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先生だって苦悩する。人間だもの。

   * ジノブランド=ガーライル *




 試験終了の鐘の音を聞いて、張り詰めたような緊張が緩んだのは試験会場である教室だけでなく、教員たちの控え室もまたそうだった。


(ふう……終わった、か)


 なにをしたわけでもない。

 ただじっとイスに座って待っているだけではあったが、それでもジノブランドはソーマの行く末がどうなるのかを心配していた。

 教室に行って生徒たちの様子を見ようか——と考えたところで、そんなことをしても逆に迷惑がられるだけだろうと気がついて苦笑する。


(自分で彼らを遠ざけておいて、今さら「テストはどうだった?」なんて聞けるわけもないよな……)


 重い息を吐き出したジノブランドのところへ、別の学年の担任がやってきた。


「どうも、先生。見立てでは黒鋼クラスは何点くらいになりそうですかな?」


 この初老で、恰幅のよい男が話しかけてきてもあまり目立たない。というのも鐘が鳴ったので教員も部屋を出て行ってよく、あわただしくも緊張の緩んだ空気、それに会話が教室には満ちていたからだ。


「……さあ、知りませんよ。俺が言われていた(・・・・・・)のは生徒になにもするなというそれだけでしたからね……」


 答えると、途端に男の瞳が冷たいものに変わった。


「だからお前はダメなのだ。欲しいものがあるのだろうが? だったらそれを持っておられる高貴な方々が喜ぶように動け」

「…………」

「そんなこともできず、ひとりで新薬を作ろうなど考えおって。バカめが」


 吐き捨てるように言うと、男は去っていった。すでにその顔に仮面は戻っており、他の教員ににこやかに話しかけている。


(——クソッ)


 膝の上で両手を握りしめる。

 なにも言い返せなかった。言い返すだけのものを自分はなにひとつ持っていなかった。

 ジノブランドには、病にかかった妹がいる。その病気を治すのに必要な治療薬は、今のところ「あらゆる病気を治す」と言われる秘薬「アムブロシア」しかないと言われている。

「アムブロシア」は極めて希少で、高濃度の障気を持ったダンジョンの最深部に湧き出ることでしか観測されていない。実際にこの国にも所有者が2、3人ほどいるようだが、それを手に入れることは金を積んでどうにかなることではなかった。

 だから、新薬を作るしかない。

 元々薬師であり、錬金術をかじっていたジノブランドにとってそれは当然の結論だった。


(でも、完全に行き詰まった……)


 高い金を出して希少な素材を購入もしたし、眉唾だと思っても「万能薬」などと言われて流通している薬を買ったりもした。

 そのせいで金がなくなり、「黒鋼」でもいいからと学園の教員にもなった。「黒鋼クラスの生徒になにも教えないこと」という条件すらも呑んで、追加の報酬をももらった。

 だがそれらを注ぎ込んでも新薬の姿も形も見えてこないのが今だった。

 そんなところへ——「アムブロシアをお前に渡してもいいとおっしゃっている高貴な方がいるが」と囁かれたのだ。

 取引条件として、


(……俺は、新入生たちを売った(・・・)


 絶望と後悔だけが心に満ちてくる。

 そんなジノブランドの心に、針で開けたような穴が空いている。穴からはかすかな光が漏れ出ており——それこそがソーマだった。


(もしあのとき、ソーンマルクスに賛同し、彼らにきちんと授業をすることになったら……)


 力なく首を横に振る。


(……バカな仮定だ。過去は変わらないのだから考えたって意味はない。それにそうしていたところで、俺の金がなくなって研究もうまくいかなかっただけだろう……)


 妹の痩せこけた身体を思い返す。肌に張りがなくなって、だんだん弱っている。アテにならない医者からは「もってあと1年……いや、半年くらいでしょうか」と言われていた。


「……帰ろう」


 結構な時間が過ぎていたらしい。

 廊下も静まり返っており、建物を出ると事務棟へと向かう。すると——事務棟の1階では事務員たちがざわついていた。


「——医務官の手が足りないって話じゃないんですか?」

「——いや、外傷はほとんどないようだよ。ただ心の傷が……」

「——あんなにケガ人が運ばれてきたの、初めてですよねえ」

「——今年の1年は凶悪だな……黒鋼クラスでしたか」


 今年の1年?

 黒鋼クラス?

