<< 前へ次へ >>  更新
40/48

コルネリウス視点 後悔まみれの陰鬱な朝

第三部Ⅴの特典SSが長くなり過ぎたので、切り取った部分の再利用SSです。

よろければどうぞ。

「すまないと思うのならば、ローゼマインを害した者を捕まえろ」


 フェルディナンド様の言葉に頷き、私はローゼマインを害した犯人を捕らえるためにおじい様に同行した。アンゲリカがジョイソターク子爵を発見した現場へ急行し、アウブや父上に犯人捕縛の連絡をした私は、襲撃犯の捕縛に安堵の息を吐いていた。フェルディナンド様の言葉を実行し、ローゼマインに対するわずかな贖罪ができたからだ。


 だが、それは間違いだった。アウブ・エーレンフェストによる尋問の結果、ジョイソターク子爵は本館の北側の襲撃およびシャルロッテ様の誘拐犯であることが確定したが、ローゼマインを襲った犯人とは別人だったのだ。


 ……つまり、私は未だに犯人を捕らえることができていないではないか。


 その事実は、時間が経てば経つほど重くなってくる。何度も寝返りを打ったが、真っ暗な寝台にいても全く眠くならない。不寝番の側仕えがこちらを気にかけている気配が伝わってきた。

 眠らなければと思うのに眠れない暗闇の中、私の脳裏に思い浮かぶのは、フェルディナンド様の腕の中で意識を失っていたローゼマインの姿ばかりだ。ほぼ全身を布に包まれていたが、布から覗く顔の横側には引きずられたような土汚れと擦り傷が見えた。薬を含んだ布が口に突っ込まれているのに何の反応もない。普段から白い顔は生気のない土気色で、嫌でも洗礼式の日に血溜まりに伏していたローゼマインを思い出させた。あの時も、今日も、私はローゼマインを守る立場にいながら全く守れていない。


 ……ローゼマインは大丈夫だろうか。


 そればかりを考えている。ジョイソターク子爵の尋問の場で「命に別状はない」とフェルディナンド様はおっしゃったが、意味ありげに周囲を見回していた様子から私はあまり良くない事態を想像してしまった。ジョイソターク子爵の口からゲルラッハ子爵という言葉が出たため、アウブを始め、騎士団の者達は皆そちらに意識が向いてしまい、ローゼマインの容態については話が聞けずじまいで、私はまだ詳しい状態を知らない。


 ……あの時、シャルロッテ様ではなく、ローゼマインに付いていれば……。


 シャルロッテ様とアンゲリカを救出することに全力を向けていた私は、ローゼマインの騎獣が捕われた瞬間を目にしていない。二人の救出に間に合ったという安堵と達成感を覚えながら、森の上空を大きく迂回していたらローゼマインの悲鳴が響いたのだ。慌てて周囲を見回すと、光の網の絡まった騎獣が森に引きずり込まれていき、すぐに木々の揺れが遠くに見えるだけになった。


 ……護衛騎士は如何なる時も自分の主から目を離してはならないと言われていたのに……。


 だが、私はローゼマインではなく、シャルロッテ様とアンゲリカに全神経を向けていたのだ。十秒にも満たないほんの少しの時間に、ローゼマインは危機に陥った。何が起こっているのか咄嗟には理解できず、全身の血が凍りつくような恐怖に全身を縛られた。一瞬で喉が干上がり、頭は真っ白だ。


 すぐにでもローゼマインのところへ向かわねば、と思ったが、救出した二人を放り出すこともできない。私はアンゲリカに身体強化とシュティンルークへの魔力供給を止めさせ、騎獣でシャルロッテ様を送るように命じてからローゼマインを探しに向かったのだが、それでは遅すぎた。いくら呼んでもローゼマインから答えは返らなかったのである。


