優しい死神なんていませぇん!
「逃げろ!!」
俺が叫ぶよりも先に、トッチョとスヴェンは走り出していた——ってお前らァッ!?
『ォアアォォォオオオオオンンンンンン————』
まるで狼みたいに吠えたレッドアームベアは、四つん這いになると走り出した。早! はっやー! ええと、クマ、クマ、クマに遭遇したときはどうするんだっけ!? 思い出せ、前世の記憶! 助けて『山賊ダイ○リー』!
「ぬおあぁぁっ!?」
とか思ってたら先に逃げ出していたトッチョがずっこけた。そうだったわ! ここ、走り慣れてないヤツが走ったら絶対コケるとこじゃん!
「——クソッ」
俺、急ブレーキをかけて振り返る。短弓に矢をつがえ狙いを定める。
まあ、どーせ人間が走ったところでクマから逃れられるわけないし!
追いつかれるくらいなら見通しのいいここで戦ったほうがいいし!
だから——。
「——だからトッチョ、俺がお前を助けるために立ち止まったなんて思うんじゃねえぞおおおお!!」
放たれた矢がレッドアームベアの眉間に吸い込まれる。
『ォアッ!』
だが、カツンと音を立てて矢は弾かれた。
頭蓋骨は固いからこうなっちゃうよなあ……角度によっては銃弾だって弾くらしいし。
ちなみに俺が狙ったのは目だった。あんだけ上下に動いて走ってたら目を射貫くなんてできるわけがないわ。
『アオオオオオオオンンン!!』
だけどまぁ、トッチョじゃなくて俺へと憎悪の目を向けてきたからその点ではよかったな。
レッドアームベアはやはり狼のように吠えながら、横へと走る俺を追う。
ちらと背後を見ると、スヴェンがトッチョを引き起こしていた。ナイススヴェン。
俺はレッドアームベアへと視線を戻す。すでに彼我の距離は10メートルを切っている……ってデケエ! 近くで見るとめっちゃデケエよ!
短弓で放った矢も、もはやかわしたりしない。クマの右肩に当たったようだけど、分厚い皮に阻まれたのか、弾かれた。あーもう! 硬い獣反対! もふもふはどこに行ったんだ!?
……なんて考えているのは、余裕があるからじゃない。余裕がないからこそ、余計なことを考える。そうしないと——身体が震えて動けなくなる。
これが、森の中で起きうる最大級の悪夢。
可能性を無視していたわけじゃなかった。でも、熊くらいなら追い払うことができるんだよ、そう危険もなく。
まさか、まさかこんな——バケモノが出てくるだなんて思わないじゃないか。
『オアアアアア!!』
咆吼も間近で食らうと強風のように襲いかかってくる。
レッドアームベアが飛びかかってきた。
さあ、覚悟を決めるぞ。
俺は短弓を捨てた。
震えるな。
震えたら食われる。俺だけじゃない。スヴェンも、トッチョもだ。
行くぞ、俺!!
「『
立て続けにエクストラスキルを発動。
わかるぞ、クマ公。お前がどれだけの速度で俺に接近しているのか。お前の陰になって見えないケツの毛までもな!
「おおおおおおおおおおおおおおおお!!」
跳躍しているレッドアームベアへと俺は踏み込んでいく。
懐に入ったところで、襲い来る鋭い爪による攻撃を払い流しながら剣鉈を抜いた。
「——『
鞘から引き抜きざま放つこのエクストラスキルは、俺の肉体ではなしえないほどの神速の斬撃を放つ。
びくん、と空中でレッドアームベアは震えた。
直後、その背中に赤い筋が走ったと思うと、だぱっ、と血が噴き出す——地面に落ちたレッドアームベアは上と下で真っ二つになっていた。
「……まだ生きてんのかよ」
上半身だけになってもレッドアームベアは地面を這いずっている。いや、「這いずる」なんて可愛い表現じゃない。大量の血を流しながらも方向転換し、こちらに飛びかかろうとしているのだ。
それを迎え撃つには、俺の剣鉈はもう使い物にならなくなっていた——「
だけど、問題ない。
「
「
トッチョとスヴェンが来てたからな。
槍の穂先がレッドアームベアの身体にめり込み、斬撃が地面に縫い付ける。
『オアアア……オオオオ…………』
ぴく、ぴく、と動いていたレッドアームベアの身体はやがて止まり、目を、口を開いたまま絶命した。
「し、死んだのか……?」
トッチョくん、そういうフラグ止めてくれる?
とはいえ……心臓は止まったみたいだな
「ああ、死んだな」
「お、おおおお……マジかよ、信じらんねえ……」
へろへろとその場にへたってしまったのは仕方ないだろう。スヴェンだってすでに座り込んでいる。エクストラスキルはなんかこうゴッソリとカロリーを持ってかれる感じなんだよな。
俺?
両足でちゃんと立ってますよ?
むしろ座る余裕すらないんですけど?
