リヒャルダ視点 新しい姫様
第三部の始めから第182話辺りまでのお話です。
ローゼマインの側仕えになってほしいと頼まれたリヒャルダ。
ヴェローニカ様が捕らえられたことによって城の中がてんやわんやになっている時に、わたくしはジルヴェスター様に呼び出されました。黄色の魔石に戻ってしまったオルドナンツを見つめ、首を傾げます。
「一体何のお話でしょう?」
「リヒャルダ、アウブのお考えをよく伺ってくださいませ。今回のような突然の出来事が何度も起これば、我々も動けません」
他の側近達が不安そうになるのも仕方がないでしょう。誰にも何の相談もなく、領主会議から抜け出してまでヴェローニカ様を失脚させるなど、とても今までのジルヴェスター様では考えられません。
カルステッド様を伴っていたこと、騎士団が迅速に動いたこと、事が神殿で起こったことを考えれば、ジルヴェスター様、カルステッド様、フェルディナンド様の三人だけが共有していた事態であることは推測できますが、勝手に行って良いことと悪いことがございます。
……今回の件は「周囲への影響をよくお考えなさいませ」と三人まとめて叱らなければなりませんね。
もちろんアウブの印を勝手に使うなど、ヴェローニカ様が超えてはならない一線を越えたのですから罰が与えられるのは当然でしょう。けれど、そのための根回しが全く行われていないこと、他領の貴族を巻き込んで事態を大きくし、領地内の貴族達を大混乱に陥れたことには苦言が必要でしょう。
「ジルヴェスター様、リヒャルダです。お召しに従い参上いたしました」
すでにカルステッド様とエルヴィーラ様以外は人払いをされた部屋の中、更に盗聴防止の魔術具を差し出されたことで非常に内密のお話になることはわかりました。そこで聞かされた話は、耳を疑う物でした。
「ジルヴェスター様、養女を迎える、とおっしゃいましたか!?」
「あぁ、そうだ。夏に洗礼式を迎えるカルステッドの娘を私の養女とする」
「カルステッド様にお嬢様はいらっしゃらないでしょう? もしや、わたくしが存じ上げないお嬢様がいらっしゃる、と……?」
カルステッド様とエルヴィーラ様のお二人を見比べるようにして問うと、カルステッド様が「第三夫人ローゼマリーの忘れ形見だ」と答えました。ですが、それは嘘でしょう。カルステッド様の教育係を務めたことがあるわたくしにはすぐにわかります。
「リヒャルダ様、誰の娘であるのかは関係ございません。洗礼式でわたくしの娘になるのですから」
強張っているお顔ではございますが、エルヴィーラ様の覚悟を決めた目を見れば、おいそれとは口出しができない次元で養女のお話は決まっているのでしょう。それでも乳母であり、教育係であったわたくしはジルヴェスター様に問わなければなりません。アウブに直接問える者は少ないのです。
「ジルヴェスター様、ヴェローニカ様を捕らえたことで混乱する城に、更に混乱をもたらすおつもりですか? 周囲への影響をよくよくお考えなさい。今は養女を迎え入れるよりもヴェローニカ様に育てられていたヴィルフリート様のお立場について考える方が先でございましょう。仮に、ヴィルフリート様のお立場を強化するために養女に迎えるのだとしても、貴族院へ入る直前で十分ではございませんか」
フロレンツィア様との間にはすでに三人の御子がいらっしゃるのです。ここにカルステッド様とエルヴィーラ様のお嬢様であるライゼガング系の養女を迎えると、貴族達の間で不和や混乱が起こることは目に見えています。先に今の混乱状態を収めなければなりません。
「養女を迎えることについてフロレンツィア様は何とおっしゃったのです?」
「其方と同じだ。何を考えているのか、と詰られた。だが、養女の件は決定事項だ。譲れぬ」
フロレンツィア様を持ち出しても、ジルヴェスター様の深緑の目に揺らぎはありませんでした。ジルヴェスター様が一度決めれば、御自分の決定を覆すことがないことはよく存じています。既に決まったことであれば、わたくしは周囲のためにできるだけ多くの情報を得なければなりません。
