リュールラディ視点 領地対抗戦での決意
第509話 アーレンスバッハとの社交を中心とした領地対抗戦の前半部分です。
わたくしはリュールラディ。貴族院に在学しているヨースブレンナーの三年生の上級文官見習いでございます。
最終試験まで芽吹きの女神 ブルーアンファと縁結びの女神 リーベスクヒルフェに祈りを捧げ続けた結果、わたくしはブルーアンファより御加護を得ることができました。卒業後にも儀式のやり直しができるということなので、次はリーベスクヒルフェの御加護を得たいと考えています。
嬉しいことに、これらをミュリエラ様に報告し、エーレンフェストとダンケルフェルガーの共同研究に協力したところ、新しい貴族院の恋物語を貸していただくことができました。
……これはまさにブルーアンファのお導きですね!
お姉様に「エーレンフェストの共同研究に協力するためです」と言い訳しながら、お借りした新しい貴族院の恋物語をすぐさま読みました。学生の研究で王族に協力を依頼できるエーレンフェストの評価はグッと上向きになっていて、今の内に少しでも協力体制を見せておいた方が良い、というアウブの指示の下、わたくしは全面的に共同研究に協力することになっているのです。
新しい貴族院の恋物語はミュリエラ様に聞いていたように、時の女神が悪戯をする東屋で闇の神が大きく袖を広げて光の女神を覆い隠してしまう場面は本当に素敵でした。このようにされてしまったら、わたくしならばとても恥ずかしくて逃げ出してしまうかもしれません。
「ミュリエラ様、どのような展示になっているのか気になって、一番に見に来てしまいました」
領地対抗戦でわたくしが一番に向かったのはエーレンフェストの研究発表の場です。本来ならば、加護を増やすことができたお礼とアウブ同士の顔繋ぎを兼ねて、アウブ・ヨースブレンナーと一緒にアウブ・エーレンフェストへご挨拶に伺わなければなりませんでした。
けれど、領地対抗戦の開始と共に速足で動き始めた青いマントの集団が真っ直ぐにエーレンフェストを目指しているのを見れば、ヨースブレンナーでは全く相手にされないことが一目でわかります。
お姉様も「午前の終わり頃にもう一度様子を窺った方が良いかもしれませんね」と、エーレンフェストに向かう客人のマントを確認して、少し肩を落としました。そして、わたくしには上級文官見習いとして、各地の研究を見て回るように言ったのです。
「リュールラディ様、ごきげんよう。どうぞご覧になってくださいませ。ダンケルフェルガーと同じ内容はこの辺りで、こちらの奉納式に関する部分がエーレンフェスト独自の研究です。奉納式にご協力くださった領地と参加者はこちらに貼り出しています」
……王族と一緒にわたくしの名前が載っているなんて!?
グラフという新しい手法を使っているところにも驚きましたが、わたくしの一番の驚きは王族と一緒に名前が載っているところでした。まさか王族と一緒に名が並んでいるとは思わないでしょう。このような栄誉、ヨースブレンナーの領主候補生でも受けていないと思われます。
「それほど驚かなくても……。協力してくださった方々は名を連ねる、とローゼマイン様はおっしゃったでしょう?」
フフッと微笑んだミュリエラ様が突然「あ」と小さく声を上げました。その視線が一点に止まっているので、わたくしも思わず振り返ります。そこにはアーレンスバッハのディートリンデ様とエーレンフェストのマントをまとった殿方がやって来るところでした。整った顔立ちの方で、去年の表彰式で突然現れたターニスベファレンを倒していた方に似ているような気がいたします。
「ディートリンデ様とご一緒していらっしゃるエーレンフェストの方はどなたですか? お見かけしたことはあるのですけれど、お名前を存じません」
「アウブ・エーレンフェストの異母弟で、神殿でお育ちのローゼマイン様に色々と教え、導くお立場でいらっしゃった後見人のフェルディナンド様です。ディートリンデ様との婚約が決まっていて、秋の終わりにアーレンスバッハへ向かいました」
わたくしは領主会議の報告会に参加できる立場ではないので詳しくはないのですけれど、そういえば、王命でアーレンスバッハのディートリンデ様の婚約が決まったという話はお姉様から伺ったような気がいたします。そんなことを思い出しながら、何となくフェルディナンド様を見ていました。
ディートリンデ様がダンケルフェルガーの人達に挨拶を始め、フェルディナンド様はエーレンフェストの人達に挨拶に向かうのがわかります。ローゼマイン様が目を輝かせて立ち上がりました。
「あっ!?」
「まぁ!」
