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トゥーリ視点 マインの目覚め

第279話 浦島太郎なわたしの頃です。

「トゥーリ!」


 ルッツがわたしの名前を呼びながら、コリンナ様の工房へと飛び込んできたのは、秋の終わりのことだった。

 ここ最近、プランタン商会のお仕事で貴族との商談にも同行を許されるようになってきたルッツは、急に大人びてきていた。こんな風に工房に飛び込んでくるのはあまりに珍しいことで、わたしは面食らいながらも、どうにか優雅に首を傾げる。


「ルッツ、どうかなさったの?」


 わたしが周囲を見回しながら尋ねると、ルッツがハッとしたように辺りを見回し、コホンと咳払いして姿勢を正した。


「旦那様からお話があるそうです。仕事に切りが付いたら、プランタン商会においでください」

「わかりました。早目に伺います」


 プランタン商会にわたしが呼ばれることも珍しい。ベンノさんからの呼び出しなどここ最近なかった。

 何だろう、と思いながら手を動かしていると、周囲の女の子達が華やいだ声を上げた。


「ずいぶんとルッツが嬉しそうでしたね」

「プランタン商会の旦那様の用事にかこつけて、トゥーリに会いたかったのでしょう? 春にルッツがハルデンツェルに行ってしまってから、しばらく会っていないはずだもの」


 仕事以外の日はいつだってルッツと一緒に神殿へ行儀作法の勉強に行くか、ルッツと一緒に実家に帰るか、という行動をしていたわたしは、完全にルッツと恋人関係にあると周囲に誤解されている。

 ルッツがハルデンツェルに行っている間は行儀作法の勉強もお休みだったので、出かけることも少なくなって、余計にそう思われたらしい。


 それは、プランタン商会のルッツが一緒でなければ、わたしは一人で孤児院やローゼマイン工房に入ることを許されていないし、ちょうどルッツがハルデンツェルに行っている間わたしの先生であるヴィルマが灰色巫女のお産のためにハッセへと行ってしまったのが理由だが、そんなことは周囲に言えない。


 少し前にルッツがハルデンツェルから戻ってきたことも知っていたが、わざわざ会いに行くような関係ではないので、土の日に会えばいいや、と思っていた。ルッツも別に帰ってきた挨拶をしにくるわけでもないので、わたし達の間ではこれが普通なのだ。


 ……お互い、恋愛避けに丁度いいから利用し合っているって一面もあるんだけど。


「トゥーリ、こちらはいいからプランタン商会へ行ってちょうだい」

「コリンナ様!? お仕事はきちんとします」

「兄さんが呼んでいるのですって。ほら、急いで」


 二人目が生まれて、やっと仕事に復帰したばかりのコリンナ様に柔らかな笑顔で急かされ、わたしは急いで糸の始末を終えるとプランタン商会へと向かった。

 コリンナ様に急いでと言われたので、心の中はとても急いているけれど、おしとやかさを忘れずに。


「ご無沙汰しております、トゥーリです」

「よくいらっしゃいましたね、トゥーリ。旦那様が奥でお待ちです。ルッツ、トゥーリの案内を任せます」


 マルクさんが品の良い仕草でそう言いながら出迎えてくれた。お仕事中の顔をしたルッツに案内されて、わたしは奥にあるベンノさんの執務室へと足を運ぶ。


「失礼します、旦那様」

「あぁ、トゥーリか」


 ベンノさんがちょっとコリンナ様に似た感じの柔らかい笑みで迎えてくれた。ルッツがしっかりと扉を閉めて、ベンノさんをちらっと見る。ベンノさんも唇の端を上げて、ルッツに軽く頷いた。


「二人とも今日は実家に帰って良いから、明日は一の鐘が鳴ったら、なるべく早く戻ってくるように」

「かしこまりました」

「……え? 何故ですか?」


 わけがわからなくて、わたしはベンノさんとルッツを見比べるけれど、二人はニヤニヤと笑うだけだ。


「着替えて来いよ、トゥーリ。早く帰ろう」


 嬉しさがにじみ出ているルッツの声に促されて、わたしはギルベルタ商会の自室で急いで実家に戻る時の服に着替える。


 ……もしかして、もしかするかも?


