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レティーツィア視点 平穏の終わり 前編

第595話前後のレティーツィア視点です。

前編はまだしも後編は重くて辛い話になります。苦手な方はご注意ください。

「境界門の騎士から連絡がございました、レティーツィア様。ランツェナーヴェが開門を望んでいるようです」

「まぁ、まだ春にもなっていないではありませんか」


 わたくしは本館から戻ってきたロスヴィータの話を聞いて、呆気に取られてしまいました。ランツェナーヴェがやって来るのは、毎年春の半ばから終わり頃に行われる領主会議の後と決まっています。今は領地対抗戦や卒業式のためにディートリンデ様やフェルディナンド様が貴族院へ行っている冬の終わりですから、ランツェナーヴェの到着は季節一つ分違います。いくら何でも早すぎるでしょう。


「領主会議前に王族へ直談判して去年の決定を変更してもらいたいとお望みのようです。今はディートリンデ様が貴族院にいらっしゃいますから、境界門を開けるのは無理ですからね。お引き取り願うようにシュトラールが対応するそうですよ」


 シュトラールはディートリンデ様に罷免されて、フェルディナンド様付きの護衛騎士になった元騎士団長です。

 わたくしと一緒にロスヴィータの話を聞いていたフェアゼーレが「大丈夫ですよ」と微笑みました。フェアゼーレはシュトラールの娘で、わたくしの側仕え見習いです。


「騎士団長を罷免されたとはいえ、お父様はまだ騎士団の中で顔が利くので任せても大丈夫だと思いますよ、レティーツィア様」


 フェアゼーレの頼もしい言葉に頷きました。シュトラールは祖父で、養父であった先代のアウブが晩年最も信頼していた騎士で、とても頼り甲斐があります。きっと上手くランツェナーヴェの使者に対応してくれるでしょう。


 フェルディナンド様達が貴族院へ向かっている間、本館のことはゲオルギーネ様やブラージウス様が取り仕切っています。そのような事情もあって、わたくしはフェルディナンド様が戻るまで北の離れから出ないようにと言われているのです。ランツェナーヴェの使者への対応はシュトラール達に任せるしかありません。


 シュトラールを始め、フェルディナンド様の指示で執務をしている者達はランツェナーヴェを追い返すために動き始めましたが、ディートリンデ派の貴族達は「アウブが不在の時に勝手な真似は許さぬ」とランツェナーヴェへの対応を尋ねるために貴族院へ連絡を入れたようです。


「ディートリンデ様は予定を繰り上げて貴族院から戻ってきて、先程境界門を開けたそうですよ、姫様」


 本館から戻ってきたロスヴィータが困ったようにそう言いました。


「フェルディナンド様は一緒に戻られなかったのですか?」

「……ライムントの研究のために恩師の研究室を訪れている間の出来事だったようです」

「まぁ……。それではディートリンデ様を止められる方は誰もいなかったのでしょうね?」


 わたくしの言葉にロスヴィータが仕方なさそうな顔で頷きます。


「いくらフェルディナンド様が婚約者でも、まだ他領の者ですし、いくら優秀で貴族達をまとめることができたとしてもフェルディナンド様はアウブではございません。境界門を開閉できるのは礎を染めた者だけでございます。開閉はディートリンデ様の意志一つでどうにでもなるのですよ。……むしろ、母親であるゲオルギーネ様がもっときちんとディートリンデ様をお止めしてくださったら、と思いますね」


 ロスヴィータの話によると、ゲオルギーネ様は「貴女がアウブですもの」と言うだけで、ディートリンデ様をあまり諫めようとはしないようです。


「ゲオルギーネ様は第三夫人でいらっしゃった時間が長く、第一夫人になってからもアウブのお仕事に口出しはしていらっしゃいませんでしたからね。アウブとしての外聞に関しては注意されても、領地経営の方針には口を出さないという方針なのでしょう」


 領地内の重要な決定はアウブの仕事で、決まったことを滞りなく進められるように補佐するのがアウブの夫人の役目だとしていらっしゃったゲオルギーネ様は、ディートリンデ様がアウブとして決定したことならばそれで進めるという立場を取られているようです。


 ……お諫めできる方がフェルディナンド様しかいらっしゃらないのは困りものですね。


 エーレンフェストの領主候補生という今のお立場のままでは不自由なことも多いでしょうから、早く星結びの儀式を行ってアーレンスバッハにおけるフェルディナンド様のお立場を確かな物にしてほしいものです。




