92.後輩の懸命
合同演習の片付けが済めば、今日の仕事は終わりである。
予定よりずいぶん早く終わったため、ゆっくり飲みに行くか、遊びに行くかの話で隊員達が盛り上がっていた。
が、急に会話は少なくなり、先に歩いていた隊員が道をずれる。
視線を向ければ、人の流れを逆に歩いてくる、魔導部隊の黒いローブが見えた。
「やあ、ヴォルフレード、演習が早く終わったそうだね」
にこやかな笑顔でやってきたのは、兄であり、魔導部隊の中隊長である、グイードだった。
「兄上、どうなさったのですか?」
何も約束はしていないし、知らせの手紙も受けとっていない。もしや、父かもう一人の兄に何かあったのか。
慌てて問いかけると、周囲の目が一斉にこちらを向いた。
青みの入った銀髪に青い目、ヴォルフとはまるで似ていない。言われなければ、兄弟だと思う者はまずいないだろう。
「急ですまない。今日、これから予定はあるかい?」
「いえ、特にございません」
「岩牡蠣のおいしい店を見つけたんだ。一緒に行かないか? 食べながらゆっくり話したい」
「ありがとうございます。ぜひご一緒させてください」
「では、着替えてから行くとしよう。ああ、急がなくてもいい。執務室で書類を片付けながら待っているから」
楽しげに言う男を、周囲の騎士が興味深そうに見ている。
グイードは辺りの視線を気にすることなく、弟の横にいる者達に視線を向けた。
「そちらがグッドウィン君と、バーティ君だね。弟がいつも世話になっているとのことで、ありがとう。よかったら今度、ヴォルフレードの屋敷に遊びに来るといい。歓迎するよ」
「光栄です」
「ありがとうございます」
二人の会釈に微笑むと、グイードはもう一度ヴォルフに声をかけ、来た道を戻って行った。
「ヴォルフ、今の、お前の兄さんの……グイード様だよな?」
「ああ、そうだけど」
見た目がまったく似てないのだ、確認されて当然だろう。そう思ってドリノを見ると、首を傾げていた。
「どうかした?」
「いや。なんか雰囲気違うもんだなって思って。前に演習で魔導部隊を率いていたときって、こう……沈着冷静な魔導師!って感じだったから」
「それは仕事だからね」
ついこの前話せるようになったばかりだとは、なんとなく言いづらい。ダリヤには素直に言えたのだが。
「ヴォルフ、模造剣をこちらへ。私が片付けておこう。兄上をあまり待たせるものではない」
「ありがとう、ランドルフ。すまないけど、よろしく。ちょっと先に行くよ」
模造剣を手渡すと、ヴォルフは足早に兵舎へと向かって行った。
「……おい、あれのどこが『家からも見放されてる』だよ? あんなに仲がいいじゃないか」
「わざわざここまで自分で来るなんて……うちの兄でもしないぞ」
後ろから追いついて来た第一騎士団の者達が、ひそひそと声をこぼす。
「さっき、『ヴォルフレードの屋敷』って言ってたよな?」
「あいつ、兵舎暮らしで家にも帰れないって聞いてたけど……」
ドリノとランドルフが同時に後ろを向き、話をしていた一群に向かって言った。
「生きるか死ぬかの
「ヴォルフは家に帰れないのではない、鍛錬の時間を確保するために兵舎にいる」
顔色の悪くなった騎士達の前、若い隊員がランドルフの横に並んだ。
「ワイバーンに捕獲されたときだって、先輩の捜索に、スカルファロット家から魔導師が来てました。見放されているというのはありえないと思います」
「いや、でも……彼はスカルファロット家の茶会にも出ていないじゃないか」
「招待されても舞踏会にも参加しないと聞くぞ」
「そちらと違って、うちの部隊はいきなり遠征が入ったりしますから、茶会も舞踏会も約束できませんよ。よっぽど予定が合わなければ、俺も出てないです。うちの隊できちんと出られる方が少ないですよ」
言い終えたカークが、緑の目を細めた。ゆらり、風もないのに、髪がゆるく揺れる。
「第一騎士団の先輩方、俺、ひとつ疑問があるんですけど、いいですか?」
「なんだ? 言ってみろ」
「スカルファロット家って、グイード様の代で侯爵上がりが確定してますよね。そのグイード様のかわいがっている弟に集中攻撃とか、まずくないんですか?」
「お前っ!」
「ヴォルフ先輩はグイード様に告げ口するような人じゃないです。うちの隊でもわざわざ言う人がいるとは思えません。でも、ヴォルフ先輩目当てに、離れた建物から演習を見てるご令嬢とか、メイドがいましたから。変な噂にならないといいんですけど」
「……っ!」
絶句した騎士達に、カークはいい笑顔を向けた。
「新型の『双眼鏡』って、かなりよく見えるらしいですよ」
・・・・・・・
最早、葬列かと思えるほどに暗い騎士達を背後に、カーク達は部隊のエリアに入った。
確実に音が届かない距離まで来ると、誰からともなく笑い出し、声が広がった。
「レオナルディ、よく言った!」
「最高の後輩だな、お前!」
背中を周囲に強く叩かれているのは、カークである。
賞賛の嵐がすぎると、ランドルフがその肩にぽんと手をおいた。
「カーク、今日の酒代は持たせてくれ」
「ありがとうございます、ランドルフ先輩。遠慮なくごちそうになります」
「レオナルディ、お前、大人しそうだと思ってたら、すごいのな」
「カークでお願いします、バーティ先輩」
「こっちもドリノでいい」
「ものすごい緊張しました。いや、まだしてるかもしれません」
開いた手のひらは、わずかに震え、額には汗をかいていた。模造剣を片付けると、まだ緊張感の残る手をぶんぶんと振る。
背後ではまだ、隊の一部が明るい笑い声を響かせている。
「カーク、やっちまったとか後悔してる? それとも家の心配があるか?」
「いえ、後悔はないです。家の方も、たぶん大丈夫じゃないかと」
「お前の家って、子爵だっけ?」
うなずいたカークの耳元で、ドリノが低くささやいた。
「……第一の連中になんか言われたりされたりしたら、隠さずに言え。絶対になんとかしてやる」
「ありがとうございます。何かあったら相談させてください。その……祖父に知られるとちょっとまずいかもしれないので」
ひどく困り顔になった後輩を、ドリノは不思議に思う。
「祖父って?」
「内緒にしてて欲しいんですが……俺、前侯爵の末娘の子です。祖父、母に会いにお忍びでよく家に来てます……」
なんとも世の中は狭いようである。
ドリノは後輩の肩を叩きながら、今日行く店の話をはじめた。