少女の決意は痛々しく
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* リット=ホーネット *
頭が熱っぽい。思考がぐるぐる同じところを回っていて気持ち悪い——。
リットはついに座り込んだ。
朝も、昼も食べておらず、疲れがひどい。
そこは王都の裏通り——いつの間に自分が王都に来ていたのかすら、覚えていない。
「……どうしたらいいの」
黄槍クラスは本気で黒鋼クラスをつぶしにくる。高位貴族の恐ろしさはリットがいちばんわかっている。
「やっぱりソーマやみんなにちゃんと話して……」
話したらどうなるか。
ソーマは「全部跳ね返すから大丈夫だ!」とか言いそうだし、クラスメイトが怯えたのならばそれはそれでクラス対抗戦に影響が出る。それでは向こうの思うつぼだ。
「……でもだからって、誰にも話さないでいたら……ほんとうに犠牲者が出る。命を落とすよりも、クラスが負けるほうが、まだ……」
もしもクラス対抗戦で負けたら、学園は喜んでソーマを退学処分にするだろう。クラス対抗戦での最下位クラスは、学園の指導によって10%を強制退学にすることができるのだ。
「話して、ソーマには学校を辞めてもらうか……話さずに、なにも起きないことを祈るか……」
さっきからこの考えがぐるぐる頭を回って、結局のところ結論は出なかった。
優先しなければいけないのは、当然「命」だ。
自分だって「命」を長らえるために男の子の格好をしている。
ならばすべて話してしまえばいいのか——? 話したところで、ソーマは「抵抗する」と言いそうだ。ソーマは、本気になった高位貴族の恐ろしさを知らないから。
事情を話すなら、クラスメイトに先に話してみんなでソーマを説得する……という方法を取らなければならない。
「…………」
統一テストでソーマがやってくれた献身的な努力をみんなわかっている。
そのみんなで、ソーマに、「学校を辞めてくれ」と説得する?
そう導くのが、ソーマの横で彼の努力をずっと見ていた他ならぬ自分?
「……なんだよ、なんだよそれ……そんなの絶対にイヤだよ……」
涙があふれ、こぼれ落ちた滴が地面を濡らす。
「……ソーマがなにをしたんだよ、アイツは、真っ当に勉強して、真っ当にいちばんになっただけじゃないか……」
早朝からスヴェンとトレーニングしていることも知っている。「全員で2年生になる」という、他のクラスならばたいして難しくもない目標のために、体力だけでなく全財産まで賭けていることも知っている。
そのソーマが、貴族のメンツのためだけに夢破れることになる——。
悔しかった。なにもできない、自分が。男子のフリをして、逃げ回っているだけの自分が。
「——やーい、こっちこっち~」
「——やぁだ~、返してよぉ~」
離れたところで、小さい男の子と女の子がじゃれていた。男の子は女の子のスカーフを奪い、頭に巻いて走って逃げている。
「あ……」
——なにもできない、自分?
そのときふと、リットは閃いた。
「できなく、ない……ボクにしか——いえ、
今、いちばんの脅威は上級生に圧力を掛けられたフランシスだ。そのフランシスを止めることさえできれば最悪の事態は回避できる。
では、誰ならばフランシスを止めることができるか?
「マテュー……
少女だった自分が出会っていた、少年のことを、彼女は思い返していた。
マテューとの出会いは夜会でのことだった。夜会は大人のためのものであり、子どもは所詮オマケ、あるいは親の装飾品に過ぎない。
両親は付き合いで参加していただけであり、一人娘を連れて行くことに乗り気ではなかった。それにファーリット自身がつまらなさそうな顔をしていたから、
——子ども同士で遊んでおいで。
と好きにさせてくれたから助かった。
夜会の会場に面した庭園に出ると、月明かりの下、手入れされた花をたくさん見つけた。そして、ふてくされてベンチに寝転がっているマテューもまたそこにいた。
——俺は親父みたいなくだらない大人になんてなりたくない。貴族なんてクソだ。
10歳になったかどうかという年齢のマテューは、出会ったばかりのファーリットに本音を話した。ファーリットが、他の貴族とは違ってたいして着飾っていなかったのがよかったのかもしれない。
背伸びしたようなマテューの言葉を聞いて、ファーリットは思わず笑い出した。
——な、なにがおかしいんだよ、お前!
