ハルトムート視点 運命の洗礼式
第175話~第177話辺りのお話です。
「夏に入るとエルヴィーラ様の御子様であるローゼマイン様の洗礼式があるでしょう? その方は領主の養女になることが内定しているそうです。わたくしはお城でお仕えすることになりました」
エルヴィーラ様との個人的なお茶会から帰ってきた母上は、盗聴防止の魔術具を握った状態でそう言った。私も同様に盗聴防止の魔術具を握っている。周囲の側仕え達の様子を軽く見回した後、私はゆっくりと口を開いた。
「……母上がエルヴィーラ様の御子様の側仕えになるのですか?」
騎士団長の第一夫人であるエルヴィーラ様と母上は非常に仲が良い。洗礼式を終える前から母上は私を連れて何度も遊びに行いっていたほどだ。だが、今までにエルヴィーラ様の娘と顔を合わせたこともなく、私はコルネリウスから妹の存在を匂わされたこともない。
……エルヴィーラ様の実子ではないはずだ。
ならば、カルステッド様の第二、第三夫人の娘ということになるけれど、どちらも中級貴族、しかも、ヴェローニカ派の貴族ではないか。私はコルネリウスから家庭の事情を多少漏れ聞いている。
……いくらエルヴィーラ様の頼みとはいえ、そんな娘に母上が仕えるのか。
胸がむかついてひどく不愉快な気分になった。それを悟ったのか、母上はローゼマイン様について教えてくれる。
「わたくしはローゼマイン様が教育を受けている様子を少し拝見したのですけれど、顔立ちが美しく整っていて、とても優秀な方でしたよ。養子縁組も納得できます。それに、エルヴィーラ様の娘として領主の養女になれば、ライゼガング系貴族の希望となるでしょう」
領主の養女になることが内定しているので、今から側仕えを探しているということだったが、どうにも疑わしい。今、アウブがライゼガング系貴族から養女を取る必要性が全く感じられないのだ。大きな裏があるはずだ。それなのに、父上と相談することなく、側仕えになることを決めているなど、母上の決断とは思えない。
「……母上はずいぶんと迂闊だったのではありませんか? この養子縁組には何か裏がありますよ」
「その裏を知るために城に入る伝手が欲しかったのです。ヴェローニカ様の失脚以降、目まぐるしく変化する城内でフロレンツィア様の周囲とは違う立場から得られる情報を誰よりも欲しているのはレーベレヒト様ですから」
……それは、つまり、アウブの第一夫人であるフロレンツィア様も詳しい事情を知らないということではないのか?
ローゼマイン様がアウブと養子縁組する背景には様々な思惑が動いていそうに感じて、私は腕を組んだ。
「それに、今はライゼガング系貴族が勢いを取り戻せるのかどうかがかかっている重要な時期でしょう? 領主一族の側近に入れる機会は大事なのです」
「……なるほど。確かにそうですね」
口では納得したようなことを言い、もっともらしく頷いて見せたが、私はそのまま視線を窓の外へ向けた。
……派閥だ、影響力だと馬鹿馬鹿しい。
貴族院へ行けば嫌でもわかる。ユルゲンシュミット内ではエーレンフェストがどのような立ち位置なのか。他領からはどのような目で見られているのか。
政変で中立を保ったからこそ多少なりとも順位は浮上しているが、エーレンフェストに向けられる周囲の目は厳しい。勝ち組に与した領地からは政変に非協力的だったことを理由に負け組と同じように扱われ、負け組からは何もしていないくせに順位を上げて苦労をしていないという理由で恨まれている。
……エーレンフェスト内で影響力を持ったところで虚しいものだと大人達が何故考えないのか、そちらの方がよほど不思議だ。
それなのに、母上は父上や派閥のために中級貴族の女から生まれた子供に仕えようとしているのだ。私は何もかもが馬鹿馬鹿しくなって軽く鼻を鳴らした。
多くの場合、洗礼式が行われるのは季節の初めだ。けれど、ローゼマイン様の洗礼式は夏の初めでもなく、多くの貴族達が貴族街に集まる星結び直前でもない中途半端な時期に行われた。
騎士団長であるカルステッド様の館には、二百人を超える貴族達が集まっている。洗礼式は親族へのお披露目が大きな目的を占めるので、ライゼガング系の貴族が多い。養子縁組の発表を行う予定のようで、アウブ夫妻とその子ヴィルフリート様の姿もあった。アウブやヴィルフリート様の周囲を取り巻く側近達にはヴェローニカ派の貴族が多く、何とも言えない緊張感が漂っている。
「エルヴィーラ様から伺っています。リヒャルダ様もローゼマイン様にお仕えするのだと……」
「えぇ。ジルヴェスター様のご命令ですからね」
カルステッド様の教育係やアウブの乳母を務めたリヒャルダが側仕えになるように命じられたという話を聞いて、私は少し考える。
……ずいぶんとアウブがローゼマイン様を重視しているように思えるが、アウブ・エーレンフェストは一体何を考えているのだ?
