エックハルト視点 ユストクスへの土産話
第236話の後のエックハルト視点です。
「遅いではないか、エックハルト。其方のオルドナンツをどれだけ待ったと思っている?」
「待たせたとはいっても十日ではないか。大袈裟な……」
私の家にやってくるなり、そう訴えたのはユストクスだ。すでに亡くなっている妻のハイデマリーから同じことを言われたならば、私も「待たせて悪かった」と謝る気分にもなっただろうし、そもそも待たせなかった。
だが、三十代前半になっても自分の趣味である情報収集に没頭して、貴族としての作法を放り投げている男に嘆かれたところで、私は何とも思わない。いや、何ともではなく、少々鬱陶しいとしか思わない。
目を通していた羊皮紙を机の上の束に重ねて置き、私は書斎までユストクスを案内してきた側仕えにお茶の準備を頼む。それから、ユストクスに視線を向けた。
「アウブやフェルディナンド様の命令による祈念式への同行の後だぞ。私としても其方と共有したい驚きが多い旅だったから、これでもできるだけ早く招いたつもりだ」
秋の収穫祭ではローゼマインとフェルディナンド様が別行動をしていて、ゴルツェの討伐だけ合流したので、二人が一緒にいるところを見る時間が非常に短かった。そのため、目につかなかったことや貴族間ではあまりしないが神殿では普通のことなのだろうと何となく流してしまったことが多々あったのだ。
「護衛騎士達はフェルディナンド様を知らなすぎる上に、神殿は貴族街と異なるようで誰も疑問には思っていませんという一言で済ませるので、全く話にならぬ」
私はこの春の祈念式で見聞きした驚愕の事柄に共感してくれる者に話がしたいと思っていた。文官として同行したユストクスがハッセで使用した登録証を持って帰らざるを得なかったのが残念でならなかったくらいだ。
「驚きの多い旅の話か。それは楽しみだ。……ところで、其方は何をしていたのだ?」
エックハルトが書斎で調べ物をしているなど珍しい、と少々失礼なことを言いながらユストクスが私の手元を覗き込んだ。見られて困る物でもないので、ユストクスに羊皮紙の束をそのまま手渡す。
「貴族院時代にフェルディナンド様がどのようにゲヴィンネンを使って兵法を教えていたのかがわかる資料が欲しいとダームエルに頼まれて、当時の教材を探しているのだ。アンゲリカの成績を上げ隊で使いたいらしい」
「アンゲリカは何とかなりそうなのか?」
ユストクスの質問に私は「知らぬ」の一言で済ませる。アンゲリカがどうなろうとも私には関係がない。
「領主一族の側近でありながら補講を受けることになるなど、あり得ぬ。そんな無能を側近として置いておきたいとローゼマインが望んだと聞いた時には、どこかおかしいのではないかと頭の構造を疑ったくらいだ」
普通の領主一族ならば落第するような護衛騎士見習いなどスパッと切り捨てているはずである。ハッセの民といい、アンゲリカといい、ローゼマインはどんなに無能で不要な存在でも、誰かを切り捨てることができない性分なのだろう。
「正直なところ、甘すぎる。ローゼマインは性格的に領主一族に向いていないと思わざるを得ぬ」
「口では辛口なことを言いながらも、ずいぶんと熱心に資料を探しているではないか」
ユストクスがからかうように笑ったが、私の助力は別にアンゲリカやローゼマインのためではない。
「ダームエルとコルネリウスのためだ。祈念式の道中でダームエルと話をする機会が多く、アンゲリカやコルネリウスに教えるためにダームエルがかなり苦労していることがよくわかったからな」
「エックハルトがダームエルに親切だと? どういう風の吹き回しだ? 下級騎士をいつまでも姫様の護衛騎士として残すのは反対だったではないか」
ユストクスのニヤニヤ笑いに、私は「今でも反対は反対だ」と頷いた。
「領主一族の護衛騎士に下級騎士のダームエルでは、魔力量を考えれば荷が勝ちすぎている上に、周囲の不満も大きい。出世は望めなくなるが、辞めさせてやった方が本人は楽になると思う。だが、フェルディナンド様によると、ローゼマインには必要なのだそうだ」
神殿ではダームエルの存在が重宝されているようで、平民時代を知っているダームエルをローゼマインの側近としてもうしばらく置いておきたいとフェルディナンド様は考えているらしい。「ダームエルの救済やアンゲリカの成績を上げ隊の行動は、ローゼマインの甘さを慈悲深さにすり替えてエーレンフェストの聖女らしく見せるのにちょうど良い」ともおっしゃった。
