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死神鬼ごっこ

言ってるそばから更新できなくなりそうだった。それもこれも「察知されない最強職」のエクストラエピソードを更新していたせいだ……(結局自分に返ってくるブーメラン)

『ゴオオオオオアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!』


 その叫び声は圧力を持って俺へと届いた。


「うぐっ」


 俺は両手で耳を塞ぎ、踏ん張ったから耐えることができた。

 だけど至近距離でそれを聞いたフランシスはもろに咆吼を食らい、後ろに吹っ飛んだ。


「——ぐふっ」


 木にぶつかってバウンドした彼はその場にべしゃりと落ちた。

 なにやってんだアイツ!?


「お、おい、大丈夫か!!」


 俺の命を狙ってきたヤツを心配している場合ではないのだけど、この巨大なレッドアームベアをどうにかできるマジックアイテムを持ってるのはフランシスだ。


「う……クソッ、なんだよ、バカデカイ声で……」


 のろのろと起き上がったフランシスの耳からは血が流れている。あれは鼓膜をやられてるな。

 だけど俺も、フランシスも、驚愕したのはそこじゃない。


「あ……?」


 彼が持ち上げたアミュレットは——糸が切れてぼろぼろと宝石や魔石がこぼれ落ちたのだ。

 レッドアームベアの頭頂部にあった宝石の光が失われていき、沈黙した。


「…………」

「…………」


 え、これマズくない?


『オアアアアッ……』


 レッドアームベアは、ぎょろりとフランシスを見るや舌なめずりをした。


「逃げろフランシス!」

「あ、あ……」

「逃げろって!!」


 とっさのタイミングでかけるべき声は「危ない」だと身体をすくませてしまうので「走れ」と行動内容を明示したほうがいいらしいのだが、だったら「逃げろ」はどうなのだろうか——そんなことを頭の片隅で考えてしまうほどには俺も混乱していたらしい。

 レッドアームベアは、棒立ちするフランシスへと近づいていく。


「あ、あ……」


 涙を浮かべた目で、フランシスはただただレッドアームベアを見つめている。


『ヴォオオオオオオ!!』


 レッドアームベアが、その太い腕を振り上げ、フランシスに叩きつける——。


「『抜刀一閃(ゼロスラッシュ)』」


 黒く塗られた剣で、俺はエクストラスキルを放った。

 超高速で発動した剣閃はレッドアームベアの腕を断ち切る——断ち切らない!?


『グオアアアアアア!?』


 血しぶきが舞った。骨まで刃は食い込んだはずなのだが、斬り落とすまではいかない。

 前回はこれで斬れたのに!

 個体差か。

 あるいは当たり所が悪かったか。わからない。調べる余裕なんてない。

 身体からごっそりと、気力のようなものが持って行かれる感じがあり、できることならこのままベッドに飛び込んで眠りたいという欲求に駆られる。今寝たら確実に死ぬ。


「おい、こっちだ」

「あ……」

「走れ!! 死にたいのか!!」

「!?」


 肩をつかむと、彼はようやくハッとした。

 レッドアームベアが吠えながら転げている間に、俺たちは走り出す。


「うぐっ……」


 だが最初の咆吼が効いているのか、フランシスはすぐに転んでしまう。俺は戻って彼を背負うと走り出した。


「お、お前……な、なんで僕を…………」

「知るか。わからん。俺を殺そうとしたくせに」

「今なんて……」

「あーそうだった! お前鼓膜破れてるんだった! 黙ってろ! 舌噛むぞ!」


 レッドアームベアの絶叫が聞こえている。俺は走って逃げながら頭の中に森の地図を広げている。

 このまま森の入口に逃げるのは愚策だ。入口を出ればその先は草原で見通しがよすぎる。レッドアームベアが痛みから回復したらニオイをたどられてすぐにも追いつかれるだろう。

