わたくしの主はローゼマイン様です
本編に入れるには冗長すぎたのでバッサリとカットしたローゼマインとフィリーネの出会いです。
わたくしはフィリーネと申します。下級貴族ですが、ローゼマイン様の側近の文官見習いです。
初めてわたくしがローゼマイン様とお会いしたのは、冬の洗礼式とお披露目の日です。わたくしはその日、お父様に連れられて、初めてお城へと行きました。雪がちらつく寒い中を馬車に乗って向かうのです。亡くなったお母様が幼い頃に着ていた衣装を少しお直しした晴れ着は、わたくしの心を浮き立たせてくれました。
城に着くと、洗礼式に出席することを入り口付近にいる文官に告げます。すると、待合室の場所を教えられ、そこへ行くようにと言われました。
待合室に行くと、何人もの子供達が付き添いの大人と一緒にいます。わたくしの付き添いは父方の祖母の妹である大叔母様にお願いしていました。我が家では城に上がれるような貴族の側仕えを準備することは難しいのです。
「フィリーネ、ここに集まっている子供達は貴女の同級生になります。粗相をしないように気を付けるのですよ」
階級を考えると、わたくしが一番下の下級貴族になるので、言動には気を付けるように、と何度も言われています。わたくしは大叔母様の言葉にコクリと頷きました。
子供が何人もいる中で一際目立っていたのが、ローゼマイン様でした。遠目にも艶があるのがわかる、夜空のような色合いの紺の髪を複雑に結って、見たことがないような豪華な髪飾りを付けています。背にサラリと髪を流し、おっとりとした様子で椅子に座って、窓の外を眺めていらっしゃいました。
着ている衣装もこの日のために誂えたのがわかる、美しい布を使った新品です。ローゼマイン様の鮮やかな赤と自分が着ている少し色褪せた赤を見比べてしまいました。
「……あの女の子は上級貴族ですよね?」
「アウブ・エーレンフェストの養女で、ローゼマイン様ですよ。あまりじろじろと不躾な視線を向けないようになさい」
大叔母様にそう言われても、同じ年の女の子が珍しくてどうしても視線が向かいます。お母様が亡くなる前は時折お母様のお友達が子供を連れて遊びに来ることがありましたし、その時には近い年頃の子供と遊びました。けれど、お父様が再婚したヨナサーラ様もそのお友達はまだ若く、同じ年頃の子供はいないのです。わたくしが普段接する子供はやっといくつかの言葉を喋るようになってきた弟のコンラートだけでした。
……下級貴族の子は下級貴族の子と遊ぶようにしなさい、って大叔母様は言うけれど、どの子が下級貴族の子なのかわかりません。
窓から視線を外し、部屋の中をゆっくりと見回したローゼマイン様は、とても綺麗な顔立ちをしていて、楽しそうに輝いている金色の瞳がとても印象的だと思いました。
目が合ったローゼマイン様が軽く手を振って微笑みかけてくださいましたが、どのように対応するのが失礼ではないのかわからなくて戸惑ったことを今でも覚えています。ローゼマイン様の人となりを知った今ならば、手を振り返し、微笑み返せばよかったとわかるのですけれど。
洗礼式は言われていた通り、練習した通りにすることで、無事に終わりました。その後はお披露目です。神々に音楽を奉納するためにフェシュピールを弾くのです。
「フィリーネ」
神官長に呼ばれて、わたくしが舞台の中央に準備された椅子に座ると、ヨナサーラ様がフェシュピールを持って来てくれました。わたくしのお母様が昔使っていた子供用のフェシュピールで、ヨナサーラ様に教えてもらって練習した曲を弾くのです。
「フィリーネ、よくできましたね」
「貴族の子として恥ずかしくない出来でしたよ」
「あぁ、よく弾けていた」
出番を終えて舞台から降りると、ヨナサーラ様と大叔母様とお父様がそう言って褒めてくださいました。そして、壇上で次の子がフェシュピールを奏でるのを聴きます。順番が後になるほど曲が難しいものになっていくのがわかりました。
……わたくしも大変でしたけれど、上級貴族の子はどのくらい練習したのでしょうか。
教師や楽器の質が違うことも知らず、その時は素直に感心していたのです。
お披露目の最後に演奏するのはローゼマイン様でした。呼ばれて舞台の中央へと歩く姿もゆったりとして優雅で椅子に座る所作さえ、わたくしとは全く違うように見えました。
