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現れたその人は……

 黒鋼クラス内のチーム分けが終わってから、2週間が過ぎ、いよいよ6月に突入した。チーム内での話し合い、それに俺が指示したとおりのトレーニングを組み込んで、森林でも少しずつ、獣を狩れるチームが出てきた。

 ちなみに狸だけは「獲ってはならない」という共通認識ができあがっていた……うん、トッチョの取り巻き4人が汁物にして食べて、悶絶していたからな……。

 まあ、狩猟と対人戦はまったく別物だから、あくまでも森での演習はチームワークの確認って感じなんだけどな。

 この大陸にも季節の移り変わりがあり、6月は雨期だ。梅雨、みたいなしゃれた言葉はなくて、降る雨もザァァァ、ピタッ、という感じで風情もクソもない。

 ただ森で狩猟をするのに雨は大敵なので、俺たちは獲ってきた肉を燻製やベーコンにする、保存食作りも並行して行っていた。


「……あれ? ここって学校だよな? 自給自足の実験施設じゃないよな?」


 寮の裏庭で、待望のイノシシ肉を燻製器に吊そうと背伸びしながら俺は思ったのだが、それに答えてくれる人は誰もいない……。みんな、「肉のためならしょうがない」という顔で黙々と作業している。

 食堂のおばちゃんたちも手伝ってくれるんだけど、量が量であまりに多いので俺たちも手を動かしていた。


「なにをやっているんだ……?」


 とそこへやってきたのはジノブランド先生だ。

 先生はこうしてちょいちょい黒鋼寮の様子を見に来てくれるようになった。最初の印象が最悪だから、一部の生徒とはまだまだ仲良くなりきれていないようだけど。


「あー、先生。ちょうどいいところに。これ吊すの手伝ってください」

「なんだこれは……肉か?」

「ざっくりしすぎです。イノシシ肉ですよ」


 先生は背が高いのでものを吊したりする作業は是非ともやっていただきたいところである。


「…………」


 だけど手伝ってくれる先生の表情はまだまだ暗い。顔色も悪い。こりゃまだ、眠れてない感じだな……。


「先生……故郷からなにか連絡は?」

「……あれから、なにもない」

「そうっすか……」


 この国では手紙を書いて送るにも結構なお金がかかる。国内であればだいぶ安全になってきてはいるが、郵便物が届かないことも珍しくない。

 俺が先生に話した「病気への対処法」はたいして込み入った内容ではなくて、先生が手紙を送ればすぐにも実行できるような内容ではあった。

 返事がない……ということは、俺の憶測は間違っていた、ってことかもしれない。

 ごめん、先生。力になれなくて……。


「——ジノブランド先生は黒鋼クラスの寮に行くと聞いていましたが……。裏手のほうから人の声がしますね」

「——まあ、ここに住んでいますの?」

「——いえいえ、こちらは生徒たちの寮です」

「——歴史の感じられる寮ですね」


 そんな声が聞こえてきた。なんだなんだ、見学か? と思いながらちらりとそちらを向いた俺の頭に、ゴンッ、と肉が落ちてきて当たった。


「ちょっ、先生!? なにやってんすか!」


 落っこちたイノシシ肉をあわてて拾い上げ、ついた土を払う。あーあー、これ1回拭いたほうがいいかなあ……。


「先生、食べ物は粗末にしちゃいけないって教わらなかったんです……か……」


 先生は俺のことなんて見ちゃいなかった。

 視線は、さっき先生自身がやってきた方向を向いている。

 建物の陰から学園の事務員に付き添われたひとりの女性が、杖を突きながら現れる。

 くすんだ茶色の髪は長くて、色は病的なまでに白い。着ている服は貴族のそれとは違って平民服だったけれど、歩き方が上品なので気品すら感じられた。


「……先生?」


 ジノブランド先生は、目をパチパチとしていたが、


「ランジーン……ランジーンッ!!」


 大きな声を上げ、走り出した。

 すると、先生に気がついた女性は——そう、先生の髪と同じ色をした女性は、あっ、と口を開けると、


「お兄様!」


 と声を上げた。

 すごい勢いでそこまでたどり着いた先生は、その数メートルで立ち止まり、


「ランジーン! ああ、ランジーン、君なのか……ほんとうのほんとうに、君なのか? いったいどうやって、いや、どうして、いや、なにがなんだか……なんなんだ……」


 ためらいがちに近寄り、手を伸ばす。そこにいる人間が実在するのかを確かめるかのように、女性——たぶん、妹さんを抱きしめる。


「く、苦しいです、お兄様……」

「君なんだな……? ほんとうに……?」

「はい、私です、ランジーンです。お兄様の妹の……。お兄様の指示通りにしたところ、こうして元気になれたので、手紙を出すのももどかしくて、来てしまいました」

「元気に……なったのか?」

「一刻も早く見ていただきたくて。ここまで来られるくらいに回復したんですのよ」

「ああ——」


 そこまでが先生の限界だった。

 その場で膝をついて、大声を上げて泣き出してしまったのだ。さすがの妹さんも驚いたようだったが、ほんのりと涙を浮かべるとジノブランド先生の頭を上から抱きしめた。


「お兄様……ほんとうにいろいろと、ありがとうございました。ありがとうございました……!」


 なんとなく事情を察したらしい数人以外、生徒たちはぽかーんとしている。

 リットがすすすと俺のそばにやってきた。


「……ソーマ。あれって君の言ったことが正しかったってこと?」

「ああ、そうみたいだ」


 俺が先生に指摘したのは、たいした内容じゃない。そしてランジーンさんの病状も、俺の推測が正しければ割と簡単に治ってしまうものだ。

 先生は、街の郊外が「秋」に「黄金色」になると言っていた。麦の収穫はもっと早いから、それはつまり水田のことだろうと推測した俺は、主食が白米なのではないかと聞いたんだ。

 白米由来の病気……そんなものがあるのだ。

 日本では米の精白ができるようになった江戸時代に流行し、毎年数千人の死者が出ていた病気——ビタミンB1欠乏による「脚気(かっけ)」である。

 イスに座って膝から下をぶらぶらさせて、膝小僧に木槌なんかを軽くぶつけると足先が上がる。それが正常で、上がらないと脚気の疑いがある。昔は健康診断で必ずチェックしてたらしいぞ。

 脚気の対処は非常に簡単で、ビタミンB1を摂取すればいい。白米ではなく玄米を食べる。米ではなく麦を食べる。これ以上の専門的な知識はないけど治ったならほんとによかった。

 ていうかこれはウイルス性の病気じゃなく、身体のどこかに特定の悪い部分があるわけでもない。薬では治らないわけだ。日本でも、ビタミンの概念ができた昭和になってようやく対策できるようになったくらいなのだから。

 泣き顔の先生が立ち上がる。

 そして俺のほうを向いて「こっちへ来い」と手を大きく振る。

 ああ——俺、初めて先生の、満面の笑顔を見たな。

書籍版「学園騎士のレベルアップ!」発売まであと3日! 内容をいろいろと修正したのと、統一テスト後のスヴェンが自分のレベルを確認するエピソード「孤高の剣士のレベルアップ!」を追加しています。我ながらめっちゃいい話を書いてしまいましたわ……。

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