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たったひとり、不正に抗う者

   * リエルスローズ=アクシア=グランブルク *




 リエリィは走り去るソーマの姿に目を瞠った。とんでもない瞬発力で風のように走っていくその動きは、到底リエリィが追いつけるようなものではなかった。


「私が……勝てるはずもありませんもの」


 累計レベルでは圧倒的に自分が勝っていたはずだが——とそこでふと、リエリィはレベル測定のときにソーマがトーガン先生に食い下がっていたことを思い出す。「故障」だとかなんとか言っていたはずだ。

 もしかしたらほんとうに、ソーマのレベルはもっとずっと高いのでは——。


「——そんなことより、事務棟に行かなければ」


 決闘を悪用したリンチは、悪辣な貴族がよく使う手段だった。相手の弱みを握ったり、圧倒的に有利な条件で決闘を行い、徹底的に痛めつける。

 本来、決闘には教員の立ち会いが必要なので、教員が介入すれば止めることができるはずだ。今はソーマを追うよりも教員を呼んできたほうがいい。

 リエリィが事務棟にやってくると、


「頼みます! あのままじゃ死んじまうよ!」

「おかしいだろ!? どうして誰も様子を見にも行かないんだよ!」


 カウンターで騒いでいる4人の生徒がいた。黒のパーカーを着た彼らはリンチに遭っているという生徒の仲間だろうか。


「しかし、今、手の空いている教員はおられないようで……」


 リエリィが近づいていくと、カウンターの向こうでおろおろしていた女性の事務員は、ぴくりと身体を硬直させた。


「お、おい……」

「げっ、グランブルク伯爵のとこの!?」

「『吹雪の剣姫』だ!?」


 リエリィのウワサはすでに十分広がっているようで、黒鋼の生徒やカウンターの事務員だけでなく、事務室にいる全職員がこちらを見ていた。


「——グランブルク家の者です」


 こういう言い方は好きではなかったが、今は好き嫌いをしている場合ではない。あのソーマの、自分の友人になってくれた唯一の人物の、クラスメイトがピンチなのだ。

 だがその物言いによる効果は絶大で、にらまれた事務員は顔を青ざめると後じさり、机にぶつかるやへなへなとその場に座り込んでしまった。


「手の空いた教員をひとり呼んでください。決闘場が私闘に使われている可能性があります」

「あ、あ、あ……」


 事務員はしかし、まともに反応ができない。

 黒鋼の生徒たちもどうやら「吹雪の剣姫」が自分たちと同じ用件で来ているとわかったようだが、気圧されたようになにも言えないでいる。


「……リエルスローズお嬢様。大変申し訳ありませんが、教員たちから、この件に関しては動くなと言われております」


 すると奥から、事務室の長らしい初老の男がやってきた。


「…………」


 リエリィがにらみつけると、わずかにたじろいたものの男はそれ以上引かないという態度だった。


「……それなら私が動きますもの」

「リエルスローズお嬢様、お止めなさい。これ以上の事態の混乱は——」

「動くと言ったのですもの!」


 リエリィはきびすを返すと事務棟を飛び出した。その後ろを4人の生徒もついてくる。

 彼女は疾風のように駈けていく。決闘場を目指して。




   * トッチョ=シールディア=ラングブルク *




 第4決闘場には異様な空気が満ちていた。壁際でその「決闘」を見守る生徒はすべて貴族の子女だ。

 クラスはバラバラで、碧盾がいちばん多く、緋剣や黄槍、蒼竜もわずかながらにいた。

 そして学年もバラバラである。

 彼らに共通点などなさそうだったがそれでも口元には少年少女が浮かべるにはふさわしくない——どこか世界の汚れを知ってしまったかのようないやらしい笑みが浮かんでいた。


「どうした、それだけかよ? ラングブルク家の槍術なんてのもたいしたことはなかったな。ハッハハハハハ!」


 碧盾クラスの3年生が笑い声を上げると、それに応えるように見物客たちの間からも笑いが漏れた。


「ハッ、ハァッ、ハァ、ハァ……」


 それに対して、地面に膝をつき、汗だくで息を切らしているのはトッチョだった。

 制服は砂埃にまみれ、ところどころ破けて血が滲んでいる。


「えげつねえなあ。血のつながった従兄弟にここまでできるかね?」

「血がつながってるだけにムカついてるらしいぜ。なんせアイツんとこ子爵家だけど、男爵家のラングブルクのほうが名前が売れてるって」

「だからここまでやってるのか」


