知った者
* リット=ホーネット *
祖父はリットに、こう言った。
——ワシの寿命も長くない、だからひとりで生きる術を見つけなければならん。連中を侮るな。猟犬も真似できぬほどの嗅覚で、お前の素性を探り当てるぞ。オーグルブルクのファーリットの、かすかなニオイも残してはならん。
今、学生寮でこんな思いをするのなら地方に行けばよかった……。
……いや、地方に行っていたら今ごろとっくに正体が露見して、死んでいたかもしれない。
いや、でも……。
わからなくなってくる。
人生に
——信頼できる友を探せ。自分の力になってくれる友を。命を預けられる友を。
リットは、空になっているベッドを見やる。窓際のベッドはシーツもきっちりと整えてあるが、廊下側のベッドは布団もシーツもめちゃくちゃだ。
「……お祖父様、信頼できる人を見つけたの……でも、そのほうがずっと、ひとりでいるよりもツライだなんて知らなかったよ……」
王都の冒険者ギルドを出たときのことを思い返す。
リットはソーマに言った。
——最近の君は、学園の色に染まりつつあるように思う。
——貴族はダメなヤツらばかりだと、そう思っているんだろ? 黒鋼クラスだけはがんばってて、他のクラスは家の権威の上にあぐらをかいてるって。
あんな言葉、ソーマのためを思ったふうに言ったけれど、
「……自分の、ためなの」
実は侯爵家の出自であることを隠しているリットは、まさに自分自身を色眼鏡で見て欲しくないからそう言ったに過ぎないのだ。
指摘したことでソーマに感謝されたのが、逆に苦しい。
偉そうに言える資格なんて自分にはないのに——。
「…………」
この部屋にいると、ソーマのことを考えてしまって苦しくなる。だからリットは外へと出ることにした。
すでにソーマから依頼されている教科書の筆写は終わっている。結構な金額をソーマからもらえるはずだけれど、リットはそんなのどうでもいいとすら思っていた。
お金は絶対に裏切らないから信用しても大丈夫——そう思ってお金を集めていた。侯爵家にいたときから、母が商会出身の平民だったためにお金の重要性をしっかり教わっていたこともある。
それになにかあったとき、物を言うのはお金だ。
だというのに——今はお金に対する執着がきれいさっぱり消えていた。
それよりもむしろ、ソーマとの関係にお金を挟んでいることが気持ち悪いとさえ感じていた。
「……おかしいな、こんなヤツじゃなかったのに、
黒鋼寮を出ると、夏の陽射しが降り注いできた。黒のパーカーは暑かったけれど、ここでは身分証みたいなものだから我慢した。着ないほうが目立ちそうだった。
寮を出たところで行く宛などない。王都に行くのも億劫だし、王都にはソーマとオリザが向かっている。
週末で静まり返っている学園の敷地を歩いていくと、掲示板にたどり着いた。
そこにも当然誰もいない——はずだった。
「あれは……」
じっと立って、掲示を見つめているひとりの少年がいた。
黄槍クラス、フランシス=アクシア=ルードブルクだ。
いったいなにを見ているのか——考えるまでもなかった。
彼の通学停止の掲示だ。
フランシスの停学明けとともにその掲示はとっくに剥がされているのだが、それでもフランシスはここにやってきて、にらみつけるように掲示板を見つめていた。
彼の目に見えた底知れぬ、どす黒い感情に、リットはぶるりと身震いした。
「お? フランシスくんじゃないか」
そこへ黄槍クラスの上級生が3人やってきて、リットはあわてて植え込みの陰に身を隠した。
「そんなに何度も見たって、君の停学通知は剥がされているさ」
「私も学園に、早めに剥がすように圧力を掛けたからね」
「おや、そうだったのか? なんとも後輩思いのいい先輩じゃないか」
はははは、と乾いた笑いを上げながら、3人はフランシスを囲む。
「……おい、フランシス。マテューはなにをやっている?」
彼の名前が出てきて、リットはどきりとした。隠れてこのまま姿を消すつもりだったのに話の先を聞きたくなってしまった。
そろりと様子をうかがうと、上級生たちの表情が恐ろしいものへと変わっている。
「……なにを……とは?」
「トボけるな、フランシス。黒鋼へプレッシャーをかけるのを
止めた?
嫌がらせを止めたのか?
どうして?
