純情メトロ

作者: 藤野一花

ぼくは毎日、学校の帰りにヴァイオリンの入ったケースを片手に、電車に乗る。


『やぁレン、今日もギターのおけいこかい?』


駅で電車を待っていた僕に駅員のおじさんがいつものように話しかけて来た。

ぼくたちはいつも色々な話をする。二時間に一回しか電車が来ない田舎の駅だから、駅員さんも乗客も暇なんだ。ちくたびれて寝てしまった人もいる。その点、ぼくたちは幸せだ。


『おじさん、ギターじゃなくてヴァイオリンだよ。いつも言ってるじゃないか』


ぼくは少し口を尖らせて言った。


『悪い、悪い。昔、ギターを習ってたことがあってな。つい、間違えちゃうんだよ』


おじさんは照れたように頭をかいた。


『おじさん、ギター習ってたの?いつ?子供の頃に習ってたの?』



『そんなにいっぺんに色々聞くな、レン。せっかちすぎるぞ』


ぼくは思わず首をすくめた。それを見ておじさんはにっこり笑った。


『まぁ、いい。…俺の父親の話はしたことあったか?』


ぼくは宙を見上げて、おじさんのお父さんの話を思い出そうと頑張った。


『うん、うん。聞いたよ。とっても厳しくて……、頑固で、でも、歌は上手いんだよね。だから、コンサートによく連れていってもらったって』


本当は、おじさんに聞いた時はもっと色んなことを教えてもらった気がしたのに。なんだか、半分も覚えてないような気がして悲しくなった。


『そう、親父はプロの歌手だったんだ。沢山の人が親父の歌を聞きにやってくるんだ。すごく、うれしかったな。ステージの上の親父に向かって、沢山の人が拍手するんだ。すると、いつも鬼みたいな顔して怒ってるくせに、顔中くしゃくしゃにして笑うんだ。その時だけは、くやしいけど親父がかっこよかったな』


『それで、ギターはじめたの?』




『ああ。ほとんど、親父に無理やり習いに行かされた感じだったけどな。親父みたいになりたいって思ってたのも少しあった』


ぼくは少しうらやましかった。そんな理由、ぼくには無かった。ただ、コンクールとか発表会に向けて理由もわからないで機械のように練習してるだけ。お母さんも意味も無く『練習しなさい』って言ってる気がする。

でも、最初からそんな風じゃなかったはずだ。ヴァイオリンに憧れて、お母さんに無理言って習い始めたはずだったのに。いつからだろう。練習が苦しみに変わったのは。


『でも、無理だった。親父みたいにはなれなかった』


ぼくはおじさんがまた話始めたので、すぐに下がってしまった頭を上げた。


『一度だけ。お前と同じくらいの歳の頃だったと思う。町にサーカスがやって来たんだ。友達と行こうって約束までしてた。でも、親父はそういうものは嫌いだった。動物が出て来て芸をみせるとかそういうのは、野蛮だって言うんだ。そんな暇があるならギターの練習でもしてろって言われたよ』



たしかにそうだよな、そう言っておじさんは軽く笑った。


『俺はけして言ってはいけないことを言ったんだ』


『言ってはいけないこと?』


ぼくは怖々聞いた。



『俺は、親父が無理やりやらせてるんだろ!もうやめるよ。……そう言ったんだ。嘘だった。確かに時々、自分の才能の無さに嫌気がさした。でも、そんなこと、これっぽっちも思って無かった。俺はいつか……、ギターで親父に認められたかったはずなのに。自分でぶち壊したんだ。だから、その一回で終わったんだよ』


『終わった?』

ぼくは話の裏に、どんなことが隠されていたのか、考えもつかなかった。


『しばらく親父は何も言わなかった、でも、俺に向かって言った。“悪かった”それだけ言った。しばらくは本当にギターを触らなくなった。でも、やっぱり無性に弾きたくなってな……探した。でも、ギターは俺の前から消えてたんだ』


『消えた?お父さんが持っていっちゃったのかな』


『かもな……』




おじさんはいまどんな気持ちでいるんだろう。どうして、ぼくにこんなこと話すんだろう。分からなかった。だけど、胸が締め付けられた。ぼくも本当は言っちゃったんだ。お母さんに。もう、やだ。やりたくないって。お母さんは少し悲しそうだった。それでにげるように駅まで走った。


