彼の部屋で見つけたもの
* マテュー=アクシア=ハンマブルク *
扉が閉まった向こうで、「なんだあの生意気な態度は」だの、「もう1人のほうは停学処分を食らっていたんだろ?」だの、ふたりをくさすような会話が行われていることは想像に難くない。
だが貴族などそんなものだ——利用できるならば利用し、できないならば蹴落とす。
マテューはそう教育を受けてきたし、合理的だとすら感じていた。
「……アイツら、たいした実力もないくせに……。マテュー、派閥を変える気はないの?」
「まあな」
「どうして」
「第1王子を推すことは決定事項だ。だが黄槍クラスの派閥なんざ変えたところで意味はねえ……
「……やっぱり、おかしいよ……。マテューは蒼竜クラスに入るべきだったのに……」
フランシスが親指の爪を噛む。その爪はすでにぼろぼろになり、血が出ていたが本人は気にせず噛んでいた。
「……おいフランシス。お前、今回のことで思い詰め過ぎだぞ」
「…………」
「俺はな、黄槍クラスに入って良かったとも思っている」
「……どうして」
「お前らがいるからだ」
「えっ」
目が充血し、くまもべったりある不健康そうなフランシスの顔が、一瞬、明るくなった。
「上級生はどんどん消える。ジュエルザード第3王子殿下がいなくなれば学園内の勢力バランスも落ち着くだろう。そうなったとき、黄槍のトップに立つのはこの俺だ。上に何人いようとも排除してやる」
「……マテュー」
「俺たちがまとまれば、
「そ、そうだね。そのとおりだ!」
「だからお前も——」
とマテューが言いかけたときだ。
ふたりがいたのは5階から4階、3階へと続く吹き抜けだった。なにか金属の壊れるような音が聞こえてきた。
「……なんだろう。誰か武器でも落とした?」
「いや——そう、かもな……」
そのときマテューがイヤな予感を覚えたのは、動物的な勘であるとか、冴えた知能であるとか、そういうことではない。
単に自身が、悪事にも手を染めることをいとわない性格であり、逆に自分にも他人の悪意が襲いかかってくることを知っているがゆえの疑心暗鬼からだった。
こんな日に限って、
だが一度落ち着けば、気にならない。ここは黄槍寮だ。外部の人間が侵入してくることはないだろう。
外部の人間は。
「……それで、マテューは、特定の女子と付き合ったりしないの?」
魔法によって動いているエスカレーターに乗りながら、フランシスがたずねてきた。
マテューが答えないでいると、
「今くらいだよ、女の子をとっかえひっかえできるのって。卒業したら親の都合で結婚相手をあてがわれるよ」
「わかってる、そんくらい」
「……やっぱりまだ、気にしてるんだね。あの子のこと」
「…………」
マテューはやはり、答えなかった。ふたりはそれから3階の廊下を歩き、1階へと続くエスカレーターを下りきるまで会話がなかった。
「また明日な」
「う、うん……マテュー」
部屋の位置が真逆なので、背を向けて歩き出したマテューへとフランシスは言う。
「その……ごめんなさい。僕が吐いたウソで君にも泥を塗ってしまって……」
「バァカ」
振り返ったマテューは、口元をゆがめ皮肉っぽく笑った。
「停学中に、王都の屋敷で散々叩かれ、キツかったのはお前のほうだろうが……。俺たちはここでデカくなる。そんで、実家の連中をあざ笑うほどの力を身につける」
「……うん」
「対抗戦で、黒鋼をぶちのめすぞ」
「うん! アイツらをぶちのめすのが今から楽しみだよ!」
フランシスの目の焦点が合っていないのが若干気になったが、彼はそのままスキップするように自室へと戻っていった。
「ったく……元に戻るにはまだ時間がかかりそうだな」
そしてマテューは自室へ向けて歩き出そうとして、ふと足を止めた。
違和感を覚えたのだ。
* ソーンマルクス=レック *
マテューの室内に滑り込んだ俺は、まず暗がりの中で部屋の内部を把握する。光源は外からの光だけだ。マジックランプの明かりを点ければ外から丸見えだし、警備員さんの注意を引いてしまいそうだった。
巨大なテーブルに、豪華な椅子が4つ。向こうにはソファもある。
生活感がまったくない、ホテルのような部屋だった。
ここは応接室という意味もあるのだろう——こんなところに俺が求めている「証拠」はないはずだ。
俺はドアを片っ端から開けて部屋を確認する。トイレ。バスルーム……って各部屋に風呂ついてんのかよ!?
そのうちの1つが、ベッドルームだった。
なにか隠すなら、ここじゃないか?
ベッドメイキングも毎日されているのだろう、ピンと張ったシーツは暗い中でもよくわかる。ベッドサイドの引き出しを開けたがカラッポだった。
視線を巡らすと、窓際に机がある。左右に引き出しのついた大きな机だ。
そこには開かれた1冊の——。
「……日記?」
鼓動がますます早くなる。これが日記だとすると、マテュー本人による「自白」が書かれている可能性が高い。
革の装丁の、どっしりとした1ページA4サイズくらいの日記を持ち上げ、窓際に寄った。レースのカーテン越しに月の光が射し込んでいる。
俺は内容に目を通し始めた。
「ん……?」
だけど日記の内容は、俺が想定していたようなものとは違った。対抗戦に向けたあれこれのことはほとんど書かれていない。いや、多少は学園生活のことも書かれているが事務的なものばかりで、「明日、歴史の授業で質問すべきこと」やら「今日の武技の授業での収穫」など、備忘録に近い。
内容のほとんどは、ただひとりの女性への想いが綴られていたのだ。
『今でも思い返す。アイツと出会ったのは死ぬほど退屈な夜会でのこと。子どもなんて参加しても意味がないと思っていたが、アイツと出会えたことだけは最高だった』
『俺が抱えていた悩みを、アイツは笑った。貴族の家の娘とは思えない放埒さだった。母親は商会出身ということなので考えてみればそれは納得だったが、俺には彼女の、貴族的な狭苦しい視野に囚われない考え方、発言がたまらなく魅力的だった』
淡い恋心だけではない。
『アイツが死んだなんて信じない』
『死体は見つかっていないのだ。家が焼けたとしても人の死体は残るはず』
『昨年起きたオーグブルク家の内紛はいまだに貴族社会ではタブー扱いされている。関わった貴族が多すぎる。その結果、オーグブルク侯爵家だけをとりつぶすことしかできなかった』
俺はページをたぐる手を止める。
「死んだ……このオーグブルク家の娘に、マテューは恋していたってことか。あんな俺様系のくせに一途なんだな」
学園に入学してもなお、オーグブルク家の娘の影を追い続けている。それがマテューなのだ。