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ユストクス視点 古ぼけた木札と新しい手紙

第460話 閑話 アーレンスバッハ生活の始まりに入らなかったユストクス視点です。



 客室には隠し部屋がない。魔力登録が必要な魔術具の箱に管理しておくしかないのだ。私はフェルディナンド様から預かった魔術具を丁寧に箱に入れていく。


「エックハルト、これを持っていてくれ。邪魔だ」


 私は魔術具を入れるのに邪魔な木札を取り出して軽く投げた。くるりと回った木札はエックハルトの手に向かう。


「まさか本当にこの木札の通りになるとは思わなかったな」


 エックハルトが古ぼけた木札を手にして、軽く息を吐いた。木が黒ずんで少しインクが読みにくくなった古い木札には「フェルディナンド様はアウブ・アーレンスバッハと婚約され、エーレンフェストを出られるらしい。喜ばしい」と私の字で書かれている。ただし、私にそれを書いた記憶はない。


 フェルディナンド様が貴族院に在学している時の、ある三日間に書かれたことは間違いないが、その三日間の記憶がすっぽりとないのだ。書いた私も、その時に一緒にいたフェルディナンド様も、エックハルトも、ダンケルフェルガーの騎士見習い達も。


 素材を狩るために出発した日付と寮に戻って周囲の者から話を聞いて三日間の記憶がなくなっていることがわかった。どうやら消えた三日間もしっかりと素材集めはしていたようで、大量の素材がすでに分けられた状態で手元にあった。

ダンケルフェルガーの騎士見習い達は目的が達成できたので記憶の有無はどうでも良いと早々に頭を切り替えたけれど、何事も追究しなければ気が済まないフェルディナンド様は少しでも手がかりがないか、と探し回っていた。けれど、残っていたのは素材といくつかの木札で、その字は自分とフェルディナンド様のものだったのだ。結局、追究しようがなくて諦めるしかなかった。


「これを初めて見つけた時は本当に喜ばしかったのだが……」

「あぁ、ハイデマリーがずいぶんと興奮していたものだ。フェルディナンド様がエーレンフェストを出られる、と」


 フッとエックハルトが遠くを見るようにして懐かしそうに淡く笑む。

 フェルディナンド様が貴族院の高学年になる頃には先代領主が病床にあることが多くなったせいか、貴族院で優秀な成績を収めるたびにヴェローニカ様の嫌がらせがひどくなっていった。


「あの時、ハイデマリーはフェルディナンド様がアーレンスバッハへ向かうことになってもついて行けるように私と結婚すると言ったのだぞ」


 婚姻で移動する時には独身の異性の側近が同行を許されることは滅多にない。側仕えや護衛騎士は同性が選ばれるし、文官は情報や魔術具の扱いによっては危険なので同行を許されない方が多い。私とエックハルトが同行を許されても、ハイデマリーは許される可能性が低かったため、エックハルトと結婚し、エックハルトの家族枠でついて行く計画を立てていたのだ。実にハイデマリーらしいとフェルディナンド様と苦笑したことを思い出す。


「ハイデマリーはフェルディナンド様のことが一番だったからな」

「エックハルトもそうではないか」


 エックハルトとハイデマリーは似たもの夫婦だった。どちらもフェルディナンド様が一番で、どちらが役に立っているのか、どちらの方がすごいところをたくさん知っているのか、よく争っていて、判定を求められる私は非常に迷惑していた。


 ……あの時はこの木札を発見して本当に嬉しかったのだ。


 貴族院で比較的自由に過ごしていたフェルディナンド様であったが、婚約話が持ち上がっていたダンケルフェルガーの領主候補生が王族に輿入れすることが決まり、婚約話が立ち消えになるとエーレンフェストに戻るしかなくなった。


 フェルディナンド様の活躍で多少順位が上がったとはいえ、エーレンフェストはアウブが病床にあり、政変は中立でどちらにもつけていなかった。母のない領主候補生はアウブが亡くなった時点で完全に後ろ盾を失うのが目に見えている。いくら優秀でもフェルディナンド様を婿にしたいと望む領地はその時点ではなく、エーレンフェストでの地位を失う可能性が高いフェルディナンド様に嫁入りを希望する女性もいなかった。


 そんな中で見つけた木札は希望の固まりだったが、「アウブ・アーレンスバッハの婚約者」というのがすぐに理解できなかった。少なくともアウブが女性に交代しなければ、フェルディナンド様がアウブの婚約者になるはずがない。たとえ、すぐにアウブ・アーレンスバッハが高みに上ったとしても、次期アウブと目されている男の領主候補生が二人もいた。


