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聖女とお兄様

第467話 皆の儀式と音楽、第470話 奉納舞(三年)あたりのレスティラウトの変化をハンネローレ視点で。

 わたくしはハンネローレ。貴族院の三年生に、ダンケルフェルガーの領主候補生として在籍しています。


「シュバルツ、ヴァイス。お久しぶりですね。聞いてくださいませ。なんと、わたくし、つい先程神々のご加護を得る実技で時の女神 ドレッファングーアのご加護を賜ったのです。これできっとわたくしの間の悪さも少しは改善されるに違いありません」


 講義を終えた直後、図書館へ足を運んだわたくしは周囲に他の生徒がいないことを確認した上で、シュバルツとヴァイスを撫でて魔力を供給しながら、ドレッファングーアのご加護を得た喜びを噛み締めていました。


「ハンネローレ、うれしい」

「ハンネローレ、まりょくいっぱいになった」


 わたくし自身はこれまでとあまり変わらない量を注いだつもりなのですが、シュバルツとヴァイスはたくさんの魔力が供給されたと言いました。神々の加護を得ることで魔力に変化が起きているのでしょう。自分に負担とならない範囲でシュバルツとヴァイスに喜んでもらえるのは嬉しいです。わたくしは気が済むまでシュバルツとヴァイスを撫でて、コルドゥラと共に図書館を後にしました。


「明日も講義はあるのですもの。寮に戻って復習しなければ」

「えぇ、せっかくドレッファングーアのご加護を賜ったのですもの。これからも努力を続けてくださいませ、姫様」


 座学に関して、エーレンフェストは年々成績を伸ばし、初日合格者の数が急激に増えています。実は「エーレンフェストでは下級貴族でさえ初日合格ができるというのに、ダンケルフェルガーの領主候補生が初日合格できなくてどうします?」とお母様に微笑みながら言われ、わたくしは一年中勉強させられていたのです。その甲斐があって神学の座学も合格できたのですけれど、大領地の領主候補生という立場は決して楽なものではありません。




「アングリーフとドレッファングーアからご加護を賜ったのか? アングリーフは珍しくないが、ドレッファングーアというのはすごいではないか」


 夕食の席でお兄様に報告すると、お兄様を始め、皆が驚きの眼差しで祝福してくれました。


「ですけれど、何故わたくしがアングリーフとドレッファングーアのご加護を賜ることができたのか、不思議でなりません。神々のお目に留まるようなことはできていないと思うのですけれど……」

「だが、快挙だ。大神のご加護だけではなく、複数の眷属のご加護が得られるなどほとんどない。ハンネローレは神々に愛されているのだ」


 お兄様は満足そうにそう言いました。神々に愛されているという言葉に相応しい方はわたくしではありません。


「……あの、お兄様。それでしたら、ヴィルフリート様の方が神々に愛されていらっしゃるようですよ」

「なんだと?」

「大神も含めて12柱の神々からご加護を賜ったそうです」


 わたくしの言葉にお兄様はもちろん、他の者も大きく目を見開きました。


「12!?……エーレンフェストの他の者は?」

「存じません。わたくし、自分の儀式が終わると退室したので……」

「ハンネローレ、エーレンフェストの動向にはよく目を光らせておくように、と母上がおっしゃったではないか。其方は最後まで見ておくべきだった。あの神殿育ちがどの程度のご加護を賜ったのか……」


 お兄様にそう言われ、わたくしは慌ててローゼマイン様の様子を思い返しました。普通の顔で出てきて、ヴィルフリート様のご加護の数を聞いてもあまり驚いているような様子は見られませんでした。


「ヴィルフリート様のご報告に驚きの色が少なかったので、同じくらいは賜ったのではないでしょうか」

「……そうか。母上のお言葉は正しいのかもしれぬな」


 お兄様がそう言って何やら考え込むように難しい顔になりました。

 領主会議を終えて領地に戻って来たお母様は何とかローゼマイン様をダンケルフェルガーに取り込めないか、と考えていらっしゃいました。それというのも、春の領主会議で決められた出版と印刷に関するエーレンフェストとの契約におけるローゼマイン様の働きぶりが、目を見張るほど素晴らしいものであったからです。


