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忍び寄る影は昏く

「やあやあ」


 俺がわざと声を上げて近づくと、彼らはぎょっとして振り向いた。


「ガ、ガリ勉……」

「なにしに来たんだよ。俺たちお前の授業なんかには出ないぞ」

「や、出ないと決まったわけじゃ——」

「だからそれトッチョさんに言えんのかよ」


 またやいのやいの言い出してる。


「まあ、まあ、落ち着いてよ。別に俺だって君たちに無理強いするために話しかけたわけじゃないんだ。ただ——ひょっとしたら君たち、あのこと(・・・・)知らないんじゃないかなって思ってさ」

「……あのこと? ってなんだよ」

「うんうん。学園内には平民よりも貴族家の出身者のほうが多いよな」

「そりゃそうだろ。だからなんだよ」

「うんうん。でも貴族家の間じゃあの話(・・・)は広まってないんだな、って思ってさ。平民同士だと情報のやりとりをよくやるからすぐ伝わってくるんだ。貴族と違って見栄を張る必要もないし」

「だから!『あのこと』だの『あの話』だのってのはなんなんだよ!?」


 俺はことさらもったいぶって、小さくため息なんかついてみたりして、言った。


「テスト結果が親に送られてるって話」


 これは意外だったのだろう、4人はピシリと固まった。

 その中でもひとりが明らかにうろたえる。


「い、いや、それはないだろ……学園のテスト結果は学園内の指導のためにだけ使われるって俺は聞いたし」

「そ、そうだよ。いい加減なこと言うなよ」


 抗弁する彼らに俺は言う。


「建前上は、ね」

「!?」


 そう、建前上はそうなっている。学園でのテスト結果は学園内でだけ処理される。全寮制だし(例外はあるけど)彼らは夏休みまでは実家に帰らない。

 だけどその「建前」なんてのが嘘っぱちだということを俺たちはすでに知っている。なーにが「貴族も平民も同じ生徒。扱いは同じ」だ。「すべてのクラスが必要」だ。めっちゃ格差あるじゃねーか——と。


「俺はこう聞いたんだ。学園を卒業したら騎士になる、つまり貴族社会でもそこそこの箔がつくというのは周知の事実だろ? そんな場所で行われたテストは、当然、生徒の親だって知りたいと思うわけだ……彼らだって寄付金を払ってるんだから」

「それは……そうだろうけど」

「よく見てみなよ。学園内でトップを取らなきゃいけない白騎や蒼竜クラスならともかく、黄槍や緋剣、碧盾の生徒たちだって必死で勉強してるだろ? ピリピリしてるだろ? 親に怒られたくはないもんな」

「マジかよ。アイツら知ってたのか? 親にテスト結果が送られること!」


 ウソだけどな。でもこれくらいのウソならば許されるだろう。

 勉強をやらせないウソじゃなく、やらせるためのウソなんだから。


「少なくとも俺はそう聞いたってだけだけどね。そう考えてみると納得できることが多いって思ったんだ。じゃ、授業があるからそろそろ行くよ——」


 歩き出した俺の背後で、彼らがひそひそと話している気配がうかがえる。ちょっとした諍いまで始まっている。

 さて、どうなるかな——と思っていると、


「ソーンマルクス! ちょっと待て!」


 どちらかというと最初から「テストは受けたほうがいいんじゃないか」と心配していた男子が声を掛けてくる。


「……い、今から勉強して間に合うか?」


 その言葉を待っていた!