 時間を掛けてでも安全に逃げるしかない。


「まずはニオイを消さなきゃ……!」


 俺がまず向かったのは、ヌタ場である。イノシシの社交場であるヌタ場は、ようは泥の溜まった場所である。そこでイノシシは身体についたノミやらダニやらを落とす。


「ここだ」


 記憶通りの場所にヌタ場は残っていた。

 泥はいい感じに湿っており、俺はためらいなく飛び込んだ。足首に浸かる程度の泥だ。ぽいっ、とフランシスを落とすと彼は無様な格好で泥に落ちたがその横に俺も転がって泥を身体中につける。


「な、なんっ、なにを……」


 抗議の声を上げたフランシスは、口に泥が入ったのかペッペッとやっているが、俺は泥をすくって彼の顔に、頭に、服にこすりつけた。


「!?」

「しーっ」


 俺は人差し指を口に立てて静かにしろとジェスチャーした。

 ニオイを消し、音も消さなければレッドアームベアから逃げることはできない。

 耳を澄ますと、先ほどまで聞こえていたヤツの悲鳴は途絶えている。今ごろ、怒りながら俺のニオイをたどり始めているころだろう。

 ああ! 冷静になってみれば森の中に他の動物の気配も消えていることがわかったのに! そうすれば「森の女王」を採りになんてこなかったよ!


「上着寄越せ」


 俺は自分の上着をまず投げて、木の枝に引っかける。次にフランシスのを離れた木に引っかける。上着の裏側は泥がついていないから、これでニオイを分散させてちょっとでも時間が稼げれば……と考えたのだが、どうだろうな。

 ついてこい、と、上着とは反対方向にジェスチャーしてフランシスとともに走り出す、泥人形の俺たち。


『フッ、フッ、フッ、フッ………………ヴォアアアアア!!』


 ヌタ場にたどり着いたらしいレッドアームベアの叫び声が聞こえてきて、股間がキュッ、と縮まるのを感じた。アレはヤバイ。俺が真正面から相手するにはいろいろ足りなすぎる。

 俺たちは走った。走って走って走った。この先には小川があって、それに沿っていけば街道に出ることができる。背後にレッドアームベアの気配は——ない。


「はあ、はあ、はあっ……」


 小川のそばで、立ち止まった。俺でさえ苦しいのだからフランシスはへろへろだった。彼が小川の水を飲もうとしたので、首根っこをつかんで止めた。


「止めておけ。水を飲んだらもっときつくなる」

「なに、すんだよ……!」

「うるさい黙れ素人」

「…………」


 その場にぺたりとフランシスは座り込んでしまった。もう一歩も動けませんとでも言いたげだが、もちろんこんなところで安心はしていられない。

 俺はフランシスの耳元で言う。


「小川を下る。街道に出る。助けを呼ぶ。オーケー?」

「!」


 通じたらしい。顔の泥がそろそろ乾いてきていて、頬にヒビが入っているフランシスはうなずいた。

 小川を渡って反対側の森を、小川からつかず離れずの距離で歩いていく。川を歩くなんていうのはあまりにも見通しがよすぎてあり得ないのだ。


(なんでこんなことになってんだよ……)


 すでに太陽はだいぶ下がっていて、暗くなってきている。

 明日は日曜。そして明後日はクラス対抗戦だ。

 こんなところで命の危険を冒している場合じゃないのに。


(リットの言うとおりだったわ……部屋に籠もってりゃよかった)


 俺は横を歩くフランシスの、貴族としての意地を甘く見ていた、ということだろう。

 つーか、なんで俺はコイツを助けたんだ……殺されそうになった相手の命を救うとか、頭おかしいよな……。


「はあ……」


 でも、あそこで見捨てて逃げていたら……フランシスを囮にしてレッドアームベアから逃げてたら……俺はずっと後悔しただろうとも思うんだ。

 これは単なる自己満足だし、自分の命を天秤に掛けてまでやるようなことじゃない。

 わかってる。

 だけど、身体が動いてしまった。

 根っからの貴族が、改心してくれるなんてことはないだろうに。


「はあ……」


 もう一度ため息が出た俺は、小川の異変に気づくのが、ちょっと遅れた。

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