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63.兄弟と悪夢

ヴォルフと兄の回です。

 ヴォルフは久しぶりに、スカルファロット家の別邸に帰っていた。


 自室の窓から見る庭では、いきなり木が伸びた気がする。

 自分の家ということになってはいるが、前回来たのは、季節がひとつほど前だ。

 使用人達も落ち着かない様子で動き回っている。


 ここより、緑の塔の方がよほど落ち着く――そう思ってしまったところで、ずきりと痛むこめかみに指を当てた。


 昨日、イヴァーノと構えずに話していて、つい本音が出た。

 まさかダリヤに聞かれているとは思わず、なんとも情けない。

 さぞかし軽蔑されただろうと思うのだが、帰宅の馬車は別々になってしまい、きちんと謝罪できずに兵舎に戻った。


 戻ってすぐ謝罪の手紙を書こうとしたところ、今度は隊長に呼び出された。

 五本指靴下と中敷きの首尾報告をしたらひどく礼を言われ、いい店で食事と酒をご馳走になり、兵舎に戻ったのは夜中だった。


 そして、今朝、この別邸に来た。

 これから、一番避けたいと思っていた相手と面会がある。

 気合いを入れるため、自分は昨日と同じ黒の騎士服だ。正直、魔物と遭遇するより緊張している。


 父との面会、それを願ったのは自分の方だ。


 昨日、ダリヤが小物制作の工房長と打ち合わせをしている間、公証人のドミニクと話した。

 商業にうとい自分は、彼からいろいろなアドバイスをもらった。

 その中で、商会の保証人となり、騎士団がらみでも活動していく以上、スカルファロット家への挨拶と報告は必要だと言われた。


 正直、迷った。

 気持ちは避けたい方に七割傾いていた。

 父と話したこと自体があまりない。いきなり報告をしてどんな反応が返ってくるのかもわからない。そもそも面会の約束自体が取れるのかも不明だ。


 だが、少しでもロセッティ商会のためになるのであればやってみようと決めた。

 ギルドにいる間に父に使いを出したところ、『明日の午前の茶の時間、別邸で』との返事が返ってきた。


 父を別邸で待つ間に、母の遺品を納めた部屋に入る。

 自分が本邸からこちらに移るときに、母の物もすべて移された。

 本、服、装飾品など、貴族女性にしてはかなり少ないが、それでも中部屋一つを埋めるほどにはある。また、複数の鎧と剣は別の部屋だ。


 めったに入ることはない部屋だが、使用人達が気遣ってくれていたらしい。掃除はそれなりに行き届いていた。


 本棚を探し、貴族会話のマナー本とメモをみつけると、黒革の鞄にしまった。

 早めにダリヤに渡し、読んでもらう方がいいだろう。


 会議中に彼女が言った、『私がフォルトゥナート様を信頼しますので、すべてお任せします』

 一歩間違えれば『あなたを自分の騎士と思う』ともとれる。

 自分はその言葉に思わず固まってしまい、ひどく狼狽した。


 ダリヤは知らずに言ったことだとわかっているが、相手が勘違いしたらどうするのか、どうにも心配になってしまう。

 本来、自分がどうこう言えることではないが、友人の安全を守るため、気を付けておく方がいいだろう。


「ヴォルフレード様、グイード様がお着きになられました」

「すぐ行く」


 部屋から出てすぐ、従僕の報告を受け、一瞬、聞き間違えたかと思った。

 父、レナートではなく、兄のグイードが来たらしい。


 そのまま応接室へ入ると、スカルファロット家の長男である、グイードがいた。


「久しぶりだね、ヴォルフレード」

「お久しぶりです、兄上」


 青みをおびた銀髪に深い青の目。父とそっくりな男が、濃紺の三つ揃えを着て座っている。

 八歳違いの兄からテーブルをはさみ、ヴォルフは正面に座った。

 メイドが紅茶を持ってくると、グイードが従僕に声をかけ、全員を下がらせる。

 広い応接室は、兄と自分の二人だけとなった。


「父は朝一番で王宮に呼ばれた。ヴォルフと会えないことを残念がっていたよ。すまないが、私が代理で話を聞いてもいいだろうか?」


 少し言いづらそうな兄に同情した。

 おそらく、父は来る気がなく、最初から代理を立てたのだろう。

 グイードと会ったのも、季節一つ分は前である。しかも、顔を合わせて挨拶をしただけだ。


「はい、かまいません。今回、私が商会の保証人となり、騎士団魔物討伐部隊と取引を行うことになりました。今後は王城や他との取引もあると思われますので、そのご報告です。詳細はこちらにまとめてあります」