アウブ・エーレンフェストからローゼマイン様が養女になった経緯が語られました。領主の養女となるに相応しい魔力を持ち、孤児達を救おうとする慈悲の心と、新しい産業を作り出す優秀な子供で、エーレンフェストの聖女であると紹介されます。
けれど、静かに笑っているローゼマイン様は確かに美しい女の子ですが、それほど特別には見えませんでした。周囲の大人にも疑わしげな空気が漂っているのがわかります。
そんな中、若くて美しい専属楽師が持ってきた豪華なフェシュピールをローゼマイン様が構えます。ピィンと高い音が響きました。弾かれる曲は段違いに難度が高く、美しい旋律で、そこに幼い歌声が加わります。
「ほぅ、これはすごい……」
「貴族院に入った後で課題として出されるような曲だぞ」
「確かにとても優秀であることに間違いはないようだな」
そんな声が周囲から聞こえてきました。一人だけ格別に上手であることに周囲から感嘆の息が漏れています。
「……え?」
わたくしは何度か目を瞬きました。フェシュピールを奏でるローゼマイン様の指輪から青い祝福の光が溢れたように見えたのです。目の錯覚かと思いましたが、近くにいた者の口から「祝福?」という小さな呟きが漏れて、自分だけが見えるものではないとわかりました。
ローゼマイン様の祝福はフェシュピールを奏でる一音一音と共に溢れ、ぶわっと大広間へ広がっていきます。このように大規模な祝福の光を見るのは初めてで、わたくしは呆気にとられていました。
呆気にとられていたのは、もちろんわたくしだけではありません。お父様も大叔母様もヨナサーラ様も、それ以外の方も皆です。ローゼマイン様の演奏が終わったことにさえ気付かず、上を見上げていました。
「エーレンフェストに恵みをもたらす聖女に祝福を!」
突然聞えた声に舞台へと視線を戻すと、ローゼマイン様は神官長に抱き上げられていました。周囲の貴族達が一斉にシュタープを掲げて光らせます。
「なるほど、聖女だ」
「すごい祝福だった。まさに神の
周囲の驚きの視線の中、ローゼマイン様は穏やかな笑顔で手を振りながら、退場していかれたのです。
「本当に聖女がいるのですね」
「魔力量が多いのは間違いがないな。あのような祝福を見たのは初めてだ。……ただ、いくら慈悲深いと言われていても、下級貴族への対応が変わることはない。貴族院でも同級生になるからこそ、対応には気を付けるように」
お父様に注意され、わたくしは次の日に気を引き締めて子供部屋へ向かいました。階級ごとに分かれるような形になり、上級、中級貴族にはどのように扱われても決して逆らってはならないと言われています。
上級の庇護が得られるまで、下級貴族にとってはとても辛い場になると大叔母様に言われました。
ですが、話に聞いていた子供部屋とわたくしが経験した子供部屋は全く違いました。ローゼマイン様が持ち込んだカルタやトランプに皆が熱狂し、階級に関係なくお菓子が配られていきます。
そして、先生が神様に関する絵本を読んでくださって、基本文字や簡単な計算のお勉強をするのです。フェシュピールもローゼマイン様やヴィルフリート様の専属楽師が教えてくれました。わたくしはそこで初めて楽器や教師の質に差があることを知ったのです。
皆が揃って勉強している中、ローゼマイン様は一人だけ城の図書室から借りてきた難しくて分厚い本を静かに読んだり、新しい本を作るためのお話を書いたりしていらっしゃいました。
一人だけ全く進度の違うお勉強をし、神殿長としての務めも果たし、たまにゲームに参加すれば全勝し、お披露目でフェシュピールを弾けば祝福が飛び出すのですから、エーレンフェストの聖女と言われても、もうわたくしには何の違和感もございませんでした。
「フィリーネ、お母様のお話を教えてちょうだい」
ローゼマイン様はそう言って、亡くなったお母様が話してくれた物語を書き留めてくださいました。お母様がしてくださったお話は、もう他の誰も語ってくれません。それをローゼマイン様が喜んで聞いてくださったのが、わたくしには本当に嬉しかったのです。
「フィリーネはこちらを書写して文字を覚えるといいですよ。きっとよく覚えられるでしょう」
ローゼマイン様は書き留めたお母様のお話を文字の練習に使うように言って、紙をたくさんくださいました。同じ年とは思えない程に書き慣れた見事な手跡で、基本文字が書けるようになったばかりのわたくしはローゼマイン様の手跡を手本に文字を覚えたのです。
「次の冬までにフィリーネが覚えているお母様のお話を書いていらっしゃい」