フェルディナンド様がローゼマイン様の頬を包み込むように触れて、ローゼマイン様は頬を赤くしました。そして、その赤くなった頬を隠すように両手で押さえて潤んだ瞳でフェルディナンド様を見上げていらっしゃいます。
……わたくし、今、確かにブルーアンファの訪れを感じました。
お二人共あれほど近くに婚約者がいるにもかかわらず、あのような触れ合いをなさるなんて、きっと秘められた恋心があるに違いありません。
「ミュリエラ様、あれは……」
「ローゼマイン様が何か言って、きっとフェルディナンド様に頬をつねられたのだと思いますよ」
「フィリーネ様!?」
答えてくれたのはミュリエラ様ではなく、フィリーネ様でした。微笑ましい物を見るようにローゼマイン様を見ながら「神殿では時折見られる光景でしたから」と小さく笑います。
「この後はきっとフェルディナンド様のお説教ですね。……この場では難しいでしょうか」
フィリーネ様の言葉に「そうなのですか」と頷きながら、わたくしはミュリエラ様と視線を交わしました。ミュリエラ様の緑の瞳も輝いています。
「そうそう、リュールラディ様。アーレンスバッハとの共同研究はぜひご覧になってくださいな。きっと喜んでいただけると思うのです」
そう言いながらミュリエラ様は目配せしてアーレンスバッハの方へ向かって歩き始めました。わたくしは「何があるのですか?」と話に乗りながら、隣を歩きます。
「アーレンスバッハのところで録音の魔術具を展示するのですけれど、ローゼマイン様が関わったことがよくわかるように魔術具をシュミルのぬいぐるみで包んでみたのです。そして、その魔術具にはわたくしが貴族院の恋物語から厳選した愛の言葉が録音されています」
……貴族院の恋物語から厳選された愛の言葉ですって!?
心が高鳴るのがわかりました。領地対抗戦で発表する魔術具にそのような言葉を入れられるなんて、さすがエーレンフェストです。他の領地ではとても思いつかないでしょう。
「ローゼマイン様の側近の殿方に協力していただいて録音したのです。いくつも録音されているので、ぜひ全て聞いてみてくださいませ」
……一体どのような愛の言葉があるのでしょう?
楽しい想像をしながら、わたくしは下位領地の場所を軽く見て回り、目的地であるアーレンスバッハの場所へ向かいました。
……あのシュミルのぬいぐるみですね。
ずらりと並んでいる魔術具の数々の中にちょこんと座っているシュミルのぬいぐるみは異色で、実に目立っていました。一目でわかります。
「こちらはアーレンスバッハにいらっしゃったフェルディナンド様とその弟子であるライムントの研究です。どうぞご覧になって」
フラウレルム先生が見学にやって来るお客様にそう声をかけています。エーレンフェストとの共同研究であるはずなのに、まるでアーレンスバッハだけの功績のような言い方ですが、あまり珍しいことでもありません。
領地対抗戦は楕円形の訓練場で行われます。そして、最も競技場を見やすい位置から順番に領地の場所が決められているため、一位のクラッセンブルクと二位のダンケルフェルガーは競技場を挟んで対面する位置になっています。おおよそ順位の奇数偶数で入り口から見ると、左右に分かれているのですが、あまり隣同士に置かない方が良い領地に関しては位置を反対にして遠ざける配慮がされることもあります。
今年の場所で言えば、七位のガウスビュッテルが三位のドレヴァンヒェル、それから、九位のキルシュネライトと五位のハウフレッツェの間で研究を盗んだか盗んでいないかという争いがあったために隣にするのを避けたようで、ヨースブレンナーがハウフレッツェの隣になっているようです。
……大領地と共同研究をすると、功績を盗られる結果になることは多いですからね。
「フラウレルム先生、この研究はエーレン……」
「ライムント、こちらのお客様はどの程度の節約になるのか説明してほしいそうですよ」
中級貴族か下級貴族でしょうか、ライムントと呼ばれた文官見習いがフラウレルム先生に意見をしかけては流されているように見えます。
「……このような形で魔力の消費をできるだけ抑えるのは、魔力が不足気味の世の中には重要な研究だと考えています」
そこに集っているお客様が文官見習い達に質問をしながら研究内容を真面目に見ているのを横目で見つつ、わたくしはシュミルのぬいぐるみを手に取りました。そして、ミュリエラ様に教えてもらった通りに魔石の部分に触れて魔力を流します。
「あぁ、我が眷属よ。雪と氷で全てを覆い尽くすが良い。我が力の及ぶ限り、ゲドゥルリーヒを包み込むのだ。フリュートレーネを少しでも遠ざけよ」
……なんて素敵なのでしょう!
