この怒りは抑えがたくて
建物の陰をこそこそ進んでいく。身体能力的には圧倒的にフルチン先輩より上の俺だが、それでも前回彼に1時間ほど逃げ回られてしまったのは彼が学園内を知り尽くしているからだった。彼はこうして夜這いするために地理を研究し尽くしたのだろう……その努力、クラス改善のほうに傾けて欲しかったぜ……。
「あ」
俺が緋剣寮の裏口にやってくると、「吹雪の剣姫」こと、にゃあにゃちゃん、じゃなかった、リエルスローズ嬢がいた。お、おお……パジャマにカーディガンを羽織っている姿は幼いながら美少女がやると破壊力半端ねぇな。
俺の姿を認めると、絶対零度の視線を向けてくる。ひぃっ。タマヒュンである。だけどクセになっちゃう……!
「こ、こっちに」
「ん?」
「実は同室の者に『気分が悪いから外の空気を吸ってくる』と言ったんです。そうしたらついて来ようとしてくれたので……ここにいたら来てしまうかもしれないですもの」
なるほど。
俺たちは緋剣寮からちょっと離れた場所のベンチへとやってきた。
「これが昨年の統一テストの過去問。借りられるのは一晩が限界で……」
「十分十分。これくらいならすぐ写せるよ。ありがとう」
過去問なので各教科ペラ1枚程度だ。口述問題なので問題文が長くならないのがいいな。
「できれば去年以前の……5年分くらい欲しいんだけど大丈夫かな」
「1年分ずつでしたらできますもの」
「ありがとう! めっちゃ助かるよ」
これで試験対策はばっちりだな。時間がないのが難点だけどそこはなんとかするしかない。土日も授業やろうといったらみんな嫌がるだろうか……テスト前だけだから、って言ってお願いしよう。
「試験範囲については昨年と同じらしいです」
「そうなの? なんでもう知ってるの?」
「はい、緋剣クラスはいちばん最初に情報が入ってきますから」
「……そうなの?」
リエルスローズ嬢が話してくれたところによると、緋剣クラスは「情報収集」「諜報活動」といった授業が設定されているらしい。先生もその実演のために情報を探してくるようだ。
女の子しかいないクラス……諜報活動……と来ると、これはあの、アレですか、色仕掛け的なヤツですか、って思っちゃうんだけど間違いなくそうだよね。
リエルスローズ嬢の色仕掛け……5年後くらいに是非ともお願いしたいところ。
「ありがとうリエルスローズ嬢。これでテストは乗り切るよ」
「あ……」
「ん?」
立ち上がった俺に、彼女はなにかを言いかける。
「どうした?」
「あの……えっとその……リエルスローズ嬢という言い方は……」
「あれ? 貴族の女の子にはそういう言い方でいいんじゃなかったっけ?」
「こ、ここは学園ですもの。貴族も平民もなく、レックさんには呼んで欲しいんですもの」
これはうれしいことを言ってくれる。そうかそうか、リエルスローズ嬢——じゃなかった、ええと君も、第3王子と同じようなことを思ってくれているんだね。
「じゃあ、君も『レックさん』じゃなくてソーマって呼んでよ。ソーンマルクスじゃ長いから、親しい連中はみんなソーマだよ」
「し、親しい……!?」
ぱちぱちぱちと高速で瞬きした彼女は、
「わかりましたもの! そう呼んであげますもの!」
「じゃあリエルスローズ嬢は……なんだろ?」
「親しい者はリエリィと呼びますもの」
「オッケー。じゃあリエリィだな」
「ソ、ソーマ……さん」
女の子に愛称で呼んでもらうのって何歳になっても、なんかもにょもにょするもんだな。いや何歳になっても、は言い過ぎか。俺の身体は13歳のぴちぴちだから身体に心がちょっと引きずられているのかもしれない。
そんなくだらないことを考えながら、ともあれ俺は、貴重な戦利品を抱えて黒鋼寮に戻ったのだった。
「リット~。帰ったぞ」
「バカなの!? 寮内の誰かの部屋に行くのかと思ったら外に出てくし! それで捕まったら1週間独房生活だよ!?」
「知ってる。でもこれを手に入れたかったんだ——今夜は教科書じゃなくてこっちを写そう。で、明日以降の授業は全部こっちの対策やってく」
「なにこれ……って」
リットの顔が青ざめる。
「ソーマ、泥棒はヤバイよ!」
「盗んでねーよ! ちゃんと借りた」
「無断で借りるのを泥棒って言うんだよ!」
「お前の俺への評価ってそんなに低いの!? 犯罪者レベル!? ちゃんと借りたって!」
「誰に」
「……リエリィ」
「リエリィ……? クラスは?」
「緋剣」
ひゅう~っ、とリットが口笛を吹いた。
「すごいね。どうやって緋剣の子を口説いたの?」
