太っちょくんは森にいて
統一テストの試験範囲が発表されたのはその日の朝、ホームルーム……のような時間で、だった。いつもならばふらっとジノブランド先生がやってきてぼそぼそとなにか言ったかと思うとすぐに教室を出て行くだけなのだが、その日は巻紙を持っていたのだ。
巻紙には統一テストの範囲が書かれており、その巻紙は教室の壁に掲示された。他になにもない殺風景な壁にぽつねんと貼られた紙はどことなく寂しげであり、貼ったときに曲がったのか、ちょっとナナメなのもよりいっそうのわびしさを誘っていた。
ま、それはともかく。
俺には心配事があった。試験範囲のことじゃないぞ? あれは想定内というか完璧に予想通りだった。
俺が心配しているのは太っちょくんのことだ。ヤツは、いまだに授業に参加していない。実家に帰ったのかと思いきや寮にいるらしい。実家に帰っていると「休学」扱いなのでテストの頭数に入らないのだが、寮に残っている以上は頭数に入ってしまう。
しかし部屋に籠もっていてやることなんてあるのか? ヒマ過ぎない? もうかれこれ2週間くらいになるんだけど……ずっと部屋の中ってマズイよな。
よほど破壊力のあるエロ本でも拾ったんだろうか。
「師匠。師匠」
「あ、ああ……ごめんごめん。ちょっと考え事してた」
今はスヴェンとともにいつもの朝練である。スヴェンはいまだに自分のスキルレベルを確認していない。「統一テストが終わったら確認します」と言っていたのだが、どうやらレベル確認を自分への「ご褒美」として勉強もがんばろうという考えらしい。
こいつ、結構健気だよな……。
マズイ。スヴェンの頭の上に垂れ下がったイヌミミとケツにはイヌシッポを幻視してしまったぞ。なお尻尾はちぎれんばかりに振られている模様。
「せいっ!!」
スヴェンの木刀による一撃を、俺の
薪、である。
木を切って作るアレだ。冬には燃やしちゃうアレだ。
俺の愛用木刀ちゃんが亡くなってしまい、お金にも余裕がないのでとりあえず寮の倉庫に置かれていた薪で素振りしているのだ……。素振りでレベル上げだけならできるからさ……。
「うん。いい振りだな。これはかなりレベルアップしてるんじゃない?」
「うぇへへへそうですかいやだなぁもう師匠ぇへへへへ」
なにこのスヴェン気持ち悪い。声はぐねぐねなのに顔が無表情なのがなおさら恐ろしい。
「じゃあもうちょっとやったら授業の準備すっか——」
と言いかけたときだ。
俺たちは寮の裏手にあるちょっとした森の中にいたのだけれど、遠くで乾いたものが叩きつけられるようなそんな音が聞こえてきた。
スヴェンも聞こえたらしく、俺と視線をかわす。
こんな朝っぱらから誰だ? この森の奥にはなにもないはずだから、高い確率で黒鋼寮の生徒がいるんじゃないかと思うんだけど。
「鍛錬……でしょうか」
「ちょっと見に行ってみようか。もし同好の士ならいっしょに朝練してもいいし」
「修行仲間ですね」
にやり、と笑って見せるんだけど目が笑ってないんだよお前は。不気味だっつーの。
秘密訓練とかだったら悪いので、近くに行って確認してから声を掛けることにする。あまり音を立てないようにそろそろと近づいていく——がなかなかたどり着かない。結局やってきたのは100メートル近く離れた場所だった。
……ここから音が届いたのか? なんの音が鳴ってたんだろ。
「どれ、一体誰が——」
のぞきこんだ俺とスヴェン、
「!?」
「!?」
驚きに凍りつく。
「フゥッ、フッ、フゥッ……」
上半身をあらわにした少年が、汗だくになりながら長い長い
ドスッ、ドシィッ、と鈍い音が聞こえてくるが、
「せぇぇえい!」
突きが決まるとビシィィィィッと音がして大木が削られる。……アレってエクストラスキルじゃね?
