久々のお茶会(with 天使)
記述の中には『彼女の実家であるホーネット商会』というフレーズが出てきて、俺はピンときた。
「だから、リットなのか。恋した相手の面影を重ねている……リットはきっと、マテューの初恋の人の遠縁に当たるんだ」
せめてリットを保護してやりたいと考えているのだろう。
リットも、オーグブルク家のことを知っているのは間違いなく、そしてマテューがオーグブルク家の娘に執着していたことも知っているのだろう。だからあれほど「マテューは危険」と言っていたんだ。
「確かに……ヤバイかもしれないな、マテューは。日記にここまで書くってことはよほど抑圧しているってことだろうし。だけど……」
その気持ちはわからないでもない。
はっきり確認できたわけではないけど、マテューはその娘に想いを伝えてはいない。だからこそ不完全燃焼なのだ。
気づくと俺は、夢中になって日記を読み進めていた。
だからだ。
廊下を、こちらに向かって近づいてくる気配に気づかなかった。
そして室内がぱぁっとマジックランプの明かりによって照らされるまで、日記を読みふけっていたのだ。
「——やばっ」
俺は日記を机に戻すと、窓を開けた。「誰だ!」という怒鳴り声とともに足音。真っ直ぐにこの部屋へと向かってくる。
夢中で、窓から外へと飛び出した。寮の裏手のこの道に、警備員がいなかったのは単なるラッキーに過ぎない。俺は「
* マテュー=アクシア=ハンマブルク *
何者かがこの部屋にいたのは間違いない。窓が開いて、カーテンが外へとふくらんでいる。
「まさか——見られた、のか……?」
机に置きっぱなしだった日記を。
そうだと考えて、ほぼ間違いないだろう。
「——っざけんじゃねえぞ……!」
犯罪の証拠といったものは当然書いていない。だが、彼の心がいまだひとりの少女に占められていることはありありとわかるはずだ。
怒りと同時に、恐怖心も湧いた。
この黄槍寮に忍び込んだヤツがいる。ひょっとしたら黄槍の内部に犯人がいる可能性もあったが、それにしたところで自分に危害を加えることを考えた人間がすぐそばにいるのだ。
「クソッ、クソッ、クソッ……!」
マテューは歯ぎしりし、日記を取り上げ、机に叩きつける——寸前で、思いとどまった。
「クソッ……」
日記の表面をなでる手が、震えている。
叩きつけることも、燃やすこともできなかった。ただマテューは、引き出しにしまうとしっかりカギを掛けただけだった。
叩きつければ、彼女への想いを侮辱してしまう気がして。
燃やしてしまえば、彼女への想いも消えてしまいそうで。
どれほど強がっても、強い自分を演出しても、マテューもまた13歳、1年生の男の子なのだ。
* ソーンマルクス=レック *
「…………」
「………………」
「…………」
「………………あの、ソーマくん?」
と、最初に口を開いたのはキールくんのほうだった。
今日はほんとうに久しぶりにキールくんとの勉強会が行われている。
ぽっかりと時間ができたから勉強会でもどうですか、と連絡を受け、俺は——なんだかどうしていいかわからない気持ちもあったので、白騎寮のサロンへとやってきた。
「あ、ご、ごめん。なんだっけ」
「私の質問に対する答えが——いえ、止めましょう。ソーマくんはなにか集中できないようですし」
「……ごめん、マジで」
昨晩の黄槍寮侵入から1日が経っているが、俺の頭の中はまだ整理がついていない。
マテューには同情すべきところはあるけど、黒鋼クラスとは関係ない。黒鋼クラスを痛めつけてリットを黄槍クラスに編入させることが目的なのでは、と思うのだが——マテューのことだから金の力で解決できるとか考えてそうだ——それって俺たちとはなんの関係もないことだし、彼のやっている嫌がらせについては許すことができない。
いや、まぁ、嫌がらせの証拠は見つけられなかったんだけどさ……。
「あのさ、キールくん……今日、黄槍クラスでなにかあったとか聞いてない?」
「なにか、ですか?」
きょとんとした顔で聞いてくるキールくんを見るに、俺が忍び込んだことは表沙汰になっていない、ということだろうか。
マテューは、何者かが部屋に忍び込んだことに気づいているだろう。日記は元の通りに机に戻したけど、それを読まれたと考えても不思議ではない。俺が逃げたの、机のすぐ横の窓からだったし。
だけどマテューはそれを訴え出ていない、ってことだろうか。あるいは黄槍クラスの中で極秘に調査を進めている?