 ベンノさんとルッツのニヤニヤの中にある、隠しきれていない嬉しそうな表情から導き出される答えに、胸がドキドキして止まらない。

 早く報告が聞きたくて、最近はずっと注意していた優雅な動きをかなぐり捨てて、わたしは部屋を飛び出した。


「トゥーリ、早く!」


 階段を駆け下りると、ルッツも実家に戻るための服に着替えて待っていた。そして、わたしに向かって手を差し出す。わたしがその手を取ると同時に、ルッツはダッと駆けだした。


 わたしだけではなく、ルッツの言動にも普段の丁寧さが欠片もない。こんなルッツを見たら、工房の女の子達はビックリするはずだ。

 二人で一番の近道を使って、家に向かって走る。こんな風に街の中を走り回るなんて、もう二年も三年もしていない。笑い出したくらい気分が高揚しているのが自分でもわかる。


「母さん、カミル、開けて! トゥーリだよ!」


 ルッツと二人で息を切らせて階段を駆け上がり、ドンドンと玄関の扉を叩く。扉が開くと同時に家に飛び込んだら、母さんとカミルにビックリされた。


「どうしたの、二人とも!? 今日は仕事のはずでしょう?」

「そうなんだけど、ルッツが迎えに来て、今日は帰れって言われたから帰ってきたの」


 ぜいぜいと荒い息を吐いていると、カミルがお水を入れてくれた。一気に飲んで、口元を袖口で拭う。心が急いて、お上品になんてしていられない。


「ありがと、カミル。ルッツにも入れてあげて」

「うん。はい、ルッツ」

「ありがとな、カミル」


 ルッツはごくごくと喉を鳴らして水を飲み、マインによく似た色合いのカミルの頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。

 カミルは新しい絵本を持って来てくれるルッツが大好きだ。多分、今日も絵本を期待しているのだと思う。


「それで、何があったの?」


 母さんがルッツに視線を向ける。ルッツは相好を崩して口を開いた。


「昨日、マインが目覚めたんだ!」

「え!?」


 母さんは目を丸くしたけれど、わたしはルッツの表情からそんな予感がしていたので「やっぱり!」だった。でも、予想が当たって、顔は自然と緩んでいく。


「いつ、会いに行くの?」

「今朝、ギルから連絡があって、すぐに神殿へ来るようにって言われて、午後に行っていたんだ」

「え? ルッツはもうマインに会ったの!?」


 目覚めた連絡だけかと思えば、すでに会っていたらしい。ちょっとずるい。


「明日か明後日には貴族街へ移動するから急いで旦那様と仕事の話をするってことで、こっちもいきなりの話に驚いて飛び出したんだぜ」

「マインは元気だった? 前に言っていたみたいに大きくなっていた?」


 寝ている二年の間にすごく大きくなって別人のようになっていたらどうしよう、とルッツと話していたことを思い出す。

 ルッツはふるふると首を振った。


「全然。元気にはなってたけど、見た目も中身も全く変わってなかった。こんなに小さかったっけって、オレは思ったけど、マインは大きくなってないのを気にしていたみたいだ。大きくなりたかったって大泣きしてた」

「そっか……」


 ……マイン、元々小さいの、気にしていたからね。


 でも、大きくなりたかったと泣いていたマインには悪いけれど、わたしは自分が知っているマインから見た目も中身も変わっていないというルッツの言葉にすごく安心した。


「ねぇ、ルッツ。髪飾りの注文、来るかしら?」

「どうだろうな。でも、オレはもう植物紙とインクと新しい便箋なんかのマイン用品は準備したから、いつ注文があっても問題ないぜ」


 ルッツはそう言ってニヤッと笑った。紙もインクもプランタン商会の商品の中でマインが一番消費する物らしい。


「そんなに勝ち誇って笑われても、ちっとも悔しくないよ。わたしだって、いつ起きても良いように一年前からマインのための髪飾りはいくつも作っているもん」


 わたしの言葉にルッツが笑う。わたしも笑う。そんな中、母さんの目からポロリと涙が零れた。


「よかった。もう、夢じゃないのね。本当にマインが目覚めてくれたのね……」


 母さんが嬉し泣きに顔を押さえるのにつられて、わたしも目が潤んできた。二年は長かった。本当に長かったのだ。

 目を潤ませるわたし達を、カミルが薄い茶色の瞳を瞬いて、不思議そうな顔で見上げる。


「マインって、誰?」


 春になったらカミルは4歳になる。誰にでも何でも話したり、尋ねたりするお年頃だ。外で不用意にマインの話をされるのは、とっても困る。

 わたしは母さんとルッツと顔を見合わせ、顔をしかめた。

 マインが目覚めたのは嬉しいけれど、突然難問発生だ。


 ……あぁ、カミルにどう説明すればいいんだろう?




 結局、その場は「父さんが帰ってきたらね」と誤魔化し、喜びに大泣きする父さんにカミルへの説明は丸投げすることにした。


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