「まあそれはいいだろ。俺からしたらフルチン先輩が黄槍クラスに夜這いかけてることのほうが驚きだよ」
ぎょっとして振り返ったリットの顔は劇画調になっていた。
「マジで」
「マジだ」
「……わからないな、あんな男のどこがいいんだろ」
「それを言ってくれるな。女心なんて俺たち男にはわからないもんだ」
「いやいや女なんて単純なもん——ってそんなこと話してる場合じゃなかった。写そう」
「いいぞ、リット。調子が出てきたな!」
「イレギュラーな案件は報酬2倍だからね」
「1.5倍!」
「分量少ないんだから値切るなっつーの。断ったっていいんだよ?」
「2倍でよろしくお願いします」
「うむ、よきにはからえ」
満足げにリットはうなずいた。やはりこの子にはお金が有効のようだ。
統一テストまで残りの日数は少ない。過去問を分析して大急ぎで統一テスト向けの授業をしていく。
最初からそれをやっとけばよかったんじゃないかという向きもあるんだけど、でもクラスメイト全員がどの程度のレベルかわからないと困るし、基礎の基礎は一通りやっておかないとね。付け焼き刃だって持ち手がなければ使い物にならないってわけだ。
授業に参加してくれるのはトッチョとその取り巻き以外の全員になっていた。
「ま、アンタの教え方がわかりやすいからね。初めて神話の授業で笑ったよ、アタシは。なんだっけ、命を司る神ウォードエートはロリコン? アンタそれ、間違っても教会で話すんじゃないよ。異端審問されるから」
と、オリザちゃんからありがたいご忠告をいただくほどである。
「ねえ、ソーマ。碧盾の偵察はしなくていいの?」
休憩時間中にリットが聞いてきた。
「……偵察?」
「順当に行けば最初に抜くのは碧盾クラスだろ? あそこの授業は崩壊寸前とか言ってるのもいるし、気にならない?」
「んー……」
俺は「他人は他人、うちはうち」という主義ではあるのだが、
「そこまでリットが言うなら見に行こうか」
「そこまでは言ってないからね?」
お約束のツッコミをくれた。
だがそれでも俺についてきてくれるリットはいいヤツである。
碧盾の授業が行われているのは同じ講義棟の6階らしい。俺たち黒鋼はエレベーターを使えないのでてくてくと階段を上がっていく。
まぁ1階分だけどな。
「……ん? リット、なんか聞こえないか?」
6階の廊下には誰もいなかったけど、耳を澄ますと大きな声が聞こえてきた。
どうやら授業が行われている部屋からのようで、俺とリットはそーっと忍び寄る。
ドアについているのぞき窓からひょこっと中を見た。
「その程度の問題も答えられないの!? 今すぐその場に立って己の恥を身に刻みなさい!」
うおっふ。
思わず息が漏れちまった。なんていうか思ってもみないような光景が広がっていたんだもんよ。
教室自体がとにかくデカイ。黒鋼クラスの2倍はあろうかという広さで、人数も倍……まではいかないくらいかな? でも3ケタはいってるんじゃないのか、これ。
みんなそろいの緑色をしたブローチをつけているのだけど、それ以外に濃紺のブレザーまで統一されている。そこまでは制服じゃなかったはずだし、2年生以上もそんな縛りはなかったはずなんだが。
で、「立たされている」生徒がすでに30人くらい。その誰しもがしょんぼりと自信なさげで、女の子に至っては泣きそうである。
「はあっ! あなたたちの学年は『栄光の世代』だとすでにウワサになっているというのに、碧盾のあなたたちときたらふがいないったらないわ! いいですこと!? ワタクシが学生だったころは——」
わめき散らしているのが……担任、なんだろうか? とんがったメガネをかけた色白で小太りのおばさんである。茶色っぽい赤髪は丸めて頭の上にお団子となっている。
白いブレザー姿がまぶしいほどに痛々しい。
「うわぁ……板書もしてないのかよ」
ほんのいくつかの単語が書かれているきりである。「遵法精神」「騎士道」「階級」なんてのが目につくけど、正直これではなんの授業なのかさっぱりわからん。
ふつう、黒板見たらどんな授業してたかわかるもんなんだけどな……。
「ひっでぇおばさんだね」
リットが眉根を寄せて俺にささやく。
「グーピー先生は学生のころは碧盾クラスだったみたいで、玉の輿狙って上位クラスに声をかけてったけど全部振られたってのを根に持ってるんだって」
「……リットくん、そういう情報をどこから仕入れてくるんだい?」
ていうかグーピーっていうのか。変な名前……だよな?