「黄槍クラスについてはなにも聞いていませんが……ソーマくん、なにかあったのですか? クラス対抗戦で黄槍クラスと当たりますよね。その関係ですか?」
「あー……いや」
「……すみません、私になんて言いたくないですよね……」
しょんぼりして顔を伏せるキールくん。うおおお、なんだよその俺の罪悪感を煽るような仕草は!
「ち、違うよ? その、言いにくいのは俺の弱さであって……」
「私は、ソーマくんの強さばかり見てきました。だからソーマくんの弱い部分も見せていただきたいと思う……のは、ワガママなのでしょうか?」
しゅん、とするキールくんを抱きしめて頭をなでて痛いの痛いの飛んでけーしてあげたい(錯乱)。
「あー……その、アレだ。誰にも言わないと約束してくれるか……?」
「話していただけるのですか?」
「あとその……できればふたりきりがいいんだが」
キールくんは部屋の隅にいる侍従に出て行くよう命じた。だが侍従も侍従で絶対に出て行かない、私は空気なので気になさらず、と言うのだが空気じゃないよね? 主人を守るためなら俺の秘密とか絶対話しちゃうよね?
すったもんだの末、キールくんが目に涙を浮かべるとあわてて出て行った。
「……ふう、お待たせしました」
すでに涙は引っ込んでいる。こやつ、演技派だな。
「あのー……キールくん、引かないでね……?」
と前置きして、俺は話し始めた——。
「…………」
話を聞き終わったキールくんが眉間を押さえながらぎゅっと瞳を閉じている。
黒鋼寮への嫌がらせのあたりは俺といっしょに怒ってくれた。だけど証拠をつかむために寮を抜け出したあたりで雲行きが怪しくなり、黄槍寮に入り込んだときには頬がひきつり、マテューの部屋のドアを壊したくだりで天を仰ぎ、日記を盗み読みしたところで今のポーズになった。
「その……悪いことをしたとは思ってるんだ」
「……それは……そうですよ……」
「でも、どうしても証拠をつかみたくて——」
「ソーマくん。マテュー様が黒幕だと判明していない状況で、法を犯すのはよろしくありません。もし仮にマテュー様が悪であったとしても、ソーマくんも同じ目線の高さになっていることになります」
「うっ」
その指摘は、こたえた。
不法侵入はダメ、とか、器物損壊はダメ、とか言われるより、「お前も悪人と同じじゃん」と言われるほうがキツイんだな……。
「おっしゃるとおりです……」
13歳に反省点を指摘される元大学生(中退)。
「ソーマくんの気持ちもわかりますが……できれば、黒鋼寮が破損した時点で私に相談していただきたかったです」
「でも学園の生徒は、クラスごとに自治をするのが基本だろ? 教科書を借りたりとかは、他に手段がないから仕方ないとしても、これ以上を頼むのは……」
「それもそうなんですが、クラスごとのぶつかり合いならば他のクラスが介入することもあります」
「そう……なの?」
「はい」
「ごめん、知らなかったわ。次から気をつける……」
「はい。ソーマくん、もっと私を頼ってください」
にこりと微笑む天使がそこにはいた。俺……「キール教」っていう宗教を始めようかな……迷える衆生に「キール様を信じれば救われる」って教えを説くんだ……。