 出版と印刷という新しい技術も素晴らしいけれど、ダンケルフェルガーとの契約交渉において譲れる部分と譲れない部分の枠組みをきっちりと決めてあったようで、アウブ・エーレンフェストとの交渉はダンケルフェルガーの当初の予想と違って難航したそうです。


「幼い頃から神殿で隠すように育てられていたローゼマイン様の価値にいち早く気付いて洗礼式と共に養子縁組をしたアウブ・エーレンフェストも侮れません。他領がローゼマイン様の価値に気付く前にご子息との婚約承認まで取り付けてしまうのですもの」


 お母様は「ローゼマイン様をレスティラウトの第一夫人に迎え入れることができればよかったのですけれど」と言って溜息を吐いていらっしゃいました。


 普通は中領地の領主候補生の婚約がこれほど早く正式に決まることはございません。婚約に関しては領地対抗戦や領主会議でお話が何度もされて、アウブ同士でお約束が交わされ、最終学年が近付いてから王の承認を得ることになります。ある程度成長期を終えなければ、当人同士の魔力が合うかどうかもわからないからです。


 けれど、ローゼマイン様とヴィルフリート様のご婚約はお二人が一年生を終えた時点で王からの承認を得て決定してしまいました。領主会議が始まり、他領が婚約打診のお話を持って行った時にはすでに正式に婚約が決定した後だったのです。


 お兄様はローゼマイン様を「偽物聖女」と呼んでいて非常に険悪な雰囲気でしたし、ヴィルフリート様との婚約が成立しているので、お母様がローゼマイン様を望んでいてもどうなることでもございません。


「……お兄様はローゼマイン様を第一夫人に望むようなことはなさいませんよね?」 

「母上はお望みのようだが、私は別に望んでいない。存在価値の高さは嫌というほど説明されて理解した。だが、別にどうしても今のダンケルフェルガーに必要というわけでもないからな」

「でしたら、ローゼマイン様の髪飾りのような物を作ろうなどとお考えになって、髪飾りを間近で見るようなことはしないでくださいませ」

「……あの髪飾りに興味があっただけだ。虹色魔石を五つも付けていて、それぞれに魔法陣が刻まれているように見えた。その上であれだけの細かな装飾……間近でよく見たいと思って何が悪い?」


 どちらかというと険のある態度を取られていたお兄様がローゼマイン様の翻訳された歴史の本にはまり込み、髪飾りのセンスを褒められて態度を軟化させたのは喜ばしいことなのです。


 けれど、婚約者に贈られた髪飾りを間近で見るのは難癖を付けているように周囲から見られてしまう可能性があります。婚約者が贈った魔石の飾りに難癖を付け、更に良い物を贈るのは、恋の宣戦布告とも言える行為なのです。お兄様は何に関しても難癖を付けるところがおありなので、周りが気を付けなければなりません。


 特にお兄様は昔から絵を描いたり、ちょっとした細工を作ったりするのがお好きなのです。気に入った物は一度自分で作ってみようとするところがあるのです。周囲に誤解される危険は大きいと思います。親睦会の時にローゼマイン様の髪飾りにずいぶんと興味を持っていたので、わたくしは心配でなりません。


「お兄様がローゼマイン様をお望みだと周囲の方に思われてしまう可能性があるではありませんか」

「そのような心配はない」


 わたくしは夕食を終えて自室に戻ると、ゆっくりと息を吐きました。思い出すのは、エーレンフェストの神殿に関するお話です。


 神殿で育てられてきたローゼマイン様を洗礼式と同時に養女として引き取っておきながら、アウブ・エーレンフェストはローゼマイン様を神殿長として神殿にまたお入れになったと聞いていました。領主会議で両親が聞いた話からは何という非道なことを、とアウブ・エーレンフェストに怒りさえ抱いていたのです。けれど、ローゼマイン様は微笑んで否定されました。


「他領の神殿がどのようなところなのか存じませんが、エーレンフェストの神殿は居心地が良いのですよ。アウブも出入りされますし、ヴィルフリート兄様やシャルロッテも役職は付いていませんが、神事のお手伝いをしてくれています。それに、大領地との婚約が決まったフェルディナンド様も神殿を離れがたく思っていたのですよ」