 案の定、ディートリンデ様は自分の決定を覆そうとはしませんでした。アウブが境界門を開いて招いた者を騎士団が勝手に拒否することはできません。フェルディナンド様やシュトラールは反対しましたが、結局、春が来るより早くランツェナーヴェの館は開かれ、銀色の船が港に並びました。


 ランツェナーヴェから王族へ贈る貢ぎ物がたくさんあるようで、馬車を何台も使って館へ荷物が運ばれていると側近達が話をしています。もちろんディートリンデ様にも贈り物がたくさんあり、公的に挨拶をしたレオンツィオ様が甘い笑みを浮かべて贈っていました。


「こちらはレティーツィア様に。去年の贈り物を気に入ってくださったようですから……」


 レオンツィオ様はわたくしにもお土産をくださいました。去年と同じキラキラや花弁が詰まった銀の筒と、甘いお菓子です。ローゼマイン様にいただいたお菓子がなくなってしまったところだったので、わたくしはレオンツィオ様のお菓子をとても嬉しく思いました。


「ねぇ、レオンツィオ様。今回こそはツェントにランツェナーヴェの思いをわかっていただかなければなりませんね」

「ディートリンデ様のお心遣いは本当にありがたく存じます」


 想いを通わせているレオンツィオ様に頼られたディートリンデ様は王族とランツェナーヴェの面会を成功させると意気込んでいます。

 そんなディートリンデ様に振り回されるように、フェルディナンド様は様々な調整をしなければならないと忙しそうです。特に問題となっているのが祈念式についてでした。今年もフェルディナンド様はわたくし達を連れて領地内を回る予定にしていましたが、ディートリンデ様に招かれたランツェナーヴェの使者達が城のあちらこちらを歩き回る現状で、城を留守にすることはできません。そんな状況で一つの提案をしたのはゲオルギーネ様でした。


「フェルディナンド様、そのように難しく考えなくても春の初めにギーベ達に小聖杯を持たせて自分達の土地に帰らせればどうです? 貴族に神事を行わせるのは良いことなのでしょう? 小聖杯を運ぶ仕事をギーベに任せ、直轄地に青色神官を向かわせれば今年の収穫量も十分に確保できるのではございませんか?」


 他の貴族達がゲオルギーネ様の案を支持する中、フェルディナンド様だけは反対されたそうです。


「小聖杯の管理は神殿長の管轄で、小聖杯を運ぶのは青色神官の仕事です。小聖杯は神に仕えることを誓った神官が持ち運び、土地の豊饒と結びつける物で、ギーベに持たせる物ではないのです」

「あら、去年は領主一族が祈念式を行ったではありませんか。フェルディナンド様はずいぶんと頭が固いのですね。神官に持たせて運ばせるよりも、ギーベにお任せした方が確実にその土地に届くでしょう。神官よりもギーベの方が魔力量も多いですし……」


 ゲオルギーネ様の提案に賛同したディートリンデ様の命令で小聖杯はギーベに持ち帰らせることになり、ギーベ達は春になるやいなや、まるで追い払われるように城から出されました。


「……フェルディナンド様はずいぶんと小聖杯をギーベにお任せすることに反対していらっしゃったと伺いましたけれど、何か重大な理由があるのですか?」

「小聖杯も神事に使われる神具の一つです。使用方法を知る者は少ないと思われますが、悪用も可能になります」


 どのように利用するのが悪用なのか、と尋ねられても答えない方が良いため、フェルディナンド様はあまり強くは言えなかったようです。


 フェルディナンド様は小聖杯の扱いだけではなく、王族とランツェナーヴェの使者の面会の場を準備することにも反対しました。けれど、やはりディートリンデ様はご自分の意思を貫きました。「アウブの決定ですもの」と言われ、「貴方の仕事はわたくしの補佐で、アーレンスバッハの進む方向の決定ではないのです」と言われれば、未だ他領の領主候補生であるフェルディナンド様にはそれ以上の干渉が難しいのだそうです。


 まずは、アウブ・アーレンスバッハであるディートリンデ様がツェントと面会をし、その時にランツェナーヴェの事情を説明し、直接話を聞いてあげてほしいとお願いすることで決まりました。ディートリンデ様は自分との面会の時にレオンツィオ様を同行させると言い張っていたのですが、それでは面会依頼が受理されなかったため、フェルディナンド様の言う通りにすることになったのです。


