鐘が鳴る、始まりを告げる鐘が
* 試験官 *
講義棟が静まり返っている。そこへ、統一された灰色の服を着た男女がやってくる。彼らが持っているのは一抱えもあるほどの木枠がついた金属プレートと、紙の束である。
各人がそれぞれのフロアへと散っていく。
そのうちの、痩せぎすの男がやってきたのは1年黒鋼クラスだった。
ドアを開けて入っていくと、張り詰めていた空気がますます硬質になっていく——というのが例年の1年生なのだが、違った。
「なんだよそりゃ!? あり得ねえだろ、ソーマ!」
「ほんとだって!」
わはははは、と、大笑いとまでは行かないがさざ波のような声が聞こえている。
痩せぎすの男は目を瞬かせたが、ここが目的地で間違いないはずだ。
「あの、テストなのですが?」
「あ、もう来ちゃいましたか。すみません!」
黒髪の少年が頭をかきながら席へと戻っていく。
なにをしていたのだろう。黒板を見ると、「人生でいちばん恥ずかしかったこと」なんていう言葉が書いてあり、教壇にはクジのようなものが散らばっている。
——まさか、テスト開始直前にクジを引いて「人生でいちばん恥ずかしかったこと」を話していたのか?
男が戸惑っていると、生徒たち全員がこちらを見ていた。あわてて黒板を消すと、今日の試験順を書き、なにも書かれていない解答用紙を配っていく。
「本日の統一テストは係員が問題を読み上げる形式で行われる。我々は学園とは
説明を開始すると、黒いパーカーを着た生徒たちはうなずいたりしている。元々知っている内容なのだろうがここで「必ず説明をすること」と言われているので痩せぎすの男にとってこれは義務である。
「各教科とも試験時間は1時間である。試験の開始と終了は鐘の音によって告知される。終了の鐘が鳴り始めたら速やかにペンをおくこと。ペンをおかない場合は不正とみなす。時間の経過はこの『
痩せぎすの男は木枠のついた金属プレートを指差した。それはどこか写真立てのようにも見えるが、写真の代わりに入っているのは鈍色の金属板だ。「おおっ」と声がするので男がそちらを見ると、先ほど教壇に立っていた少年がなんだか興奮した顔でこちらを見ている。
「
——ふん、せいぜい珍しがっておけ。お前がこれを見られるのは今日が最初で今日が最後だ。
痩せぎすの男は一通りの説明が終わると教壇横のイスに座った。
彼は——確かに、学園外で雇われた係員だ。だがこの係員を出すよう依頼している斡旋商会はほぼ決まっておりそのことは教員たちにとっても常識だった。
斡旋商会に裏金が回ることもよくあった。
たとえば、鐘が鳴っているのにペンをおかなかった生徒を見逃して欲しい。
たとえば、一度しか読まない問題文を、「言い間違えた」などでもう一度読んで欲しい。
たとえば、ちょっとした紙のやりとりを生徒がしていても
などなど、点数を上げるためのお願いをしている人間がいるのだ。
同時刻、白騎クラス。
黒鋼クラスと同じくらいの広さながら内装はまったく違う。教室には絨毯が敷き詰められ透明度の高いガラスからは陽光が燦々と降り注いでいる。
カーテンや壁紙も流行に合わせた豪華な造りで、これらは毎年取り替えられる。
教壇を中心に生徒の机は放射状に配置されており、ティーカップを置くサイドテーブルまでついている——テストのときにはさすがに提供されないようだが。
「高貴なる皆様。もし仮に問題を聞き取りづらいことがありましたら遠慮なくお申し付けくださいませ。私の発音に問題があることは間違いありませんので、その場合は係員の不備ということで再度問題を申し上げます」
係員はなんの臆面もなくそう言った。他のクラスにはない「超優遇」であることは間違いない。
それを聞いたキールはひっそりと眉根を寄せながら手を挙げる。
「係員殿、申し訳ないが我らを特別扱いすることはありませんよう、お願いする」
「はっ……? そ、その、どういうことでしょうか」
「他のクラスと同様、ルール通り、問題を読み上げるのは1回だけとしていただきたいのです。——皆様、それでよろしいでしょうか?」
キールが言うと他の生徒たちが反論するわけもない。
「もちろんですとも」
「問題を聞き逃して2度読むよう頼むなどという見苦しい真似は、白騎クラスに似つかわしくない」
「自らそれを申し出るキルトフリューグ様のご立派なことよ」
小さくうなずいて、キールは言った。
「我ら白騎クラスは、各クラスと同じ条件の下でテストを受け、そして1位になるのです」
その言葉の裏に、黒鋼クラスの少年を強烈に意識しているなんてことはクラスにいる誰も知らないことだった。
鐘が、鳴った。
講義棟のてっぺんに取り付けられている鐘は、マジックアイテムであるらしく、その音色は講義棟のどこにいても聞こえるようになっている。
大きすぎず、小さすぎない。
乾いた金属の音は、今日ばかりは厳粛さをもって聞こえてきた。
上層の、貴顕が集まる教室で聞いても。
中層の、女子ばかりいる教室で聞いても。
最下層の、粗末とも言える教室で聞いても。
それは同じ鐘の音色だった。
「では、王立学園騎士養成校、5月の統一テストを開始します。最初の科目は『神話』です。第1問——」
黒鋼クラスを割り当てられた痩せぎすの男は、真剣な顔でこちらを見つめている生徒たちを見て、口元が歪みかけるのをぐっとこらえた。
「神々の母であるクツマの教えである『人を愛せ。人は愛を返すであろう』という言葉に象徴される思想を元に教会はゲホゴホッ季節の挨拶を設定したがゴホゴホッ冬の挨拶定型文をゴホッ記述せよ」
とんでもない早口だった。さらに重要な部分にかぶせて咳払いをすることで聞きづらくなる。
「第2問——」
どうだ、聞き取れない者もいただろう? 何人だ? 10人? 20人? あるいはもっと?
最初の1問目でつまずけば、次の問題が頭に入ってこない。それを引きずって1日が終わるなんてのもよくあることだ。
所詮は13才の子どもたちである。
大人の奸智の前に、泣いてもらおう——と、男は思っていた。
(え?)
だが黒鋼クラスの生徒たちは全員、さらさらさらとペンを走らせていた。むしろほとんどの生徒が必要な情報を書き終えており、次の問題の読み上げを待っている。
今まで、この早口と咳のコンボで多くの生徒が本来の調子を崩されて点数を落とすのを見てきた。
なのに、これはなんだ?
まるで——。
(——まるで、私が早口で問題を言うだろうとわかっていたかのような——)
コン、コン、と机を叩く音がしてハッとした。
それは男が教室に入ったとき教壇に立っていた黒髪の生徒だった。
早く次の問題を読め、と言われて男は焦りすら覚えた——ほんとうならば自分が、生徒たちを焦らせる立場だというのに。
「だ、第2問」
背中に汗をかきながら男は問題を読み上げていく。