「それに……フェルディナンド坊ちゃまもローゼマイン様には期待されているようですからね。エーレンフェストが大きく発展するためにはローゼマイン様が必要だそうですよ。洗礼前の子供に対してあまりにも大きな期待がかかっていることが、逆に心配になります」
そう言いながらリヒャルダは神官長として壇上へ向かうフェルディナンド様へ視線を向けた。ヴェローニカ様の憎悪を一身に受け、領主一族であるにもかかわらず、神殿へ追いやられた方だ。
……フェルディナンド様も養子縁組で何か関係があるのか?
長兄から話を聞いた範囲では貴族院で非常に優秀な方だったようだが、政治から離れることを示すために神殿に入ったフェルディナンド様がヴェローニカ様を陥れるために暗躍していたということだろうか。
「ローゼマイン様のご入場です」
神官であるフェルディナンド様の準備が整ったことを確認したのだろう、ホールの戸口で待機していたこの館の側仕えが扉を開く。両親であるカルステッド様とエルヴィーラ様に続いてローゼマイン様が入ってきた。
二百人を超える貴族達の視線を受けても狼狽えることなく、好奇心に満ちた顔で周囲を見回すでもなく、親しげで柔らかな笑みを浮かべながら優雅にゆったりと歩を進めている。
……これがローゼマイン様か。
星が輝く夜空のように艶がある髪がさらさらと動き、見たことのない髪飾りが揺れている。顔立ちが整っていて綺麗な子だ。中級貴族の母から生まれ、神殿で育った割には立ち居振る舞いもよく躾られている。エルヴィーラ様の娘として洗礼式を受けるために厳しい教育を受けていたことと、優秀だと教師達が褒めていたことに間違いはないようだ。
……上級貴族の娘らしく見えるではないか。
これならばコルネリウスの妹だとしても、それほど恥ずかしくはないだろう。そう思いながらコルネリウスに視線を移すと、ハラハラしているような顔でローゼマイン様を見ていた。ずいぶんと心配しているらしい。
……妙だな。コルネリウスは第二夫人や第三夫人を憎悪していたのに、その娘は受け入れるのか?
ローゼマイン様は魔術具を握って光をかざし、上級貴族に足る魔力量を見せつけている。これはできて当然だ。軽く拍手しながらも冷めた目で見てしまう。上級貴族らしい振る舞いはできているが、こんな洗礼式では領主が養子縁組を望む理由が全くわからない。
「おめでとう、ローゼマイン。これで君は正式にカルステッドの娘として認められた。エーレンフェストに新しい子供が誕生したのである」
フェルディナンド様の言葉に拍手や喝采が起こる中、カルステッド様が指輪を手に祭壇へ上がり、壇上で青い魔石がはまった指輪を高く掲げた。
「我が娘として、神と皆に認められたローゼマインに指輪を贈る」
父親から指輪が贈られると、その後は神官からの祝福だ。神官として壇上にいるフェルディナンド様は「ローゼマインに、火の神ライデンシャフトの祝福を」と自分の指輪で祝福した。
……神殿から持ち込んできた神具ではなく、貴族の指輪を光らせて祝福を贈るところが他の神官達と違うところだな。
自分の洗礼式と比べてそう思っていると、「恐れ入ります、神官長」とローゼマイン様が礼を述べた。これで祝福を返せば洗礼式は終わりだ。けれど、ローゼマイン様はフェルディナンド様に祝福を贈るのではなく、くるりとホールの方へ体を向けた。
「わたくしの洗礼式をお祝いくださった神官長と集まりくださった皆様にも、火の神ライデンシャフトの祝福を賜りますよう、お祈り申し上げます」
通常の洗礼式と違う言動に「何が起こるのか」と皆が周囲の者達と視線を交わし合っている間に、ローゼマイン様の指輪から青の光が膨れ上がった。
「……え?」
集まった皆へ、という言葉に何の嘘もなかった。指輪を飛び出した青い光は天井近くへ上がっていき、ぐるぐる回った後、恵みの雨のようにホール全体へ降り注ぐ。それは予想だにしない光景だった。
……何だ、これは!?