 俺はにたりと口元を歪ませかけたが——なんとかこらえて平静を装って振り返る。


「もちろん。むしろ今日からが本番だ。過去の試験問題からピックアップした、予想問題に徹底的に取り組む。これだけできれば最低限の点数は絶対取れるってヤツ」


 不安そうだった彼の瞳に、希望の光がちらりと見える。


「俺は授業に出る」

「お、俺も」

「おい! いいのかよ!? トッチョさんに言うぞ!」

「そうだぞ!」

「言いたきゃ言え。お前ら、0点のテスト結果を見た親がなんて言うか考えてみろ」

「…………」

「…………」


 反対していたふたりは、顔を見合わせた。


「そ、そこまで言うなら俺も出てやる」

「しょうがねえな……」


 なにがしょうがないんだか、と俺は噴き出しそうになりながらも——4人とともに教室へと向かった。

 これでトッチョ以外の全員が授業に出てくれることになった。

 そして恐る恐る再来週明けから始まる統一テストのために「土日も試験対策しない?」と切り出すと、全員が賛成したのだった。




   * トッチョ=シールディア=ラングブルク *




 彼はイラついていた。

 突き出した槍の威力が明らかに鈍っていることがわかるほどに。


「クソッ! なんなんだよアイツはッ! なにがいっしょに訓練だッ!」


 この学園に入り、最初の実技の授業が行われたときに、彼、トッチョは悟った。


 ——このクラスに、俺の敵はいない。


 と。

 彼は槍術で名を上げたラングブルク家の子であり、物心ついたときには槍を握っていた。

 そんな彼の天稟は「一本槍(ザ・ランサー)」であり、その天稟の効果ははっきりとはわかっていないものの、ラングブルク家槍術の開祖と同じ天稟であることから大いに将来を嘱望されていた。

 事実、トッチョと同じほどのスキルレベルを持つクラスメイトはいない——はずだった。

 しかしあの授業はあくまでも「騎士の使う剣」を学ぶ授業だ。

 反復に次ぐ反復と実戦に次ぐ実戦でスキルレベルを上げまくったソーマはもちろん、女子ながらも「剣」ではなく「蹴り」でスキルレベル100を突破しているオリザという強者についてもトッチョは見落としていた。

 トッチョはラングブルク家でこそ「将来性ナンバーワンの子」だったが、それはやはり「井の中の蛙」だったのだ。


「なんなんだ、アイツは……」


 肩で息を吐いてトッチョは座り込んだ。

 この森には他に誰もいない——彼は息を整えるべくじっとしていた。

 そうしていると思い返すのはソーマとの決闘だ。あんな低レベルが相手になるわけもなかった。だが、あの動きは——まったく見えなかった。もう一度だろうと十度だろうと相手をしても勝てる見込みはまったくない。

 自分が「井の中の蛙」だと思い知らされるには十分な敗北だった。


「なんであんな野郎に、ルチカは……」


 双子の妹にして、同じ母を持つ唯一の兄妹ルチカ。

 父や家の者が自分に向ける目線は明らかに天稟をうらやみ、褒めるものだったが、ルチカは違う。純粋に自分の本質を見て、接してくれるただひとりの存在だった。

 だからこそ、武術にはとんと疎いルチカを自分は保護しなければならないと思った。自分が学園に通うことになれば残された彼女がどんな扱いをされるかわからないから「いっしょに通わせるように」とワガママを言った。

 それなのに。

 ルチカは——ソーマに勉強を教わっていた。

 自分が決闘をして負けるよりも前に、ルチカはソーマの力を見抜いていたのか?


「わかんねえ……大体なんであんなに勉強なんかしてんだよ。勉強なんかできなくったって女は嫁いで終わりだろ」


 嫁いで終わり、なんてことはまずないのだが、それでも男に比べて女はさほど勉強しなくていいという風潮はあった。

 トッチョは、ルチカが自分のために勉強をがんばっているだなんてことはまったく知らなかったのだ。ルチカが勉強を教えてくれたおかげで入学試験に受かったことも、トッチョはよくわかっていない。

 ソーマはトッチョが「気になる女子でもいるの?」とか言ってきたが、トッチョが気にしているのはなんだかんだでルチカのことだ。ルチカが女子の集団にちゃんと溶け込んでいるかが気になるし、ルチカの敵がいれば排除してやりたいと思っている。

 ソーマがにらんだとおりシスコン気味である。

 のろのろと起き上がると空きっ腹に気がついて森を離れる。身だしなみを整えて——これでも男爵家で育った以上、身だしなみには気を遣う——学園レストランへと向かった。

 ランチには早い時間で中にほとんど生徒はいない。だが、それでも各クラスごとにくっきりと座る位置は分かれており、迷わずトッチョは黒鋼の席——誰もいないが、いちばん奥のテーブルへと向かった。

