思い出博物館

作者: 藤野一花

──当店は人々の記憶から消された、忘れられたものたちを保管しております。お心当たりがある方は、是非ご連絡くださいませ。

思い出博物館館主



「あれ、ここはどこだろう」

 僕は呟いてはじめて、ようやく竹林の前で自分が迷ってしまっていることに気付いた。

 つい最近、引っ越して来たばかりの僕にとって、ここの地理は少し難しかったようだ。入り組んだ道や似たような所が多いので迷いやすい。ましてや、建物ばかりが目立つ都会から、この田舎に来たので余計かも知れない。

「はぁ……。いつから間違ったんだ? 全然思い当たらないしさぁ。だから嫌なんだよ、こういう田舎は」

 僕はぶつぶつと文句を言いながら、取りあえず歩いた。竹林に沿って真直ぐ。

 歩く度にズボンのポケットに入った小銭がカチャカチャと音を立てた。気になってそれを取り出すと、一緒に方位磁石が出て来た。この町に来たとき、父が真面目な顔をしてこれを渡したのだ。

『お前はこういう所ははじめてだから、これ持っておけ。何かの時役に立つ』

 そう言って。

 父よ、ここはどれだけ田舎なんですか……。

 その時は、半ば言葉を失いかけながら受け取ったのだけれど、まさか、その“何か”がこうして訪れようとは。

 そして、問題がひとつ。

 どっちの方角に向かえば家に辿りつけるのだろうか。

 それよりだ。かなり根本的な問題。……地図すら無いままの方位磁石の使い方がそもそも、僕には全く分らないんですけど。

 本気で泣きたくなってきた。



★☆★



 しばらく歩くと突然、不思議なものが目に飛び込んで来た。

 それは店のようだったけれど、道に迷っていることも忘れてしまうくらいに、奇妙な店だった。

 店の名は──

「思い出…博物館?何だろう、これ」

 僕は半分、好奇心で店の扉に手をかけた。木で出来た扉はたてつけが悪くなっているのか、ガタガタ音を立てながら、やっと開いた。

 店の中は例えるならば、骨董品店のようなイメージ。せまい店内に棚や硝子ケースがあり、そこに色々なものが所狭しと置かれている。

 一言で言うならば――、

 うろんな場所。

 そんな風にしか言い様が無い。それより、うろんって言葉自体、いまや骨董品並に古いよな……。

「いらっしゃいませ」

 そんな下らない考えに思いを巡らせながら周りを眺めていると、主人だろう。背の高い男性がにこやかに笑いかけてきた。

「あの、ここはどういう所なんですか?」

 当たり前の率直な疑問を投げ掛けると、主人は笑いながら言った。

「入り口には何て書いてありましたか?」

「思い出博物館…ですか?」

「そうです、要するに…人の忘れてしまったものの展示を行っております。例えばそれは━━、机の引き出しの奥にあって、記憶から忘れられているもの。…そういったものです。所有者本人が思い出せば、ここからは消え本人に戻りますが」

「ここは保管場所っていうことですか?」

 僕は主人の言葉に混乱しつつ、精一杯理解しようと努めた。それに主人が頷いたので少し安心した。

「ふぅん」

 僕は目の前の硝子ケースに入れられたモノを眺めた。それはどれも、こう言ったら失礼かもしれないけれど、どうでもいいようなものばかりだった。本当に引き出しの奥に眠っていそうなものばかり。

 折れた鉛筆。

 カラフルな輪ゴム。

 インクの切れた万年筆。

 むしろ…思い出したところでどうだというのだろうか。

 いや、それ以前に、こんなもの思い出すのだろうか。思い出す前に、大掃除の時にでも捨てられてしまいそうな代物ばかりだ。

「取りにくる人って、いるんですか?」

 僕は硝子ケースを指差して、主人に尋ねた。

「ええ、居ますよ。不思議なものですね。ここは随分前から開いているのですが、展示品は同じ数で…絶えず入れ替わっているんです。不思議ですねぇ」

 主人は表情を変えず、にこやかにそんなことを言った。

「そうそう」そう言って、店主は手を叩いた。「あなたも一度取りにきているんですよ」

「え? 僕も?」

「はい。とてもびっくりしましたよ」 そんなびっくりされるような大層なもの忘れたことあったっけ。僕には思い当たる節は無かった。

 そういえば、ある日突然、国語の教科書が無くなって家中ひっくり返しても無かった時があったな。あれとはまた別か。神隠しか?

