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96.オルランド商会に挨拶を

(イヴァーノ回です)

 照りつける日差しの下、紺色の三つ揃えはかなり暑い。

 イヴァーノはそれでもきっちり着込み、青いタイを締めなおす。

 馬車を降りる前に額の汗を拭き取ると、涼しげな顔を装って、オルランド商会の扉を開けた。


「こんにちは。ロセッティ商会のイヴァーノです。注文と発注品の受け取りに参りました」


 オルランド商会の受付に向かい、大きめの声で挨拶をした。

 途端、聞こえていた周囲の声は小さくなり、ちらちらとこちらを伺う視線を感じる。

 オルランド商会には、イヴァーノの顔見知りも何人かいる。

 だが、この微妙な空気は『ロセッティ商会』の名前のせいだろう。


「……少々、お待ちくださいませ」


 受付の女は、話に聞いていたトビアスの妻ではないらしい。

 妙齢の女性は、イヴァーノに会釈すると、奥の部屋へ消えていった。


「イヴァーノさん?」


 聞き覚えのある声に、表情を整えてふり返る。自分の名を最初に呼んだのは、トビアスだった。

 久しぶりに見た彼は少し痩せていた。顔色も少しばかり悪い。


「お久しぶりです、トビアスさん」

「お久しぶりです。その……イヴァーノさんがロセッティ商会というのは、商業ギルドはどうなさったんですか?」

「退職して、ロセッティ商会に入りました。とにかく忙しくて、目が回りそうですよ」


 正確には、まだ商業ギルドをやめていないのだが、あえて言う。

 自分はいつの間にか、ダリヤにかなり肩入れしていたらしい。元婚約者であるこの男に、ここできっちりクギを刺しておきたいと思ってしまうほどには。


「ダリヤ会長もお忙しいですが、毎日とても楽しそうですよ」


 己の性格の悪さを実感しつつ、今できる最高の笑顔を向けてみた。


「そうですか……」


 何か言われるか、それとも根掘り葉掘り聞かれるか、そう思って構えていた。

 だが、男から返ってきたのは、拍子抜けするほどのあっさりとした言葉だけ。なぜだかほっとした顔をしているようにも見える。


「彼女は……元気、なんですね」

「ええ、たいへんお元気ですよ」


 トビアスの言葉の意味を計りかねたが、そのまま答える。目を伏せた男はわずかに唇を動かした。


「……よかった」


 聞こえるか聞こえないかで落ちたつぶやきを、イヴァーノは拾わない。

 すでに断たれたつながりだ。不要な負担になるかもしれぬことを、ダリヤに教えるつもりはない。


「ロセッティ商会様、お待たせ致しました。こちらへどうぞ」

「ありがとうございます」


 周囲の視線を巻き取りながら、イヴァーノは応接室へ歩いて行った。



 ・・・・・・・



 応接室で待っていたのは、商会長のイレネオだった。

 こちらも少しばかり痩せただろうか。自分と同じように目の下に隈があるのが、なんともいえない。

 先代とよく似た黒のつり目が自分に向き、一瞬、値踏みされた気がした。


「ようこそ、イヴァーノさん。先日は愚弟が大変ご迷惑をおかけしました」

「いえ、私はもうロセッティ商会の者ですし、会長からは清算済と伺っておりますので、何もございません」


 勧められたソファーに腰をおろすと、事務員が紅茶を並べていく。

 事務員が部屋を出るのと同時に、テーブルの上、銀の魔封箱が置かれた。


「こちら、ロセッティ商会長にご依頼頂いていた『妖精結晶』です」

「ありがとうございます。美しいですね……会長が喜ぶと思います」


 イヴァーノは魔封箱を開け、虹色の結晶体を確認した。

 ダリヤにはおおよそどんなものか聞いていたが、実物を見るとそれ以上の美しさだ。水晶のような結晶体の中、七色のきらめきがくるりくるりと動き、輝きを放っている。

 加工によっては、宝石よりもいいアクセサリーになりそうだ。


「少量ですみませんが、こちら発注書です。ご無理なものはおっしゃってください」

「……いえ、できるかぎり探してみましょう。ブラックスライムの粉だけは、お時間を頂くかと思いますが」


 数秒、眉間に皺を寄せたイレネオだが、すぐに表情を整えた。