ローゼマイン様の計らいで、お母様のお話と引き換えに聖典絵本を借りることができたわたくしは、ローゼマイン様に喜んでもらおうと思って、覚えているだけのお話をいただいた紙に書いていきました。
それを書き留めている時だけは本当に幸せで、亡くなったお母様が側にいてくれるような気持ちがしていたのです。この時にはもうわたくしはローゼマイン様を自分の主とし、仕えたいと思っていました。
紙が足りなくなった分はお父様に頼んで木札を準備してもらい、拙い文字でいくつも書いたお話を抱えて次の年に子供部屋へ向かいました。
ところが、そこにローゼマイン様の姿はありませんでした。何者かに襲撃されて、毒を受け、いつ目覚めるのかわからない眠りについてしまったのです。
ローゼマイン様の代わりをしようと奮闘するヴィルフリート様とシャルロッテ様をわたくしはできるだけ手伝いました。子供部屋をローゼマイン様がいた時と同じようにしておきたかったのです。
ローゼマイン様がやるようには上手くできず困っている時に助けてくれるのは、いつもダームエルでした。神殿時代からローゼマイン様に仕えていたダームエルは、質問されるまでは静かに控えているのですが、相談すると素早く対応してくれます。
「ダームエル、お願いしても良いですか?」
「もちろんです、シャルロッテ様」
下級貴族ながらローゼマイン様の護衛騎士となったダームエルはシャルロッテ様やヴィルフリート様からも信頼されていて頼もしく、同時に羨ましくて仕方がありませんでした。
「下級貴族でもローゼマイン様の側近になれるのですね。わたくしもローゼマイン様にお仕えしたいです」
「何のために? フィリーネはローゼマイン様のために何ができるんだ?」
ダームエルは子供の戯言と流さずに、真面目な顔でそう尋ねました。わたくしがローゼマイン様のためにできること、と考えて、視線が向かったのは、ローゼマイン様に見せるために書いた紙の束です。
「お話を集めます。ローゼマイン様は新しいお話をすると、とても喜んでくださるから、わたくし、ローゼマイン様のためにたくさんお話を集めたいのです」
「それは喜ぶだろうな。……ローゼマイン様は身分で人を選ばないから、フィリーネの努力を認めれば、きっと側近に加えることも考えてくださる。できるだけ努力するといい」
ダームエルの励ましの言葉を胸に、わたくしはローゼマイン様が目覚めるまでずっとお話を書いていきました。
「フィリーネはどうしてそのようにお話を書いているの?」
シャルロッテ様に尋ねられ、わたくしは自分が書いていた木札へと視線を落とします。
「ローゼマイン様に捧げるためです。目覚めた時に差し上げて、喜んでいただきたいのです」
「あら、それはお姉様の側近になろうと思っているということ?」
驚いたように藍色の目を見開くシャルロッテ様に、わたくしの方が驚いてしまいました。下級貴族が領主一族の側近になれるはずがありません。ダームエルが護衛騎士としてローゼマイン様の側近に入っているのは、神殿時代からローゼマイン様に仕えていることと、神殿に出入りするのを忌避する騎士が多いせいです。
そんなダームエルでさえ、ローゼマイン様が領主の養女となって一年以上が過ぎたところで、中級や上級騎士と交代の話が出たそうです。ローゼマイン様が長い眠りにつかれたため、交代させられていないだけなのです。
「ローゼマイン様が目覚めれば、下級騎士であるダームエルは交代させられると聞いています。わたくしも下級貴族なので、ローゼマイン様の側近になれるとは考えていません。でも、そのようなことは関係ないのです。わたくしがローゼマイン様に仕えたいのです」
「何故フィリーネはそれほどお姉様に仕えたいと思うのですか? 接したのは一昨年の子供部屋だけなのですよね?」
わたくしはそっと木札を撫でました。
ローゼマイン様が書き留めてくださったお話は、紙や木札に残っています。何度読み返しても、お母様の優しい語り口調が頭の中に浮かびます。けれど、残せなかったお話は記憶の中で薄れ、もう思い出せないお話がいくつもあるのです。
「お母様のお話を喜んで聞いてくれ、書き留めて残してくださったことでお母様をわたくしに残してくださいました。他の誰にもできないことをしてくださったローゼマイン様がわたくしの主なのです」
