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60.会議の後で動くもの

 会議が終わると、議事録と契約書をまとめる時間待ちとなった。

 紅茶が出されて雑談となったので、ダリヤは持ち歩いているメモを見ながら、必死に一覧を書き上げた。


 その後、一息つくために化粧室に向かうと、すばらしく早足にルチアが追ってきた。


「ダーリーヤー!」


 化粧室に入った途端、独特なイントネーションで名を呼ばれた。

 いつもは明るくやさしい露草色の目が、ひどく怖い。


「ルチア……」

「どういうことなのよ? 服飾ギルドからの使いに、うちの父さん、目を回しちゃって。母さんがお前が作ったんだから行ってこいって、その場で副工房長よ! 家族五人でやってて副工房長ってなんなのよ! 即行で支度して出てきたわよ!」


 化粧室で他の人はいないとはいえ、大声は出せない。ルチアはダリヤの耳元でまくしたてた。


「ごめんなさい……五本指靴下を騎士団の人にあげたの。まさかこんなことになるとは思わなくて」

「あたしも思わなかったわよ。カルロさんから笑いをとろうと思って全力で作ったのが、騎士団に喜ばれるなんて。あ、トビアスさんを仕事を理由に捨てたってホント?」

「円満な婚約解消よ……」

「ダリヤって嘘が下手よね。で、ホントのところは?」


 長らくの仕事仲間兼友人は、聞き出すのに容赦がなかった。

 逃げられそうにないので、素直に説明することにする。


「オルランドさんに新しい女性ができて婚約破棄されたので、魔導具師一本で好きにやろうと思って。仕事でもめないための『お互いに円満な婚約解消』よ」

「意外、あのトビアスさんに女……もったいないことしたわねえ」


 もったいないと言われてもぴんとこない。

 元婚約者としては失礼かもしれないが、それほどに遠い感覚になってしまっていた。


「ダリヤと結婚してたら、一緒にこの仕事ができたじゃない。それにダリヤ、いきなりきれいになったし。トビアスさん、今頃、後悔してるんじゃないの?」

「ないと思うわ」

「しかし、びっくりだわ。ダリヤをがっちがちに守ってるところは気持ち悪いくらいだったのに」

「そんなことあった?」

「工房行くの、担当が男のところ全部自分が行ってたでしょ。雨の日にうちの兄貴がダリヤを送ってった時なんか心配しまくって、カルロさんに笑われてたそうよ」

「知らなかった……」

「そりゃそうよ。隠すでしょ。男の意地か、かっこつけってヤツで」


 自分が知らないトビアスの話を聞かされ、少しばかり驚いた。

 今それを聞いても、何かが変わるとはもう思えないけれど。


「まあダリヤは平気そうだし、縁がなかったんでしょ。で、あの隣の恐ろしく美形なスカルファロット様は、どういう関係?」

「友人よ。魔導具関係で一緒の」

「魔導具つながりかー、残念。確かに恋人にはちょっと『高すぎる』わよね」


 さらりとトビアスからヴォルフに話が移ったが、こちらの方が心臓に悪い。

 『高すぎる』という言葉が、少しばかりちくりと胸にきた。

 横にいてもまったく釣り合いがとれないので仕方ないが。


「あたしの方が当分、服飾ギルドと工房の行き来になりそうだから、レインコートの布は荷馬車でお願いしていい? 着払いでいいから」

「わかったわ」

「そのうちにあれでレインコートを作りたいんだけど、いつ時間がとれるか謎だわ……」

「ごめんなさい、せっかく進めてたのに」

「ううん、いい儲け話だからすっごくうれしいわよ。しっかり働いたら、工房の修理もできるし、新しい布も買えるし! もしかしたら、自分の工房資金も貯まるかもしれないし! まあ、遠いだろうけど、夢は大きく持とうと思うの」


 目の前で朱色の口紅をさっと引き直し、ルチアは自分の両頬を軽く叩く。


 彼女の夢は、かわいい服作りの工房を持つことだ。

 今の工房は、靴下と手袋がメインの家族工房だが、いずれは自分の工房を建てるため、ひたすらに貯金をしていた。

 会った当初からまったくぶれない、なんとも気持ちのいい仕事仲間である。


「じゃ、またね。一緒もなんだから、先に出てるわ」

「ええ、また」


 ぱたぱたと足音をさせて去るルチアを見送り、ダリヤも口紅を引き直す。

 鏡の中の自分は、少し疲れて見えた。




「ロセッティ商会長」


 部屋に戻るべく廊下を歩いていると、冒険者副ギルド長のアウグストに声をかけられ、その場で一礼された。


「先ほどは、うちの部下が本当に申し訳ありませんでした」

「いえ、知らぬこととはいえ、たいへんご迷惑をおかけしました」

「その……ジャンにもいろいろと事情がありまして、正式な謝罪は後日改めて」

「いえ、気にしておりませんので」


 元はといえば、父と自分が素材の在庫を考えることなく、計画性も薄く、製品展開をしたためである。

 ジャンにはおそらく在庫管理で負担がかなりかかっていたのだろう。それがつい口に出たとしても、責めるつもりにはなれなかった。


「アウグスト、その『いろいろな事情』というのは、私が詳しく伺っても? さきほどのことは、あまりにロセッティ商会長に失礼だと思いますので」


 いつの間に横にいたのか、ヴォルフが尋ねる。

 いつもの彼とは違い、声が二段ほど低く冷たい。あと、空気が奇妙なほどに重くなってきた。


「ヴォルフレード……わかりました、説明します。彼個人のことになりますが……ジャンは結婚を機会に上級冒険者からギルド員になった者です。ギルド員で最初の仕事がクラーケンの捕獲で一ヶ月遠征、最初の妻が家を出ました……」