 ランツェナーヴェの使者達と思いつくままに何かをしようとするディートリンデ様の補佐をするためにフェルディナンド様が忙しくなり、わたくしの教育の時間はがくんと減りました。その代わりに課題はたくさん増えて悲しくなります。


 それに、ローゼマイン様のお菓子もなくなりましたし、ずっと一人で部屋に籠って課題をこなすのは少し辛いです。一度ランツェナーヴェの館にお招きを受けたのですが、その後はランツェナーヴェとあまり関わらないように、とフェルディナンド様に言われているため、部屋から出る機会が本当に少なくなってしまいました。


「旧ベルケシュトックのギーベ達の祈念式がきちんと行われるか確認するためにゲオルギーネ様が出発準備をしているそうですよ」


 ロスヴィータからそんな話を聞いたわたくしは少しだけ嫌な気分になりました。


 ……わたくし、実は祈念式で外へ出られるのを楽しみにしていたのですよ。




 ランツェナーヴェの者がディートリンデ様と行動する姿が城のあちらこちらで見られるようになり、それが見慣れたものになってきたある日のことです。

 ロスヴィータの行方が突然わからなくなりました。夕食後、フェルディナンド様の側仕えであるゼルギウスのところへ新しい課題の添削について話をすると本館へ行った後、なかなか戻らないのです。


「フェルディナンド様がお忙しくて、お話の時間が取れないのかもしれませんね」

「ゼルギウスとお話が弾んでいるのかもしれませんよ」


 自分の側近達に宥められ、ロスヴィータがいないことを不安に思いながら、わたくしはその夜は眠りました。


 朝起きてもロスヴィータの姿はありません。まずは自分の側近達に頼んで探してもらいましたが、どこにもロスヴィータの姿は見当たらないと言います。ゼルギウスと話した後、厨房でわたくしの翌日の食事について話をしているところを下働き達が目撃していました。その後は誰もロスヴィータの姿を見ていないようです。呼吸が苦しくなるような不安の中、わたくしは同じように心配そうにしているフェアゼーレにお願いします。


「もう一日が経とうとしています。フェアゼーレ、ロスヴィータを探すために本館へ出たいのでフェルディナンド様に面会依頼をしてください」

「かしこまりました」


 わたくしはフェルディナンド様に面会予約を入れましたが、指定された面会の日はあまりにも遠すぎました。わたくしはすぐにでもロスヴィータを探したいのです。わたくしの筆頭側仕えとしてドレヴァンヒェルから一緒にアーレンスバッハへやって来た側近なので、行方がわからないということはひどく不安で堪りません。


「フェルディナンド様がお忙しくても、ゼルギウスとお話をすることはできるでしょうか?」

「母親の行方を息子に尋ねるのは当然ですから、フェルディナンド様がお忙しくても考慮してくださるかもしれません」


 フェアゼーレと相談をして、わたくしはロスヴィータの息子であるゼルギウスにも面会を依頼します。ゼルギウスがその日のうちに遣わされたことから、非常に多忙な中でもフェルディナンド様がわたくし達を気にかけてくれていることがわかりました。


「ゼルギウス、ロスヴィータの行方がわからなくなったのです。ロスヴィータを探してほしいのです。わたくし、フェルディナンド様から本館へあまり出ないように言われていますから」


 わたくしはゼルギウスにロスヴィータの行方不明を説明し、フェルディナンド様にロスヴィータを探すのを手伝って欲しいとお願いしてもらうことにしました。


「わかりました。少しでもお話しできる時間が取れないか、フェルディナンド様に相談してみます。……ですが、本当にどこにいるのでしょうか。何事もなければよいのですが……」


 その夜、「明日の午後、魔力供給の間で詳しい話を聞いてくださるそうです」というオルドナンツがゼルギウスからフェアゼーレに届きました。ひとまずフェルディナンド様がお話を聞いてくれることに安堵しました。それでもやはり最も信頼しているロスヴィータがいないことはとても不安で堪りません。二日も姿を見せないのです。どこかで倒れていたり、何かに巻き込まれていたりする可能性はあります。


 ……ロスヴィータ、どうか無事で……。




 ロスヴィータが助けを求めている夢を見て飛び起き、よく眠れないまま朝になりました。心配そうに様子を見に来てくれた側仕えは、やはりロスヴィータではありません。冷たい汗が止まりません。


