最後の一人になろうとも……」
なお、ジルは結構な音痴であったが、ジャックは慣れているので何も言わなかった。
* * *
課外学習当日の昼。午前の共同授業を終えたティア達は、食堂で昼食を食べた後、〈楔の塔〉の正門前に集合した。
秋晴れの空はポカポカと心地の良い陽気で、ついつい歌いたくなるが、ティアはその度に己の口をパッと塞いで、歌うのを我慢する。
(今日のわたしは歌わない……我慢我慢……)
これから同行する調査室の魔術師達は、魔物の痕跡を調査する人達なのだ。言動次第では、ティアの正体を見抜かれてしまうかもしれない。
しきりに口を塞ぐティアに、レンが不思議そうな顔をした。
「ティア、調子が悪いのか? なんか今日は、ピヨってないよな」
セビルも腕組みをして頷く。
「うむ。今日はまだ、一ピヨップもしていないではないか」
無意識に喉がピロロロロ……と鳴りそうになったので、ティアは口を押さえたまま人語を発する。
「ソンナコトナイヨ!」
三人の引率であるヒュッターが、半眼でボソリと呟いた。
「……『ピヨる』とか『一ピヨップ』とかが当たり前に通じる空間って、なんだろうな……?」
正門前には、既に調査室の魔術師が三人ほど集まっている。三人とも三、四十代の男性で、全員動きやすそうな服を着て、背中に荷物袋を背負っていた。
ティアと同じことを考えていたのか、レンがボソリと呟く。
「なんかこうして見ると、魔術師集団には見えないよな。誰も杖持ってねーし」
確かに、この場でローブを着ているのはヒュッターだけだ。
そのヒュッターが、もっともらしい口調で言った。
「杖は魔力操作を補助する魔導具の一種だ…………はい、魔導具とは何か? 答えられる奴!」
午前中の授業のおさらいだ。ティア、レン、セビルは同時に答えた。
「魔力で動くすごい道具!」
「魔術式を刻んで正しく魔力を導くことで、何らかの効果を発動する道具!」
「兵器だ!」
「ティア七十点、レン百点、セビル五点!」
ヒュッターは早口で採点し、眼鏡を持ち上げて言葉を続ける。
「魔力操作を補助する魔導具は、棒状の物が一番安定しやすいんだ。特に肘から指先ぐらいの長さが一番安定して使いやすい」
だから、初心者向けの杖はそれぐらいの長さにすることが多いらしい。
そのうち、魔力操作の訓練が始まったら、ティア達も使うことになるかもしれない。
「だがな、魔力操作が上手い奴は杖がなくても魔術が使えるから、必須ってほどでもない……つまり、ここにいる調査室の方々は、皆、魔力操作が上手ってことだ」
調査室のおじさん達が、照れくさそうな顔をする。
ティアは気づいた。ヒュッターも杖を持っていない。
「つまり、ヒュッター先生も、魔力操作が上手!」
ティアの言葉に、ヒュッターはフッと小さく笑った。余裕の笑みだ。やはりヒュッターは魔力操作など余裕なのだ。
「魔力操作の上手い奴に杖はいらない……だが、長い杖は少し別だな」
「長い杖は、何か違うの?」
ティアは絵本の中の魔術師を思い出す。長い杖を持っていた、気がする。
「長い杖は上級者向きアイテムってとこだな。扱いが難しくなるが、その分、特殊効果を盛りやすかったり、魔力の増幅や微調整が可能になったりするんだ。だから、長い杖を持ってる魔術師がいたら上級者と思っとけ。ちなみに隣のリディル王国だと、魔術師の格ごとに杖の長さが違うって明確に定められている」
ヒュッターの豆知識に、ティアは想像した。
お隣の国だと、すごい魔術師は長い杖を持つものらしい。
(どれぐらい長いんだろ? 天井に届くぐらいかな?)
ティアは天井に届くぐらい長い杖を持つ魔術師を想像してみた。とても邪魔そうだ。
隣の国の偉い魔術師は、杖が長くて大変。とティアは記憶に刻んだ。
「ヒュッター先生すごいね。物知り!」
「まぁ、魔術師組合に所属してれば、これぐらいは自然と……な?」
ヒュッターが右手の指を二本立て、ピッと顔の辺りに持ち上げてポーズを決める。
手羽先を強調する格好良いポーズだ。いつか真似しようとティアは決めた。