71.初めての王城
「ダリヤさん、もしかして、緊張していますか?」
「……それなりに、いえ、かなり?」
イヴァーノへの答えのはずが、途中から疑問形になってしまった。
馬車の中、向かいに座るイヴァーノが苦笑する。彼は芥子色の髪をすべて後ろになでつけ、濃紺の上下そろった服を着ていた。
昨日までの、親しみやすそうなギルド員の雰囲気は消え、今は頼れそうな商人そのものだ。むしろ自分よりはるかに商会長らしく見える。
いっそ、これから王城へ行く役目を代わってもらえないだろうか。真面目にそう考えてしまう。
ため息をついたダリヤは、テールグリーンのワンピースに、同色の上着を合わせて着ている。靴はさらに一段濃いダークグリーンだ。正直、少しばかり暑い。
赤い髪は後ろでひとつにまとめ、色数を抑えつつも、しっかりとした化粧をされてきた。
アクセサリーは、ヴォルフからもらった解毒の指輪と、見えないように鎖を長くした
正直、身を飾るためではなく、胃痛防止につけてきた。
高級でおいしい紅茶でも、今の自分には胃に来る毒になりかねない。
ちなみに、昨日、服と靴を選ぶだけで二時間もめた、主に貸し服屋の店員とガブリエラが。
ダリヤとしては、なるべく目立たず失礼にならないものを、と希望したが、地味すぎるのも失礼になるらしい。
店員はこれよりも二段ほど明るい緑のドレスを薦め、ガブリエラはクリーム系の上下を推した。
最終的に、店員が店長の妻――元子爵令嬢だという女性を奥から呼ぶという行動に出て、この深い緑のワンピースとなった。
ダリヤが『商会としての出入り』であることを説明すると、独身であっても、初回であることも含め、落ち着いた装いの方がいいと言われた。
それに続いて、王城は階段が多く、廊下を歩く距離がそれなりにあるので、スカートの裾が長すぎるもの、歩きにくい靴は避けた方がいいこと、騎士団は女性の服装には寛容なので、そこまで構えなくても問題ないといった話もされる。
詳しさに驚いていると、元は王城で働いており、その後に店主との結婚で庶民となったのだと微笑まれた。意外に世界は狭いのかもしれない。
ちなみに、王城で見初められたいのであれば、暖色系や明るい色の方が効果的で、長い髪が好まれやすいなど、余分な知識も色々と伝授された。
ダリヤは死ぬまで利用することがなさそうだが、最初から最後まで笑顔で聞いておいた。
服屋の次に、以前行った化粧品店に行き、そこで髪型とメイクを相談したところ、朝、商業ギルドに出張してやってもらえることになった。
覚える時間も厳しいので、ありがたく頭を下げつつ、お願いした。
その後、ギルドの会議室で、イヴァーノと共にえんえんと貴族向けのテーブルマナーをガブリエラから学んだ。夕食にいたってはマナーを覚えつつガブリエラと食べたが、味の記憶が一切ない。
すべてが終わって塔に送り馬車で帰ったのは、日付が変わる頃だった。
ガブリエラからとりあえずの合格はもらったが、いつこぼれるかわからない満水のコップのようなもので、かなり不安である。
「俺も王城の中まで、ついていけたらよかったんですけど」
昨日のことを思い出していると、イヴァーノがため息と共に肩を落とした。
正式な出入りの認められた商会であれば、必要に応じて部下を付けることも可能だが、ロセッティ商会は、商業ギルド経由である。
しかも今回はダリヤ一人、個人的な呼び出しのようなものだ。勝手に人数を増やすわけにはいかないだろう。
「しかし、本当にどの件でしょうね……」
「五本指靴下、中敷き、靴乾燥機はヴォルフが言っていないと思うんですけど……あとは腕輪でしょうか?」
「……もしかして、隊長さんも俺と同じ勘違いをしていて、ダリヤさんの顔が見たいと言っているとか?」
「それは……ないと思うんですが」
本来、婚約腕輪には自分の色の石をつけて相手に渡すものだ。
ダリヤなら、髪の赤で
ヴォルフに渡した腕輪は銀に金色の輝きで、石はつけていない。
だが、目の前の男も勘違いしたのだ。ないと思うが言い切れない。
勘違いされていたらどうしようと思うと、頬がひどく熱くなってきた。
「すみません、行く前にこんな話をするべきではなかったですね」
「いえ」
イヴァーノの言葉に慌てて首を横に振ると、窓の外へと視線をずらした。
馬車の窓から、王城の白く高い壁が見えて来た。
・・・・・・・
王都の北にある王城、その巨大な石門をくぐると、景色は一変した。まるでここだけが別の都市のようにも思える。
白い石造りの防壁に囲まれた広大な敷地の中には、国王の住む城、騎士団や魔導関係の建物、訓練場など、様々なものがある。