 説明に迷う恐れがあったので、ドミニクとイヴァーノにまとめてもらった。

 グイードは二枚の羊皮紙を手に取り、素早く目を走らせる。

 その後、すべての項目を確かめるように、二枚ともテーブル上に並べた。


「とても良いつながりを得たようだね」

「はい、ありがたいことだと思っております」


 どういう意味で兄が言っているのか、微妙に判断がつかない。なので、あたりさわりのない言葉を返すことにする。


「父からだが、この別邸、ここの人員はすべて、ヴォルフレードの好きにしていいそうだ。ロセッティ商会の建物はまだないのだろう? 貴族との挨拶や打ち合わせならば、商業ギルドよりここの方が楽に進むと思う。あと、水と氷の魔石が必要であれば家に使いをよこすといい。私の方で融通する」

「ありがとうございます」

「あと、探している人員や、困ったことがあれば遠慮なく言ってくれ。できるだけのことはしよう」

「たいへん助かります」


 ヴォルフは素直に頭を下げる。

 貴族との歓談予定は今のところないが、魔石を融通してもらえるのも、何かあったときの相談先となってもらえるのもありがたいことだ。


「それで、突然でなんだが……ヴォルフレード、そろそろ結婚を考えてはみないか? 希望があればできるかぎり添う貴族令嬢を探すが」

「考えておりませんので、結構です」

「そうか、年齢的にはそろそろいいかもと思うのだが……」


 急に言われたが、兄の歯切れが悪い。

 違和感を覚えて視線を上げれば、深い青の目がじっと自分を見つめていた。


「……ガストーニ夫人とは、まだお付き合いを?」

「はい、いいお付き合いをさせて頂いております」


 兄の心配がわかった。

 自分にいつまでも公爵夫人のツバメでいるな、身を固めろと言いたいのだろう。


「その……ヴォルフレードから父に連絡をとったのは、今回が初めてだと聞いた」

「そうでしたか? 今まで何も不自由はしておりませんでしたので、必要がなかったのだと思います」


 わざと肯定を避け、ヴォルフは不思議そうな表情かおを作る。

 ずっと放置され、声をかけられることもほとんどなかった父に、何を望めというのか。

 ただ衣食住、なに不自由ない生活はおくらせてもらっていたので、それについては感謝している。


「この先、スカルファロット家を出ることを考えているのかい?」

「それは……いずれは自立したいと考えておりますが」


 家を出ることについて、いきなり問われるとは思わなかったので、少しばかりあせった。

 自立と言いかえて取り繕ったが、声には肯定の響きが入った気がする。


「今回のことは、お前が家を出るために始めたのかと思ったのだが……」

「いえ、この商会のことはまったく別です」

「そうか。今、何か入り用の物や、ほしい物はないかい?」

「今のところは。騎士団の方でよくして頂いておりますし、家からも頂いておりますので」

「魔物討伐部隊から、他への移動は考えていないか?」

「特に考えておりませんが」

「『赤鎧スカーレットアーマー』を辞めるつもりはないだろうか?」

「今のところございません」


 立て続けの質問が、少しばかりうっとうしくなってきた。


 学院の卒業の時、騎士団に入った時、兄から祝いの品は届いたが、進路や将来について話したことなど一度もない。そういった仲でもないはずだ。


 グイードが『兄』を無理にろうとしているように感じ、それが内にひっかかる。


「どうかなさったのですか、兄上?」


 兄の口元辺りに向けていた視線を、遠慮なしに目に当てた。

 父と同じ青の目は、ひどく光を揺らし、そのまま閉じられ、うつむかれた。


「すまない、お前に避けられていたのはわかっている。話す機会がないことを理由に、今日まで逃げてきてしまったが、ずっと……謝罪したかった」


 グイードが立ち上がり、その場で深く頭を下げた。


「本当に申し訳なかった。あの日、ヴォルフレードとヴァネッサ様が守ってくれなかったら、母も私も死んでいた。ヴァネッサ様を助けられなかったこと、お前から母を奪ったこと、今更謝ってすむとは思わないが、謝罪させてくれ」