 トッチョの「決闘」の相手である3年生は、学園レストランで話しかけてきたトッチョの従兄弟だった。

 統一テストに出席するなと言われたトッチョは、その言葉を無視して出席した。

 情報はすぐに彼の耳に入り、テスト終了後にこうして呼び出された——。


「おい、トッチョ。簡単に『参った』とか言うんじゃないぞ? 生半可な覚悟で私の忠告を無視したわけではあるまい?」

「…………」


 地面に落ちた槍へと、トッチョの手が伸びる。


「まさかとは思うが、反撃するのか?」

「っ!」


 その手が、止まる。


「いいぞ、かかってこい——だがその代償はわかっているんだろうな?」

「…………」

「……お前のクラスの平民くらい、子爵家の力をもってすればどうとでもできる。気づかぬ間に家族を拉致することだってなあ?」


 トッチョがテストを受けることで得をするのはソーマ以外にあり得ない。だからこそこの従兄弟は、トッチョがソーマのためにテストを受けたのだと考えていた。

 それは当たらずといえども遠からずだった。

 トッチョに言わせれば「あんなヤツのためじゃねえ!」ということだろう。だが、ここで従兄弟に反撃して、ソーマにとばっちりがいくのは望んだ結末ではまったくない。


「……外道が」

「ふはっ。おいみんな、聞いたか? 外道だとさ。平民に肩入れをする男爵家の者が、純然たる貴族であるこの私に! 外道だと言った!」

「ぐはっ!」


 踏み込んできた従兄弟がトッチョの顔面に蹴りを入れる。まったく力の加減もしていない蹴りだ。

 背後に倒れたトッチョは、ぺっ、と血液混じりのつばを吐く。前歯が一本転がった。


「——この期に及んで口答えとは余裕だな、トッチョ。私は言ったんだぞ、お前に、テストを受けるなと。それがどうしたことだ? カバンにはテスト対策のノートまで入っているではないか」


 決闘場の隅にいた従兄弟の仲間が、トッチョのカバンを地面にぶちまける。


「お?『試験妨害対策』? こいつら、こんなもんまでやってるのかよ!」

「こっちは『必ず覚えておくべき7つの法律』だってよ。はぁ〜。テストのために必死だねえ、黒鋼クラスは。そこまでしないと点数も取れないんだろうな」

「黒鋼ごときがまともに勉強しようとしてんじゃねえよ」


 少年たちがノートを、テスト対策の紙を踏みにじる。

 それはルチカが毎日毎日トッチョのために届けてくれたものだった。授業に一切参加していなかったトッチョが、テストには来てくれると信じて書いてくれたノートだ。


「止めろッ! ——ぐぶっ」

「誰が起き上がっていいって言った?」


 立ち上がろうとしたトッチョの腹に、従兄弟の蹴りがめり込んだ。


「これはなあ、貴族としてのルールを破ったお前に対する罰なんだよ。お前がそこで怒ったりしていい権利なんてひとつもない。わかるか? だから私は剣を使わない。傑作だろう? 槍術の名家であるお前が、槍を持っているのに、ただの貴族である私が武器を使わずお前を制圧するんだ。明日にはこの話は広まっていることだろう」


 クソ……クソ……クソッタレ……。

 トッチョの視界が悔し涙に歪む。ソーマに負けて以来、森の奥で槍の特訓に没頭した。そのおかげでかなりの手応えを得ていた。悔しさをバネに【槍術】のレベルが大幅に上がっているのを感じた。

 テストが終われば、ソーマにリベンジマッチを挑むつもりだった。

 ソーマ以外に負けるわけにはいかなかった。

 なのに——この従兄弟は、そんなトッチョの、残りわずかなプライドさえも踏みにじる。


「泣いていろ!」


 蹴りが、


「己のバカさ加減を悔いろ!」


 蹴りが、


「一生地べたに這いつくばれ!」


 蹴りが、トッチョに襲いかかる。

 視界がぐらぐらして痛みさえも遠のくような感覚。身体を丸めるトッチョを従兄弟は何度も何度も蹴り——、


「——は?」


 その足を、止める手があった。

 いつの間にやってきたのかわからないほどの速度で彼は飛び込んでくると、従兄弟の足首をつかんだのだ。

 その力はとてつもなく強く、まるで巨大な木に絡め取られたかのようだった。


「……それが、騎士になろうっていうヤツがやることか」


 トッチョの前に身体を割り込ませながら、言った。


「たったひとりでも不正に抗った者を、よってたかっていじめるのが騎士なのか!!」


 ソーンマルクス=レックが、言った。


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