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ハンネローレの嘆き

第307話 シュバルツとヴァイスの争奪戦~第315話 エーレンフェストへの帰還の裏側でおろおろしているハンネローレのお話です。

 わたくしはハンネローレと申します。ダンケルフェルガーの領主候補生として在籍している貴族院の一年生です。


 ……何もかも全てわたくしのせいなのです。


 わたくし、魔力の量だけはダンケルフェルガーの領主候補生に相応しい量があるのですけれど、何に関しても間が悪く、家族には考え方も行動も領主候補生らしくない、と常に叱られています。いつも叱られているので、自分に自信がなくて、とてもお兄様のようにはできません。


 ……なるべく周囲に迷惑をかけないように過ごしているつもりですのに、まさかこんなことになるなんて。


 図書館で大きなシュミルの魔術具がソランジュ先生のお手伝いを始めたこと、そして、その主がエーレンフェストの領主候補生であることはすぐに貴族院での噂になりました。寮監であるルーフェン先生によると、シュミルの魔術具は王族の遺物で、先の政変の粛清によって主を失い、しばらく動かなかったそうです。


 わたくしはシュミルが好きなので、噂を聞きつけて、図書館へいそいそと見に行きました。わたくしと同じように大きなシュミルの噂を聞きつけた女子生徒が何人も図書館にいるのを見つけ、仲間が多いことに少し安堵したものです。

 白と黒の大きなシュミルがソランジュ先生の手伝いをしている姿はとても可愛らしいもので、わたくしはとても満足して寮に戻ったのです。


 いつも付き従ってくれている側仕えのコルドゥラに向かって「なんて可愛らしいこと。あのようなシュミルの主になってみたいものですね」と呟きました。本当に独り言のつもりだったのです。実際、普段ならば全く問題なく、コルドゥラによって「そうですね、姫様」と流された言葉になったでしょう。

 けれど、間の悪いことにその呟きをレスティラウトお兄様の側近に聞かれていました。そして、側近は「ハンネローレ様がシュミルの主となりたいそうです」とお兄様に報告したそうです。


「姫様があの大きなシュミルの主となれるように、レスティラウト様はエーレンフェストに申し立てるとのことですわ。王族の遺物である魔術具の主となれば、ハンネローレ姫様の権威を高めることができると考えられたようです」


 ある日、講義から戻ると困った顔のコルドゥラからそんな言葉を聞かされて、わたくしは大きく目を見開きました。

 自分に自信がなくて、あまりにも気が小さくて、大領地の領主候補生としての威厳がないと宮廷作法の講義でも指摘されたわたくしは、箔を付けるためにエーレンフェストの領主候補生からシュミルの主の座を得ようなどと考えたことはありません。むしろ、そのような注目をされては、大領地の領主候補生に相応しくない自分を周囲に知られてしまうことになります。


 ……お兄様、エーレンフェストに何という迷惑を!


「すぐにレスティラウトお兄様を止めなくては!」

「……先程アナスタージウス王子よりオルドナンツが届き、ルーフェン先生が呼び出されました。姫様の手におえる事態ではなくなったようです」


 コルドゥラに止められて、わたくしは思わず頭を抱えてしまいました。すでにダンケルフェルガーの騎士見習い達を率いてレスティラウトお兄様は出かけられたそうです。わたくしが今日ではなく、前回の講義で試験に合格していれば、きちんと話をして止めることができたでしょう。


「ハンネローレ姫様、いつも通り間が悪かったのです」

「コルドゥラ、それは何の慰めにもなりませんわ」


 どうしたものかと考え込んでおりましたが、アナスタージウス王子によってすでに寮監が呼び出されているのです。わたくしがしゃしゃり出て何とかなるはずがありません。

 悶々としながら皆の帰りを待っていました。戻ってきたのはもう夕食が近い時間でした。詳しい話は夕食の席でと言われ、不安に揺れる胸を押さえながら夕食に向かいました。


 ダンケルフェルガーに主の地位を渡すことはできないとエーレンフェストが拒否したことで、大規模な争いになろうとしたところに王子が到着。寮監が呼び出され、ルーフェン先生の提案により、ディッターでシュミルの主を決めることになったそうです。ルーフェン先生のディッター好きも役に立つことがあるのです。