 給仕に食事を頼んだところで、話しかけられた。


「やあ、ここにいるとは思わなかったよ」

「……どうも」


 話しかけてきたのは碧盾クラス3年の、従兄弟だった。ラングブルク家から子爵家に嫁いだ叔母が産んだ子である。

 年に1回か2回会うかという程度の相手であり、それも時候の挨拶を交わすくらいだ。そんな彼がここで話しかけてくるとは? とトッチョは貴族らしく相手の腹を探る。


「叔父さんは元気か? だいぶ君には期待をかけているみたいじゃないか」


 相手はにこやかにそんな会話を振りつつテーブルの対面に座る。他のクラスの生徒と同じテーブルを囲むのはさほど珍しいことではないが、黒鋼クラスまでやってくるもの好きはいない。


(なにが目的だ? ほんとうにただ挨拶しに来たとか?)


 考えてみる。だがそんな駆け引きは苦手な男である。


「なにか用っすか」


 直球で聞いた。聞かれたほうもあまりに直球過ぎて目をぱちぱちしてから苦笑した。


「いや、まあ……そうだな、君には違和感があるだろうな。私がこうして学園で話しかけてくるとは。——せっかくだから親族の者として君には忠告しておきたいと思ってね」

「……忠告?」


 思いがけない言葉を聞いて、トッチョは首をかしげる。


「統一テストを欠席しなさい。他に何人か引き込んで、黒鋼クラスの平均点を下げ、できうる限り確実に黒鋼クラスが最下位になるように動くんだ」

「……は? なんであんたがそんなことを?」


 あんた、という無礼な物言いに眉をひそめながらも従兄弟は続ける。


「ソーンマルクス=レック。彼がいると困る方々が多いんだ。彼ひとりの点数でなにかが変わるわけではないが、こうして私にも動く(・・)よう要請がくる以上、安心できない方々がおられるということだろう」

「ちょっと難しい話はよくわかんないんすけど……」

「わかった。話をシンプルにしよう。お前がテストを欠席すれば、大金貨1枚やる。他に1人欠席者を増やすごとに金貨3枚やる」

「!?」


 思わずトッチョは腰を浮かしかけた。

 大金貨1枚とは、日本円換算で100万円、金貨1枚で20万円程度だ。

 たとえば取り巻き全員とトッチョがテストを欠席すればそれだけで200万円近くの金をやると言っているのである。

 それは——裕福とはけして言えないラングブルク家のトッチョにとって、とてつもない金額だった。


「そ、そんなの、もらえねえよ……」

「もらっておけ。むしろもらわないで『貸し』にしようなんて思うなよ。お前が面倒だと思われて目をつけられると私も困るんだ」

「そんな」

「話はそれだけだ——ああ、もちろんテストに出席するなんてバカなことは考えるなよ? それこそ身の破滅だ。こうして話が来た以上はお前もこっち側の人間になったってことだからな」


 従兄弟はそれだけ言うと、さっさと立ち上がって去っていった。


「なんなんだよ……」


 それからしばらくしてトッチョの頼んだひな鳥のソテーが給仕されたが、トッチョがそれに気づいたころにはすっかり冷めていた。




「おいおい、黒鋼クラスに行ってなにしてたんだよ?」

「ああ……出来の悪い身内がいてさ。ちょっとした話をしてきたんだ」

「おっ。例の金儲けの話か?」

「金だけじゃねえよ。これで俺はもっと上の方とつながりが持てたかもしれないぞ」

「おーおー。豪勢なこって。それじゃここの支払いはお願いしようかな?」

「ふん。まあおごってやるよ。それよりこの話はグーピーのババァには言うなよ。ヘタに聞かれて一枚噛ませろとか言われたら面倒にもほどがある」

「わかってるって。それにしても今年の1年は騒がしいな」


 そんなふうにして話す3年生のテーブルがあった。

 その背後で、聞き耳を立てている存在がいたことには彼らは気づかなかった。


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