「フェルディナンド様が望むならば、私は全力で補佐するしかあるまい。幸いにもダームエルは魔力の成長が遅い方だったのか、成人した今でもじわじわと魔力が増えている」
祈念式の道中、ダームエルをいかに鍛えるのかフェルディナンド様と話し合った様子を伝えると、ユストクスが真面目な顔になって木札や羊皮紙を軽く叩いた。
「エックハルト、この資料集めのどの辺りがダームエルのためなのか、もう一度尋ねても良いか? フェルディナンド様のためだとしか思えぬ」
「……ふむ。よく考えてみればダームエルではなく、フェルディナンド様のためだったようだ。だが、コルネリウスのためという言葉に偽りはないぞ。これまでやる気がなかったコルネリウスが勉強する気になっていて、両親が応援しているのだ。協力するのが兄としての務めだろう。コルネリウスはもう少しフェルディナンド様の素晴らしさを知るべきだから、ちょうど良い」
ユストクスが面白がるように「結局、最後が本音ではないか」と笑ったが、コルネリウスのためになるのだから問題はないはずだ。貴族院でフェルディナンド様と一緒に過ごしたことがないコルネリウスは、フェルディナンド様の素晴らしさを知らなすぎるところに問題がある。そこまで考えて私はハッとした。
……いや、待て。ヘンリックからフェルディナンド様の話を聞いたダームエルはフェルディナンド様の素晴らしさをよく理解していたではないか。もしや、私の話し方が悪かったのか、それとも、話し足りなかったのか。
兄としてもっとわかりやすく話をするべきだったのではないか、と私は内心反省する。だが、一族の都合とはいえ、コルネリウスも主を持つ領主一族の側近となったし、勉強に身を入れ始めたのだ。これからは話をする機会も増えるし、ローゼマインに付いたことでフェルディナンド様の素晴らしさを知る機会も増えるだろう。
「準備が整ったら下がってくれ」
私はお茶の準備を終えた側仕え達に下がるように言うと、ユストクスに席を勧めて盗聴防止の魔術具を取り出した。祈念式の道中で起こったことはあまり大っぴらにすることではない。
「それで、一体何があったのだ? フリュートレーネの夜まで私も同行したかったのだぞ」
「ハッセの処刑に同行できたのだから良いではないか。徴税官ならばまだしも、其方が登録証を扱うことについてはずいぶんと無理を言ったと聞いているが?」
「領主一族しか行えぬ魔術を間近で見る機会が巡ってきたのだぞ? 他人に譲れるわけがなかろう」
ユストクスはいかに珍しいことなのか力説する。珍しいのはわかるが、フェルディナンド様が行うのでなければどうでもいい。
「……エックハルト、其方はローゼマイン姫様をどう思った? ハッセの処罰については生温いことを、と言っていたが」
ユストクスにそう言われ、私は少し考えてみる。ユストクスは平民出身ながら頑張って擬態していると褒めていたけれど、私はもっと領主一族らしい品格と厳しさを身につけた方が良いと思っている。その点は変わっていない。だが、「フェルディナンド様にやたら贔屓されている平民出身の妹」から位置づけは変わっている。
「ハッセの処分に関しては、平民視点の思考回路が抜けていないことでフェルディナンド様をずいぶんと振り回して困らせているように見えたので、少々腹立たしく思っていた。虚弱なだけではなく、平民思考でフェルディナンド様に世話をかけてばかりの妹という評価だったが、祈念式に同行したことで評価を修正したし、フェルディナンド様のご意見を伺って更に評価を修正した」
私がお茶を飲みながらそう言うと、ユストクスが目を輝かせて興味深そうに身を乗り出してきた。
「ほぉ、秋の収穫祭に同行した時には、フェルディナンド様の回復薬がなければ自分の役目を務められない虚弱さで本当に大丈夫なのか? 魔力と体力を足して二で割れれば良いのにと何度も言い、ハッセの対応は生温すぎると憤慨していた其方が姫様の評価を変えるとは興味深い」
「ハッセに関しては生温い対応だとは今でも思っている。領主一族にとって平民は管理すべき領民で、反逆する者が出たならばもっと厳しくすべきだ。あのように甘くて領主一族としてやっていけるのか……。そういう意味ではローゼマインに対する印象は変わっていない。だが、フェルディナンド様にとっては得難く、有益だ。この祈念式の道中で、私は表情を取り繕うのに苦労するほど何度も驚かされたのだ」
私は祈念式の道中のことを思い返す。秋の収穫祭の時とローゼマインの虚弱さは特に変わっていない。フェルディナンド様が手ずから調合した貴重な回復薬を、時に嫌そうに顔をしかめながら消費する様子には呆れるしかなかった。だが、前回の収穫祭に比べて祈念式では寝込む回数が減っていた。フェルディナンド様が甲斐甲斐しく世話をしていることが理由だと気付いた時、私は雷の直撃を受けたような衝撃を受けたのだ。