リットの頭にいくつも疑問が浮かぶ。
リットは知らないのだ。何者かがマテューの私室に忍び込んで日記を盗み見たことを。そしてそれに気づいたマテューが、自分を脅かす何者かの存在に気がつき、派手な動きを控えていることを。
フランシスもまた、それを知らなかった。
「いいか? 万が一にも黒鋼に負けるなどということはあってはならないんだ。どんな手を使ってでも勝て」
「……はい」
「そのためには平民のひとりやふたり、犠牲になっても構わない……そうだろう?」
「……はい」
「やり方は任せる。マテューが腑抜けなら、お前がやれ……いいな」
それだけ言うと、上級生の3人は去っていき、フランシスもまた彼らとは違うほうへと歩いていった。
「…………」
先ほど、植え込みが動いたような気がしてフランシスはちらりと植え込みの陰をのぞき込んだが——そこにはなにもなかった。
* リエルスローズ=アクシア=グランブルク *
リエリィの週末の予定は毎週、判を押したように決まっていた。
土曜には王都の屋敷に行き、1週間の報告を行う。日曜は休息日だがゆったり休んではいられない。緋剣寮にある彼女の部屋には多くの書類が運び込まれてくる。それらは王都だけでなく王国各地で起きている情報をまとめた——言わば新聞の断片のようなものだ。
緋剣の本質は「情報」にある。だがそれは情報を手に入れるだけでなく、いかにして情報を「処理」するかも重要だ。
すでにリエリィは、実家からの指示で一人前の大人と同様の情報を与えられていた。
「すばらしいですわ、リエルスローズ様。もうこんなに目を通されましたの?」
同室の少女が話しかけてくる——緋剣寮は2人1室が義務づけられていた。
これは、文章のチェックや、なにかあったときの「相談相手」という意味合いだと寮長からは説明を受けていた。
だがリエリィは、同室者のもうひとつの役割に気がついている。
「監視役」だ。
互いが互いを、自然と監視するようになっていくのである。
「ええ……目を通すだけですもの」
「こちら、先ほど白騎寮からお届け物ですわ」
少女が差し出してきたのは、「王国史」の教科書だった。
「うふふ。リエルスローズ様、着々と仲を深めておられますのね」
「…………」
同室ともなれば、隠そうとしても隠しきれないことが多いために、リエリィはキールと連絡を取り合っていることを隠してはいなかった。
今、少女は「きっとふたりは恋仲に……でもこんな大スクープはみんなに広めてはいけませんわね」くらいに考えているだろう。それはそれで都合がいいので、リエリィは放置している。
「授業で少々深めたい知識があり、教科書をお借りしたいと申しましたの」
「……リエルスローズ様は勉強熱心でいらっしゃるのね」
恋文のひとつも仕込んでいるのではと考えていたのだろう、少女は落胆した顔をしている。教科書をここに運んでくる途中で中を確認くらいしたはずだが、見つからず、なにか秘密があるのではと勘ぐっていたのだろうが、純粋に「教科書を読みたい」だけだとわかれば落胆もする。
情報を得られそうな場所はとりあえず探る。
緋剣クラスで最初に教わることである。
「あなたもいっしょに勉強しましょう」
「……ええと、わたくしはこれからお買い物のお約束がございますの。ほほほ」
少女は目を泳がせてからリエリィの部屋を出て行った。まだまだ、遊びたい年頃なのだ——ふう、とリエリィは小さく息を吐いた。うまく邪魔者を排除できた。
同室者がいると言っても、リエリィが専有している部屋はひとりで使うには十分過ぎるほど広く、ベッドがひとつに書類が積まれている勉強机がひとつ、書棚は3つに、テーブルとイスの応接セットを置いてなお余裕があった。
「……行きましたもの」
リエリィは耳を澄ませ、少女が廊下へと出て行ったのを確認する。「王国史」の教科書を開く。
この教科書は、キールからの連絡事項が含まれているのだ。教科書そのものにおかしな点はないのだが、本文外の余白に記されたメモ書き——明らかに本文内容に関わるメモ書きなのだが、ここに秘密がある。
キールとリエリィとがあらかじめ取り交わしておいた乱数表を用いると、そのメモ書きの単語を取り上げていくことで文章ができあがるのである。
「——34ページの6語目、29ページの1語目……」
リエリィは文章を拾っていき——目を見開いた。
「そんな……まさか」
レビューいただきました! ありがとうございます~。
今回は書き手でもある「暮伊豆」さんです。「異世界金融 〜 働きたくないカス教師が異世界で金貸しを始めたら無双しそうな件」を書かれていて、文字数140万字というのを見て「ファー」と変な声が出ました。いやまだ出てる。
天国地獄異世界と行先選べるなら、自分なら天国選びそう 笑
でも読むならやっぱり異世界転生がいいよね。私も個人的に読んでるのは転生ものが多いです。