 カウンターに手をついたジノブランドに事務員のひとりが気がついた。


「あっ、ジ、ジノブランド先生……」

「今の、なんの話でしょうか?」

「えっと、その、せ、先生には関係ないことでして」

「俺のクラスでしょう? 関係ないことは——」


 そこへ奥から、年老いた男——リエリィが1時間ほど前にここで対峙した男がやってきた。


「ジノブランド先生、どうぞこちらへ」

「事務総長」


 落ち着いた物腰を見てわずかに冷静さを取り戻し、ジノブランドは男——事務総長に導かれるまま事務員用の休憩スペースへとやってくる。

 高価でもなんでもないテーブルとイスがあるだけの場所だ。


「お茶を今淹れ——」

「要りません。説明を」

「……わかりました」


 と、事務総長は素直に話し出した。

 トッチョ=シールディア=ラングブルクと上級生が決闘を行っていること。

 事務員は介入するなと学園の上層部に言われていること。

 ソーンマルクス=レックが決闘に介入し、多くのケガ人が出たこと。


「ソーンマルクスが……!? ヤツは無事なのですか!」

「無事ですとも」

「そ、そうか……」


 あっさりと返ってきた「無事」という言葉にホッとしつつ、ジノブランドはわけがわからなくなる。ソーマは無事なのに「多くのケガ人」がいるという。


「……おそらくソーンマルクス=レックはなんらかのマジックアイテムを使い、上級生を昏倒させていったのでしょうな」

「なっ!?」

「彼の累計レベルは12です。それしか考えられません」

「そ、それは……そうかもしれませんが」

「ケガをさせられ、脅かされた生徒たちはひどく恐怖を感じており、おそらく彼らのご両親も怒り心頭に発すでしょう。どうぞジノブランド先生も彼には近づきませんよう」

「…………」


 わけがわからない。

 ソーマがいったいなにをしたのか。そんなマジックアイテムなど存在するのか。

 本人からの言葉を聞きたいとジノブランドは思い立ち上がった。そして背を向けて歩き出した彼へと事務総長は告げる。


「ここで動いて、上の方々の不興を買うなど無意味でしょう」


 一瞬足を止めたがジノブランドは歩き出した。

 早足になって、しまいには駈け出さんばかりになった。


(うるさい。わかっている。この行動になんの意味もないことなんて俺がいちばんわかっている……!)


 だけど、それでも行動せずにはいられなかった。

 その足は黒鋼寮へと向かっていた。

 寮の前には古びたベンチがあり、そこには3人の生徒が座っている。名前は確か——マール、バッツ、シッカクという名前だったはずだとジノブランドは思い出す。

 顔の丸いマールがジノブランドに気がつくとふたりをせき立てるように寮へと送り出す。そのマールはジノブランドをキッとにらみつけた。


「はぁ、はぁ、はぁ……お前はマール、だったよな? ソーンマルクスはいるか」

「……ソーマになんの用ですか○」

「話がしたい。中に入るぞ」

「だ、ダメです○」


 両手を広げて黒鋼寮の入口前に立ちふさがるマールに、ジノブランドは驚き——そして胸が苦しくなった。

 その姿は、肉食獣から己の仔を守る草食獣のようだった。ジノブランドという教師に対して権威と恐怖を感じながらも精一杯の勇気を振り絞って立っている。


(ああ……俺は、それほどまでに彼らに拒絶されていたんだ)


 きっと彼は、ジノブランドがソーマを罰するためにやってきたのだとそう思っている。

 そしてジノブランドを恐れながらもソーマを守りたいと思うほどに、生徒同士は結束している。

 すると——ぞろぞろと寮内から生徒が出てきた。

 男爵家のオリザが気の強そうな女子生徒を2人連れて、なぜか男子寮から。

 トッチョの取り巻きである4人の生徒と、バッツにシッカク。

 それ以外にも数人の——体格のいい男子生徒が。


「先生。回れ右して帰んな。アタシたちは今、めちゃくちゃに忙しいんだよ」

「……ソーンマルクスのことで、俺にもなにかできることがある」

「ああ、あるだろうよ。たった今言ったとおり、回れ右して犬小屋に帰るってことがアンタにできる最善さ」


 予想はできていた。

 しかし実際に耳にするとここまで心に堪えるものだとは思わなかった。


(……俺が、彼らにしてきたことは、こういうことだったんだな……)


 期待に胸を躍らせ学園の門をくぐった者は多かったろう。

 黒鋼クラスに割り当てられ、ガッカリしたもののそれでも「がんばれば」なんとかなると思った者もいただろう。

 そんな彼らの、最後の希望を砕いたのは——担任教師である自分ではないか。


「早く行きなよ。手荒なことはしたくないし、アンタは蹴っても楽しくもなんともなさそう——」

「……わかった」


 すんなりとジノブランドがうなずいたことに、オリザは少し驚いたようだった。


「……すまなかった。今さら謝罪ができるものではないと思っている。だが……すまなかった」

「っ!」


 その瞬間、ジノブランドの視界が回転した。衝撃が側頭部に走ったのは感じられたがなにが起きたのか——武術はさっぱりで研究畑をずっと歩んできた彼にはわからなかった。

 オリザに蹴り飛ばされ、地面を転げたのだと気がついたのは少し経ってからだった。


「っざけてんじゃねえぞ!!」

「オリザ様!?×」

「アンタが守らねえからソーマが全部背負い込んだんじゃねえか! 今さら謝罪とか寝ぼけたこと言ってっと——」

「誰か手を貸してくれ! オリザ様を止めろ!◇」


 顔が、地面に触れたのなんていつ以来だろう。ぐらぐらする頭に活を入れて、ジノブランドはなんとか立ち上がろうとし、両手を膝に当ててなんとか倒れるのをこらえる。

 向こうではマールとバッツ、シッカクがオリザを押さえ込もうとしてオリザに殴られている。

 オリザは——瞳に怒りを滲ませながら、それと同時に涙もまた滲ませていた。


「アタシはなァッ! 悔しいんだよ! 悔しくて悔しくてたまらねえんだよ! 全部ソーマにおんぶに抱っこだ! なんかあったら守ってやるつもりが、知らねぇ間にアイツに背負わせてた! ヤベェってことがわかったのは全部手遅れになってからだ! クソッタレ! クソッタレェェェェ!」

「先生、帰ってくれ! お願いだから!!○」

「…………」


 吠えるオリザに背を向けて、ジノブランドはよろよろと歩き出す。

 今、自分になにができるのか。

 できることなどなにもなかったではないか。


「クソッタレだ、ほんとうに……」


 彼の歩んだ足跡にはこぼれ落ちた滴で染みができていた。


風邪と確定申告と確定申告と確定申告でダウンしていました。あぁぁぁぁもおおおおおおお税金んんんんんんん働けど働けど税金んんんんんん高すぎいいいいいいいいいいいいいいいい(狂化)

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