 当時の貴族院にアーレンスバッハの第一夫人の末娘、レティーツィア様の母上に当たる方が在籍していたが、何の接点もできぬままに卒業を迎えることになる。

 フェルディナンド様が卒業され、神殿に入ることになった頃は木札の希望にすがっていたが、やはりアーレンスバッハから話がやって来ることはなく、ただの偽情報だと結論付けるしかなかった。


「これが今頃になって実現しなくても良かったのだが……」

「ローゼマインのおかげでエーレンフェストがずいぶんと上手く回るようになってきたからな」


 夜空のような髪に、月のような金の瞳。フェルディナンド様と共にいても見劣りしない整った容姿に、フェルディナンド様の工房に出入りできるほどの魔力を持った変わった子供だ。姫様は名捧げをしていなくてもフェルディナンド様に信用された極めて珍しい存在である。


「私は名捧げしなければ信用されなかったのだぞ」


 エックハルトの不満顔に思わず笑いが漏れた。姫様は特殊すぎるのだ。比較対象にしてはならない。


「感情や事情を隠して近付く貴族と違って、平民は基本的に裏表がない。全くないとは言わないが、隠し方が下手だ。何を考えているのか筒抜けだからこそ、フェルディナンド様も信用する気になったのだろう。それに、姫様とは同調されたことがあると聞いている。フェルディナンド様が信用できると確信したのはそれからではないか?」


 感情に同調し、記憶を探る。そこで姫様を信用できると確信したのだと思う。あの時のフェルディナンド様はとても疲れた顔をしていたが。

 記憶を探っていたエックハルトが何を思い出したのか、小さく笑い出した。


「そういえば、当初は青色巫女見習いを私の愛妾にどうか、とおっしゃっていたのだ。この先、妻を増やす気がないならば平民を一人保護しないか、と。それが、同調された後は父上の養女に、とおっしゃったので、ずいぶんと対応を変えるのだと驚いた覚えがある」

「そういえば、私が別れていなければ私の養女にしたのに、とおっしゃっていたな」

「ユストクスが独身になっているから、父上が養女にすることになったのだ。気が付いたら養女ではなく、父上と母上を親として洗礼式を受けることになり、実妹となっていたが」


 昔のことを思い返してみると、流れは知っているのにどうしてこうなったのか理解できない。平民の娘が貴族の娘として洗礼式を行って領主の養女となり、青色巫女見習いから神殿長となって、フェルディナンド様を貴族社会に戻すなど、誰が想像できるだろうか。


 だが、姫様が神殿の中を引っ掻き回したおかげで、ヴェローニカ様を処分することができ、フェルディナンド様は貴族社会へ復帰された。ヴェローニカ様が生きている間は神殿を出ることはできないと考えていたので、あまりにも早い復帰に喜びよりも驚きと困惑の方が大きかったくらいだ。


 そして、姫様は庇護されるだけではなく、フェルディナンド様を庇うようになった。「質問があるならば文官が神殿へ足を運べば良いでしょう」と城からの呼び出しを減らし、「後進を育てなきゃダメですよ」と青色神官達を教育させることで神殿での業務を減らしていく。


「どちらもフェルディナンド様の臣下であった自分達にはできなかったことだ」

「我々は苦言を呈することはできても、実行するか否かはフェルディナンド様次第だからな。ローゼマインは領主の養女や神殿長という立場を使って強引に実行してしまう。怖いもの知らずだと思うが、フェルディナンド様にはそれが良かったのだろう」


エックハルトの言葉に、神殿で接することで慣れているフェルディナンド様だけではなく、アウブにも交渉した姫様のことを思い出す。私でも躊躇することを姫様は当たり前の顔で行うのだ。


「姫様の、あの怖いもの知らずな性格はどこから来たのだろうな?」

「青色巫女見習いになる時も威圧で前神殿長を失神させて力ずくで入ったとフェルディナンド様がおっしゃっていたではないか。元からだろう」


 普通の平民ならば恐縮するだろう。貴族として生きていくことになっても負い目を感じ、貴族らしい振る舞いがそう簡単にできるとは思えない。けれど、姫様は普通ではなかった。洗礼前の教育によって立ち居振る舞いや言葉遣いを急速に改め、貴族らしく見えるようになった。その立場に相応しい言動を難なく行い、アウブに交渉することも厭わない。


