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レティーツィア視点 初めての祈念式

第538話頃のアーレンスバッハの様子です。

「レティーツィア様も祈念式に同行するように、ということです」

「姫様が神事を行うですって!? フェルディナンド様は何を考えてそのようなことをおっしゃるのです!?」


 神殿に入るのは貴族であって貴族ではない者で、神事を行うのは神殿の仕事ですから、祈念式を領主候補生であるわたくしが行うのは本来ならばあり得ないことです。エーレンフェストで神官長をしていたフェルディナンド様は神事に慣れていらっしゃるのかもしれませんが、アーレンスバッハでは領主候補生が行うことではありません。

 そのようなことを言い出すなんて信じられない、とロスヴィータが怒りを露わにすると、フェルディナンド様からの伝言を持ってきたゼルギウスが一度唇を引き結んで俯きました。


「城にいるより安全だろう、とフェルディナンド様はおっしゃいました。ディートリンデ様はレティーツィア様に魔力供給をさせるおつもりだそうです」


 魔力供給は貴族院で魔力の扱いを習った領主候補生が行うことで、わたくしが行うことではありません。一体どういうことなのか全くわからないわたくし達にゼルギウスが教えてくれました。

 エーレンフェストでは洗礼式を終えた領主候補生が神事や魔力供給に参加して、領地を潤しているようで、貴族院でその話を知ったディートリンデ様はわたくしにも魔力供給をするようにおっしゃったそうです。


「フェルディナンド様によると、エーレンフェストでは保護者が補助をしながら魔力の籠った魔石から魔力を流す練習から始めるそうですが、ディートリンデ様やゲオルギーネ様にそのような補助が望めるのか、やり方を知っているのか不明だということでした」


 貴族院から戻って、中継ぎアウブのことなどの色々な事情を聴かされたらしいディートリンデ様の視線は以前よりも厳しいものになりました。とても丁寧な指導が望めるとは思えません。


「何より、礎の魔術に魔力供給する場所には登録された領主一族しか入れません。ゲオルギーネ様、ディートリンデ様、レティーツィア様の三人しか入れないところで慣れない魔力供給を強いられて倒れた時にレティーツィア様を助け出せる者がいないことをフェルディナンド様は懸念されています」


 伴をつけることもできず、誰も入ることができない場所でディートリンデ様と向き合わなければならないということを考えると、背中が粟立つような恐怖を覚えました。


「まだ正式な星結びの儀式もしておらず、アーレンスバッハの者ではないフェルディナンド様にアーレンスバッハの神事を押し付けるディートリンデ様がレティーツィア様にどのようなことを強要するのかは予想できないそうです」

「……ディートリンデ様がフェルディナンド様に神事を押し付けたのですか?」


 アウブが亡くなり、魔力が足りていないアーレンスバッハの現状を憂えたフェルディナンド様がぜひ協力したいと申し出た、とディートリンデ様からは説明がありました。けれど、実際はそうではなかったようです。


「最初に命じられた時は、他領から来た婚約者に神事を押し付けるのがアーレンスバッハのやり方か、とフェルディナンド様は非常に驚いていらっしゃいました。領主一族が出入りするエーレンフェストの神殿と領主一族が忌避するアーレンスバッハの神殿が同じだと考えられていることが心外だそうです」


 ディートリンデ様のせいでアーレンスバッハがずいぶんと常識のない領地だと思われていらっしゃいます、とゼルギウスは悔しそうに言いました。次期アウブの婚約者だから、とディートリンデ様に任せる執務の大半がフェルディナンド様に流れていますが、普通は婚約者に任せるような仕事ではないそうです。


「レティーツィア様の今後を考えれば、どれだけ不快に感じても祈念式に同行させ、少しずつ魔力の扱いに慣れる期間を設けた方が良いのではないか、ということでした。最終的な判断はレティーツィア様と母上に任せるそうです」


 フェルディナンド様はすでに祈念式に向かう準備を始めていらっしゃるそうです。ロスヴィータが難しい顔になりました。わたくしを神事に向かわせることはしたくないけれど、詳しい話を聴けば断ることもしたくないのでしょう。