 ……せめて、犯人がわかれば私が捕らえるのに……。


 ローゼマインをひどい目に遭わせた犯人を許せない。ジョイソターク子爵が挙げたゲルラッハ子爵は犯人なのだろうか。


 ……一刻も早くこの手で捕らえたい。


 無力感と後悔と犯人への怒りが渦巻く中、私は少しでも早く眠れるようにきつく目を閉じた。




 側仕えに起こされたものの、ひどい寝不足だ。深い眠りは訪れず、夜中に何度も目が覚めた。私は寝不足のまま身支度を調え、朝食を摂るために食堂へ向かう。今日はゲルラッハ子爵の尋問がある。精神的な決着を付けるためにも行かなければならない。

 食堂では母上がすでに朝食を終えていた。


「あら、今朝はずいぶんと早いのですね、コルネリウス」

「あまりよく眠れなかったのです」


 側仕えが淹れてくれた茶器を手元に寄せれば、ゆらりと揺れる波紋が見えた。一口飲めば体がふっと温かくなる。運ばれてきた朝食は、私が最も好んでいるタニエのクリームがパンに添えられていた。母上は素知らぬ顔でお茶を飲んでいるけれど、タニエのクリームは秋になってから私が食べすぎたせいで母上の許可なしに食べることを先日禁じられた物だ。わざわざ好物を出してくれたのだろう。


程よい甘さがタニエの風味を引き立てているクリームをパンに塗って口に入れる。少しだけ気分が解れると同時に、このレシピを教えてくれたローゼマインのことが思い浮かび、昨夜からずっと胸の中で渦巻いていた言葉が口をついて出た。


「母上、私はローゼマインの護衛騎士見習いなのに、肝心の主を守れませんでした。……あの時、私はシャルロッテ様を救うのではなく、ローゼマインに付いていなければならなかったのに……」

「……コルネリウス、落ち込む気持ちはわかります。けれど、シャルロッテ様を救うことを、他の誰でもないローゼマインが望んだのでしょう?」


 確かに、ローゼマインが飛び出したのでなければ、私はシャルロッテ様を救うことを彼女の護衛騎士と騎士団に任せ、ローゼマインの守りに専念していただろう。薄情に見えても、自分の主を守ることが護衛騎士の仕事だ。私が頷くと、母上は漆黒の瞳を少し厳しく光らせた。


「ならば、シャルロッテ様が助けられたことを負い目に思うような言動は慎みなさい。貴方以上に反省すべきなのは、黒ずくめに対応仕切れずに主の危機を救えなかったシャルロッテ様の護衛騎士なのですから」


 母上の言葉は騎士団長の第一夫人らしいキッパリとした言葉だった。だが、現場を知らないから言える言葉だ。敵の人数や強襲を受けた状況を思い返すと、シャルロッテ様の護衛騎士だけでの対応は難しかった。

 私は訓練された黒ずくめの動きを思い出しながら、頭の中でゲヴィンネンの駒を動かす。仮に、シャルロッテ様を襲った黒ずくめ三人が私達を襲っていれば、アンゲリカと私が一人ずつ相手にしたとしても、もう一人はローゼマインのところへたどり着いたはずだ。


 ……ローゼマインは騎獣に乗っていたから、シャルロッテ様のように抱えられてさらわれることはなかっただろうけれど。


「母上の言葉は決して間違いではありませんが、あの現場にいた私にとっては完全に正解でもありません。決してシャルロッテ様の護衛騎士が手を抜いていたわけではなかったのです」

「そのように冷静に考えられるならば、過ぎたことを後悔するより、これから先のことを考えなさい、コルネリウス。ローゼマインは時間がかかっても目覚めると、命が失われることはないと、フェルディナンド様が請け負ってくださったのですから大丈夫ですよ」


