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初めての授業はドッキドキ(はぁと)

 黒鋼クラスの教室に、生徒は全員集まっていた。だけど彼らが求めていたのは俺じゃないということくらいわかっている。

 いまだに——希望を持っているんだ。


「先生がちゃんと授業をしてくれるかもしれない」


 って。

 だけど、朝いちばんでやってきた無精ひげ先生がそんな生徒たちの望みを木っ端微塵に打ち砕く。


「はい、解散。座学の先生は今日はお休みだと聞いているからな……ああ、実技も休講だっけ? いいなあお前ら学生は。なにもせずに毎日飯を食って座っているだけ……うらやましいよ」


 へらっ、としたその姿に、


「てめぇっ!」


 と太っちょが立ち上がる。おお、やるじゃん。ここで反骨精神を見せてくれるとはただの脂肪漢(誤字ではない)ではないんだな!


「——あー、言っておくぞ、トッチョ=シールディア=ラングブルク。ここは教師と生徒の上下関係はハッキリしている。たとえ貴族家から来ている生徒であったとしても俺に無礼を働く者は、即刻退学だ。お前たちも覚悟しておけ」

「!?」

「それを踏まえた上で聞く。……その口の利き方はなんだ?」

「す、すみません……」

「声が小さくて聞こえないんだが?」

「すみません!」

「よし——それじゃあな」


 すたすたと歩いてジノブランドは出て行った。


「——ぷっ、くくく」


 そのとき笑い声が、


「あははははははは!」


 そこそこ広い教室に響き渡った。

 しゅんとしていた太っちょが顔を赤くしてにらみつける。


「笑ってんじゃねえよ、ガリ勉!」


 そう、笑っていたのは俺である。


「あはははは! はは、はははっ、ひーっ、お前、これが笑わずに、いられるかって……!」

「て、てめぇ……」


 真っ赤になってぷるぷるしている太っちょ——トッチョ(・・・・)くん。


「だってお前の名前トッチョって言うんだろ!? あははははは! ぴったりじゃん!」


 そう、俺はそこに笑っていたのだ。出席簿は作ったがその名前が誰かまでは直接呼んでみるまではわからないしな。


「……はぁ?」


 だけどトッチョはわからないように首をかしげている。ていうか他のクラスメイトもみんなそうだ。

 まあ、そりゃそうだな。この国の言葉じゃ「太っちょ」は「トッチョ」に近い発音じゃないんだから。


「チッ、もう行こうぜ。ここにいてもしょーがねーよ」


 太っちょことトッチョくんは他の男子に声を掛けて部屋から出て行こうとする。


「あっ。先生が授業しないなら俺が代理で授業する予定だけどみんなどうかな?」

「…………」


 トッチョは教室の出入り口で止まると、こちらを振り向き、にらみつけた。


「なあみんな。あいつが必死なのは自分が退学させられるってわかってるからだ。平民のくせに公爵家に試験成績で勝っちまったからな! あんなヤツにくっついてると巻き添えくって退学させられるぞ!」


 すると、ガタガタッと音があちこちで鳴ってみんな立ち上がる。そしてぞろぞろと部屋から出て行った。


「オリザちゃんは?」

「——悪りぃけど」


 俺からそっと目をそらして女子たちとともに出て行ってしまった。

 さっきまで多くの人がいた教室だというのに今やもうガラーンである。

 そうして残ったのは——俺と左右、リットにスヴェンだ。


「……えっと? リットくん、君は昨日何人残るって予想したっけ?」

「……ソーマの人望なさ過ぎない?」

「えっ、そこなの?」

「そこでしょ、どう考えても」


 我が同室者はなかなかに辛辣である。


「……師匠」


 つん、つん、と人差し指で肩を突かれた。スヴェンはその指をすぃーっと教室の後方へ向ける。


「ん?」


 と、そこには——ひとりの少女が座っていた。


「あのっ、私、授業を受けたいのでしゅがっ」


 噛んだ。

 そこにいたのは小柄なリットよりもずっと小柄な少女である。金髪だが根元のほうは暗い色になっている長髪を左右でお下げにしている。目元はくりっとしていたがメガネをかけており、その下にはぱらぱらとそばかすがあった。