俺が両手を広げても抱えきれない——3人くらいいれば抱えられるだろうか、というほどの巨木である。その表面はひどく削られており、生木の発する青臭いにおいが漂っていた。
「はぁ、はぁっ、はぁ……」
ばたん、と背後に大の字に倒れたのは——誰あろう、太っちょくんだった。
太っちょくん、改め、やや太っちょくんだ。
身体は絞られてきておりでっぷりしたイメージがなくなりつつある。
「痩せてるゥッ!?」
トッチョ=シールディア=ラングブルクくんの大半を占めるアイデンティティである「肥満」がほぼほぼ解消されつつあり、そのせいで俺の認識が崩壊の瀬戸際になり思わず声が出てしまった。
「なっ!?」
声に気がついたやや太っちょくんががばりと起き上がりこっちを見る。木陰からのぞきこんでいた俺とスヴェンはあわてて隠れたがばっちり視線は合った。
「…………」
「……師匠」
俺、両手で口を塞いだが、スヴェンがジト目でこっちを見てくる。
スヴェンよ、師を責めてはならない。師だって間違う。師だってびっくりしちゃう。
「……出てこいよ、ガリ——」
ガリ勉、と言いかけたんだろうトッチョは、なぜかそこで言葉を切った。
「バレてしまったのなら仕方がないな」
スヴェンのジト目に負けず、俺はなるべく大物ぶって出て行ってみた。まあ、大物ぶる必要なんてないんだけど。
「……なにしに来たんだよ。笑いに来たのか?」
「いや、そこまでヒマじゃないよ。こんな朝から訓練してるのは誰かなって」
「別に訓練とかそんなんじゃねえし」
息切らしながら鉄の棒を振り回してエクストラスキルを放つことが「訓練じゃない」のなら一体どれほど過酷な内容が「訓練」なんですかね。
とまあそんな嫌みを13歳に言うほど悪趣味じゃないので、俺は「そっかー」と軽くうなずきつつ、
「なあ、俺とスヴェンは毎日朝練やってるんだけど、お前もいっしょにやる?」
と聞いた。
「はぁあああ!?」
「えぇえええ!?」
トッチョとスヴェンのふたりが同時にびっくりして俺を見る。え、なに? お前らなんでそんなに息が合ってるの?
「バッ、バカじゃねえの!? なにが惨めでお前らなんかといっしょに訓練しなきゃいけねえんだよ!」
「だって武技の訓練は相手がいてなんぼだろ? 相手がいないとただの素振りになるし、相手がいればいろんな想定で訓練できる。さらに【防御術】のスキルもアップできるというオマケまでついてくる」
あと【槍術】に関する知識も蓄えられる。ぐふふふふ。
「……お前、なに考えてやがる」
うぐッ!? なんか槍術の名家らしいラングブルク家の秘伝を盗んでやろうという作戦がバレたか!?
「ザケんじゃねえよ。やってられっか」
トッチョは放り出していた上着を拾い上げると、俺たちに背を向けて去っていった。
「あららら……勧誘失敗か」
「……師匠」
と、またスヴェンがジト目でこっちを見てきた。
「な、なんだよ」
「どういうおつもりですか」
スヴェンまで! そんなに俺は悪だくみをしているような顔だったろうか? 顔に出やすいのか?
「師匠の一番弟子は俺じゃないんですかぁっ!」
「あ、そっち?」
スヴェンは平常運転だった。そもそも弟子にしたつもりがほとんどないんだが、それを言うと泣き出しそう(無表情)なので言わないでおいた。
「いや、槍術の使い手がいれば俺たちの実戦経験も積めるじゃないか。これってめっちゃ大事なことだろ」
「!」
ぽん、とスヴェンは手を叩いた。
「是非、ヤツを我らが軍門に降らせましょう」
「言い方ァ!」
こいつはいちいち言うことが物騒なんだよな……根はいい子なんだけど。