「アウブも神殿に出入りしていて、フェルディナンド様も神殿を離れがたく?……そうなのですか?」


 にわかには信じられない話でした。神殿の居心地が良く、領主一族が側近を連れて頻繁に出入りしているなんて。その側近も神殿に嬉々として通っているなんて。

 これが男性ばかりでしたら、その、少々口憚るような理由で通っているのでは、と勘繰ってしまったかもしれませんが、フィリーネという下級貴族の女の子が嬉しそうに言っているのです。エーレンフェストの神殿は本当にローゼマイン様やシャルロッテ様が普通に出入りできる場所なのでしょう。


「わたくし達にとっての神殿と他から見た神殿には大きな違いがあるようですから、詳しいお話はまたクラリッサに改めていたします」

「え、えぇ。クラリッサに伝えましょう」


 微笑みながら頷いていたわたくしですが、「フェルディナンド様も神殿を離れ難く思っていた」という言葉に背中を冷たい汗が伝うのを感じていました。


 ……もしかしたらダンケルフェルガーはとんでもないことをしてしまったのかもしれません。


 春の領主会議でエーレンフェストのフェルディナンド様とアーレンスバッハのディートリンデ様のご婚約が決定しました。それにはダンケルフェルガーの後押しがあったのです。


 領主会議でアーレンスバッハから中継ぎになるディートリンデ様をすぐにでも支えて執務のできる配偶者を探しているとお言葉があり、それに対して、神殿に押し込められてせっかくの才能を飼い殺しにされているフェルディナンド様をお助けしたい、と中央騎士団長がおっしゃったそうです。

 フェルディナンド様とのディッター勝負を心から望んでいる者が多いダンケルフェルガーは義憤に駆られ、いくつかの領地に声をかけ、中央騎士団長と共に王へ直談判したそうです。ハイスヒッツェが誇らしそうにそう言っていました。


 これはお母様が教えてくださったことですが、ダンケルフェルガーはかつてこちらからフェルディナンド様に婚約打診をしておきながら、一方的に解消したことがあったそうなのです。

 王の第三夫人となった叔母様なのですが、ダンケルフェルガーの歴史書の翻訳をとても興味深くご覧になっていたようで、少しでも関係改善をしたいと考えていらっしゃるようです。


 お母様は「今回のアーレンスバッハとの婚約を後押ししたことで少しは罪滅ぼしができて関係が改善されれば良いのですけれど」とおっしゃったのですけれど、「フェルディナンド様は神殿を離れがたく思っていた」ということは、王命で無理やり神殿から出されたということになるかもしれません。関係改善どころか、悪化している可能性もあります。


「……もしかして、わたくしの間の悪さがダンケルフェルガー全体に移ってしまったのではないでしょうか?」

「そのような特殊な神殿事情はエーレンフェストだけでしょう。他領からはわからないことですから、姫様の悩むことではございません」

「コルドゥラ、けれど……」


 コルドゥラは首を振って、机を指差しました。


「ハンネローレ姫様、講義が始まってまだ初日でございます。明日も座学はあるのです。不必要なことで思い悩むよりも先にお勉強なさいませ」


 ……そうですね。領主候補生として恥ずかしくないように勉強しておかなければお母様にひどく叱られることになります。




 次の日の座学は難なく合格できました。午後の音楽の実技で、わたくしは素晴らしい聖女の祝福を見たのです。

 わたくしは夕食の席で報告します。音楽の実技でローゼマイン様がフェシュピールを弾きながら盛大な祝福を贈った話を。そして、他の学生達からはローゼマイン様の祝福がエーレンフェストの学生達に届いた話がされます。それを聞いてもお兄様は眉をひそめるだけでした。


