74.花束とシュークリーム
王城を出て、貸し服屋で服を返し、商業ギルドでイヴァーノとガブリエラに報告をした。
心配していた二人だが、王城での出来事を説明していくと、大変微妙な
説明していた自分の顔も、能面に近かった自覚はある。
全部話せば楽になるかと思ったが、より一層自分を追い込んだ気もする。
よくがんばった、とりあえず山は乗りきったと、二人に言葉多くなぐさめられ、なんとか緑の塔に帰ってきた。
今日は何も考えずにさっさと休もう――そう思っていると、ドアベルが鳴った。
その瞬間、なぜかヴォルフだとわかった。
足早に下りてドアを開くと、憔悴感あふれる青年が立っていた。
美しい顔はそのままなのに、悪戯をして叱られた、前世の飼い犬とひどく似ている。
もう、それだけで責める気が失せた。
「今日は、本当にごめん! 反省してる……」
青年が頭を下げてから差し出してきたのは、美しくもかわいい花束だ。
赤いバラに鈴蘭、ピンク色のローダンセなどが、丸くコロンとした形にまとめられている。
赤いリボン付きの花束を両手で受け取ると、バラの香りが淡く漂ってきた。
「……わかりました。今回は水に流します」
「ありがとう……!」
「でも、次に水虫の疑いをかけられたら、塔でも『ヴォルフレード様』って呼びます」
「二度としないから、それは勘弁して……」
ヴォルフがあまりにも悲痛に言うので、つい笑ってしまった。
ダリヤが笑ったことでほっとしたのか、青年は背に持っていた水色の箱を手渡す。
「これ、シュークリーム。よかったら食べて」
「ありがとうございます。好きなのでうれしいです。せっかくですから、一緒に食べませんか?」
「ああ、そうさせてもらえればうれしい」
二階に上がりながら、ようやくいつもの二人に戻った。
ソファーに腰を下ろすと、ダリヤは水色の箱の青いリボンを外す。
中には、生クリームとカスタードクリーム、洋酒の効いたカスタードクリームの三種類が6つ。
その下の薄い箱には、花や動物の模様を形取った、美しい飾り砂糖が入っていた。
いつもよりいい茶葉で紅茶を淹れ、二人そろって食べることにする。
ダリヤが最初に選んだのは、スタンダードなカスタードのシュークリームだ。
ヴォルフは洋酒の効いたカスタードクリームの方を選んでいた。
今世のシュークリームは、前世のものより一回り大きく、少しだけ平べったい。
そっと持ち上げると、その重さで中身がしっかり詰まっているのがわかる。
中身が出ないように端からはむりと囓ると、カスタードの甘さとバニラの香りが口いっぱいに広がった。
今まで食べていたシュークリームより、カスタードの味が一段濃い。おそらくはいい牛乳と卵を使っているのだろう。
甘さは強めだが、少し塩を利かせた皮が、味のいいアクセントになっていた。
途中で紅茶を飲むつもりが、すっかり忘れたまま食べ終えてしまった。
「このシュークリーム、とてもおいしいですね」
「気に入ってもらえてよかった」
貴族街の菓子店、妖精結晶の眼鏡をかけ、三十分並んだ甲斐はあった。
ダリヤのとろけるような笑顔に、ヴォルフはとても満足していた。
「ダリヤ、なんならもう一つ食べたら?」
「ヴォルフはこれ三つくらい、余裕でいけそうですね……」
「いや、俺は一つで充分。そこまで甘い物は入らないから。でも、これはそんなに大きい方じゃないから、二つ食べても問題ないと思うけれど」
このところウエストが気になっているダリヤとしては、非常に迷うところである。
やはり、楽しみは後にとっておくとして、明日にする方がいいだろう。
しかし、作りたてが一番おいしいという真実もある。
シュークリームは冷蔵も冷凍もできるが、やはり今このときが一番ではなかろうか。
思いきり葛藤している中、ヴォルフがいい笑顔で箱を持ち上げて勧めてきた。
その後に食べた生クリーム入りのシュークリームは、つくづくおいしかった。