 結果としては、ディッターに関して常勝であるダンケルフェルガーにエーレンフェストが勝利し、主の地位は今まで通りローゼマイン様のものと決まったそうです。エーレンフェストから権利を取り上げるようなことにならず、わたくしは本当に安心いたしました。


「あのような卑怯な者が聖女を名乗るなど烏滸(おこ)がましい」


 ローゼマイン様の一言でディッターに駆り出されることになった上、手ひどい負け方をしたらしく、レスティラウトお兄様は苛立っていますけれど、ルーフェン先生も騎士見習い達も興奮気味に勝負について語り合っています。


「ローゼマイン様は卑怯ではありません、レスティラウト様。宝盗りディッターではあらゆる手を使って勝利をもぎ取るのです。フェルディナンド様の奇策に比べれば、まだ対策のしようもある穴だらけで可愛い不意打ちではありませんか」


 ルーフェンが嬉しそうに本日のディッター勝負について語り、過去にダンケルフェルガーを負かしたフェルディナンドという策略家の話をして、明日からの訓練について計画を立て始めました。

 騎士見習い達は自分の先輩や親族から聞いたフェルディナンド様の策略の数々について、あれこれと情報交換をしています。今度はどのような策があっても勝つのだと、騎士見習い達は普段よりも結束が固くなっているようにさえ感じられました。


「これで訓練してエーレンフェストには是非再戦を申し込まなければならぬ」

「……あの、ルーフェン先生。これ以上エーレンフェストに迷惑をかけるのは止めてくださいませ」

「迷惑ではございません、ハンネローレ様。ディッター勝負です」


 ルーフェン先生にとってディッター勝負は望むところであり、喜ばしいことであるのでしょうけれど、女性の領主候補生でディッター勝負を申し込まれて喜ぶ方はとても少ないと思うのです。


 ……それにしても、わたくしと違って、ローゼマイン様はとても優秀な領主候補生なのですね。


 ローゼマイン様は講義の全てを初日で合格しておりますし、ダンケルフェルガーにディッターで勝利し、王族の遺物の主となることを王子に認められたというのですから、今年最も注目されている領主候補生に違いありません。


 襲撃で毒を受け、二年ほどユレーヴェに浸かり、成長していないため、貴族院に来られないかもしれないと噂で聞きましたが、とてもそのような様子は見られません。洗礼式を終えたばかりのような外見ですから、尚更優秀に見えるのです。


 ローゼマイン様は幼いながら美しく整った容貌に、驚くほど艶のある夜の空の髪と月のような金の瞳で、他では見たことがない髪飾りをいつも挿しています。

 ダンケルフェルガーの女子生徒の中でも情報を得たくて仕方がない者が多いようで、わたくしは早く講義を終えて社交を始めてほしいと無言の重圧がかけられている現状なのです。


 ……面識を得て、お茶会にローゼマイン様をお誘いしなければならないのですけれど、お誘いの前にお兄様の所業を詫びなければなりません。今回の事でお気を悪くされているでしょうから、誘い方にも細心の注意が必要ですわね。


 すでに決着が付いていることを何度も蒸し返すことは優雅ではございませんが、わたくしの一言でエーレンフェストには多大な迷惑をかけたのです。謝るくらいはしておかなければ、気が済みません。


 ……けれど、どのようにしてローゼマイン様にお会いすればよろしいのかしら?


 一年生同士なのですから、本来ならば講義で顔を合わせることができるはずです。けれど、ローゼマイン様はさっさと講義を終えてしまっているので、顔を合わせる機会がございません。


 ……ヴィルフリート様もシュタープの使い方に関する講義以外は姿をお見せになりませんもの。順位は13位なのに、エーレンフェストの領主候補生は優秀すぎます。


 幸いにも明日はシュタープの使い方に関する講義があるので、ヴィルフリート様にお会いすることができるでしょう。ローゼマイン様とお会いできる機会がないか、伺ってみたいと思います。