 わたくしは自分の心の支えとなっている白いシュミルのぬいぐるみを見遣りました。ローゼマイン様が提案し、フェルディナンド様が頼んでくださったことで、あのぬいぐるみにはドレヴァンヒェルのお父様とお母様のお声が入っています。


 ローゼマイン様のお声も入っていて、「たまには褒めてくださいませ」とシュミルのぬいぐるみを向けると、フェルディナンド様が「よくやっていると思う」と褒めてくれるようになった画期的なぬいぐるみです。あのぬいぐるみを見れば、ローゼマイン様とフェルディナンド様がわたくしのことを思いやってくださっていることがよくわかります。


「ロスヴィータ、祈念式に行きましょう。少なくともフェルディナンド様はわたくしを守るためにご提案くださったのですから」




 そして、側近達を連れて、祈念式に向かうことになりました。神殿の者ではなく、領主一族が慈悲を恵んでいるのだとわかるように神官の青い服は着ないように、とディートリンデ様から指示があったようで、わたくし達は領主一族としての正装で儀式を行うことになりました。


 神殿の者と一目でわかる衣装を着ずに済んだことにロスヴィータは胸を撫でおろしていましたが、ゼルギウスによると、フェルディナンド様は「神殿に入れたわけではなく、領主一族として遇しているという言い訳のためであろう」とおっしゃっていたそうです。そして、「農村へ行くのだから、汚れてもよい服にしておくように」とフェルディナンド様から伝言がありました。


 けれど、ディートリンデ様から領主一族として向かうように、と言われたのですから、さすがに汚れても良い服では見た目も良くないでしょう。ロスヴィータと相談して初日は領主一族に相応しい正装で向かいました。


 ……大失敗です。農村へ行って初めてフェルディナンド様のお言葉の意味がわかりました。


 農村には白い石畳がなく、土の上を歩かなければならないのです。芝生でもない土の上を歩いたのは初めてです。ものすごく軟らかい部分では靴の踵が沈みますし、硬い部分には石が埋まっていることもあり、とても歩きにくくて靴が汚れます。

 そして、天気が悪いと衣装も濡れたり、裾に泥が飛んだりするのです。ロスヴィータは正装が汚れたことを嘆きながら洗浄していました。


 ……明日からは汚れても良い服にしましょう。


 農村ではフェルディナンド様が神殿から預かった大きな聖杯を魔力で満たして、農民達に配ります。初めての神事と神具はとても美しいもので、同行していた貴族達は誰も神事を見たことなく、感嘆の溜息を吐いていました。


 一日に4つの農村を回り、最後の冬の館で宿泊をします。料理人と側仕えを馬車で向かわせ、ほとんどの者が騎獣で動くという忙しない行程ですが、アーレンスバッハを全て回ろうと思うと、そうしなければ間に合わないそうです。


「それにしても、平民の装いはずいぶんと貴族と違うのですね。みすぼらしくて汚い恰好をしている者が多くて驚きました。湯浴みはしないのでしょうか?」


 夕食の席で、わたくしはフェルディナンド様にたくさんの質問をしました。初めて城を出たわたくしには何もかもが珍しかったのです。


「これでも儀式のために比較的綺麗な恰好をしているはずです。ですが、エーレンフェストの農民よりもみすぼらしいのは間違いありません。アーレンスバッハの農民は本当に困窮しているようです」


 色々な質問に答えてくださったフェルディナンド様は夕食の最後に「明日からはアーレンスバッハの直轄地を満たすために、護衛騎士以外の者に協力してもらいます」と皆を見回しながら言いました。


「え?」

「我々も神事をするということですか?」


 驚きの声が上がる食堂をフェルディナンド様は少し眉を上げた驚きの顔で見回しました。


「まさか、エーレンフェストの貴族である私が一人でアーレンスバッハの全てを満たさなければならない、とディートリンデ様だけでなく、皆様もおっしゃるのでしょうか?」


 他領の貴族であるフェルディナンド様に神事を押し付けるディートリンデ様の横暴さや非常識さを非難していた側近達に今更「儀式に参加したくない」などと言うことはできません。次の日から側仕えと文官は半強制的に祈念式に参加させられることになりました。


