【3】第一の塔〈白煙〉
夏の中頃、〈楔の塔〉を訪れた三流詐欺師の〈煙狐〉もといカスパー・ヒュッターは、荷物を置いた後で、塔の会議室に案内された。
〈楔の塔〉は複数の建物で構成されており、それらが城塞でグルリと囲まれている。
城門のある南側から見て、一番手前が第二の塔〈金の針〉、中心が第一の塔〈白煙〉、そして最奥が第三の塔〈水泡〉だ。あとは左右に宿舎として使われている建物や、物置小屋や用途の分からない小さな塔などが幾つかある。
(いやしかし、手前から、第二、第一、第三の塔って分かりづらいな。いかにも増築重ねた建物って感じだ……)
ただ、この配置にもそれなりに意味はあるらしい。
一番手前にある第二の塔は主に戦闘任務を担う者が詰める場所。
中心にある第一の塔は塔の中枢、いわば司令塔。
そして最奥の第三の塔は蔵書や魔導具などを保管しているのだ。
戦闘任務を担う者が迅速に出入りできるように。貴重な蔵書や魔導具は奥に隠すように──という役割を思えば、まぁ納得の配置であった。
「これから、ヒュッターさんは私と同じ、第一の塔〈白煙〉の指導室所属になります」
そう説明してくれたのは、アンネリーゼ・レームという二十代の娘だ。フワフワした茶髪で、前髪が短いので少し幼く見える。
親切な娘で、ヒュッターがあれこれ訊ねると、〈楔の塔〉について分かりやすく教えてくれた。
「〈楔の塔〉の組織について、簡単に説明しますね。〈楔の塔〉には頂点に立つ首座塔主と、首座塔主補佐。それと、三人の塔主がいます。この五人が〈楔の塔〉の責任者ですね」
「それぞれの塔には、部署というか『室』があるんでしたっけ?」
「えぇ、そうです。全部で十の『室』があります。正確には医務室だけ分室が二つあるんですが」
第一の塔〈白煙〉は〈楔の塔〉の中枢。
所属は、総務室、財務室、指導室、医務室(第二分室)。
第二の塔〈金の針〉は戦闘任務を担っている。
所属は、護衛室、討伐室、調査室、医務室(本室)。
第三の塔〈水泡〉は蔵書や魔導具、また〈楔の塔〉そのものの管理や整備を担っている。
所属は、整備室、管理室、蔵書室、医務室(第一分室)。
──というレームの説明を、ヒュッターは全て頭に叩き込もうとした。やめた。こんなの一回で覚えられるはずがない。
とりあえず今は、自分が「第一の塔〈白煙〉指導室所属」になることだけ覚えておけばいいだろう。
何故、塔の名前が〈白煙〉なのかは分からないが、彼はその名前が気に入った。彼の通り名が〈煙狐〉だから、煙繋がりで親近感を覚えたのだ。
「〈楔の塔〉では、魔術師組合をはじめ、外部組織との連絡や対応をしているのが、第一の塔〈白煙〉の総務室なんです。ヒュッターさんは魔術師組合の方ですから、総務室の者と会ったことがあるかもしれませんね」
「どうでしょう。自分はあまり、魔術師組合には顔を出さないので」
「まぁ、そうなんですか」
「やはり、魔術師の本分は魔術の研究ですから」
知的な顔で眼鏡をクイと持ち上げつつ、ヒュッターは内心冷や汗をかいていた。
彼は魔術師組合の内情なんて知らないのだ。色々と突っ込まれたらマズイ。
「そういえば、ヒュッターさんは幻術がお得意なんですよね?」
本物のカスパー・ヒュッターは幻術を専門とした魔術師であったという。
幻術は使い手の少ない貴重な魔術だ。だからこそ、彼は一般的な魔術に関する質問をされたら「すみません、私の専門は幻術なので……」で乗り切るつもりでいた。
「えぇ、そうですね。〈夢幻の魔術師〉と呼ばれているくらいですから……いやもうほんと、自分は幻術一筋の幻術馬鹿でして」
だから一般的な魔術に関する質問はするなよ! お願い! と彼は願った。
レームはニッコリ微笑み、ヒュッターを見上げた。
「後で幻術について色々聞かせてください! 〈楔の塔〉は幻術の専門家が少ないので、とても興味深いです!」
「…………」
そうだった。ここはありとあらゆる魔術が集う〈楔の塔〉。
ここの魔術師達は、魔術一筋の魔術馬鹿なのだ。
これはもうなんとかして、自分は人付き合いが苦手ですよ、という雰囲気に持ち込まなくては。
だが、ヒュッターが言い訳を思いつくより早く、レームが足を止めた。会議室に着いたのだ。
レームが扉をノックする。
「指導室のレームです。〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッター様をお連れいたしました」
「どうぞ」
中から聞こえたのは、それなりに年齢のいった女の声だ。
レームが扉を開ける。
落ち着いた内装の会議室には長机が並んでおり、そこに十人以上の人物が着席していた。
〈楔の塔〉の魔術師達はローブを身につけている者もいれば、動きやすそうな服やマントを身につけている者もいる。