突然──

電車が駅に入って来る音がして、電車を待つ人が一斉に顔を上げた。僕らもそれに続いた。


『少年、電車がお迎えに来たぞ。ほら、行って来い』


おじさん、ぼくに迎えなんかこないよ。だってやめるっていっちゃったもの。


そう言いたかった。


『う、うん』


『なんだ、今日はあんまりやる気がないのか?でも俺みたいにやめちゃ、駄目だ。好きなんだろ、それ?……ヴァイオリンだよな、うん』



自分の言ってることに自分で納得してるのが可笑しかった。でも『うん』とは言えなかった。

電車に乗り込んでシートに座っても、おじさんは窓の外から手を振っていた。

ぼくも負けないくらい大きく、腕を振る。しばらくして電車は走り出した。




★☆★




『お客さん、起きてくださいよ』


ぼくは眼を開けた。眠っていたみたいだ。心配そうに人がのぞき込んでいる。


『音楽駅、終点ですよ』


『ええ!』


ぼくは聞いたことのない駅の名前に驚いてしまった。仕方なく、電車から出てみる。。

駅は大音量のスピーカーがおいてあるみたいに、音楽で溢れていた。曲名はわからないけれど、心踊るような感じの曲だった。


『あの、次の電車はいつ来ますか?』


ぼくは駅員の人に聞いてみた。駅員さんは片手にカスタネットを持って、話す度にカタカタと音を鳴らした。


『五十分後ですよ、電車は。お忘れなく。今晩の演奏は“ヴァイオリストの少年”ですからね♪』


駅員さんはまるでミュージカルに出てるみたいに、節をつけて言った。ぼくはありがとうと言って、階段を降りて行った。


『五十分後ですよ、電車は。お忘れな……』


駅員さんの声はまだ聞こえていた。それは階段を降りるまで続いた。けれど、降りると直ぐに聞こえなくなった。その代わり、改札口のあたりでは人だかりができていて、別の音楽が聞こえて来る。並んでいたぼくに順番が来た。


『はい、君は?』


『あの…ぼく、眠ってて下りる駅乗り過ごしちゃって、一回外に出たいんですけど。それから、切符ないんです。いくらですか?』


そうして、財布を取り出しかけたぼくを駅員さんは笑った。


『君、高価な切符持っているじゃないか』


そういって、ヴァイオリンのケースを指差した。


『え、これ?』


『そうさ、お金なんか何の役にも立たないよ。この町じゃあね。それで演奏してくれるなら、君はここを通ることができる』


ぼくは困ってしまった。

一生けんめい、ここまで練習してきたけど、こういう時、とっさに出来る曲がぼくには、ない。

隣りでは色々な人が色々な楽器で色々な音楽を奏でていて、どんどん駅からでてゆく。


ぼくは自分がすごく情けなくて、涙をぼろぼろと流してしまった。


『そんなに難しく考えなくていいんだよ。別に、“メリーさんの羊”だっていいんだ』


『“メリーさんの羊”でも?』


ぼくは笑った。

駅員さんもぼくが泣きやんだせいか、一緒に笑った。


急にぼくの頭の中で音楽が流れた。駅のおじさんがいつも歌っている歌だった。題名も知らないって言ってた。でも、お父さんから聞いた曲で、コンサートでも絶対うたわない曲だから特別なんだって。ぼくもたまに口ずさんでみる。


弾いてみることにした。

下手でも大丈夫な気がした。回りのひとの目も気にならない。はじめて自分だけの音楽が出来た気がする。おかしな音も沢山だしちゃったけど、ぼくは最後まで弾くことが出来た。



『よく頑張ったね』


駅員さんは、そう言って拍手してくれた。


しばらくしたら、駅員さんだけじゃなくて、駅にいるひとみんながぼくに拍手を送ってくれた。


『“音楽を愛する者へ”って曲だ』


誰かがいった。ぼくはその題名を口の中で何回も呟いた。


『その顔からすると、知らなかったみたいだね。だいぶ前かな。君みたいに駅に来た子がいた。その子も何も出来なくて、泣き出したよ。仕方ないから、歌なら平気かい?って聞いたんだ。それでいまの歌を駅のみんなで合唱したんだ。──前の駅長から聞いた話だ』


ぼくはなぜか、それはおじさんのお父さんのことだと思った。


ぼくと一緒だったんだ。ここから始まったんだ。そう思ったら少しうれしくなった。



『これ渡してくれないか?』


駅員さんはぼくにギターを見せた。


『これ……?』


『うん、その人がまえに置いていったんだ。息子のものだって。もし来たら返してやってくれって言ってたよ。結局来なかったな』


『ぼく、渡すよ。おじさんに』


駅員さんはにっこり笑って、ぼくにギターを預けた。ギターを受けとると、ぼくはもう改札口から引き返していた。


後ろの方では、色々な人の音色が聞こえて来る


『三十分後ですよ、電車は……。あ!少年、今晩のコンサートに出ないのかな?きみにぴったりの演目だよ。“ヴァイオリニストの少年”』


『いいんだ。これから、友達と一緒に──“音楽を愛する者へ”を演奏するから』


カスタネットを鳴らしながら聞いて来た駅員さんにぼくは答えて、停まっている電車に乗り込んだ。


駅員さんはにっこり笑って、それに答えた。


『それも、いいね♪』




ぼくはやがて、駅の大音量の音楽を子守歌に眠りに就いた。おじさんとぼくが楽しそうに演奏してるのを思い浮かべながら──。