「貴族らしく見えるだけで常識の大部分が平民時代に形成されているため、相変わらず突飛な言動は多いが、姫様のそういうところもフェルディナンド様は気に入っているのだと思う。……フェルディナンド様にとって、予想外とか、難しいと思えることは少ないからな」


 虚弱で目を離せば死にかけ、次から次へと厄介事を持ってくる存在だ、とフェルディナンド様は姫様のことを語る。だが、姫様が体調を崩すことなく目的を遂げた時、報告を受けたフェルディナンド様は満足そうな顔をするし、神殿で行われている何ということはない二人のやり取りを見ていれば、日常の刺激には程よい存在なのだろうと思う。


「家族同然という言葉がフェルディナンド様の口から出た時は我が耳を疑ったが、アーレンスバッハへ向かうフェルディナンド様の世話を焼くローゼマインを見ていると、本当に家族のように見えた」

「平民は我々の家族関係より距離が近い。姫様はおそらく自分が平民の家族にしてもらったことをしただけだ。家族同然のフェルディナンド様に」


 名を捧げた臣下でもなく、血を分けた家族でもない赤の他人に心配され、大事にされたことなどフェルディナンド様にはなかったし、親切の裏を読まずにいられなかった生い立ちだ。裏を読まずに接することができる姫様をどれほど大事にしていたのか、ずっと側に仕えていた私は知っているが、多分、フェルディナンド様本人は自覚していないと思う。


「エーレンフェストのため、アウブのため……何かの理由がなければ動けぬ方だからな。あのままエーレンフェストで穏やかに過ごすことができれば良かったのだが……」

「だが、もうアーレンスバッハへ来てしまった。エーレンフェストに戻ることはできないだろう」


 私はそう言いながらナイフを取り出し、木札の表面を削っていく。書かれていた文字が古ぼけた表面と共に削り落とされていった。次にまた書き込めるように木札の表面を整えると、木くずをまとめて燃やす。


「ローゼマインに何事もなければ良い。あのお守りでもどうにもできない事態になれば、フェルディナンド様自身が飛び出して行きそうだ」

「姫様にはハルトムートがいる。平民出身であることを自力で突き止め、その上で黙秘して立ち回れる男がいるのだから、あちらはそれほど心配いらないだろう」


 孤児院での聞き込みや商人とのやり取りの中から自分で正解を導き出し、どのように立ち回れば良いのかフェルディナンド様に質問してくるような側近が姫様にはいる。下町の家族に比べれば距離感はあるが、貴族間で考えるならば良好と言える関係の家族もいる。まだ頼りない、と言われる婚約者のヴィルフリート様も同じ年頃の子供と比べればずいぶんとしっかりしてきた。


「姫様よりもフェルディナンド様の方がよほど心配だ。面倒で小うるさいと評していた姫様が無意識のうちに惜しみなく与えてくれていたものに対する喪失感を覚えるのはこれからだ。レティーツィア様が姫様の代わりになれば良いが、無理だろう。彼女は生粋の貴族だ。貴族なりの信頼感は得られても、あの姫様の代わりにはなれない」

「ディートリンデ様は言うに及ばず、だな」


 そう言うエックハルトの顔が険しくなる。

 自分が次期アウブだから、下位であるエーレンフェスト出身で母もない愛妾の子だから、とディートリンデ様はずいぶんとフェルディナンド様を下に見ている。「婚約者なのですから、わたくしの役に立ってくださいね」と言っていた顔が、「アウブの子として引き取るのですから少しは役に立ってもらわなくては」と言っていたヴェローニカ様にそっくりすぎて、私でも嫌悪感を覚えたほどだ。


 貴族院に向かってディートリンデ様が出発されると、フェルディナンド様は少し肩の力を抜かれたようだった。ヴェローニカ様によく似たディートリンデ様にずっと周囲にいられるのはかなり負担が大きいように見える。

 冬の間は良いが、今年でディートリンデ様は卒業である。ずっと一緒にいることになって、フェルディナンド様は大丈夫だろうか。これから先の生活が非常に不安で仕方がない。




「ユストクス、貴族院のライムントから手紙が届いています。中にエーレンフェストのローゼマイン様のお手紙も同封されているようです」


 ゼルギウスが一通の手紙を持って来た。執務中のフェルディナンド様は少し顔を上げてちらりとその手紙を見て、「緊急ではないのだろう?」とだけ言って、視線をまた書類に落とす。