「あれが本物の聖女のわけがない。ハンネローレは騙されているのではないか?」

「本当にフェシュピールを奏でながらローゼマイン様は神々しく美しかったのです。わたくしの他にも見た者はいるのですよ。音楽の実技は上級貴族が一緒なのですから」


 同じ学年の上級貴族達がわたくしの言葉に同意して頷くと、「どうしてわたくしはハンネローレ様と同じ学年ではなかったのでしょう!」と嘆くクラリッサの声が食堂に響きます。ローゼマイン様が何かするたびに「その場に居合わせたかったです!」と嘆くのが常なので、ちらりと視線を向けただけで皆が会話に戻ります。


「フェシュピールを爪弾く指輪から風の祝福が溢れていました。幼く高く澄んだ声で神に語り掛け、神がローゼマイン様にお応えになっているような美しい光景でございました」

「講義の途中で突然エーレンフェストの中級貴族のところへ祝福の光が降り注いだのです。本当に驚きました。乗り込み型の騎獣を作っているところだったのです」


 次々と挙げられるローゼマイン様が引き起こした祝福の光景にお兄様は苦い顔をされています。


「あれは偽物聖女だ」


 頑なに皆の言葉を信じようとしないお兄様に、わたくしは少し悔しくなってきました。ローゼマイン様のうっとりするようなフェシュピールの音色と共に広がっていく祝福の光はとても美しく、心が洗われるような心地さえしていたというのに、お兄様の言葉にあの光景を汚されているような気がしたのです。


「お兄様はそうおっしゃいますけれど、ローゼマイン様の祝福を見たのがお兄様でしたら、きっとすでにあの光景を絵になさっているでしょう」

「私が絵に残そうとするほど、だと? ほぅ、面白い。それはぜひともこの目で見てみたいものだな」


 ……どうしましょう? お兄様の興味を引いてしまいました。……お兄様があまりにもローゼマイン様を悪く言うので、つい……。


 このままお兄様がローゼマイン様に興味を持っては大変です。けれど、あの祝福の美しさを自分で否定することもできません。


 そして、お兄様が頑なにローゼマイン様の祝福を否定するので、わたくしが祝福に関する情報収集を行うことになりました。図書委員としてローゼマイン様と接することができるわたくしは情報収集に適していると言われているのです。


「お休みの日、ローゼマイン様は基本的に図書館へいらっしゃいますから、探すのも楽で良いですね」

「講義を終えるまではシュバルツとヴァイスの魔力供給に向かえるのは土の日だけですから」


 わたくしはあまり周囲の迷惑にならないようにコルドゥラと数人の側近を連れて図書館へ向かいます。すると、閲覧室の前までシュバルツとヴァイスが出迎えに出て来てくれているのが見えました。


「シュバルツ、ヴァイス。ローゼマイン様はいらっしゃるかしら?」


 わたくしが尋ねると、少し耳を垂らすようにしてシュバルツとヴァイスが首を横に振ります。表情が変わったわけでもないのに、とても寂しそうで、悲しそうに見えました。


「ひめさま、きょうもいない」

「ひめさま、あしたもこない」

「まぁ、ローゼマイン様はいらっしゃらないのですか」


 わたくしは溜息を吐きながらシュバルツとヴァイスの魔石を撫でて魔力供給をすると、閲覧室に入ることなく図書館を後にしました。


 ……まさか図書館でローゼマイン様に会えないなんて。わたくし、本当にドレッファングーアのご加護を賜ったのでしょうか? 間の悪さが改善されている気がいたしません。


 間の悪さに肩を落としながら寮に戻ると、ヒルシュール先生が訪れているようでした。わたくしはすぐにお茶会用にお部屋に呼ばれ、ご加護に関するお話を伺いました。ローゼマイン様の仮説だという前置きの下、お祈りとご加護の関係が示されます。


「ハンネローレ様は日常的にドレッファングーアにお祈りを捧げていますか?」


 わたくしは思わず自分の手首を押さえました。そこにはコルドゥラが作ってくれたお守りがあります。


「捧げています。けれど、わたくしはアングリーフにお祈りを捧げることは……」

「ディッター後の儀式を行うでしょう? あれがお祈りに含まれるようです、ハンネローレ様」


 ルーフェン先生がそうおっしゃいました。ローゼマイン様の音楽が祝福になるように、神に祈りと魔力を捧げることがお祈りに相当するため、アングリーフに勝利の報告とお礼を述べる儀式に参加していることがご加護に繋がったのだそうです。