今ならちょっと押されるだけで倒れる自信が、
「ていうかソーマ! なんなんだよさっきの技!?」
トッチョが投げてきた小石が俺に当たり、俺は見事に背後にばったーんと倒れた。
「ソーマ!? ソーマが死んだ!! よく見たら血まみれだ!!」
死んでねえし。
「師匠っ! そんな、俺たちをかばって……」
だから死んでねえし。声も出ないほど疲労してるだけだから。レベル300で得られる2つ目のエクストラスキルのクソ燃費のせいだから。
あーあ。
座り込んだふたりが、匍匐前進でずりずりこっちに迫りながら「ソーマ! しっかりしろ!」とか「師匠! 師匠ォ!」と泣き叫んでいる。こんなときでも無表情で。
(まったく、こいつら、早とちりなんだよなぁ……)
とか思いながらも、悪い気はしなかった。
* 門番 *
王立学園騎士養成校の西門を守る兵士は、悩んでいた。今日の昼に出て行った3人組——しかも1年生——が帰ってきていない。隣街に行ったようだが、泊まりがけで行ったのだろうか?
(そんな話は聞いてないんだよな……。ひとりは男爵家の子弟だったし)
すでに日は暮れようとしている。ぽつんと、豆粒のように見える山々の稜線——そこに夕陽が落ちていこうとしているのだ。
(どうする。念のため、上官に報告しておくべきか?)
気にしすぎだ、と言われそうだ。しかも「黒鋼」の生徒だと知られたらなおさらだろう。
西門を利用する学生は非常に少ないので、門番の担当は1名ずつのローテーションだ。しかも学園内の兵舎は東門側にあるために「ちょっと報告」で行けるほどの距離にはない。
行くのなら、18時の閉門後に行くしかない。
時間としてはあと30分ほどか。
「それまで待つか。……ん?」
兵士はそのとき、草原に、3つの人影を見つけた。こちらに向けてゆっくりと歩いてくる。逆光で見えづらいがなにか背負っているようだ——。
「なんだ! ちゃんと帰ってきてくれたじゃないか。よかったよかった」
その姿はだんだん大きくなってくる。
「……なんだ? なんか毛むくじゃらのような……」
彼らの姿もまた見えてくる。
「汚れ? いや——血!?」
兵士はぎょっとして駈け出した。ケガをしたのだ! それもとんでもない大ケガを!
「おい! おおい! 君たち、大丈夫か! 歩けるか!?」
声を掛けながら走って行くが、3人の生徒は無言でとぼとぼ歩いている。まるで精も根も尽き果てたという感じで。
(それもそうだ、あんなに大ケガをしたら——だが歩けるということは生きているということ)
そこに一縷の希望を見いだして近づいていった兵士は、
「……ん?」
異様なものに、気がつく。
なんだあれは。毛皮か? 黒髪の少年が縄で結んだ毛皮のようなものを背負っている?
それに隣の少年はなんだ。長い槍に大量の……鳥が結びつけられているのか?
そして最後の少年はなんだ。肩に担いだ剣の鞘にくくりつけた……肉塊……?
「あ。兵士さん、お疲れ様です……まだ入れますよね?」
疲労困憊、としか言いようのない声が聞こえてきた。
「も、もちろん——ってそれより君たち! ケガは大丈夫か!? なにがあったんだ!」
「ケガはしてないです。疲れただけで……あと台車かなにか貸してもらえませんか? 黒鋼寮まで運ぶの、きつくて」
「ケガをしてない!? 血だらけじゃないか! ——うっ」
ひどいニオイがした。鼻の奥に突き刺さるような酸っぱいニオイと、ケモノ臭が混じり合っている。
「……俺が言ったとおりだろ、ソーマ。お前、くせーんだよ」
「身体洗う元気もない。ああ……鹿肉、不味くなってなきゃいいけど」
「…………」
疲れてはいるようだが3人は軽口を叩いている。正確には1人は黙っている。
「ほんとに、ケガをしていないのか……?」
「大丈夫です。それより台車を」
「って、その毛皮はクマじゃないか!? まさかクマに遭遇したのか! こうしちゃおれん、すぐに上官に報告を——」
「いやいやいや、待って待って待って! クマは倒しましたから」
「誰が!?」
「俺たちが」
「……バカなことを言うな! 君たち1年生で倒せるわけがないだろう! 野生のクマというのは恐ろしいんだ。それこそ討伐隊を組まないと——」
「いや、あのー」
「こうしちゃおれん! 君たちは早く学園に戻りたまえ!」
兵士は走り出した。頭の中は、上官への報告と、森の封鎖をしなければ、という使命感でいっぱいだ。
「え、ええ……毛皮がここにあるんだから倒したってわからないの……?」
「……あの兵士、なんかテンパってたもんな……」
「それに台車も欲しかったんだけど……」
「あーあ……黒鋼寮までやっぱ持ってかなきゃダメなのかよ。クソッ」
そんな会話を少年たちがしているとは知りもしないで——。
兵士は、大急ぎで詰め所にいる上官へと報告した。
が、
——毛皮を見たのなら確かに討伐されたのだろう。子熊なら1年生でも倒せる。
と言われて「あっ」と納得したのはそれからしばらくしてのこと。
倒したのが子熊どころか、親熊でもなく、「凶暴」と名高いレッドアームベアであったこと、「森の死神」とも「見かけたら村を捨てて逃げろ」とも辺境では言われているレッドアームベアであったのだ——という事実は誰にも伝わらずに伏せられた。
もう6月とか早すぎない……?