 うーん、絶望的なまでに黒鋼のパーカーが似合っていない。


「えっと、君の名前は?」

「あ、しょの、ルチカ……」


 舌を噛んだせいで話しにくいのか、「ルチカ」の後はもじょもじょと言っていて聞こえなかった。


「オーケー、ルチカ。それじゃリットとスヴェンもいっしょに前の席においで」

「い、いいんですか?」

「ん? もちろんいいでしょ? なにか問題ある?」

「あ……えと、いいえ、問題ないです」

「よし。じゃ、移動開始ー」


 そうして広い教室で生徒はたった3人、先生は俺、なんていう授業が始まったのだ。




 今日の教材で選んだのは「神学」である。この教科書はまったく写していないのでキールくんから借りた原本をそのまま持ってきている。


「さて、では授業を始める前に聞いておこうかな。リットはこの世界の神話でいちばん覚えておかなければならないのはなんだと思う?」

「……『この世界』ってなに?」


 あ、マズイ。


「人間世界と神界とがあると考えてる人もいるだろ? だからこっちの世界って意味。まあ細かいことは気にすんな」

「えーっと……やっぱりエルセルエートじゃないの。スキルの神だし」

「うん、そのとおりだ。おそらくだけど、最初の試験のほとんどはここから出ると思う」


 騎士になる予定の生徒にとって最も実利的に重要なのがスキルだ。

 その点でエルセルエートにまつわるエピソードは覚えておいて損はない。


「だけどせっかく3人しかいないから神の成り立ちから考えてみよう」


 そこで俺は、エルセルエート以外の神について語り始めた。ところどころリット、ルチカ、スヴェンへと質問を投げかけながら。

 なぜエルセルエート「以外」にしたのかと言えば、長期的に考えれば神話の根っこを知っておいたほうが知識の文脈を作りやすいからだ。

 統一テストまでに、徐々に俺の生徒(・・・・)を増やしていく予定だが、最後の駆け込みでやってきた生徒には最悪「これだけ覚えておけ!」と「暗記」させることになるだろう。

 追い込みはそもそも「暗記」だしな。

 そうなると今、生徒が少ない段階では基礎的な知識を強化しておいたほうがいい。暗記はいつでもできる。

 ……ってのは俺の持論ではなくて、塾講師のバイトをやっていたときの校長が教えてくれたことである。


「神話ってのはさ、面白いことに神様が人間として描かれているんだ。エルセルエートは神の父であるイクロスと神の母であるツクマの子であるわけだけど……」


 神話ってのは眠い。

 知らない名前がつらつらと出てくるだけだからな。

 でも美術品の多くは神話をモチーフにしたものが多くて、神話の内容をしっかり把握しておかないと騎士になったとき恥をかくこともある。

 だから俺は「古事記」を思い出しながらこの世界の神話に「人間性」を与える方向で覚えた。そうすると神話は物語になり、覚えやすい。


「——っていうわけだ」


 きっちり1時間、質問しながら解説を続けたので3人とも起きている。意外だったのはスヴェンだ。こいつ神学に関するマニアックな知識を押さえている。神の父イクロスは左利きだ、とか。ただの剣術バカではなかった。


「ここで一度休憩にしよう」

「承知しました。師匠、休憩中に剣を振ってもいいですか?」


 いや、ただの剣術バカだった。許可した。


「ふーっ、結構疲れるね。ていうかソーマ……ボクが思ってたよりずっと教えるのうまいじゃないか。どこかで経験があったのか?」

「あー……まあ、経験を通じて知ったというか」

「ふぅん」


 勉強を教えるってのはどれだけ「自分事」にしてやるか、なんだよな。宿題だって「面倒さ」が「提出しなきゃいけない責任感」を上回っていたらやらないわけで、「提出日」が近づいてくることで切羽詰まると「面倒さ」を上回ってやらなくちゃいけなくなる。

 興味関心を惹くように教えればやがて生徒は自分から勉強する——これももちろん校長が教えてくれたことだ。校長……! ありがとう! あなたの教えは役に立っています。パチ○コキ○ガイのあなたでしたが人の役に立ちましたよ!


「…………」

「ん、ルチカどうした? 便所行かなくていいのか?」

「ひぇっ!? お、お手洗いですか!?」

「……ソーマ、そういうデリカシーのない言い方止めてくれる?」

「んだよ。リットは便所いいのかよ」

「ボ、ボクは大丈夫だって」


 そう言いながらもそそくさとリットは教室を出て行った。ははーん、これは「大」だな。

 とかなんとか俺がバカなことを考えていると、ルチカが俺のそばにやってきた。


「い、今まで教えてくれた家庭教師さんより、ずっとずっと面白かったです! すごいです!」

「あー……そうかな? ちなみに家庭教師さんってどんなふうに教えてたの?」

「はい。本を渡されて、声を上げて読むようにと言われました」

「うんうん、それで?」

「それだけです」

「…………」


 すげぇな、家庭教師。そんなんでよく金もらえるな。

 ていうかルチカもいいとこのお嬢ちゃんなのかな。家庭教師雇えるってことは……ていうかまあ、そうか。それなりに経済力がないとあの入学試験を突破できる程度の学力は身につけられないんだろうな。


「あの、ソーマ先生」

「なんだね」


 先生、と呼ばれて調子に乗りながら俺はふんぞり返る。


「退学になるのは……困るので、私たち(・・)のことよろしくお願いします!」

「おう! 大船に乗ったつもりでいたまえ!」

「はいっ!」


 こうして俺に、第1の生徒ルチカができたのだった。


ルチカはいい子。

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