「ゼルギウス、其方が読んで返事のたたき台を作っておいてくれ。ローゼマイン向けの返事はユストクスに尋ねれば良かろう」

「かしこまりました」


 すでに検閲を受けているのは封が開いている状態でわかった。私はゼルギウスと共にライムントから届いた手紙に目を通す。

 ライムントが書いていたのは、これから開発する魔術具についての見解や質問だった。そして、姫様は取り留めもない日常とフェルディナンド様への心配がずらずらと並んでいる。


「貴族院に到着しました。フェルディナンド様の詰め込み予習のおかげで、今年も全て初日合格したのですよ。どうです、すごいでしょう?」


 これは素直にすごいと称賛できる。フェルディナンド様の詰め込み速度について行ける姫様は本当に優秀だ。本人は「無理ですよ」と口で言っているけれど、ぶつぶつと言いながらこなしてしまう。


「この部分の返答にはフェルディナンド様からの褒め言葉が必要ですね。フェルディナンド様はどのように褒めるのでしょう?」

「全て初日合格したのでしたら、大変結構……ではないでしょうか?」

「……ユストクス、他には? まさかそれだけではないですよね?」

「それだけです。他の褒め言葉としては、よろしい、良いのではないか、悪くはない、予想通りの結果だ、などがありますが、今回は素晴らしい成果なので最上の褒め言葉にするのが良いでしょう。……あぁ、レティーツィア様を褒める時も似たような言葉しかかけないでしょうから、その辺りで誤解が生まれないようにあちらの側近達と調整をよろしくお願いします」


 ゼルギウスは呆然とした様子で「たったこれだけの褒め言葉なのですか」と呟いた。フェルディナンド様に褒め言葉など期待してはならない。これ以上をねだれば、先代アウブにご自分がいただいた言葉がそっくりそのまま出て来るだけなのだ。私は姫様の手紙の先を読む。


「図書館に新しい司書の方が来たので、今年は心置きなくヒルシュール先生の研究室に籠れそうです。あまりに汚く資料が散らかっているので、思わず側近達と共に整理を始めました。研究室の専属司書になった気分で楽しいですよ。昔はフェルディナンド様がこの役目をしていたとヒルシュール先生がおっしゃいました。師弟でよく似ているのですって」


 資料を紛失するのが許容できないフェルディナンド様は仕方なく整理していたが、姫様はとても楽しんでいるようだ。


「ユストクス、この部分の返答はどうすれば良いですか?」

「そうですね。フェルディナンド様ならば、邪魔にならない程度にするように、とおっしゃるのではないでしょうか」

「……この返事にお小言ですか?」


 ゼルギウスは何度か目を瞬いているが、姫様とフェルディナンド様の会話は基本的にお小言で締めくくられる。これで返事としては間違いないはずだ。

 その続きにはフェルディナンド様を心配する言葉が並んでいた。


「フェルディナンド様は執務のし過ぎで薬漬け生活になっていませんか? きちんと睡眠時間は確保していますか? 食事は摂っていますか? この研究室を見ていると、とても不安になりました。健康第一で過ごしてくださいね」


 さすが姫様。これを読んだフェルディナンド様が嫌な顔をしそうなくらいに当てている。

 ゼルギウスが困惑した顔で私を見た。


「ユストクス、この返事はどうすれば良いですか? ありのままは書けませんよね?」

「この手紙をフェルディナンド様に見せて、面倒でも食事と睡眠を確保しなければ私からも姫様に手紙を書きます、と言えば少しは改善できるかもしれません。この部分の報告はフェルディナンド様ご自身に任せましょう」


 妙なところで鋭い姫様をフェルディナンド様がどのように誤魔化すのか、非常に楽しみである。今日は普通に食事も睡眠もとってくれそうで、私はニンマリと笑いながら手紙の続きに目を通した。


「あぁ、そういえば、アーレンスバッハでフェシュピールの演奏をなさったのですね? ゲドゥルリーヒに捧げるとても熱烈な恋歌を作ってくれた、と親睦会でディートリンデ様が自慢していらっしゃいました。その辺りもぜひお手紙で報告してくださいませ。お返事待ってます」


 ……ゲドゥルリーヒに捧げる熱烈な恋歌?


「最後に弾かれた新しい曲ですね。やはり女性はあのように恋歌を捧げられると嬉しいのでしょう。ディートリンデ様はとても喜んでいらっしゃいましたし、女性は皆うっとりとしていました。フェルディナンド様のフェシュピールは相変わらず素晴らしい腕前です」


 ゼルギウスの言葉に私は姫様に贈られ、フェルディナンド様が編曲された郷愁の歌が熱烈な恋歌と解釈されていることを知った。



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