「あまりディッターには熱心ではないレスティラウト様がアングリーフのご加護を得た理由もわかりました」


 ……ダンケルフェルガーでは領主一族は半強制的に参加させられる儀式ですからね。


 知らず知らずのうちに騎士見習い達にお祈りをさせていたらしいルーフェン先生が「私はこれからも貴族院で騎士見習い達にダンケルフェルガーの戦いに赴く前の歌や踊りを教えていきます!」と張り切っていらっしゃいました。

 ユルゲンシュミットの騎士が皆、歌って踊るようになることを考えて、わたくしは少しだけうんざりとした気分になりました。




 そして、週が明けて水の日。午前中は初めての領主候補生コースの講義でした。講義中のローゼマイン様について、お兄様に報告しなければなりません。まず、講義が始まる前のローゼマイン様とのお話について述べました。


「やはり神殿長として日常的にお祈りを捧げているローゼマイン様はとても口外できないと判断するほどたくさんのご加護を得ているようです。エーレンフェストがたくさんのご加護を得たのは神殿でお祈りをしたり、神事に参加したりしていることが理由のようです」

「祈ることでご加護が増えると仮定するならば、神殿育ちの者がご加護をたくさん得るのは当然のことだな」


 それから、あっという間に礎を染め、次々と課題をこなして行かれた講義内容についても報告します。


「ローゼマイン様は課題で与えられた小さな魔石をギュッと握っては次々と金粉に変えていくのです。わたくしも全力で魔力を込めれば金粉にすることは難しくないでしょうけれど、一度にそれだけの量を作ることはできません。何よりも驚いたのは、ローゼマイン様は回復薬も飲まれていませんでした」

「何だと!?」


 お一人だけほとんどの工程を終えてしまっているのです。課程を終えているお兄様にはそれがどれほど魔力を要することなのかわかるでしょう。


「わたくしの冗談のつもりで、それでは音楽の時のように祝福をされると、皆の箱庭がローゼマイン様の魔力で染まってしまうかもしれませんね、と申し上げたのです。そうしたら、ローゼマイン様は真顔で……そうならないように気を付けているのです。実際、シュバルツとヴァイスは祝福で主になってしまいました、とおっしゃったのです」

「いくら何でも魔力量が尋常ではないぞ」

「慌てたように、冗談です、と笑って取り繕われましたけれど、ローゼマイン様の言葉が冗談ではなかったことはすぐにわかりました」


 数々の新しい流行に、印刷と出版という新しい技術、趣味に大金貨18枚を簡単に注ぎ込めるだけの資金力、交渉術に莫大な魔力……。お母様がダンケルフェルガーに欲しいと考えられるのも理解できます。


「ローゼマイン様は優秀であるにもかかわらず、エーレンフェストでは神殿長として実子と全く違うひどい扱いを受けていると噂されています。実際にはヴィルフリート様やシャルロッテ様も直轄地を巡って儀式を行っているようですし、アウブご自身も神殿に出入りされているようです。そして、神々のご加護をいただいています。けれど、詳しい内容を知らずに義憤に駆られて今のお立場から救おうと暴走する者が出て来てもおかしくありません。……お母様に報告してくださいませ」

「報告は午後の奉納舞を見てからにする」




 昼食を終えたわたくしはお兄様と一緒に奉納舞のお稽古に向かいました。シャルロッテ様やルーツィンデ様とお話しているローゼマイン様は虹色魔石の髪飾りに加えて、お茶会でつけていた大きな魔石の連なるネックレスをしていました。


 ……舞のお稽古にはどちらかというと邪魔になるのではないでしょうか。


 わたくしがそう思いながら手を振っていると、お兄様もローゼマイン様に気が付きました。お兄様はローゼマイン様の髪飾りがやはり気になっているようです。指先の動きで何かのデザインを考えていることがわかります。