 お茶を飲みながら悠然とした様子でそう言った母上にムッとして、私は給仕された朝食のベーコンをやや乱暴にフォークで突き刺した。


「ローゼマインについてフェルディナンド様は詳しく説明しなかったではありませんか。そのように素直に信じるなど、母上らしくありませんね」


  エックハルト兄上と母上はフェルディナンド様を信用しすぎだと思う。私が不満を口にすると、母上は「あら」と口元を押さえてクスと笑った。


「フェルディナンド様は言質を取られないように何事も曖昧にしておく方ですよ。その方がローゼマインの命は助かったと明言されたのです。お任せしておけば問題ありません」


 お言葉を濁したのですから、いつまでかかるのかわかりませんけれど……と母上が静かに付け足して、そっと息を吐いた。


「ボニファティウス様は神殿で治療を行うことに怒っていらっしゃいましたが、わたくしはフェルディナンド様の判断を評価します」

「何故ですか? 容態が安定したならば、もっと守りの強化できる場所へローゼマインの身柄を移した方が良いのでは? 神殿は灰色神官が多く、守りが薄いと思われます」


  ローゼマインの護衛騎士で神殿へ入れるのはダームエルとブリギッテだけだ。フェルディナンド様の護衛騎士で神殿への立ち入りを許されているのはエックハルト兄上だけだと聞いている。たったそれだけの人数しかいないのに、再び襲撃を受けたらどうするつもりなのか。


「あそこは貴族が立ち入らない場所です。ローゼマインとフェルディナンド様の側近以外の貴族の出入りを禁じれば、見舞いと称してローゼマインを害しようと考える者の出入りも容易ではなくなるでしょう?」


 母上がエックハルト兄上から聞いた情報によると、神殿にはフェルディナンド様の隠し部屋もあるので、下手にローゼマインを移動させる方が危険らしい。冷静な母上の指摘が、昨晩悩みに悩んで寝不足の私には何だか面白くなかった。


「ローゼマインが襲われたというのに、母上はずいぶんと落ち着いているのですね」

「落ち着いてはいませんよ。ライゼガングの希望の光と言われていたローゼマインが命の危機に陥ったのです。あの方達を押さえなければならないことを考えると、今から頭が痛い思いです」


 ローゼマインはヴェローニカ様に押さえつけられていたライゼガング系貴族から出た領主の養女だ。一族から絶大な期待がかけられている。今まではローゼマインが虚弱な上に、神殿育ちで貴族社会に慣れていないため、貴族との面会を最小限に絞っていた。


 だが、少し社交に慣れてきたこの冬は、社交の練習として親戚のギーベ達と面会を行い、製紙業や印刷業を広げていく話をする予定だったそうだ。新しい産業への関わり、ライゼガング系貴族の結束、旧ヴェローニカ派に対する優位性……。色々な意味で親族の貴族達の希望が潰れたのである。私は激昂しそうな親族の顔ぶれを思い浮かべた。


「それは……後始末が大変そうですね」

「何を他人事のような顔をしているのです、コルネリウス? 子供部屋や貴族院で彼等の子供達から貴方にも接触があるはずです。秘匿すべき情報と、拡散すべき情報を予めアウブやカルステッド様と擦り合わせておくようになさい」


 そう言われた瞬間、問い詰めてきそうなライゼガング系貴族の子供達の顔がいくつか浮かんだ。去年の子供部屋の様子からローゼマインに注目が集まっていたことは知っている。


「このような状況で騎士団長が城を離れるとは思えません。カルステッド様はしばらく騎士寮で過ごすことになるでしょう。情報の擦り合わせのために騎士団へ顔を出すならば、次のギーベ・ジョイソタークの候補について質問してくれるかしら? ジョイソタークはゲルラッハと隣接しているので、今後の社交にとても重要でしょう?」

「母上、さすがに騎士団へ顔を出しても、このような事態で父上と個人的な話をする時間が与えられるとは思えません」


 護衛騎士見習いとして一年以上過ごせば、騎士団長の仕事振りも見えるようになる。領地内の貴族が全て集う冬の社交界の始まりと同時に、領地内の貴族から領主一族が襲われたのだ。とても個人的な面会が叶う状況だとは思えない。


「できれば、で構いませんよ。情報を得るための伝手は多い方が良いですからね。……ひとまず今日はエックハルトとランプレヒトに夕食は家へ帰ってくるように言いましょう」


 ……やっぱり母上は冷静じゃないか。


 アウブ周辺の情報を得るために誰から話を聞くのが適当か思案している母上を見て、私はまだまだ貴族としても、護衛騎士としても未熟だと感じずにはいられなかった。


<< 前へ次へ >>目次  更新