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フラン視点 神殿の変化

第三部の初めの頃、ローゼマインが貴族街へ移動してすぐの神殿の様子です。

 マイン、いえ、ローゼマイン様が貴族街へと出発された翌日、神殿長の部屋の鍵が開けられました。

 まず、書類や祭壇の飾りなど、神殿長の職務に必要な物を選別して運びだし、残った家具や私物を運び出さなければなりません。


「フラン、其方達は祭壇を片付けろ。我々は書類を片付ける」

「かしこまりました」


 神官長がほとんどの職務を請け負うことになるので、神官長とその側仕えが率先して書類整理をしています。

 神官長の筆頭側仕えであるアルノーの姿が見当たらないことに首を傾げつつ、私はモニカとギルと一緒に布で丁寧に聖典や祭壇の上の燭台などを包み、保管しておくための木箱に納めていきます。

 そして、ローゼマイン様のお部屋に新しく注文する家具の参考とするため、様々な家具の寸法を測り、書字板に書き込んでいきました。


「書類関係はこのくらいか……。予想以上に少ないな」


 神官長はそう呟きながら、神殿長の部屋を出て鍵を閉めます。

 書類や道具の入った木箱を運ぶように命じていた神官長が私を呼び止めました。


「フラン、明日は私の部屋に来なさい。神殿長の家具を下げ渡すための打ち合わせとローゼマインが行う神殿長の職務について話がある」

「かしこまりました」


 私は頷くと、孤児院長室へと戻りました。そして、本日測った寸法を、ロジーナが書いていた家具の寸法と見比べて、訂正していきます。領主の養女となるローゼマイン様の家具は見栄えや価格はもちろん、寸法もきちんと準備しておかなければならないのです。


「フラン、ちょっと工房を見てくる」

「ギル、また言葉遣いが荒くなっていますよ」


 私の注意にギルが一度息を吸って訂正します。


「工房の様子を見てきます」

「ローゼマイン様がいらっしゃらない間、工房に関しては貴方に任されています。けれど、一人だけで何とかしようとするのではなく、他の灰色神官にも仕事を割り振れるようになってください。貴方は神殿長の側仕え見習いとなるのですから」

「……いってきます」


 家具の注文票を書き終える頃には、ギルが工房から戻ってきました。

 側仕え皆でモニカとニコラが作った食事を頂きます。ロジーナとデリアがいなくなり、代わりにニコラとモニカがいる食堂は不思議な感じがしました。


 夕食を終えると、すぐに神の恵みを孤児院に運んでいきます。ヴィルマとフリッツが駆け寄ってきて、すぐに神の恵みを受け取ってくれました。ぐるりと孤児院を見回しますが、特に問題なく動いているようです。


「ヴィルマ、問題はありませんか?」

「そうですね。デリアが少し気になります。ディルクの世話を一人で抱え込んでいるのです。その内、倒れそうで……」


 デリアの名前を聞いて、私はわずかに眉を寄せました。正直なことを言ってしまうと、私はデリアが苦手です。女を武器に神殿長に取り入ろうとしていた姿勢も、仕える主ではなく、ディルクを最優先にした言動も、自分とは相容れないのです。


 主を裏切ったデリアがどうなっても、私は構わないのですが、領主に対して命乞いをしたローゼマイン様はデリアとディルクに何かあれば気になさるでしょう。


「デリアが倒れるまでは好きにさせた方が良いと思います。恐らく今は何を言っても無駄ですから。彼女は倒れるまで周囲の心配りには気付きません。倒れた時にディルクの面倒を見る者やデリアの面倒を見る者を決めて準備しておけば良いでしょう」

「そうですか。わかりました」


 ヴィルマは心配そうに眉を寄せながらも、私の助言に頷きました。




 次の日は神官長に呼ばれているので、私は厨房にいるモニカとニコラに声をかけました。


「モニカ、ニコラ。私は神官長に呼び出されているので、貴族区域に向かいます。料理の間に余裕ができれば、ローゼマイン様の私物を移動できるように木箱に詰めていってください」

「わかりました」


 二人の返事に頷くと、私は神官長の部屋へと向かいます。

 私が入室を許可された時、神官長は忙しそうにいくつもの木札や書類を仕分けしていました。神殿長の部屋から持ち出した物でしょう。


「フラン、わざわざすまないな」

「いいえ、どのようなご用件でしょうか?」


 神官長の側仕え達と共に、神殿長の部屋から運び出す家具の処分について話し合いました。ご実家の方では神殿長の荷物を引き取ることはなさらないようで、基本的には青色神官に家具を下げ渡すことになります。

 どのような順番で家具を見せるのか、誰がそこについて監視するのかなどを話し合った後、神官長は軽く手を振りました。


「ローゼマインが神殿長として行う儀式の話をする。其方らはそれぞれの仕事に戻るように」


 神官長の前に残ったのは私だけで、神官長の側仕え達はすっと執務机から遠ざかっていきます。

 書字板を取り出した私を神官長はちらりと見ました。少しばかり言いにくそうに、眉を寄せ、ほんの少し声を潜めます。


「フラン、アルノーから事情を聞いた」


 ざわりと肌が粟立ち、ゴクリと喉が鳴りました。神官長に事情を聞かれたら話す、とアルノーには言われていましたが、実際そうなってしまうと神官長の前に立っているのも許されないような気がして、思わず一歩下がってしまいました。