「秋と違って、今回はフェルディナンド様がご一緒だったではないか。私はローゼマインとフェルディナンド様が接しているところを今まで見る機会が少なかったので非常に驚いた。あのフェルディナンド様がまるで貴重な薬草でも育てているような細かさで、ローゼマインの様子を気にかけて世話を焼いているのだぞ」
薬草などの研究素材ならばともかく、人間に対してあのような細かさを発揮するフェルディナンド様を見たのは初めてだった。ハイデマリーが生きていたら、大騒ぎしただろうと思う。
「確かにハッセの処刑の後で、姫様の様子を気にかけるフェルディナンド様は非常に珍しかったな。姫様に対してあまりにも厳しい対応を取った場合は、取りなすつもりで待機していたのだが、必要がなかった」
「うむ。体調管理や危機管理が自分でできなければ死ぬだけなので側近になど任せられるかと言い放ち、弱味を見せたら攻撃されると誰に対しても警戒心を剥き出しにしていたフェルディナンド様ならば、もっとしっかりしろとローゼマインを叱り飛ばすかと思ったのだが……」
ジルヴェスターの母親から常に虐待されて育ったため、フェルディナンド様は言質を取られないように、自分の弱味を作らないように考えて動く癖が染みついている。
親切を仕事として割り切って合理的だと判断すれば即座に行える。だが、感情を優先させて親切を行うのは難しいようで、その方法は横で見ていると頭を抱えたくなるほど遠回しなものになることが多い。
ところが、フェルディナンド様がハッセでローゼマインに対して行ったのは、実の父親のマントと休息を与え、ローゼマインの側仕えに何度も様子を聞くだけだった。このようにわかりやすく気遣うのは珍しいのだ。同時に、わかりやすく親切にしたところで、もうフェルディナンド様が不利益を被ることがないという現状を私は嬉しく思う。
「だが、驚くことはそれだけではない。なんと、あのフェルディナンド様が、自分の口に合う食事が良いと言って、ローゼマインの専属料理人に昼食を作らせていたのだ」
「何!? あのフェルディナンド様が!? 研究に没頭すれば食事など二の次、三の次で必要な栄養さえ得られればよかろうと栄養剤で済ませようとするフェルディナンド様が!?」
ユストクスのひっくり返った声に私は大変満足した。こうして驚きを共有できる相手が欲しかったのだ。神殿ではその様子が珍しいものではないのか、誰も驚いていなかった。当たり前の顔で皆が「食事はおいしい方がいいですよね」で済ませてしまったのである。
「うむ。フェルディナンド様が譲らなかったのだ。たまに、のことであれば平民の食事も我慢して食べるが、毎日続くのは嫌だ、と……。その上、改めて毒見をさせることもなく、ローゼマインの専属料理人が作った食事を口にしていたのだぞ」
「何という……神殿ではそれが当然なのか」
あれもまた衝撃だった。貴族はよほどのことがない限り、毒の混入を警戒して専属料理人を共有することは少ない。フェルディナンド様は殊更毒入りの食事を警戒していたので、成人して城から住まいを移してからは城で食事を摂ることさえ滅多になかったのである。まさかローゼマインの専属料理人に毎日の昼食を任せることをフェルディナンド様が所望するなど考えられなかった。
「それだけではない。祈念式の道中で出されたローゼマインのレシピを追加購入したがってフェルディナンド様が交渉していらっしゃった」
フェルディナンド様がローゼマインのレシピを購入していることは冬の社交界でも知れ渡っていた。だが、元々食事に興味の薄いフェルディナンド様が購入したのは、ローゼマインの庇護者であること、領主一族が流行を広げるためには必要なことだと判断したために購入したのだと私は思っていた。
まさか最初のレシピを教える料理人は二人しか出せないと知った途端に、フェルディナンド様が金に任せてさっさと一人を確保したなど考えていなかったし、ローゼマインから「フェルディナンド様は美食家というか、結構食いしん坊で、食事にこだわりがありますよね」と思われているなど考えてもいなかった。
「くっ……。美食家で食いしん坊なフェルディナンド様だと? 初めて聞いたぞ。そのような評価。あの方に普通に食事をさせるために私がどれだけ苦労してきたと思っているのだ」
「それを神殿者やダームエル達さえ不思議に思っていなかったのだ! わかるか、私の衝撃が!?」
「わかるとも!」