「よろしくお願いします。では、こちらの『妖精結晶』は、確かに受け取らせて頂きます」


 イヴァーノは妖精結晶の受取票に大きめにサインをし、男に手渡した。


「こちら、確認をお願いします」

「はい、確かに……メルカダンテ、さん?」

「ええ、私の名はイヴァーノ・メルカダンテですが」

「大変失礼ですが、姓を変えられたのは、どこかへ縁組みを?」

「いえ、名乗りを戻しただけです。私の姓がメルカダンテですよ。私の父がオリス・メルカダンテです」


 一息に言いきった自分に、イレネオが目を見開いた。


「イヴァーノさんは、もしかして、メルカダンテ商会の……」

「ああ、言ってみるものですね。まさか、あなたが覚えていてくださったとは思いませんでした。光栄です。先を読めると言われたあなたのお父様が、第一報で手をひいた商会の息子ですよ」

「……っ」


 言葉を終えた瞬間、イレネオの表情かおが驚きに壊れた。

 それに歪んだ満足感を覚えながら、イヴァーノは口角だけを引き上げる。


 十六年前、メルカダンテ商会が負債で傾きかけたとき、すぐ取引を打ち切ったいくつかの商会があった。それが引き金となったかのように、次々と取引はなくなり、父は追いつめられていった。

 初めに取引を打ち切った三つのうちの一つが、このオルランド商会だ。

 打ち切った商会の名と順番を、イヴァーノは今でもすべて覚えている。


 傾いた取引先を切るのは、商会として当たり前のことだ。

 当時十代後半、まだ見習いであったろうこの男に思うところはない。商売に関しては、自分と同じ程度の『ひよっこ』だったろう。


「昔話を失礼しました。禍根は残しておりませんのでご安心ください。父の名を覚えて頂けていたのが、うれしかっただけです」


 驚きに表情を崩していた男は、一瞬で表情を整え、言葉を返してきた。


「ええ、たいへん有能なお爺様も、覚えておりますとも……」


 流石に、この大きさの商会長をやっているだけはある。言われるだけでは済まさぬらしい。


「イヴァーノさんは、お爺様似ですか、それともお父様似ですか?」


 問いかけに込められたとげに、全力で己の表情を守った。


 『冷血なる商会長』と陰口を叩かれるほど、やり手で有名だった祖父。

 『人徳ある商会長』として尊敬はされたが、優しく甘すぎた父。

 祖父が一代で大きくした商会を継いだ父は、困っていた仲間の保証人になり、すべてを失った。

 若僧の自分は何もできず、あの街から、ただ逃げた。

 こみ上げる苦さは、十六年変わらない。


「妻が言うには、どちらとも似ていないらしいですよ。息子は母親に似やすいって言いますしね」


 最近、オルランド商会の事務所にいつもいた、イレネオの母を見なくなったという。どこぞの貴族の影響か。

 それを遠回しに皮肉ったが、目の前の男も営業用の顔を崩さなかった。


「私は、父似と言われておりますね」

「そうですか。先見の明があると言われるのは、たいへんうらやましいことです」


 本当に先見の明があれば、ダリヤを傷つけることも、手放すこともなかったはずだ。

 結果としてダリヤにはたいへんよかったことだが、オルランド商会の損害はどのぐらいか。

 イレネオの片眉が、わずかに上がった。

 返したとげは、どうやら少しは効いたらしい。


「どうぞ、よいお取引、よい商売をお願いします」

「こちらこそ。よいお取引、よい商売をお願い致します」


 型どおりの挨拶に、どちらからともなく手を伸ばし、握手をする。

 お互いの手の平が同程度の汗でぬれているのが、妙に笑えた。


 ロセッティ商会で商売を担うのは、ダリヤではなく、この自分だ。

 商会同士、それぞれに栄えていけるならそれでいい、どこかで派手に当たるならそれもいい。

 商売人同士、笑顔を作り、腹を探り合い、先を読み合おうじゃないか。


 今度は望んで上がった商売の舞台、幸運なことに、黄金をふりまく女神つきである。

 負ける気もひく気も一切ない。


 イヴァーノは今度こそ、心からの笑顔で挨拶した。


「ロセッティ商会を、これからどうぞよろしくお願い致します」

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