「……顔をお上げください。謝罪されるようなことはありません」


 想い出したくない光景が、昨日のことのように甦る。

 まぶしい昼の日差し、街道の緑、焼けた馬車、倒れた男達、地面の上、上下に分かれた母。

 そして、血まみれの自分の手。


「私が戦っていれば、ヴァネッサ様は死ななかったかもしれない……いや、むしろ、男であり、兄である私が、ヴァネッサ様やお前を守って死ぬべきだった」

「……発言を撤回してください、兄上」


 自分で思いもしないほど、冷たく硬い声が出た。


 母が騎士として命がけで守ったのは、グイードとグイードの母だ。

 母を守れなかったのは、母の息子である自分だ。

 母に守られる側だった、この男ではない。


「あの日、母が戦ったのは、母の選択です」

「だが、魔法の使える私が先に出ていれば……」

「守りきった者に、死ぬべきだったなどと言われたら、母が、いえ、騎士『ヴァネッサ・スカルファロット』が、むくわれない。発言を撤回してください」


 たぶん、今、自分はひどく敵意を込めた目をしている。それが兄に向けるものではないこともわかっている。

 それでも、どうしても、取り繕うことができなかった。


「……すまなかった。撤回する」

「ありがとうございます。失礼な発言になりましたことをお詫びします」


 グイードはソファに座り直すと、浅く息を吐いた。

 ヴォルフは兄から視線を外し、窓にむける。

 開け放たれた窓からは、緑の芝生と花壇の白い花々が見えた。


「私は、ヴォルフレードに恨まれて当然だと思っている、避けられることも」

「恨んではおりませんし、避けてもおりません。ただ……私は別邸と兵舎暮らしが長くなり、家とは疎遠なものと思っておりました」

「すまなかった。もっと早く謝罪をし、お前と話すべきだった」

「いえ」


 もうすぎたことだ。自分から話せる言葉は何もない。

 小鳥のかろやかなさえずりが、耳障りなほどに響く。それを聞きながら、兄の次の言葉を待った。


「……あの日、お前が戦っているとき、私は恐怖で固まっていた。守ろうと抱きついてきた母を振り払えなかった。馬車から出たときには、すべてが赤くて……倒れていたヴァネッサ様や騎士達を、今でも夢に見る……」


 振り絞られた声に絶句し、グイードを見た。

 机の上で組まれた両手はわずかにふるえ、その爪は両手の甲に赤く食い込んでいた。

 それは夢から覚めたときに行っている、自分と同じ仕草だった。


「本当に、情けない兄ですまない……」

「いえ、私も似た夢を見ているので」


 つい、言葉がこぼれた。


 グイードがはじかれたように顔を上げ、自分をみつめる。

 お互いの表情かおに困惑と驚きと理解を込め、どちらからともなく、苦くうなずいた。


「……見たくない夢を、見ない方法があればいいのですが」

「ヴォルフレード、それなら結婚を薦めるよ。見なくはならないが、たぶん少しは減る」

「実現の難しそうな方法ですが、覚えておきます」


 苦笑した自分に、グイードが笑い返した。


「今まで、兄らしいことなどしてやれなかった。ヴォルフレードさえよければ、少しは挽回させてくれ。商会でも王城でも、なにかあれば、遠慮なく言ってほしい」

「ありがとうございます。商業関係はまったくわかりませんので、そのときはご相談させてください……ああ、もし甘えさせて頂けるなら、魔法付与用の素材をお願いしたいのですが」

「もちろんだ。可能な限り取り寄せよう。素材はなんだい?」

「『妖精結晶』です」

「『妖精結晶』……珍しいものを探しているのだね。わかった、業者に声をかけておく。見つかり次第届けさせよう」

「ありがとうございます」


 兄の言葉に、少しばかり勇気を出して答えてみた。

 ダリヤがなかなかみつからない、そう言っていた妖精結晶だ。

 スカルファロット家つながりであれば、意外に早くみつかるかもしれない。


「そのうちに、父とも話してみてはどうだろうか?」

「機会がありましたら……」


 今日も避けられたわけだが、目の前の兄は気づいているのか、それとも、橋渡しをしてくれようとしているのか、判断がつかない。

 迷っているヴォルフに気がついたのか、グイードが言葉を続けた。


「申し訳ないが、私は年に数回しか行っていないけれど……父は、月毎にヴァネッサ様の墓に通っていると思う」

「そうですか……」


 自分が思っていたより、母は父に愛されていたのかもしれない。

 それがわかっただけでもよかった。

 その枠に自分が入っていなくてもかまわない。自分は、とうに大人なのだから。



「ヴォルフレードが、あの日の夢を見なくなることを祈るよ」


 話を終えての別れ際、兄はそう言って微笑んだ。

 その背中を見送りながら、ヴォルフはふと思い出す。


 そういえば、自分はここしばらく、あの日の夢を見ていない。

 一体いつからなのかと記憶をたどり、思わず破顔する。


 ダリヤと出会った日から、自分は一度も悪夢を見てはいなかった。


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