 シュタープの使い方の講義では、現在自分の家の紋章入りのシュタープ作りが流行しています。ヴィルフリート様が始められたのを皆が真似したがったためです。

 紋章入りならば、他の者とは違うシュタープになりますし、自分の家の紋章なのだから、ハッキリと思い浮かべることができます。他人とは少し違ったシュタープを作ろうと考える生徒達に、紋章入りのシュタープが広がっているのです。


「ハンネローレ様はダンケルフェルガーだから鷹ではありませんか? ハンネローレ様は紋章を付けないのですか?」

「ヴィルフリート様が考えられた紋章入りのシュタープは素敵ですけれど、わたくしはいずれ他領に嫁ぐ身ですから、シュタープに紋章を付けるつもりはないのです」


 建前です。わたくしは魔力の扱いに関して経験が少なく、器用ではないので、シンプルなシュタープでも形を保っているのが難しいのです。紋章入りなどできません。


「なるほど、そういう問題もあるのですか。私は紋章だけでは他の者と変わらないので、もう少し捻りたいと思っているのです」


 自分のシュタープを出して、ヴィルフリートがむむっと深緑の目を細めます。わたくしは少しでも早く講義を終えたくて仕方がありませんが、ヴィルフリートはまだご自分のシュタープに納得していないようです。向上心が溢れていて素晴らしいではありませんか。


「あの、ヴィルフリート様。ローゼマイン様はいかがお過ごしでしょう? わたくしがお茶にお誘いしてもご迷惑ではないでしょうか? お兄様が失礼してしまったようなので、一度お茶会にお誘いして持て成したいと存じます」


 わたくしの質問にヴィルフリート様は少しばかり考え込むようにして答えてくださいました。


「ローゼマインは講義を終えてから毎日図書館で過ごしています。その間で先生方やクラッセンブルクともお茶をしているようですから、迷惑ではないはずです。ダンケルフェルガーにお誘いいただき光栄です」


 快いお返事にわたくしが安堵の息を吐くと、ヴィルフリート様は少しだけ表情を曇らせました。


「……ただ、ローゼマインは奉納式のためにエーレンフェストに戻ることが決まっているので、あまり余裕はないと思います」


 ローゼマイン様が奉納式に戻られる前に謝罪だけでも、と考えて、わたくしは自由時間を見つけて図書館へと向かいました。ヴィルフリート様から情報を得た数日後になってしまったのは、ローゼマイン様と違ってわたくしにはまだ講義がたくさん残っていて、それほどの自由時間はないためです。

 わたくしは図書館をぐるりと回り、ハァ、と溜息を吐きました。ローゼマイン様のお姿は見られませんでした。


「本日はクラッセンブルクのエグランティーヌ様とお茶会だったようです。文官見習いからそのような報告を受けました」

「そうですか。わたくしが次に図書館に向かえるのはいつかしら?」

「三日後ですね。ハンネローレ様も早く講義を終えられると自由時間が増えますよ」


 座学はともかく実技があまり得意ではないのです。騎獣もまだわたくしは上手くシュミルの形が作れません。


 三日後、やっと自由時間を得て、わたくしはまた図書館へと向かいました。けれど、その途中でアナスタージウス王子に連れられてどこかへと向かうローゼマイン様を見つけ、思わず肩を落としてしまいました。


 ……あぁ、今日もまた謝罪できませんでした。今度こそ時の女神 ドレッファングーアの御加護がありますように。


 お顔の色があまり良くない状態でアナスタージウス王子から少しずつ離されながら歩いているローゼマイン様の様子を見れば、不本意な形での呼び出しであることはすぐにわかりました。王族の呼び出しを受けるという状況を想像するだけで、こちらまでハラハラしてしまいます。


 その次の日にも図書館に行ったのですが、ローゼマイン様の姿は見られませんでした。文官見習いに情報を集めてもらったところ、臥せっているそうです。


「ハンネローレ様、直接会うのは諦めて、お茶会の招待状をお出しした方が良いのではありませんか? 間が悪すぎます」


 講義でご一緒したことがあるといっても、少しずつ親しくなってきた他の領主候補生と違って、ローゼマイン様とは一度も話したことがなく、ご迷惑をかけただけで全く面識がないに等しいのです。