そして、今。わたくしはローゼマイン様の文官見習いとしてお仕事をしています。ただ、未だにわたくしは何故自分がローゼマイン様の側近に選ばれたのかわかりません。けれど、ローゼマイン様に不要と言われるまではできるだけのことをしていきたいと思っているのです。
「フィリーネ、やり直しだ」
神殿でのお手伝いでは計算を任されていますが、わたくしはまだお手伝いというよりも計算練習をさせられている状態です。確かめ算をしたフェルディナンド様に無表情で突き返されることの方が多いのです。
お城で見かけるフェルディナンド様は穏やかな顔をされていますが、神殿にいる時のフェルディナンド様は基本的に無表情で、眉間に皺を寄せた難しい顔が多いです。顔立ちが整っているだけに、じろりと見られると睨まれているようで心臓が縮み上がる気分がします。
ローゼマイン様は「大丈夫ですよ、フィリーネ。フェルディナンド様の無表情にはそのうち慣れますし、笑顔の方が怖くなりますから」とおっしゃいました。意味が理解できないのは、わたくしがまだ側近として不出来なせいでしょう。
「またやり直しでした」
突き返された木札を持って自席に戻ると、わたくしとは違って仕事を任されているハルトムートが片方の眉を上げました。
「フィリーネはもう少し落ち着いて計算機を使うといいよ。桁を間違えていることが多いみたいだ」
「指の動きは速くなっているから、間違いに気を付けるようにすればいい。大丈夫だ。フェルディナンド様のあの顔は別に怒っているわけではないから」
一緒に計算を任されているダームエルに励まされて、わたくしは大きく頷きました。怒っているようにしか見えませんけれど、ダームエルがそう言うならば怒っていないのでしょう。
「頑張ります」
わたくしが最初から計算し直していると、ローゼマイン様が立ち上がってフェルディナンド様に何かの書類を差し出しました。目を通したフェルディナンド様が「大変結構」と言って、次の書類を渡しています。「大変結構」と言う時はほんのちょっとだけ目元が優しげに見えます。気のせいかもしれないと思うくらいの変化ですけれど。
「本来は神殿長の仕事だ。やってみなさい」
「……これはまた厄介ですね」
フェルディナンド様は容赦なく仕事を割り振っていきますが、ローゼマイン様はそれを確実にこなしていきます。わたくしもローゼマイン様の側近として、少しでもお役に立ちたくて頑張っているつもりですが、まだまだお役には立てていません。
「フィリーネは結構頑張っているよ。貴族院で集めたお話をローゼマイン様はとても喜んで読んでいたからね」
「……ハルトムートもたくさんお話を集めたのですね」
ローゼマイン様が喜ぶように、とお話を集めているわたくしと違って、ハルトムートはローゼマイン様の聖女伝説がどのようにできたのかを書き溜めているのです。孤児院や工房の灰色神官や側仕え達から聞きだせる話は城でのローゼマイン様とは全く違っていて興味深い、とハルトムートは大喜びで神殿に来ています。
「ハルトムート、どこに行くのですか?」
「孤児院だ。あそこにはローゼマイン様の側仕えのヴィルマと、元側仕えのデリアがいる。二人の話はとても面白いよ。同じ状況の話でも、距離や立場によってローゼマイン様への印象が全く違うからね」
ハルトムートはフェルディナンド様やローゼマイン様から、わたくしよりも多くの課題を与えられています。けれど、ハルトムートはさっさと終わらせて、灰色神官達の仕事も手伝いながら話を聞きだしているのです。
最初は貴族ということで緊張していた側仕え達から多少の緊張が取れたのはハルトムートが気さくに話しかけ、「ローゼマイン様のすごいところ」で盛り上がっているせいだと思います。
でも、ハルトムートに言わせると、それは全てユストクス様から教えられた技だそうです。情報のためならば女装もなさるユストクス様がどういう方なのか、わたくしにはわかりません。
「ローゼマイン様が本から視線を上げるまでには戻るよ。フィリーネはダンケルフェルガーの写本を頑張れ」
ハルトムートが孤児院や工房、神殿長室でローゼマイン様の話をして盛り上がるのはいつもローゼマイン様が本に集中している時だけなのです。一体どのようにして測っているのか、ローゼマイン様が読書を止める前には話は終わっていますし、別のところに行っていても戻ってきています。
そんなハルトムートの優秀さに、わたくしは自分の至らなさを見せつけられる毎日なのです。
5万ポイント記念SSです。