 頭が少しぼんやりして、疲れが取れていないような気分で朝食を摂り、午前の課題に向き合います。けれど、どうしても身が入りません。四の鐘が鳴るのをそわそわと待ちながら、決められていた課題を何とかこなした時にはもうお昼になっていました。


 フェアゼーレに「もう少し落ち着いて食べてくださいませ」と注意されながら昼食を終えると、わたくしはもう居ても立ってもいられなくなりました。側仕え達が交代で下げ渡された昼食を終えるのをじりじりとした気持ちで待ちます。


「急ぎましょう、フェアゼーレ」

「レティーツィア様、そのように急がれてもフェルディナンド様がいらっしゃらなければ供給の間には入れませんよ」


 魔力供給を行う際、入り口があるアウブの執務室へ入れるのは、側近の中でもアウブと血縁関係にある上級貴族だけだと決まっています。そのため、今日のお伴は上級貴族ばかりです。


「あら、レティーツィア。これから供給かしら?」


 アウブの執務室へ向かう途中で、レオンツィオ様とディートリンデ様が一緒にいらっしゃるところに遭遇しました。本館の二階にあるホールでお茶を楽しんでいるようです。もしかしたらここで昼食を摂ったのかもしれません。大きなバルコニーに繋がるこのホールは街の様子や海が一望できる場所なのです。自室にお招きするのではなく、こうして人目があるところでお茶をすることで疚しい関係ではないと主張しているのでしょう。


 ディートリンデ様に声をかけられて挨拶もせず、通り過ぎることはできません。わたくしは二人に挨拶をして、レオンツィオ様にお土産のお菓子の感想を述べました。


「少しでもレティーツィア様のお心を癒せるお手伝いができて嬉しく存じます。思いつめた顔をしていらっしゃるように見えますが、何か悩み事でもございますか? 甘いものを食べれば悩みは消えます」


 甘い微笑みを浮かべながらレオンツィオ様がそうおっしゃって、ディートリンデ様と共に食べていたお菓子を差し出しました。お土産にいただいた物と同じで魔石のように透き通ったお菓子です。今までに何度もいただいていますし、お二人が召し上がっているのにここでお断りするのも角が立つでしょう。

 ロスヴィータに対する心配が顔に出ていたことを恥じつつ、わたくしはお礼を述べてお菓子をいただきました。側仕え見習いであるフェアゼーレが念のための毒見として先に口に入れ、わたくしはその場で一つ口に入れます。お土産にいただいたお菓子と同じ味をしています。けれど、最後まで口に含んでいると中心部に少しだけ苦みがありました。


「せっかくですから、その可愛らしいお顔を曇らせる悩み事を伺いましょうか? 誰かに相談するだけで気が晴れることもありますよ」


 相談だけで気が晴れるような悩み事ではないのです。それに、じっとわたくしを見ているディートリンデ様の深緑の瞳が気になって仕方がありません。いつもはすぐに会話に割って入ってくるのに、無言で見ているだけというのが何とも不気味に思えます。


「これからフェルディナンド様に相談するので大丈夫です。ご心配ありがとう存じます」


 わたくしはレオンツィオ様にお礼を言ってディートリンデ様に暇乞いをしました。あまりレオンツィオ様とお話をしていると、後でディートリンデ様の当たりがひどくなるので早めに退席したいのです。


「レティーツィア様、こちらをどうぞ。これを使ってフェルディナンド様に相談してみてはいかがですか? フェルディナンド様はこちらを使うとお願いを聞いてくれるのだとおっしゃったでしょう?」


 そう言ってレオンツィオ様が銀の筒を差し出しました。わたくしは思わず目を瞬きます。以前にこれでフェルディナンド様から課題を減らしていただいたことをお話ししたのですが、ランツェナーヴェの館に招かれた時に交わしたほんの少しの会話をよく覚えていることに驚いてしまいました。


「恐れ入ります。嬉しいです」


 わたくしは自分を気遣ってくださるレオンツィオ様のお心が嬉しくて、レオンツィオ様が差し出した銀の筒を受け取りました。フェアゼーレに持ってもらって、その場を辞しました。


 ……今日もこれを使ってお願いすれば、フェルディナンド様が一緒にロスヴィータを探してくれるかもしれません。


 希望を見つけたわたくしはどんよりとしていた心に少しだけ光が差し込んだような心地で、アウブの執務室へ向かいました。

この前編と後編の一部は9月の第三部Ⅰの発売記念SSに書く予定でした。

遅くなりましたが、どうぞ。

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