「あの魔石の飾りは今日もつけているのか」

「いつもつけていらっしゃいます。婚約者であるヴィルフリート様に贈られた物ですもの」


 ……あのように素晴らしい魔石の飾りを贈ってくださる素敵な婚約者がいらっしゃるローゼマイン様が羨ましいです。


「ハンネローレ、エーレンフェストとのお茶会はいつになった?」

「まだ決まっていません。わたくしの講義がいつ終わるかわかりませんもの」

「お茶会の日程を決めに行くぞ。私が依頼してエーレンフェストが作った髪飾りも気になる」


 お兄様のエスコート相手は、お母様達の間で決定したダンケルフェルガーの上級文官見習いです。次期アウブの妻には必ず領地の者を一人は付け、ダンケルフェルガーの伝統を途切れさせることなく継承していくことが決まっています。彼女はお兄様が他領から妻を得ることになれば第二夫人になることが確定していて、ダンケルフェルガーの伝統を第一夫人に教えるという大事なお役目を負った立場なのです。


 お兄様がローゼマイン様に向かって歩き出したので、わたくしはお兄様に遅れないように歩きます。


 ……髪飾りにしか興味がないのに、お兄様はお口が悪いのでローゼマイン様が気分を害する可能性は高いですもの。


 案の定、お兄様は憎まれ口を叩きました。けれど、わたくしがお兄様の真意を並べると、ローゼマイン様はクスクスと笑って「レスティラウト様、楽しみにしてくださって嬉しいです」と失礼なお兄様の物言いを流してくださいます。わたくしはこういう時にローゼマイン様は本当にお優しい聖女だと思うのです。


 ……領地対抗戦でも突然お父様が言い出したディッター勝負に巻き込まれたのに、フェルディナンド様を説得し、勝負が終わった後にはハイスヒッツェにまで癒しを与えてくださいましたもの。


 ダンケルフェルガーの雰囲気に虚弱ながらついて来られるローゼマイン様はわたくしにとって貴重なお友達なのです。


「わたくし、今年は文官見習いのコースも取る予定なので、もうしばらく社交には時間が必要です。……そうですね、十日後に一度お互いの予定を確認いたしませんか? その頃には少し予定が立つと思います」

「と、十日後か。良いだろう」


 お兄様の声が上擦っているように聞こえました。それはそうでしょう。ローゼマイン様は領主候補生コースと文官コースを十日ほどで終えるつもりなのです。普通では考えられません。


 ……むしろ、わたくしやお兄様の領主候補生コースが十日で終わらない気がいたします。


 わたくしとローゼマイン様がお約束しているうちに、お兄様は背の高さを利用してローゼマイン様の髪飾りを上から少しばかり覗き込むようにして見ています。


 ……止めてくださいませ、お兄様っ!


 大きな声を出すわけにもいかず、ローゼマイン様には笑顔を見せながらお兄様のマントを軽く引っ張っていると、一つの声が割って入ってきました。


「あら、レスティラウト様もエーレンフェストに髪飾りを注文されましたの? 婚約者がエーレンフェストの者ですから、わたくしも注文したのですよ」


 ホホホと笑いながら入って来たディートリンデ様にわたくしは心の底から感謝いたしました。お兄様の奇行が始まる前に止めてくださったのですから。お兄様がムッとしたように「エーレンフェストのような田舎者にどの程度の物ができるのか、確認したかっただけだ」と口元を歪めていますが、お兄様のご機嫌など些細なことです。


「あら、それでもレスティラウト様もエスコート相手に贈るのでしょう? わたくしが贈られるのと同じように」


 そういえば、去年のお茶会でディートリンデ様はエーレンフェストの髪飾りを欲しがっていました。フェルディナンド様とのご婚約で贈ってくださることになったのでしょう。ディートリンデ様のお望みが叶って何よりです。


 ……今のわたくしにはディートリンデ様のお望みより、お兄様の言動が気になって仕方がないのですけれど。


 お兄様はよほど虹色魔石のデザインが気になっているようで、ディートリンデ様の髪飾りの話題を口にしながら視線はローゼマイン様の髪飾りに向いています。


 ……きっとフェルディナンド様が贈られたディートリンデ様の髪飾りにも興味があるに決まっています。


「ふーん……。其方の婚約者のセンスはそれほど悪くないと思うが……其方の婚約者は一体どのような物を注文したのだ?」

「シェンティスの花の髪飾りを五つです。大きさは少し小ぶりですけれど、アドルフィーネ様の髪飾りを想像していただけるとわかりやすいのではないでしょうか。五つの花は赤から白へ少しずつ色の違うのが一番の特徴です」


 ……髪飾りを五つも、ですか?