「ダリヤの好きな花って何?」
生クリーム入りのシュークリームの余韻に浸っていると、ヴォルフに尋ねられた。
おそらく花束が気に入ったかどうかの心配があるのだろう、そう思って答える。
「花はどれも好きですけど……バラとかガーデニアとか、いい香りのものは特に好きです」
「ダリヤの名前って、花のダリアから?」
「ええ、父の名付けです。古い読みですね。名前のせいか、ダリアが好きだと思われることが多いんですけど、あまり香りがないじゃないですか」
「なるほど……お菓子で好きなものって何?」
「シュークリームとチーズケーキですね、他も好きですけど。ヴォルフは好きなお菓子ってあります?」
「ソルトバタークッキーとか、エビクラッカーとかかな……あとザバイオーネ」
どこまでも酒好きらしい答えが返ってきた。
ほとんど酒のつまみではないか。
最後の『ザバイオーネ』にいたっては、卵黄と砂糖をよく泡立て、白ワインを入れて煮詰めたものだ。絶対に白ワインが理由だろう。
紅茶を飲んで一息つくと、ダリヤは王城の帰りのことを思い出した。
「すみません、今日は私も知らないでミスをしてしまい、ヴォルフに迷惑をかけるところでした」
「ミスって、何かあった?」
「廊下では、騎士の真後ろではなく、斜め後ろをもう少し近づいて歩く方がいいとか……そういったことをランドルフ様に教えて頂きました。知らないことが多いので、今度、他の商会の方に相談してみます」
「……『ランドルフ』?」
ヴォルフが『グッドウィン殿』から『ランドルフ』呼びに変えるのに、確か二ヶ月はあった。
ダリヤとランドルフは建物から王城の馬車の待ち合いまで一緒だっただけだ。
それでどうして、『ランドルフ』呼びになるのか。
別にこだわることではないが、妙に尋ねづらい。
「ええ、王城の場所によっては、うるさいところもあるからと。礼儀がわかっていなかったら、商会長としてやはりだめだと思いますし、ヴォルフが保証人なのに、迷惑をかけたら嫌ですから」
「ランドルフは流石だな……俺は全然気づけなかった」
「ランドルフ様も貴族なんですか?」
「グッドウィン伯爵家、東の国境伯という方がわかりやすいかな。そこの次男だよ」
「『ヴォルフの為にも、自衛の為にも』って、そう勧められました。いいお友達ですね」
「……ああ、ありがたいと思う」
ヴォルフは、いろいろと訳のわからないことを考えていた自分が情けなくなった。
ダリヤも、ランドルフも自分を気にかけてくれていただけである。
どうも今日は自分のペースがつかめない。きっと慣れないことが続いたせいだ。
「靴下と中敷きは王都でもかなり広まりそうだね。そのうち、ダリヤのお父さんみたいに、名誉男爵の推薦も出てくるんじゃないかな。うちの隊長あたりが
名誉男爵となれば、金銭的にも立場的にも有利になるはずだ。
だが、ダリヤは苦い顔をして答える。
「これで男爵推薦は絶対に要りません……」
「どうして? 名誉男爵になれば、魔導具師として、いろいろと便利にならない?」
「便利にはなると思いますが……魔導具師で男爵位を頂くときって、推薦を受ける元になった品物が『あだ名』になりやすいってご存じですか? うちの父は『給湯器男爵』って言われてました」
「そうなのか。それは初耳だ」
魔導具師が名誉男爵になると、二つ名ができるようだ。ちょっとだけ格好いい気もする。
「これで推薦されて、『五本指靴下男爵』とか、『靴の中敷き男爵』って呼ばれるのもちょっとですけど、曲がりに曲がって『水虫男爵』って呼ばれたら嫌じゃないですか」
「ぶっ」
本日二度目、ヴォルフが耐えきれずにふいた。
そのまま呼吸困難になる勢いで笑っている青年に、ダリヤは目を線のように細くする。
「『ヴォルフレード、様』?」
「ごめん……本当に、それだけは勘弁して……」
必死に笑いを止めようとする青年の肩は、しばらく震えていた。