魔法大学や魔術師組合では皆お揃いのローブを着ているものだが、〈楔の塔〉は帝国中の魔術を集めただけあって、そういった様式は自由なのだろう。
「遠いところ、ようこそお越しくださいました。〈夢幻の魔術師〉カスパー・ヒュッターさん」
口を開いたのは最奥に座る、六十歳過ぎの女だ。灰色の髪をきちんと結ってまとめ、紺色のローブを身につけている。
女はヒュッターに、ニコリと笑いかけた。
親しみのある優しい笑顔は、子どもの頃近所に住んでいた、子ども好きの優しいおばちゃんを思い出す。
「どうぞ、おかけになってくださいな」
「あ、どうも」
ヒュッターは一礼をして、空いた席に着席した。案内役のレームが、その隣に座る。
席を勧めた女は、ニコニコしながら言った。
「わたくしは、第一の塔〈白煙〉塔主、アウグスタ・エーベルと申します」
ヒュッターは少し驚いた。
塔主ということは、この〈楔の塔〉の責任者の一人ではないか。
(めっちゃ偉い人じゃねぇか……全然そうは見えねぇな……)
勿論、顔には出さず、「えぇ勿論、分かっていますとも」という態度をとっておく。何も分かっていないけれど、分かっているフリをするのが彼は得意だ。
第一塔主エーベルに続いて、幹部達も次々と名乗った。
「総務室室長のシャハトだ」
「財務室室長のアイゲン」
シャハトとアイゲンはどちらも五十歳前後。
総務室室長シャハトは、白髪混じりの灰色の髪を撫でつけ、口髭を生やした男だ。黒いローブを着ていて、いかにも堅物そうな雰囲気がある。
背が高くて中年太りもしていないし、ああいう渋いオッサンは、一部の女に需要があるんだよな、ヒュッターは思った。
財務室室長アイゲンは、すっかり薄くなった金髪の、やや小太りの男だ。こちらは黄土色のローブを着ている。
ああいう目をしたオッサンは、金にがめついんだ。財務室の責任者なんて金が好きに決まってる、とヒュッターは勝手に決めつけた。
二人に続いて、彼らより少し若い、金髪を切り揃えた丸眼鏡の男が口を開く。
「私は指導室室長のヘーゲリヒ。君にとっては、直属の上司になるのだよ。よろしく」
ヘーゲリヒは、見るからに神経質そうな男である。これは、窓枠の埃とかネチネチと気にするタイプだ。
(あまり気が合わなそうだな……目ぇつけられないようにしとこ)
続いて医務室第二分室の分室長や、指導室所属の魔術師達が次々と自己紹介をしていく。
当たり前だが、誰も彼もが皆真面目そうで堅苦しい雰囲気だ。
誰か一発芸でもしてくれないだろうか、と密かに欠伸を噛み殺していると、いつのまにか自己紹介が終わっていたらしい。
見た目は親切そうなおばちゃん、こと塔主のエーベルが、こちらに話を振った。
「では、ヒュッターさんからも、一言よろしいですか」
「えぇ、では……」
ヒュッターが挨拶の言葉を口にしかけたところで、エーベルがニコニコしながら付け足す。
「もし良かったら、ヒュッターさんお得意の幻術を見せてくださいませんか? 帝国一の幻術使いと名高い〈夢幻の魔術師〉の幻術……とても興味があります」
エーベルの言葉に、ヒュッターの隣に座っていたレームが顔を輝かせた。
「私も、ヒュッターさんの幻術、見たいです!」
「これから指導室に所属する者の実力、見せてもらおうじゃないかね、君ぃ」
指導室室長のヘーゲリヒが、ジロリと探るような目でこちらを見ている。
とうとうきてしまった、この時が。
(なんてこった。誰か一発芸しろよ、とか思ってたら、俺が一発芸をする流れになっちまった……)
高度な幻術も、彼に言わせれば一発芸である。
当然だが、三流詐欺師の〈煙狐〉は、幻術はおろか初歩的な魔術すら使えない。
だが、この事態は想定済み。寧ろ、魔術について語れと言われるより、ずっと良い。
彼はその場しのぎのために、ありとあらゆる宴会芸を網羅していた。
裸踊りに弾き語り、ワインボトルのジャグリングにテーブルクロス抜き、変顔、物真似どんとこい。
(いいだろう。見せてやる、〈煙狐〉の本気を……)
まず、ヒュッターは眉根を寄せて歯を食いしばり、その顔に苦悶の表情を浮かべた。
そしてサッとその顔を隠すように俯き、絞り出すような声で言う。
「……これから話すことは、どうか内密に願いたい。魔術師組合にもです」
ヒュッターの言葉に、部屋の空気が張りつめる。
魔術師組合から派遣された人間が、魔術師組合に秘密にしてほしい話がある、などと言い出したのだ。当然に何事かと思うだろう。
渋いオッサンこと、総務室室長のシャハトが低い声で訊ねた。
「魔術師組合にも内密にとは、不穏だな」
「何か、後ろめたいことでもあるのか?」
薄毛の小太りなオッサンことアイゲンが、ヒュッターを睨むように見た。
塔主のエーベルも硬い顔をしている。
(よしよし、興味をひけたな……)
ヒュッターはたっぷりと間を持たせて、口を開いた。
「私は密かに研究を重ね……ついに、詠唱無しで幻術を発動する、無詠唱幻術に成功したのです」