「なんと、これだけの光を?」
「あの小さな体で一体どれだけの魔力を持っているのだ?」
周囲の貴族達が驚きの声を上げるのは当然だろう。洗礼式の祝福返しは洗礼式を行った神官にすることで、会場にいる皆に対して行うことではない。だが、ローゼマイン様が間違えたわけではないことは、落ち着き払っているカルステッド様やフェルディナンド様の様子からも明らかだった。おそらく、ローゼマイン様が魔力圧縮の方法を知らない子供にもかかわらず、祝福の青い光で広いホールを満たせる魔力量の持ち主であることを見せつけたかったのだと思う。
だが、私が驚いたのは魔力量ではなかった。もちろん、魔力量も普通ではない。だが、私はあまりの美しさに思わず息を呑んだのだ。何と言えば良いのかわからないが、今まで見たことがある祝福と違う。本当に神々の祝福を受けているように青い光が輝いている気がするのだ。
……こんな光は初めてだ。
ジンと胸が熱くなってきた。魔力圧縮を知っている大人でも苦しくなりそうな量の祝福を当然の顔で行うローゼマイン様が神々の遣いに見える。貴族ならば誰もが行う洗礼式の祝福。そこにこのような差があるとは考えていなかった。
……何が違う? 何故これほどローゼマイン様の祝福は美しいのだ?
初めて見た美しさに陶酔している内にアウブ・エーレンフェストが壇上で養子縁組について話し始めた。
「アウブとの養子縁組だと!?」
「聞いていないぞ。どういうことだ?」
本当に内々の話だったようで、ホールは蜂の巣を突いたような大騒ぎになるが、特別な祝福を見た私は、ローゼマイン様がアウブに見出されたのは当然だと納得した。むしろ、領主が語る聖女の行いは素晴らしくてもっと聞いていたかった。
……神殿で育ったらしい彼女をアウブがよく見つけたものだ。
私は内心で領主の評価を上書き修正しつつ、周囲の貴族達を見回した。これだけたくさんの貴族がいて、次々と挨拶を交わすのだ。よほど印象的でなければ覚えてもらえないだろう。自分の洗礼式の時を思い返しても、洗礼式で一度会っただけの貴族達を全て記憶するなど不可能だ。
……私は父上がフロレンツィア様の側近で、母上がローゼマイン様の側仕えとして紹介される予定なので、多少は興味を持ってもらえるかもしれないな。
そう考えたところで、少し不思議な気分になった。私がこのように他人に興味を持ったことは初めてだったのだ。自分の変化に私自身がおそらく最も驚いていると思う。
明日から神殿で護衛騎士に就任する者達が紹介され、領主夫妻の側近達でよく顔を合わせる者達が挨拶する。その後、母上やリヒャルダ達のように城に入ってから付くことになるローゼマイン様の側近達、ボニファティウス様を始めとした親族が紹介される流れらしい。私が紹介されるのは親族枠だ。
「ローゼマイン、ここにいてもつまらないから遊びに行くぞ。来い」
紹介される場を心待ちにしていたというのに、ヴィルフリート様に連れ出されたローゼマイン様がホールに戻ってくることはなかった。虚弱なローゼマイン様はヴィルフリート様の動きについて行けず、意識を失って大怪我をしたらしい。フェルディナンド様から癒やしの魔術を受けて部屋に運び込まれたそうだ。
……ローゼマイン様に怪我をさせただと?……ヴィルフリート様は要注意だな。
自然と敵視してしまったことを自覚して、私は自分の手を見つめた。
……引きずり落とすか……。ローゼマイン様をアウブにするために。
鈴華さんの誕生祝いSSです。
せっかくなので、リクエストの多かったハルトムートとローゼマインの(一方的な)出会いを書いてみました。