——だってさ、君、正直に言えば貴族を辞めたいってことでしょう? 世の中を何にも知らない君が貴族を辞めて、なにをするっていうの? なにになれるというの? いえ、そもそも生きていけるの?
——うぐっ……で、でも親父みたいに、女をとっかえひっかえしている男にはなりたくない! それに笑い方もなんか下品でイヤだ!
——だったら、君がちゃんとした大人になったらいいじゃない。
——どういう意味だよ。
——人間としてお父様を超えるの。貴族としても超えるの。そうしたらそのとき、君を止められる人なんて誰もいないわ。
——俺が……親父を超える……?
——自信がないの?
——あ、あるに決まってる。絶対超えてやる。
——そうそう、その意気よ。持っている武器を使わないまま捨てるなんて、そんな
——「もったいない」? とはどういう意味だ。
——ああ、生粋のお坊ちゃまはそんな言葉も知らないのね。
——俺をお坊ちゃまと呼ぶな!
——「もったいない」っていうのはね、私のお母さんの口癖で……。
それからふたりは遅い時間まで話し込んだ。やがてどちらからともなく眠くなり、気がつけば父の腕に抱かれて夜会を後にしていた。
しばらくしてマテューから手紙が届き、ファーリットはそれに返した。また別の夜会でも会ったが、そのときにはすでにマテューは才能の片鱗を現し始めていた——仲間を作り、率いていくという才能の。
彼の天稟は「
学園の入学式後に行われた、天稟判定でそれを耳にしたリットは納得したものだった。
「きっと……フランシスは
歩いていく
身につけているのは学園の女子制服に似ているが実際には少々異なっている。各クラスを象徴するシンボルがどこにも含まれていないからだ。
リット——ファーリットは学園の敷地を進んでいく。
どこからどうみても良家の娘だ。
王都で購入した服、それにウイッグを敷地内に持ち込み、誰もいない物陰で着替え、うっすらと化粧もした。
向かうは黄槍寮。
夕闇の迫る今、建物をつなぐ回廊には人気がなく、週末を王都で楽しんだ生徒たちもすでに寮へ戻っている。
この時間ならばマテューも部屋にいるはずだ。
自分の姿を見たらマテューはなんと言うだろう?
オーグブルク侯爵家当主——リットにとっては父方の祖父——の容態が優れなくなってからというもの夜会にはほとんど顔を出していない——つまり2年近くマテューとは会っていないから、彼は自分だとすぐにはわからないかもしれない。
心臓が破裂しそうなほど、脈動している。
両親が死に、祖父の言葉に従って髪を切り落としてからずっと——男の格好をし続けてきた。
今日初めて「本来の自分の姿」に戻ったと言えるかもしれない。
(マテューに、言おう。マテューに、頼もう。黒鋼クラスに関わらないでくれって……ホーネット家のリットも放っておいてくれって。そしてできれば、私のことも忘れて欲しいって……)
ファーリットが生きていたという事実をマテューが言いふらすとは思わない。言いふらされても、
とはいえ楽観なんてできない——命を賭ける行動だとはわかっている。
それでもやらなければ。
ソーマを助けるための、ソーマに報いるための、行動はこれしか思いつかなかったのだ。
ファーリットの歩く先に黄槍寮が見えてきた——。
(……え?)
私事ながら昨日、3人目の子どもが生まれました。女の子です。死ぬほど可愛がる所存。
そんなこんなで私生活も大変です。更新が途切れたら「あっ……」と察していただければ幸いです。
あとご祝儀がわりに書籍もよろしくお願いします!(直球)