 言葉を選んでいるのか、それとも言いかねているのか、アウグストはひどく難しい顔で続けた。


「……再婚直後に砂蜥蜴サンドリザードの捕獲で二週間ほど遠征になり、子供が生まれる前後にはブルースライムの管理でギルドに泊まり込みと、運悪く、他も色々と重なり、妻子が実家に帰ったことが何度か……現在はようやく戻ったところですが……」

「……教えて頂いてありがとうございます。絶対に口外はしませんので」


 ヴォルフの怒気が完全に消え、同情に切りかわった。

 ダリヤの方は、ジャンに対して全力で謝罪をしたくなった。ついでに父の墓にも報告するべきかもしれない。


 ジャンはとりあえず、ロセッティ家を全面的に恨む権利がある。ご家族にも申し訳ない。


「業務を部下に振れと言ってはいるのですが、有能なだけにいろいろな仕事に自分で対応してしまい……私の管理不足で、ロセッティ商会長に不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありません。素材管理の対策は必ず行いますし、今後はこのようなことがないように言い聞かせますので」

「いえ、むしろ私がジャンさんに謝りたいです……」


 謝罪合戦になった後、ようやく会議室に戻った。


 今後の制作は、素材についても考えなければと、しみじみ思った。



 ・・・・・・・



 挨拶を交わし、服飾ギルドと冒険者ギルドの馬車を見送ると、ようやく息をゆっくり吸えた。


 ガブリエラとイヴァーノは執務室での打ち合わせに、ダリヤとヴォルフは騎士団契約書の確認という名目で会議室を借りた。

 夕暮れ時、帰宅で道が混み合う時間をずらし、馬車を呼ぶ予定だ。


「……疲れましたね」

「本当に。でも、なんとかなったね」

「なったんでしょうか? もうジャンさんに申し訳ないが一番で……」

「あれは、確かに……」


 二人とも苦く無言になってしまった。

 どちらも長めに息を吐いた後、ヴォルフが机の上で両手を組む。


「ええと、気を悪くしないで聞いてほしいのだけれど、ダリヤは、これから貴族と話す機会があるかもしれないから、避けた方がいい言い方を知っておく方がいいと思う」

「どこで失礼なことを言いました、私?!」


 会議での話し方、ルチアと盛り上がってしまったこと、いろいろと思い当たることが多すぎて特定できない。


「『私がフォルトゥナート様を信頼しますので、すべてお任せします』って言ったこと」

「え?」

「貴族男性に向かって貴族の独身女性がああ言うと、自分の騎士に値するという意味で、敬愛の表現」

「なんでそうなるんですか……」


 自分が言ったのは、『信用するので監視人はいりません、そちらで行う事業はすべてお任せします』ということだけで、他意はない。

 なにがどうやったらそうなるのか、意味がわからない。


「フォルトゥナートさんは、その……実家のルイーニ家が騎士の多い家柄なんだけど、騎士じゃなく服飾に進んだ人だから。騎士扱いされたと思って驚いたんだと思う」

「いえ、私はそのつもりはまったくなく」

「大丈夫。とっさのことだし、もう、向こうも気がついていると思う。ダリヤは貴族じゃないというのも知っているし、既婚だし。もし何か言われても俺が間に立つから、心配しなくていい」

「すみません、知らなかったとはいえ失礼なことを……」


 ダリヤは頭を抱えた。

 偶然が悪い方向にのみ転がった形に思える。

 いっそ、今後、顔を合わせることがないよう切実に願いたい。


「あと、少し昔の歌劇で、『私がオルフェーオ様を信頼しますので、すべてをお任せします』って、ヒロインが主人公の騎士に言うのが、ラストの見せ場というのがある。当時はそれを真似するのが流行ったんだって」

「それが騎士の敬愛の表現の元ですか?」

「いや、昔からの騎士の敬愛表現と、劇のラストを『引っかけた』だけ」


 青年は黄金の目をダリヤから外し、壁側にむけた。


「非常に言いづらいんだけど……女性貴族から男性へ、最初に二人で過ごす夜に言うのが流行ったそうなので、避けた方がいいと思う……」

「なっ?!」


 バタン、机につっぷして動きたくない生き物ができあがった。


「おかしいですよ、知らないですよ、もう何も喋れないじゃないですか……」

「いや、これは特殊な例で、そうないと思うよ。あそこで気がついていたの、俺とアウグストだけだったと思う。ガブリエラさんも気がついていなかった、あれ、気がつかないふりかな? 流行った年代が別かな……」


 貴族でそれを知る年代ぴったりがそろっていたら、自分は公開処刑だったということである。

 絶対、自分は貴族に向いていない、そう確信した。


「まあ、これは特殊な方だよ。馬車で女性を送って行くときに『私のために手袋を外してください』とかなら、すぐわかるわけだし」

「何ですか、それ?」

「……お誘いの言葉」

「無理ですよ……まるでわからないですよ……」


「商会で貴族と話すときがあったら同席するよ。あと、とりあえず会話ルール本とメモは持ってくる」

「同席はぜひお願いします。でも、あるんですか、こういうことをまとめた本って?」

「古いけど、母が読んでた本とメモがあるから、今度、持って行くよ」

「お願いします……」


 答えながら、いまだ顔を上げられないダリヤだった。


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