「写真があるんですよ。あまり見ないものなので、つい」

 そう言って、店主は僕から離れ、本棚からアルバムを取り出した。きっと、珍しいものはファイルしてあるのだろう。

「これです」

 店主は数ある写真の中から一枚を指さした。その指先を見て、僕は思わず吹き出した。

 それは、紛れも無く、大きな硝子ケースに入れられた――、

 僕の父さんの姿だった。

「面白いですよね。まさか、人間が来るなんて夢にも思っていませんでしたよ」

 確かにそうだろう。そう思いながら、僕は笑いを必死で噛み殺した。

「これっていつ頃ですか?」

「えーと、二年前ですね」

 結構、最近なんだ。

 もしかしたら、高校受験の時かも知れない。今じゃ、ふたりして馬鹿みたいなことを言いあっていたりしているけれど、昔からじゃない。むしろ、昔の僕たち親子の関係は険悪だった。

 受験の時もそうだった。受験直前に父が折れるまで、志望校の意見は合わず、顔を合わせる度に言い争いしていたような気がする。でも、受験が一応終わり志望校に入れた時は、自分が行かせたかった学校じゃなかったにも関わらず、すごく喜んでいた。僕の合格祝いだって、寿司を大量に頼んで、良かった、良かったって何回も言いながら。その夜、酒を飲んで酔っ払った父さんは、とても子供っぽいし、何回も同じことを言うしで手がつけられなかった。でも、僕のことばかり喋っていた。誰に話しているつもりなんだか知らないけれど、とても嬉しそうに話していた。

 その時だと思う。

 僕は本当の意味で、この父さんが僕の父さんで良かったと思った。僕がどんなに、父さんを疎ましく思おうが、鬱陶しさの余り憎しみをぶつけようが、父さんは僕の幸せだけを願っていたんだ。

 他の誰も僕の父親にはなれないのに。

 僕はそんな父さんと少しも向かい合おうとせずに、自分のことばかりだった。

 小さい頃、友達の立派な仕事をしていたり、見た目がお洒落で格好いいお父さんに憧れた。

 けれど、いまはそんなもの取るに足りないものだし、何より父さんを見る目が変わったせいかも知れない。休みの日、だらしない格好をして、お酒を飲みながら野球なんかを見る父さんが実の所、僕は結構好きだ。

 いつか、僕が成人を向かえたなら、一緒に酒を酌み交わせる日が来るのだろうか。成人式には、きっとまた、父さんは上機嫌で僕の話をするに違いない。

 そう考えると、なんだか暖かい気持ちさえ心に芽生えるのだ。

「父さん、かわいそー。息子に忘れられているなんて」

 僕はからかうような口調で言った。

「仲が悪かったんですか?」

「この時はね、顔も見たくないって感じでしたよ。実際、わざと見ないようにして。だからかな、ここに居たの」

 僕の台詞に、店主は不安そうな顔をした。それに僕は慌てて笑顔を向けた。

「でも、和解しましたから安心してください」



★☆★



「とても楽しかったです。また来てもいいですか?」

 僕は言いながら、店主に礼をした。

「ええ、お待ちしておりますよ」店主はにこやかに微笑んで言った。「では、これを」

 店主は僕に紙を渡した。

「地図です。今まで、忘れていたのは、これなんでしょう?」

 すっかり、忘れていた。道順だけでなく、道に迷っていたことも。

 僕はまたも礼をしてそれを受け取った。

「では、お父さまにもよろしくお伝え下さい」

「はい」

 僕は頷きながら、軽く笑った。そう言っても、今日のことは父さんには言えないな。まさか、息子に忘れられて、店のおじさんに保管されていたなんて。知ったら、ショックで寝込んでしまいそうだ。

 そんなことを思いながら、僕は父さんの方位磁石を手のひらに、地図を片手に家へ急いだ。



(『思い出博物館』/了)