冬の間の貴族院でしか逢瀬が叶わぬ恋人達がほんの少しの時間を惜しんで会おうとする様子が切々と語られているのですけれど、まるでわたくしが言われているような錯覚に陥ります。
「それは何ですか?」
「貴族院の恋物語から厳選された愛の言葉だそうです。こうして殿方の声で聴くと、本を読んでいるのとは全く違った趣がございますね」
思わずみっともなく笑ってしまいそうになる頬を押さえつつ、わたくしは魔力を流して次々と愛の言葉を聞いていきます。厳選された愛の言葉と優しげな声の響きに平静を装ってその場に立っているのが少し辛く感じてしまいます。
……あぁ、今すぐにでもミュリエラ様と語り合いたいです!
可愛らしいシュミルのぬいぐるみから聞こえてくる愛の言葉に興味を持った女性は多いようで、わたくしが延々と愛の言葉を聞き続けている間に段々と周囲に女性が集まり始めました。
「このように様々な愛の言葉にうっとりしたい女性にも、意中の女性を射止める素敵な愛の言葉を探している殿方にも、貴族院の恋物語はお応えします。貴族院の恋物語はエーレンフェストで夏から売り出しです。手に汗を握るディッター物語、騎士物語、ダンケルフェルガーの歴史も同時発売いたします。どうぞお楽しみに」
これまで響いていた殿方の声ではなく、ローゼマイン様の幼さの残る高い声でエーレンフェストの本の宣伝が流れ、周囲の皆が目を丸くしました。
「愛の言葉と本の宣伝ですか。面白い使い方を考案しますね、エーレンフェストは」
「わたくし、このような言葉が入っているエーレンフェストの本を読んでみたくなりました」
クスクスと笑う女性に同意する周囲のお客様達の言葉にわたくしは心から賛同いたします。わたくしもエーレンフェストの本が読みたくて仕方がないのです。ヨースブレンナーが取引できるようになるのはずいぶんと先のことになるでしょう。
……やはりエーレンフェストの上級貴族と結婚できる道がないか探してみた方が良いかもしれませんね。
今ならば、エーレンフェストの共同研究で加護を増やすことをできたということで顔と名前が知られています。今を逃せば、他に加護を得る方はすぐに増えるでしょう。
……ミュリエラ様に尋ねてみましょう。
興味を持った人が増えたようで、シュミルのぬいぐるみを触りたがる人やぬいぐるみになる前の魔術具を熱心に見つめる人が増えました。
「んまぁっ!」
フラウレルム先生が目を吊り上げて、どこかへ行きました。アーレンスバッハだけで展示されているのですからエーレンフェストの研究成果は盗られたのではないか、と心配していましたけれど、そうではなかったようです。
愛の言葉を全て聞いて満足したので、わたくしはお隣のダンケルフェルガーに向かって歩き始めました。エーレンフェストと共同研究をしているダンケルフェルガーがどのような展示をしているのか気になっていたのです。
不意にすいっと白いオルドナンツが飛んで行くのが見えました。何となく目で追いかけていると、ダンケルフェルガーとアーレンスバッハとエーレンフェストの代表者が話し合っているところへ到着したようです。
突然フラウレルム先生の叫ぶ声が響きました。わたくしは距離があったので、どのような内容を言っているのかは聞こえませんでしたが、甲高い声だけはよくわかります。あの場にいる方々は顔をしかめたくなるような声量だったことでしょう。
……何があったのかしら?
注視していると、藤色のマントの集団が動き始めました。ディートリンデ様に緊急の御用だったのかもしれません。婚約者であるフェルディナンド様が立ち上がりました。そして、柔らかな微笑みと共にそっと優しくローゼマイン様の髪に触れたのです。
……あぁ、芽吹きの女神 ブルーアンファよ!