私はユストクスと固い握手を交わした。先代が病に伏し、ヴェローニカ様の権勢が最も強くなった時期は本当に警戒心が強くて大変だった時代があるのだ。あの手、この手でフェルディナンド様の食の安全を確保し、信頼を得るために苦労していた私とユストクスにとってはあまりにも驚きだ。
「クッ……。私もその場に居合わせたかった。どうせシュツェーリアの夜のようにフリュートレーネの夜も何か不思議なことが起こったのだろう?」
「あぁ、実に不思議なことが起こった」
ユストクスが「やはり!」と膝を叩きながら悔しそうに言い、何があったのか教えろと据わった目で睨んでくる。仕方がないので、自分達が体験とローゼマインから聞いた女性視点のフリュートレーネの夜について話をしてやる。奇妙な夜の話をユストクスは目を輝かせて喜んだ。
「フェルディナンド様でも破れぬ魔力の壁に、光る魔力の塊、姫様の歌によって巨大化していく花や葉か……」
「ローゼマイン達があまりにも無防備で泉の周りをうろついたり、巨大になった葉に乗って採集に向かったりするのだ。危なっかしいことこの上なく、フェルディナンド様は何とか破れぬものか奮闘していた。だが、結局日が昇るまでどうしようもなかったのだ」
薄くなってきた魔力障壁を破ることはできたし、ローゼマインを空中で捕まえたことで一安心だったが、生きた心地のしない夜だった。
「そういえばフリュートレーネの夜にローゼマインが採集した素材は非常に珍しいようで、父上への報告の時にフェルディナンド様が大喜びしていたぞ。よくわからなかったので聞き流したのだが、其方が採集したライレーネの蜜とは大きな違いがあったようだ」
覚えている限りの違いを述べると、ユストクスが「何故私は同行できなかったのか」とまた嘆き始めた。鬱陶しい。そのように鬱陶しくて面倒くさいからフェルディナンド様が同行を嫌がるのだ。
「フェルディナンド様に詳しい話を聞いてみれば良いではないか。話くらいはしてくれると思うぞ。フリュートレーネの夜は女神の水浴場に男を入れてくれぬようだから、再度の採集は見込めぬ故、欲しいと願ったところで希少な素材をいただけるかどうかはわからぬが」
研究してみたいとおっしゃったので、珍しい物を収集するだけのユストクスに下賜することはないと思う。私がライレーネの蜜について語っていたフェルディナンド様を思い出していると、ユストクスが真剣な目で私を見た。
「……エックハルト、男が入れぬならば女の恰好をすればどうだろうか?」
「いくら何でもその程度で神々の目を誤魔化せるとは思えぬが、やりたければやってみろ。ただし、私やフェルディナンド様も巻き込むな。一人だけでやってくれ」
追い払うように手を振ると、ユストクスは無念そうに「うーむ、駄目か」と唸りながら腕を組む。ユストクスの女装に誤魔化されるようでは、私は神と認めない。あまりにも節穴が過ぎるではないか。
「機会があるとすれば来年の話になるが、私一人ではどうしようもなさそうだ。女神の水浴場は諦めた方が良さそうだな。……ところで、エックハルト。姫様の夏の採集場所は決まったのか?」
「ローエンベルクの山だが、其方の同行は不可だそうだ。ローゼマインだけでも妙なことが起こる可能性が高いのに、其方の面倒まで見ていられぬ、とのことだ」
私がフェルディナンド様のお言葉を伝えると、ユストクスが頭を抱えてわかりやすく嘆きのポーズを取った。見慣れたポーズだ。
「またしても同行させてもらえぬとは、あまりにもひどい仕打ちではないか」
「眠っている魔獣が多くて簡単に魔石が取れるから、と次々と魔獣を倒したことでどれだけ大変なことになったのか覚えておらぬとは言わせぬぞ」
ローエンベルクの山に大量の魔力が満ちて、危うく魔力爆発を起こすところだったことは思い出すだけでも首筋がヒヤリとする出来事だった。指摘されたユストクスがバツの悪い顔で私を見た。
「覚えているから二度はせぬつもりだから、エックハルトからもフェルディナンド様に取りなしを……」
「同じことを二度はしなくても、新たな発見があればフラフラと寄っていき、手を出すではないか。しかも、この失敗は初めてだという言い訳付きだ。強行軍になるのに、不確定要素はいらぬ」
私が取りなしをすっぱり断ると、ユストクスが茶色の目で恨めしそうに睨んできた。そんな顔をされても痛くも痒くもない。
……私が最優先にするのは、フェルディナンド様のお言葉だからな。
書籍第三部Ⅲの発売記念SSです。
エピローグになり損ねた話。
話している内容自体はあまり変わらないので、比べてみると面白いかもしれませんね。