「さようでございますか……。フロレンツィア様と諍いを起こしても押し通すおつもりでしたら、これ以上わたくしが何を言っても無駄ですね。では、お伺いいたしましょう。どのようなお嬢様なのです? この難しい時期にアウブの養女とするのです。それだけの何かがあるのでしょう?」
嘘を許さないというように、わたくしが腰に手を当ててジロリと睨むと、少し考えたジルヴェスター様がちらりとカルステッド様に視線を向けられました。
「魔力量が豊富で、神の世界で知識を得られるエーレンフェストの聖女だ」
「……真面目に答えてくださいませ」
「別に嘘ではない。幼いながら直轄地の収穫量を上げられるだけの魔力量を誇り、エーレンフェストに新しい産業をもたらす娘だ。フェルディナンドを補佐の神官長にして、神殿長の職に就くことが決定している。神殿育ち故に貴族の常識に疎いところがある。故に其方には彼女……ローゼマインの筆頭側仕えとなってもらう」
「神殿育ちの上に、これから神殿長に就任させるとおっしゃるのですか!?」
簡単におっしゃったジルヴェスター様に眩暈がしました。
「神殿育ちの子供を城に入れるなど……心ない噂の的になるだけではございませんか。これから洗礼式を迎える子供にそのような苦労をさせるおつもりですか!? わたくしは反対です。カルステッド様も御自分のお嬢様のお話ですよ! 父親である貴方が守らなくてどうします!?」
養女となる子供の立場の不安定さに驚き、嘲笑や不満の捌け口になるだろうという予想に背筋がひやりとします。わたくしが叱りつけても、ジルヴェスター様とカルステッド様は少し視線を交わし合っただけで意見を翻そうとはしませんでした。
「リヒャルダ、ローゼマインにはどれだけ悩み、心ない噂の的になろうとも、領主の養女にならなければ守れぬものがある」
「自分にとって大事なものを守るためにローゼマインは私の養女になることを選んだのだ。今更それを放り出せとは言わぬ。神殿長として神殿に留めるのも、ローゼマインのためだ。完全に引き離さぬ方が良い。……そうフェルディナンドが言っていた」
お二人の言葉で何となく察することができました。ローゼマイン様の大事なものは神殿にある何か、もしくは、誰かで、先日神殿で起こった騒動と密接な関係があるのでしょう。他領の上級貴族と揉めたのです。領主一族に名を連ねなければ収まらない何かがあったに違いありません。
「リヒャルダ、この難しい情勢の上に、神殿ではフェルディナンドに庇護されていた子供だ。他に頼れる者がおらぬ。頼めるか?」
ヴェローニカ様にひどい扱いを受けていたフェルディナンド坊ちゃまが、御自分の庇護下にあった者を預けられる相手はほとんどいません。アウブであるジルヴェスター様に重用されていて、カルステッド様が御自分の娘を預けても不自然ではなく、フェルディナンド坊ちゃまが信用できる者など他にいないでしょう。
「かしこまりました。お引き受けいたしましょう」
「リヒャルダ、親子二代で世話をかけるがよろしく頼む」
「ありがとう存じます、リヒャルダ様」
カルステッド様とエルヴィーラ様が安堵したように微笑みました。お二人の表情からは城へ上がることになるお嬢様への心配がよく伝わって参ります。神殿から城へやってくる子供を少しでも守ることができるように手を尽くすしかありません。
「エルヴィーラ様、リヒャルダとお呼びくださいませ。わたくしは貴女のお嬢様の側仕えになるのですから」
夏の洗礼式に養子縁組をすると言われ、わたくし達は大急ぎでローゼマイン様のお部屋を整えることになりました。城で育った領主の子であれば、側近達を使う練習を兼ねてじっくりと時間をかけてお部屋の準備をするのですが、ローゼマイン様の場合は違います。城に入ってからお部屋を整えるのでは間に合わないため、母親であるエルヴィーラ様と迎え入れる準備をしなければなりません。
「エルヴィーラ様、ローゼマイン様のお好みについて教えてくださいませ」
「今のお部屋に馴染んでいるようですから、同じ雰囲気で準備したいと思います。……少しは安らげると良いのですけれど」