 台の上に置いた大きな聖杯の縁にフェルディナンド様を含めて七人が手を添えます。祈りの言葉を唱えるのはフェルディナンド様ですが、こうすることで全員から魔力を流すことができるそうです。


「ロスヴィータ、大丈夫ですか?」

「魔力を使いすぎただけです、姫様」


 他の文官や側仕え達と交代しながらではありますが、一日に二回儀式を行ったロスヴィータはひどく疲れた顔になっていました。それなのに、フェルディナンド様は四回行っても普通の顔をしています。「魔力の奉納は慣れなければ非常に疲れますから」と涼しい顔でおっしゃいましたが、わたくしの養父になる方は予想以上にすごい方のようです。


 ……明日はわたくしも魔力の籠った魔石を使って参加することになっていますが、大丈夫でしょうか。エーレンフェストの青色神官達にもできるのだから大丈夫だろう、とフェルディナンド様はおっしゃいましたが、不安です。


 初めての神事です。わたくしはフェルディナンド様の魔力が籠った魔石を、聖杯の縁にある小魔石に当てました。「魔石の中の魔力を押し込むように力を入れていくように」という助言と共にわたくしの手の上にフェルディナンド様の手が重なります。ひやりとした大きな手は、わたくしが逃げることを防ぐために囲い込んでいるように見えました。


「癒しと変化をもたらす水の女神 フリュートレーネよ 側に仕える眷属たる十二の女神よ 命の神 エーヴィリーベより解放されし 御身が妹 土の女神 ゲドゥルリーヒに 新たな命を育む力を 与え給え」


 フェルディナンド様の声と共に魔石から魔力が逆流して来るような感じがしました。自分のものではない魔力を感じて、わたくしは反対側に流れていくように力いっぱい魔石を押さえて魔力を押し込んでいきます。


「もうよい」


 魔石を取り上げられて、ハッと顔を上げた時にはもう儀式は終わっていたようです。頭がくらりとして、目の前がチカチカと点滅しているような気持ちの悪さに、わたくしは頭を押さえます。とてもすぐには動けません。


「レティーツィア様、失礼いたします」


 護衛騎士がわたくしを抱き上げて騎獣へ移動させてくれました。初めての魔力供給で動けなくなるのはそれほど珍しくないそうです。

 その日は側近達のほとんどが魔力をかなり消費したため、次の日は儀式に向かうのを止めて、魔力回復のためにお薬を飲んで一日お休みをすることになりました。正直なところ、フェルディナンド様と同じように連日の儀式を強要されると思っていたので、安堵いたしました。


 ……これを毎日行うなんて無理ですもの。


 ロスヴィータにもらった回復薬を飲んで休んでいると、ゼルギウスが様子を見に来てくれました。


「レティーツィア様、体調はいかがですか? 初めての魔力供給はお疲れでしょう?」

「えぇ。体に力が入りません」

「これを魔石なしで行うことをディートリンデ様は強要しようとしていたのです」


 魔力供給がどれだけ体に負担のかかる行為なのかわかると、自分に強要されようとしていた行為がどれほど危険なことなのかを嫌でも実感します。フェルディナンド様が止めてくださらなかったら……。祈念式に同行していなければ……。想像するだけでぞっとしました。


「なかなか魔力が回復しないようでしたら、こちらをどうぞ。フェルディナンド様が作られた特別な回復薬です。味はひどいですが効果はありますよ」


 ゼルギウスが教えてくれたのですが、祈念式に出発する前に届いたエーレンフェストからの荷物の中に回復薬がたくさん入っていたそうです。


「ローゼマイン様からのお手紙も入っていて、初めて飲む方は嫌がらせかと思うほどひどい味だということを念頭に置いて配ってくださいね、と書かれていました。私も昨夜いただきましたが、本当にひどい味でした。でも、ローゼマイン様のお手紙によるとこれは改良版で、もっとひどい味の回復薬もあるそうです」


 そんな回復薬を毎日のように飲みながら、ローゼマイン様はエーレンフェストの祈念式を行っていたこともあるようです。


 ……ローゼマイン様のお体が弱いのは神事のせいではないでしょうか?