「権謀術数渦巻く貴族社会で、情報は武器だよ、ソーマ?」
「是非ともいろいろと教えていただきたく」
「ふうむ、同室のよしみで多少は値引きしてやろう」
金取るんかい。
「にしても……」
俺は改めて室内を見やってため息を吐く。
あまりにひどい。
自分のコンプレックスを解消するために教師をやってるのかと言いたくなる。ていうか実際、そうなんだろうな。
「あなたたち! その程度の学力でいいと思っているのですかッ!? 決めました、こうしましょう。次の統一テストで点数の悪かった順に5人、黒鋼クラスに移ってもらいます」
……は?
「ちょうどいいでしょう、あっちは人が辞めていくから欠員が出ますからね! この程度の問題も解けないようでしたら騎士になる資格はありません。黒鋼クラスがお似合いですよ」
いやいやいや、待て待て待て。
お前なに勝手にウチのクラスに移すとか言っちゃってんの? ていうかサラッと黒鋼ディスってんじゃねーよ!
「……ソーマ、一応言っておくけど中に入ってケンカ売ったりしたらダメだからね?」
「止めてくれるなリット」
「ダメだって、ほんとにっ。違うフロアに来て授業をのぞき見するのだってヘタしたら懲罰ものだよ?」
「…………」
確かにそうだ。俺がここでブチ切れたってなんの意味もない。
だけど、だけどさ。
「あなた! なにをメソメソしているのですか! 黒鋼クラスに移りたいの!?」
前のほうで授業を受けていた、真面目っぽい女の子がいた。丸いメガネをかけて髪の毛は三つ編みなんていう、見た目であんまりパッとしない女の子だ。立たされている中でも数少ない女の子でもある。
その子は、グーピー先生に目をつけられた。近づいてきた先生がバシンと机を叩くと身体を震わせる。
「そんなにヤワな精神じゃ、黒鋼クラスがちょうどいいのではなくて? あなたはテストを待たずとも送り込んであげましょうか」
「……うっ、う、ううっ」
「騎士を目指す者がこんなにも簡単に泣いてしまうなんて!」
そしてついに、ぽたぽたと涙をこぼした。
「……あの女の子の実家はさ、グーピー先生の実家とライバルだったんだよ。でもあの子のお母さんがうまくやって伯爵家に入り込んだから……」
「……目をつけられているってわけか?」
「うん……たぶん」
俺は——このとき、怒りよりも先に気がついたことがあって頭がすぅっと冷えるのを感じた。
もしも俺たちがテストでいい点数をたたき出して上位に食い込んだとして、最下位になる可能性がいちばん高いのは碧盾だ。
だけどそうしたら碧盾の生徒が10%辞めさせられることになるじゃないか。
俺の代わりに他の誰かが辞めさせられるなんてのも、ゴメンだ。絶対にゴメンだ。
「……ああ、チクショウ」
俺は本気でこの学園に腹が立った。
テストの点数が悪かったってそれだけで、13歳の子に責任を取らせるのか?
教師はどうすんだよ。おとがめなしか?
そんなシステムのどこになんの意味があるんだよ。
「ソーマ……ソーマッ!!」
リットが叫んだけど、遅かった。
すでに俺はドアノブに手をつかんで扉を開いていた。
ソーマくんの敵認定です。