わたくし、確かにブルーアンファの加護を得たことを確信いたしました。まさに今、わたくしの目の前でブルーアンファが舞い踊っているに違いありません。
「ミュリエラ様。大事なお話があるのですけれど、少しよろしいでしょうか?」
わたくしはエーレンフェストの文官見習い達が集まっているところへ向かうと、ミュリエラ様を少し人が少ないところへ呼び出しました。この興奮を分かち合う相手が欲しかったのです。今すぐにこの熱い気持ちを語り合えるのはミュリエラ様しかいらっしゃいません。
「ご覧になりまして?」
「えぇ、フラウレルム先生のオルドナンツで注目を集めた直後ですもの。見逃すわけがございません」
何を、と言わなくてもミュリエラ様はわかってくださいました。そして、キラリと緑の瞳を輝かせて周囲の様子を窺うと、声を潜めてこっそりと教えてくださいました。
「神殿でお育ちのローゼマイン様が甘えられるのはずっと後見人でいらしたフェルディナンド様だけなのですって。ローゼマイン様はきっとブルーアンファの訪れに気付かないまま、導きの神 エアヴァクレーレンの槍にすがったのでしょう」
「まぁ……。そして、花の女神 エフロレルーメの訪れを待つうちにラッフェルが大きくなっていて、それに気付くのは収穫の女神 フォルスエルンテや別れの女神 ユーゲライゼが舞い始めた時なのですね」
氷雪の神 シュネーアストの攻撃にきっと闇の神の祝福を受けたようなローゼマイン様の髪が風に揺れ、冷たく濡れたことでしょう。思い浮かべるだけで今にも涙が溢れそうになるほど、何とも胸が締め付けられそうに切ない光景ではございませんか。
「他の側近達が言うには、ローゼマイン様とフェルディナンド様の間にある感情は恋とは違うそうです。それでも、縁結びの女神 リーベスクヒルフェの糸を感じてしまい、オルドナンツは大きく翼を広げ、どうしようもなく心が震えると思いませんか、リュールラディ様?」
「とてもよくわかります、ミュリエラ様! わたくし、確かにブルーアンファの訪れを感じましたもの」
妄想するだけならば自由ですよね、と微笑むミュリエラ様にわたくしは全力で賛同いたしました。わたくし、できることでしたらローゼマイン様の切ない初恋のお話を読んでみたいくらいです。
「貴族院の恋物語を書かれている方はローゼマイン様の恋を物語にはしないのでしょうか?」
「あの方は貴族院に在学中の学生のお話は本にしないそうです」
それは残念です。ミュリエラ様やフィリーネ様が在学している間に本にしていただけなければ、わたくしが読めるようになるまでには長い年月がかかるでしょう。
「せっかくですからリュールラディ様が書いてみてはいかがでしょう? 寮内、領地内の真実を知らないリュールラディ様の方がきっと色々と想像することができると思うのです。そして、想像する部分が多くなると、どなたのお話なのかわからなくなりますから、在学中に本になる可能性もございますよ。本になればお金の代わりに本をお渡しすることもできます」
それはとても心躍るお誘いでした。原稿料の代わりに新しい本が優先的に手に入るのです。ヨースブレンナーが取引できるのを待つ必要がなくなるということではありませんか。
「と、とても心惹かれるお話ですけれど、わたくしは上級貴族ですから、お金に困っている中級貴族や下級貴族のようなことをするとお父様やお母様に叱られます」
「あら? リュールラディ様が楽しんでいらっしゃる貴族院の恋物語は、今でこそ他領のお話を集めていらっしゃいますけれど、元々はエーレンフェストの上級貴族の御婦人方が中心になって書かれた物なのですよ」
ぐらりと心が揺れました。エーレンフェストでは新しい産業を広げるために上級貴族が率先して本を書いているというのです。
「わたくし、本気でエーレンフェストに嫁ぎ先を探した方が良いかもしれません」
「……そうですね。春になって生活が落ち着いたら、わたくしから主に尋ねてみましょうか? リュールラディ様に合う上級貴族となると、少し難しいかもしれませんけれど」
ミュリエラ様には結婚相手を紹介することができないそうですが、主に尋ねてくださるようです。わたくしの未来がエーレンフェストに向かって大きく開かれました。
「お金を得るのでなければ、書いてみても良いかもしれません」
「原稿には相応の対価を支払うのが原則なのです。リュールラディ様はお金を得ることに心配があるようですけれど、原稿料が本以上になった場合、稼いだお金を寮の費用やお金の足りない下級貴族に貸し出す形で使用すれば、叱られるようなことはないのではございませんか?」
そのようなお金の使い方は考えたことがございません。わたくしが目を丸くしていると、ミュリエラ様はエーレンフェストのアウブ達がいらっしゃる辺りを見遣りました。
「ローゼマイン様は親を失って困窮する学生達に学費を貸し出しています。卒業後に返してくれれば良いのです、とおっしゃいました」
そこには疑いようのない尊敬の念が見て取れます。自分と同じ年でローゼマイン様は一体どれほどのことをしていらっしゃるのでしょう。何というか、自分と同じ人間とはとても思えません。
……そういえば、エグランティーヌ様も、ローゼマイン様はメスティオノーラのようですね、とおっしゃっていたような……。
奉納式でエグランティーヌ様がおっしゃった言葉を思い出し、わたくしは女神の恋物語としてローゼマイン様の切ない恋を書いてみることを思いつきました。女神の恋物語ならば、他の誰かに現実のお話だと気付かれることもないでしょう。
「……ミュリエラ様、わたくし、書いてみます。メスティオノーラの切ない恋物語」
「楽しみにしていますね、リュールラディ様。ぜひエーレンフェストで買い取らせてくださいませ」
その時は思いもよらなかったのです。わたくしの書いた原稿が本になる頃には奉納式で戯れのように出てきた「ローゼマイン様=メスティオノーラ」が定着するようになっているなんて。
第二部二巻発売記念SSです。