 ディートリンデ様ではなく、ローゼマイン様がしてくださった説明にわたくしは目を見張りました。一体どのようにつけるのか、全く想像できませんし、王族に輿入れが決まっていらっしゃったエグランティーヌ様やアドルフィーネ様よりも豪華にするのはあまり良くないと思います。

 同じように感じたのか、お兄様も呆れたような顔になりました。けれど、ローゼマイン様はニコリと微笑みながら五つの髪飾りの使い方を説明してくださいます。


「五つの花に驚いていらっしゃるようですけれど、決して無駄にはなりません。花は全て色違いですから、組み合わせによって清楚にも豪華にも仕上がりますし、数を調節することで普段使いから華やかな場所でもご使用いただけるのです」

「なるほど」


 その時に合わせて組み合わせを変えるのは面白い、と呟きながらお兄様が考え込みました。そのような使い方をするとは予想外です。確かにそのように使えば、王族よりも控えめに装いながら、色々な衣装に合わせて長く使うことができるでしょう。


「そのように色々と使える髪飾りが良いと提案したのはわたくしなのですけれど」


 これまでは婚約者であるフェルディナンド様にお任せしているとおっしゃっていたディートリンデ様がフフッと笑いながらそうおっしゃいました。ローゼマイン様はニコニコと笑いながらディートリンデ様のデザインを褒めています。

 わたくしは思わずお兄様と顔を見合わせました。


「其方が考案した髪飾りが一体どのような物なのか、卒業式が楽しみだな」

「えぇ、レスティラウト様もわたくしの髪飾りにはアッと驚くことになりましてよ。ホホホ……」


 何故かわたくしは卒業式が怖いような気分になりました。きっと気のせいでしょう。




 そして、奉納舞のお稽古にはエグランティーヌ様もいらっしゃいました。そして、お手本を見せてくださいます。相変わらず素晴らしい舞でした。これほど見事に舞う者は十数年いなかったと毎年の奉納舞をご覧になっているお父様やお母様も絶賛していましたし、お兄様がこっそり絵を描いていたことも知っています。


 ちらりと隣のお兄様の様子を窺いました。エグランティーヌ様の舞をほんの少しも見逃すまいと目を凝らしているのがわかります。

 実はわたくしはお兄様の初恋はエグランティーヌ様ではないか、と思っているのです。家族を除くと一番描いている数が多いのですもの。二人の王子に望まれていたエグランティーヌ様に対する想いは隠すしかなかったのでしょうけれど。


 そして、わたくし達がお稽古する番になりました。今年からは下級生が見ている中で舞うので、少しばかり緊張いたします。特に、わたくしは最も順位の高い領地の領主候補生ということで、最初の文言を口にしなければならないのです。


「我は世界を創り給いし神々に祈りと感謝を捧げる者なり」


 わたくしに続いて他の領主候補生も声を出し、舞は始まります。なるべく丁寧に、少しでも上手く見えるように舞います。一度で合格することからわかるように、ローゼマイン様はとても舞がお上手なのです。わたくしも大領地の領主候補生として恥ずかしくない程度には舞いたいと思っています。


 ……あら?


 視界の端で何かが光ったような気がしました。けれど、舞を止めるわけにはいかないので、そのまま舞い続けます。

 周囲の呆然とした視線がわたくしの斜め後ろに向いているのがわかりました。ローゼマイン様が舞っていらっしゃるあたりでしょうか。


 ゆっくりと大きく回ったところで、思わず目を見開いてしまいました。周囲の皆が舞を止めて一点を見ているのです。わたくしのところからは何かが光って軌跡を描いているのがちらちらとしか見えず、気を引かれつつも普通に舞い終えました。


 ふぅ、と気を緩めた時、斜め後ろでトサッと誰かが体勢を崩したような音が聞こえました。シンとした静寂を破って、シャルロッテ様が顔色を変えてローゼマイン様に駆け寄って来ます。