「あぁ、今は教育中でしたね。どのようなお嬢様ですか? 殿方からの意見だけではどうしても心許ないですから、エルヴィーラ様のご意見を伺いたいものです」
ジルヴェスター様もカルステッド様も、ローゼマイン様のことを「非常に優秀で変わった子供」としかおっしゃいません。「エーレンフェストの聖女」よりはまだ情報が出てきたのですけれど、何とも要領を得ないのです。
「フェルディナンド様がおっしゃったように、ローゼマインは上級貴族らしい振る舞いができていなかったのですけれど、目を見張る速さで日々上達しています。教師も驚いていますが、わたくしも驚きました。集中力が素晴らしいです。洗礼式までには、とても神殿育ちとは思えない立ち居振る舞いが身につくでしょう」
「優秀な努力家なのですね」
「えぇ。コルネリウスが少し触発されているようです。ただ、変わっているという評価も間違いではないのですよ。神殿育ちだからでしょうか。ローゼマインは考え方や判断の拠り所にするところがずれていて、何を考えているのか理解しにくいことがあります。けれど、話をしてみると、彼女なりの考えがあることがわかるのです」
どうにも要領を得なかったジルヴェスター様の言葉に嘘や誤魔化しはなく、優秀な努力家でずいぶんと変わったお嬢様だということはわかりました。それよりも、わたくしとしてはこの短時間にエルヴィーラ様がずいぶんとローゼマインに詳しくなり、表情がどんどんと母親のものになっていることの方が驚きです。
「エルヴィーラ様の言葉の端々、表情からも心配している様子が見て取れます。生さぬ仲であるのに、ずいぶんな入れ込みようではございませんか」
「ローゼマインが来てから、家の雰囲気がずいぶんと変わりました。わたくしにとってはとても可愛い娘なのですよ。フェルディナンド様がとても気にかけてくださいますし……」
クスクスと楽しそうに笑いながらエルヴィーラ様はフェルディナンド坊ちゃまがずいぶんと気にかけていらっしゃる様子を教えてくださいました。
「坊ちゃまが二日に一度の訪問ですか?」
「えぇ。三日になることもありますけれど、ほぼ二日に一度ですね。共に夕食を摂り、家庭教師から進度を聞き、ローゼマインに理解しにくいところがないか尋ね、体調に異変がないか確認していらっしゃいます。父親であるカルステッド様よりよほど父親のようですよ。いくら庇護下にある子供とはいえ、フェルディナンド様がこれほどまめに様子を見ていると思いませんでした」
ローゼマイン様がフェルディナンド様にとても懐いているようで、頼りにしている姿が見られるそうです。他者を寄せ付けないように警戒ばかりしていた坊ちゃましか知らないわたくしには耳を疑うような話でした。
「あのフェルディナンド坊ちゃまが幼い子供の世話を焼くなんて……。一体どのようにしてローゼマイン様は坊ちゃまの強固な警戒心を解いたのでしょうね?」
「幼く、虚弱であるからこそ……でしょうか? 何もしなくても勝手に死にかねないので、よくよく見張っておかなければならないそうですよ」
張り切りすぎて熱を出したことを微笑ましそうに述べた後、エルヴィーラ様が沈痛な面持ちになって頬に手を当てると、そっと息を吐きました。
「ローゼマインはとても良い子です。どのような理由があったとしても洗礼式を機に神殿から離すのが貴族として生きていくならば最良でしょう。けれど、ジルヴェスター様もカルステッド様もフェルディナンド様もそうしません。ローゼマインのためだけではなく……フロレンツィア様のお子様をアウブ・エーレンフェストにするためには必要な弱みなのかもしれないとも思うようになりました」
それはもしや弱みがなければ、ローゼマイン様が次期アウブになるかもしれないということでしょうか。男性の領主候補生がいる中で女性の領主候補生がアウブになろうと思えば、夫になる者の力量も含めて相当の不利を覆す実力が必要になります。性差の不利に泣いたゲオルギーネ様を知っているわたくしとしては、すぐに呑み込めません。
「フロレンツィア様のお子様にはヴェローニカ様に育てられたヴィルフリート様だけではなく、他にも男のお子様がいらっしゃいますよ」