 せめて、一度きちんと面識を得てからお茶会に招待したかったのですけれど、仕方がありません。このままでは謝罪することもできずにローゼマイン様がエーレンフェストへ戻られてしまいます。


「……コルドゥラ、エーレンフェストにお茶会の招待状を出してちょうだい。個人的に面識を得ているわけではないので、エーレンフェストの領主候補生宛てでお願いしますね」

「かしこまりました」


 コルドゥラにお茶会の設定を任せ、わたくしはローゼマイン様の回復をお祈りしつつ、勉強していました。少しでも自由時間を作りたいと思ったのです。


「ハンネローレ様、図書館にローゼマイン様が現れたそうです」

「すぐに参りましょう」


 わたくしは本を片付けるとすぐに図書館へと向かいました。側仕え、文官見習い、護衛騎士見習いとぞろぞろと連れて歩くことになるので、領主候補生は普通あまり図書館へ行くことはしません。


 ……ローゼマイン様は何故図書館で読書をするのでしょう?


 領主候補生が図書館へ日参すれば、キャレルを借りたい下級貴族もお供をする側近も困るでしょう。側近達にも講義があるのですから、ローゼマイン様の図書館へ毎日お供するのは大変だと思うのです。

 もしかすると、ローゼマイン様の側近は全員ローゼマイン様と同じように講義を終えてしまっているのでしょうか。それとも、あの大きなシュミルの主になると、一定の時間を図書館で過ごさなければならない決まりでもあるのでしょうか。

 よく考えてみると、シュミル達の主は今まで中央の上級貴族の司書だったので、図書館にいる時間も必要なのかもしれません。


 ……わたくしに主は無理でしたね。


 そんなことを考えながら図書館へと着いたのですが、ローゼマイン様の姿が見当たりません。図書館をきょろきょろと見回していると、ソランジュ先生がこちらへと近付いていらっしゃいました。


「ダンケルフェルガーのハンネローレ様、何かお探しでしょうか?」

「エーレンフェストのローゼマイン様がいらっしゃると伺ったのです」

「ローゼマイン様はもうお戻りになられましたよ。体調を崩したため、予定よりも早くエーレンフェストへ帰還することになったそうです」

「……そ、そうですか。……わざわざ知らせてくださってありがとう存じます」


 ……何ということでしょう!? 謝罪する前に帰還されてしまうなんて! わたくし、実は時の女神 ドレッファングーアに嫌われているのかもしれません。


 その場でうずくまりたくなる気持ちを抑えて、わたくしは寮へと戻りました。

 自室でガックリと項垂れていると、コルドゥラは「仕方がありません」と言いながら、ゆっくりと首を振ります。


「間が悪かったのです、姫様」

「コルドゥラ、ちっとも慰めになりませんわ」


 ……本当に、わたくしの間の悪さ、何とかならないものでしょうか。




 落ち込んだわたくしがさらに落ち込むことになるのは、それから先、何度もありました。

 まず、ローゼマイン様宛てに出したつもりのお茶会の誘いがヴィルフリート様に届いてしまった時です。ダンケルフェルガーの領主候補生に誘われ、エーレンフェストに断れるはずがありません。

 こちらからお断りできれば良かったのですが、エーレンフェストの流行に興味がある女子生徒の期待の目を受けながら、お茶会を中止にすることなど気の小さいわたくしにはできませんでした。


 ……申し訳ございません、ヴィルフリート様!


 それから、わたくしのお茶会に参加したために、ヴィルフリート様が他の方のお茶会にも参加せざるを得なくなったと知った時にも、落ち込みました。

 女性ばかりのお茶会に居心地悪そうに、しかし、笑顔を忘れずに当たり障りなく受け答えをしているヴィルフリート様に心の中で謝り倒したのです。


 ……こんなことになるとは思っていなかったのです、ヴィルフリート様!


 ローゼマイン様が帰還したことを知らなかったルーフェン先生がエーレンフェストにディッター再戦を申し込んだことを知らされた時には気が遠くなりました。


 ……重ね重ね申し訳ございません、ヴィルフリート様!


 わたくし、少しで良いのです。

 ほんの少しで良いので、時の女神 ドレッファングーアの御加護を賜りたく存じます。



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