「お姉様、どれほど魔力を込めて祝福しようとなさったのですか!? このままではまた意識を失って倒れてしまいますよ」


 わたくしが驚いて振り返ると、ローゼマイン様は息も絶え絶えというように荒い息を繰り返しながら、その場に座り込んでいます。


「しゅ、祝福には至りませんでしたよね?」


 ……ローゼマイン様は一体何をなさっていたのでしょう!? 虹色魔石の髪飾りや胸元を飾る魔石のネックレスがキラキラと輝いているのですけれど!


 先生から合格を得たローゼマイン様はシャルロッテ様とヴィルフリート様に支えられながら、フラフラと退室されました。すぐ外で側仕えが待機していたようで、シャルロッテ様とヴィルフリート様はすぐに戻って来て、お稽古が再開されます。


 けれど、誰も彼もお稽古に身が入っていないようでした。それは先生も同じことです。顔に出さないようにしながらも、皆の目が興奮しているのがわかります。周囲の雰囲気から完全にわたくしは置いて行かれているようでした。


 ……もしかして、この中でローゼマイン様が何をしたのかわからないのは、わたくしだけではないでしょうか。


 奉納舞のお稽古を終えたシャルロッテ様とヴィルフリート様は「ローゼマイン様の様子が気にかかるから」と足早に戻って行かれました。皆がそれぞれ戻って行きます。わたくしは小広間の中を見回しましたが、お兄様の姿が見えません。


「コルドゥラ、お兄様を見ませんでしたか?」

「とてもお急ぎの様子で寮へ戻られました。レスティラウト様が姫様を置いて先に戻るなど、何があったのでしょう?」

「多分、あの小広間の中でわたくしだけが見ていないのです」


 ……時の女神ドレッファングーアのご加護があっても、わたくしの間の悪さは全く改善されていません! 何ということでしょう。もしかしたら、わたくしの間の悪さは女神にも改善できないようなものなのでしょうか。


 落ち込みながらわたくしは寮に戻りました。ペンやインクを側近達に持たせて階段を降りて来たお兄様が「ハンネローレ、紙は余っていないか?」と言いました。


「……お兄様はあまりお好きではないようですけれど、エーレンフェスト紙ならばございますよ」


 商人が持ち帰って来た商品にはエーレンフェスト紙がたくさんありました。羊皮紙よりも安価なので、わたくしは貴族院にたくさん持ち込んでいます。


「それでよいからすぐに持って来てくれ」


 それだけ言うとお兄様は多目的ホールへ向かいます。わたくしは首を傾げながら自室に戻り、エーレンフェスト紙をコルドゥラに持ってもらい、多目的ホールへ向かいます。

 多目的ホールではお兄様が数枚の紙に絵を描いていました。どれもこれもローゼマイン様の絵で、パラパラとめくれば少しずつ動いてまるで本当にローゼマイン様が舞っているように見えます。


「これは……?」

「ローゼマイン様の奉納舞のスケッチです! ハンネローレ様もご覧になったのでしょう? あぁ、なんと羨ましいことでしょう。わたくしもローゼマイン様の間近で起こされる奇跡の数々を拝見したいです」

「黙れ、クラリッサ。頭の中の聖女が壊れる」


 ギロリと怖い目でクラリッサを睨み、お兄様はわたくしから受け取った紙に次々とローゼマイン様を描いていきます。いくつもスケッチを描く中で上手く自分の中でピタリとはまることがあれば、キャンバスに向かうことになるのでしょう。


 ……壊れたのはお兄様の方ではありませんか! ローゼマイン様のことを聖女だと言うなんて!


 そして、あの頑ななお兄様の価値観を壊すほどの奉納舞を見損ねたことをわたくしは本当に悔しく思ったのです。


 ……時の女神ドレッファングーア様、もっとご加護をくださいませ。わたくし、せめて皆と同じ経験をしたいのです!


『本好きの下剋上』二周年記念SSです。

SS? と言いたくなるくらい長くなりました。

これからもお楽しみいただけると嬉しいです。


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