「えぇ、存じています。男の子の育て方についてフロレンツィア様から尋ねられたことがございますから……。ですが、ライゼガングが後ろ盾につけば、次期アウブを目指すことができる立場になります」
次期アウブを巡る争いが起こるのではないか、と懸念するエルヴィーラ様にわたくしは微笑んでゆっくりと首を横に振りました。
「養女の件を強行したのです。ジルヴェスター様達もよくよく考えた上で決断されたはずです。同い年に男性の領主一族がいて、ローゼマイン様が次期アウブに持ち上げられることはございませんよ」
「けれど、ローゼマインはどのように育てれば子供がこれほど優秀に育つのか、不思議に思うほどなのです」
「フェルディナンド坊ちゃまの教育が厳しかったのでしょう。周囲に置く者の基準が飛び抜けて高い方ですから」
息子のユストクスが側仕えになろうとした時のこと、名を捧げる決意をした時のことを思い出しました。ずいぶんと色々と条件や課題が出されたとぼやいていましたが、幼い子供にも同じようなことをしたのではないか、と思ったのです。
「次々と課題を積み上げていらっしゃいますね。……けれど、領主一族に名を連ねるのであれば必要な課題だと思います。それでも、本を読んでいられたら、それだけで幸せだというローゼマインがこれ以上余計な争いに巻き込まれないように願わずにはいられません」
エルヴィーラ様と意見交換をしながら、お部屋を整えていきます。その内にオティーリエが新しく側仕えとして選出されました。エルヴィーラ様のご友人だそうです。神殿と繋がりがあるということで、側近選びは難航しているようです。側近は最も身近に接する者です。信用ならない者を就けることができない以上は仕方がありません。
「リヒャルダも洗礼式へ向かうのでしょう?」
「えぇ。ローゼマイン様がどのような方なのか、見ておきたいですからね」
オティーリエと同じように、わたくしはローゼマイン様の洗礼式に向かいました。側仕えとして紹介されるのはローゼマイン様が城へ上がってからですが、顔合わせはしておきたいというカルステッド様とエルヴィーラ様のご配慮です。
けれど、洗礼式ではヴィルフリート様が挨拶途中のローゼマイン様を連れ出して大変な怪我をさせたことで紹介はされないままに終わり、わたくしと姫様の初対面は城になりました。
「リヒャルダ、其方がローゼマインの……?」
「えぇ、ジルヴェスター様から頼まれまして」
ノルベルトに案内され、フェルディナンド坊ちゃまと共にお部屋に入ってきたローゼマイン様は、坊ちゃまとわたくしを見比べて不思議そうに首を傾げました。洗礼式の時にも思いましたが、年齢よりも少し幼く見えます。好奇心に満ちた金色の瞳がキラキラと輝き、坊ちゃまを見上げていました。懐いていると言っていたエルヴィーラ様の言葉通りです。何とも微笑ましい気持ちになりました。
「ローゼマイン様、こちらの女性はリヒャルダ。筆頭側仕えでございます」
「よろしくお願いいたします」
ノルベルトに紹介されると、ローゼマイン様はわたくしに礼をしました。目を見張るほど艶のある髪がさらりと肩を流れます。指先まで神経を使った優雅な動きは、とても神殿育ちとは思えません。エルヴィーラ様との初対面が中級貴族程度の立ち居振る舞いだったそうですから、領主の養女になるために大変な努力を重ねたことが一目でわかりました。
顔を上げたローゼマイン様は緊張した面持ちでこちらを見上げていますし、坊ちゃまが何ともそわそわした様子でわたくしの言葉を待っています。
……あらまぁ。フェルディナンド坊ちゃまがずいぶんと変わったこと。
新しい姫様に歓迎の気持ちを込めて微笑むと、姫様ではなく坊ちゃまが安堵したように緊張を緩めたことがわたくしにはわかりました。
「さすがよく教育されたカルステッド様のお嬢様ですこと。礼儀作法をよくご存じなのですね。ローゼマイン姫様、リヒャルダと申します。こちらこそよろしくお願いいたします」
第三部Ⅳの発売記念SSです。
リクエストを見直したら意外とリヒャルダ視点を望む声が多かったので。
ローゼマインとの出会い辺りを……。