 わたくしはゼルギウスの持ってきた回復薬を興味本位で口にしました。本当にひどい味です。鼻の奥から青臭い臭いがして、舌がピリピリとするような苦みがあります。


「これよりひどい味の回復薬があるのですか……」


 このような回復薬を飲みながら領主一族が神事を行うエーレンフェストとは一体どのような領地なのでしょう。わたくしには想像もつきません。


「今日、フェルディナンド様はどうされていらっしゃるのですか?」

「神事に慣れているのでしょう。エーレンフェストの三人は全く疲れていないようで、神事に参加していない護衛騎士を数人連れて、素材採集に向かいました。基本的にエーレンフェストの三人はアーレンスバッハの貴族の同行なしに出かけることはできませんから、今回は騎士が同行しています」

「素材採集ですか?」


 想像もしていなかった言葉が出て、わたくしは思わずゼルギウスを見つめました。素材採集は魔獣を狩ったり、魔木を刈ったりする騎士が得意とすることです。珍しい素材が欲しい文官が向かうこともあると聞いていますが、領主候補生が神事の合間に行うことではありません。


「せっかくの時間を有効活用したいそうです。私も誘われましたが、明日からも神事が続くことを考えると、とても出かける気になれませんでした。側仕えのユストクスが一番張り切っていましたよ。私はとてもエーレンフェストの側仕えにはなれそうにありません」


 ゼルギウスが遠い目をしてそう言いました。騎士でも文官でもない側仕えが率先して素材採集に向かうなど信じられません。このような神事に毎年ついて行けば、側仕えでもかなり強靭になるということでしょうか。


 休息日を設けるたびにエーレンフェストの三人は素材採集に出かけているようでした。夕食の席や朝食の席で同行した騎士達の会話が聞こえるのでわかります。


「まさかヴェーリヌールの花が採れるとは思いませんでした」

「フリュートレーネの夜にしか咲かない花ですから、あまりの偶然に驚きましたね」


 偶然フリュートレーネの夜にしか採れない珍しい素材を得たと三人に同行した護衛騎士が喜んでいます。


「ヴェーリヌールの花、なんて聞いたことがございませんけれど、どのような花なのでしょう?」


 わたくしの質問に答えてくれたのは、上機嫌のユストクスでした。ユストクスの説明に加えて、どのような魔術具や薬に使えるのかをフェルディナンド様が教えてくださいます。周囲の皆が感心して聞いているのを見れば、騎士達が採集したいと言い出した素材ではないように思えます。アーレンスバッハの素材について一番よく知っているのがエーレンフェストの三人で、わたくしは少し不思議な気分になりました。


「あの、フェルディナンド様。ヴェーリヌールの花を採るためのお出かけだったのですか?」


 わたくしの質問にフェルディナンド様はフッと微笑んで、ゆっくりと首を横に振りました。


「たまたまです、レティーツィア様。アイツェの魔石を得ることが目的でした」

「えぇ。あのアイツェ達が向かった先がヴェーリヌールの群生地でなければ、採集することはできませんでしたから、神のお導きでしょうね」

「もう少し時間が遅ければ花は枯れたでしょうから、本当に素晴らしい瞬間に巡り合ったものです」


 ユストクスもエックハルトもそう言って微笑みます。でも、先程アイツェはヴェーリヌールの蜜を好むと言ったのはユストクスだったはずです。何だかエーレンフェストの三人に誘導されてヴェーリヌールの花を採集したように思えるのですけれど、気のせいでしょうか。


 ……まさか完璧に下調べをして休息地を設定しているということはありませんよね?


 計算しつくされたフェルディナンド様の盤上で動かされているような気がして、わたくしはちょっと怖くなってしまいました。



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