王城と呼ばれるだけあって、中央の奥、遠目で見てもひときわ大きい城がある。
前世、中世の雰囲気はあるが、三角の細い屋根と塔ではなく、四角く組まれたところに、三本の塔がある建物である。優雅と言うより頑強なイメージだ。
周囲の建物も、商業ギルドが小さく見えるほどのものばかりだ。どれも基本色は白の石造りだった。
馬車が進む路面は薄灰色で、継ぎ目が見えない。まるで前世のコンクリートを思わせる見事さだ。なんとも材質と加工法が気になる。
きょろきょろしないよう、かなり自制はしているが、それでも視界に入るものすべてが珍しかった。
城門から入ってすぐ、馬車の停まり場で降りる。
馬車を降りる際に、イヴァーノがエスコートをしてくれた。が、差し出される手の高さがヴォルフと違い、少しだけとまどった。
それを緊張ととったのか、男はにこりと笑う。『がんばって』と唇が動いたので、笑顔とうなずきで答えた。
馬車の停まり場からの通路を通り、ひとつだけの出口へ向かう。途中、何人かの騎士とすれ違い、その度に会釈をした。
イヴァーノがついてこられるのは出口手前までで、この後は馬車か待合室で待機しているとのことだ。
出口の先、再び通路は分かれた。
男女別で一度部屋に入り、本人確認や持ち物検査がある。
魔物討伐部隊長からの直接の招待状を見せると、すでに話は通っていたらしい。女性騎士による形ばかりの荷物検査で進むことができた。
「魔物討伐部隊よりお迎えがありますので、しばらくお待ちください」
歩いて行くものだと思っていたが、迎えの馬車が来ると言われた。
王城内なのに馬車で移動するのか、そもそも自分に迎えは要るのかと、頭の中はぐるぐるするが、貼り付けた笑顔で待つことにする。
待合室として、豪華な調度の小部屋に通されたが、緊張はまったくとけず、黒革のソファーに座れば柔らかさに転げかかる始末である。
ひたすら深呼吸をし、酸素が少し多くなりすぎたところで、ようやくノックの音がした。
「魔物討伐部隊よりお迎えに参りました……ダリヤ、すまない、後は馬車の方で……」
あいさつと単語のつながりがおかしいが、ヴォルフが来てくれたことにほっとする。
ささやきに似た声で話す男は、ダリヤの荷物を持つと、エスコートの手を差し出す。
いつの間にか慣れたその高さに手を重ねつつ、馬車に乗った。
「すまない。隊長が呼び出したって、今朝、聞かされた。昨日だったら使いも出せたんだけど……」
二人が乗った馬車が走り出すと、再びヴォルフが謝ってきた。
「いえ、ヴォルフのせいではないので、気にしないでください。あの、私が呼ばれた理由って、なんでしょうか?」
「純粋に靴下と中敷きのお礼が言いたいって。あのときにレポートを書いた者が集められてるんだけど、ただ話がしたいって言っていた。隊長は侯爵だから、気軽にダリヤを呼びつけてしまったんだと思う」
考えてみれば魔物討伐部隊長は、現役の侯爵だ。ちょっと話や確認したいことがあれば、商人を呼びつけるのは普通のことだろう。
もしかすると、最初の納品前に業者に直接声をかけてやろうということかもしれない。そう考えると、だいぶ楽になった。
「ほっとしました。どうして呼ばれたのかわからなかったので……」
「大丈夫。靴乾燥機のことは言ってないし、腕輪は隠しているから」
ヴォルフの言葉に安心しつつ、気になっていたことを尋ねてみる。
「昨日の訓練はどうでした? 腕輪で使いづらいとかありませんでした?」
「いや、一昨日より馴染んだ気がする。訓練では半分も出してないけど、楽しかったよ。相手の頭上を楽に飛び越せると、戦法が広がるからね」
待て、半分もと言いながら、かなりまずいことをしていないか。
それは本当に変に思われていないのか、おかしいことになっていないだろうか。
「相手の頭上を飛び越すって……」
「いや、元から一応できたことだし。回数が増えたくらいだから」
「あの、他の隊員さんに何か言われませんでした?」
「『ヴォルフ、力余りすぎ』『魔物、早く来てやれ』とか、『いつもより多く跳んでおります』って笑われた……」
どうやらダリヤの心配は杞憂だったらしい。
少しばかり面白くなさそうに言う青年に、思わず笑ってしまった。
笑いがおさまったあたりで、馬車が止まった。
正直、この時間なら歩いた方がいい距離に思えたが、先にヴォルフと話せたのでよしとする。
「部隊の人間だけだと、そんなに貴族らしくはしないけど、少しは取り繕うので……ダリヤ嬢、ようこそ、魔物討伐部隊へ」
「ありがとうございます、ヴォルフレード様」
再び差し出された手に、ダリヤは笑顔で手を重ねた。