「知らなかったとはいえ、青色巫女に仕えるのは苦痛に思うところもあっただろう。フラン、其方はこれから先もローゼマインに仕えられるか? 私に仕えていた頃と同じように、ローゼマインを自分の主とすることができるか?」


 過去の一切を語ることなく、神官長は金色の目で静かに私を見据えて、先のことを尋ねます。今までのことは関係がない、と言外に言われ、私は軽く安堵の息を吐きました。


「神官長のおっしゃる通り、初めは陰鬱な気持ちになりました。青色巫女見習いの側仕えとして孤児院長室で過ごすことになったのですから」


 ローゼマイン様の個室として与えられた孤児院長室は家具や食器さえもそのままで、嫌でも思い出を引きずる場所でした。けれど、主が違うだけでここまで違うのか、と驚愕したのはすぐでした。

 ローゼマイン様は神殿から出ることを許されていなかった灰色神官を下町に連れ出し、孤児院や工房に平民のやり方を取り込んでいきます。どんどんと自分の周囲が変わっていくのが目に見えてわかりました。

 次々と新しいことを始め、神殿にはなかったことを取り込むローゼマイン様に順応することに手一杯で、とても過去を思い出している余裕などなかったのです。


「ローゼマイン様はマルグリット様と全く違います。自分の利となるように孤児院を使うのではなく、孤児院を少しでも良くしようと奮闘されていらっしゃいます」


 自分の好きなように孤児達を動かせるから。

 孤児院に与えられた金額を着服し、利益を得ることができるから。

 役職に就いていた方が多くの補助金が回ってくるから。


 そのような理由で孤児院長の役職に就いていた他の者とローゼマイン様は全く違いました。

 自分の身銭を切って孤児達を救い、自分達で生きていけるように仕事と生活の術を与えたのです。ローゼマイン様が神殿長や青色神官に隠しつつ、やりきったことの貴重さと素晴らしさは、孤児院で育った者にしかわからないでしょう。


「孤児院では灰色神官を初め、見習いも子供達も皆が感謝し、慕っています。驚かされることも多いですが、私はこれからもローゼマイン様のお役に立ちたいと思っております」

「そうか。ならば、良い。青色巫女に色々と思うところがあるらしいアルノーは遠ざけることにしたが、フランはこれからもローゼマインに仕えてくれ」


 神官長は軽く息を吐いた後、私達ローゼマイン様の側仕えがしておかなければならない仕事と、領主の養女にお仕えするための心構えについて話してくださいました。


「貴族社会では些細な失敗が取り返しのつかない汚点として残る。それを念頭に置き、ローゼマインに仕えるように。命令を唯々諾々と聞いていれば良いのではない。ただの貴族ではなく領主の養女として相応しい成果を残せるように厳しく導いて欲しい」

「かしこまりました。誠心誠意お仕えいたします」


 神官長は深く一度頷くと下がるように、軽く手を振りました。私は手を交差させて跪くと、神官長の部屋を出て、孤児院長室へと戻ります。


 ……領主の養女に相応しい成果。


 ローゼマイン様は貴族の常識が足りず、巫女見習いとしての経験も知識も不足していらっしゃいます。神殿長として領主の養女に相応しい成果を残せるように補佐することが、私の役目でしょう。


 部屋に戻ると、すぐさま木札に神殿長が行う神事を書き出しました。

 ローゼマイン様が神殿長として初めて民衆の前に立つのが星結びの儀式です。そこで失敗することだけは避けなければなりません。


「モニカ、手伝ってください」


 私は厨房にいたモニカを助手にして、木札に儀式に関することを少しでもわかりやすくなるようにまとめ始めました。一年間の儀式がたくさんあり、それぞれの儀式で憶えなければならないことがあります。

 神殿長の役職をこなさなければならないローゼマイン様が万が一にも失敗などしないように、全力で補佐しなければなりません。


 私と同じローゼマイン様の側仕えであるギルは、ローゼマイン様の一番の関心事である本の制作に関わり、お役に立っています。

 ならば、私はローゼマイン様の筆頭側仕えとして、神殿長の補佐という仕事に全力で取り組まなければならないでしょう。


「これだけ憶えなければならないローゼマイン様は大変ですね」


 モニカの言葉に私は一度頷きました。

 すでに木札が三つ、積み上がっています。

 神殿に戻ってきたら、図書室に籠ろうとするに違いないローゼマイン様を押さえて、憶えてもらわなければなりません。


「ローゼマイン様が不在の間に、本に突進するローゼマイン様の押さえ方を考えなければなりませんね」


 私の呟きを拾ったモニカが小さく笑って頷きました。


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